ユダとタマル 2013年9月29日(日曜 夕方の礼拝)
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ユダとタマル
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- 村田寿和 牧師
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創世記 38章1節~30節
聖書の言葉
38:1 そのころ、ユダは兄弟たちと別れて、アドラム人のヒラという人の近くに天幕を張った。
38:2 ユダはそこで、カナン人のシュアという人の娘を見初めて結婚し、彼女のところに入った。
38:3 彼女は身ごもり男の子を産んだ。ユダはその子をエルと名付けた。
38:4 彼女はまた身ごもり男の子を産み、その子をオナンと名付けた。
38:5 彼女は更にまた男の子を産み、その子をシェラと名付けた。彼女がシェラを産んだとき、ユダはケジブにいた。
38:6 ユダは長男のエルに、タマルという嫁を迎えたが、
38:7 ユダの長男エルは主の意に反したので、主は彼を殺された。
38:8 ユダはオナンに言った。「兄嫁のところに入り、兄弟の義務を果たし、兄のために子孫をのこしなさい。」
38:9 オナンはその子孫が自分のものとならないのを知っていたので、兄に子孫を与えないように、兄嫁のところに入る度に子種を地面に流した。
38:10 彼のしたことは主の意に反することであったので、彼もまた殺された。
38:11 ユダは嫁のタマルに言った。「わたしの息子のシェラが成人するまで、あなたは父上の家で、やもめのまま暮らしていなさい。」それは、シェラもまた兄たちのように死んではいけないと思ったからであった。タマルは自分の父の家に帰って暮らした。
38:12 かなりの年月がたって、シュアの娘であったユダの妻が死んだ。ユダは喪に服した後、友人のアドラム人ヒラと一緒に、ティムナの羊の毛を切る者のところへ上って行った。
38:13 ある人がタマルに、「あなたのしゅうとが、羊の毛を切るために、ティムナへやって来ます」と知らせたので、
38:14 タマルはやもめの着物を脱ぎ、ベールをかぶって身なりを変え、ティムナへ行く途中のエナイムの入り口に座った。シェラが成人したのに、自分がその妻にしてもらえない、と分かったからである。
38:15 ユダは彼女を見て、顔を隠しているので娼婦だと思った。
38:16 ユダは、路傍にいる彼女に近寄って、「さあ、あなたの所に入らせてくれ」と言った。彼女が自分の嫁だとは気づかなかったからである。「わたしの所にお入りになるのなら、何をくださいますか」と彼女が言うと、
38:17 ユダは、「群れの中から子山羊を一匹、送り届けよう」と答えた。しかし彼女は言った。「でも、それを送り届けてくださるまで、保証の品をください。」
38:18 「どんな保証がいいのか」と言うと、彼女は答えた。「あなたのひもの付いた印章と、持っていらっしゃるその杖です。」ユダはそれを渡し、彼女の所に入った。彼女はこうして、ユダによって身ごもった。
38:19 彼女はそこを立ち去り、ベールを脱いで、再びやもめの着物を着た。
38:20 ユダは子山羊を友人のアドラム人の手に託して送り届け、女から保証の品を取り戻そうとしたが、その女は見つからなかった。
38:21 友人が土地の人々に、「エナイムの路傍にいた神殿娼婦は、どこにいるでしょうか」と尋ねると、人々は、「ここには、神殿娼婦などいたことはありません」と答えた。
38:22 友人はユダのところに戻って来て言った。「女は見つかりませんでした。それに土地の人々も、『ここには、神殿娼婦などいたことはありません』と言うのです。」
38:23 ユダは言った。「では、あの品はあの女にそのままやっておこう。さもないと、我々が物笑いの種になるから。とにかく、わたしは子山羊を届けたのだが、女が見つからなかったのだから。」
38:24 三か月ほどたって、「あなたの嫁タマルは姦淫をし、しかも、姦淫によって身ごもりました」とユダに告げる者があったので、ユダは言った。「あの女を引きずり出して、焼き殺してしまえ。」
38:25 ところが、引きずり出されようとしたとき、タマルはしゅうとに使いをやって言った。「わたしは、この品々の持ち主によって身ごもったのです。」彼女は続けて言った。「どうか、このひもの付いた印章とこの杖とが、どなたのものか、お調べください。」
38:26 ユダは調べて言った。「わたしよりも彼女の方が正しい。わたしが彼女を息子のシェラに与えなかったからだ。」ユダは、再びタマルを知ることはなかった。
38:27 タマルの出産の時が来たが、胎内には双子がいた。
38:28 出産の時、一人の子が手を出したので、助産婦は、「これが先に出た」と言い、真っ赤な糸を取ってその手に結んだ。
38:29 ところがその子は手を引っ込めてしまい、もう一人の方が出てきたので、助産婦は言った。「なんとまあ、この子は人を出し抜いたりして。」そこで、この子はペレツ(出し抜き)と名付けられた。
38:30 その後から、手に真っ赤な糸を結んだ方の子が出てきたので、この子はゼラ(真っ赤)と名付けられた。創世記 38章1節~30節
メッセージ
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序.
創世記第37章から最後の第50章までは、ヨセフ物語と呼ばれていますが、今夕の第38章には、ユダの物語が記されています。ヨセフの物語に割り込むようにして、ユダの物語が記されているのです。どうして、このようなかたちで、ユダの物語が記されているのでしょうか?それは、ユダの子孫から、ダビデ王が、さらには、イエス・キリストがお生まれになるからです。ユダの子孫から、ダビデ王が、さらにはイエス・キリストがお生まれになるのですが、今夕の御言葉には、ユダの子孫が途絶えてしまう危機的な状況が記されています。そして、その危機的な状況を救ったのが、タマルであったのです。
1.危機的状況にあるユダの子孫
兄弟たちと別れたユダは、アドラム人ヒラという人の近くに天幕を張りました。ユダはそこで、カナン人シュアの娘と結婚し、エル、オナン、シェアの三人の息子をもうけました。ユダは長男のエルに、タマルという嫁を迎えますが、彼は主の意に反したので、主は彼を殺されました。エルが主に対してどのような悪を働いたのかは分かりませんが、エルは若くして死んでしまうのです。そこで、ユダは次男のオナンにこう言うのです。「兄嫁のところに入り、兄弟の義務を果たし、兄のために子孫を残しなさい」。このユダの言葉の背後には、いわゆるレヴィレート婚と呼ばれる当時の慣習があります。申命記の第25章にそれが成文化されていますので、そのところを読みたいと思います。申命記の第25章5節、6節をお読みします。旧約の319ページです。
兄弟が共に暮らしていて、そのうちの一人が子供を残さずに死んだならば、死んだ者の妻は家族以外の他の者に嫁いではならない。亡夫の兄弟が彼女のところに入り、めとって妻として、兄弟の義務を果たし、彼女の産んだ長子に死んだ兄弟の名を継がせ、その名がイスラエルの中から絶えないようにしなければならない。
このような当時の慣習に従って、ユダは次男のオナンに、「兄嫁のところに入り、兄弟の義務を果たし、兄のために子孫を残しなさい」と言ったのです。
では、今夕の御言葉に戻ります。旧約の66ページです。
兄に子がなく死んだ場合、兄嫁のところに入り、子孫を残すのが弟の義務でありましたが、オナンはその子孫が自分のものにならないのを知っていたので、兄に子孫を与えないように、兄嫁のところに入る度に子種を地面に流しました。しかし、このことは主の目に悪と映り、彼もまた殺されることになります。オナンも若くして死んでしまうのです。そうすると、次は三男のシェアが兄弟の義務を果たす番ですが、ユダは嫁のタマルにこう言いました。「わたしの息子のシェラが成人するまで、あなたは父上の家で、やもめのまま暮らしていなさい」。このようにユダが言ったのは、シェラもまた兄たちのように死んではいけないと思ったからです。ユダは、どうやらタマルに原因があって息子たちが死んだと考えたようです。私たちは、二人の息子たちが、それぞれの悪のために主が殺されたことを知っております。しかし、ユダはそのことを知りませんから、シェラにタマルを与えることを恐れたのです。このようにして、タマルは自分の父の家に帰り、やもめとして暮らすことになったのです。
2.タマルの策略
かなりの年月がたって、シュアの娘であったユダの妻が死にました。ユダは喪に服した後、友人のアドラム人ヒラと一緒に、ティムナの羊の毛を刈る者のところへ上って行きました。このことを人伝えに聞いたタマルは、やもめの着物を脱ぎ、ベールをかぶって身なり変え、ティムナへ行く途中のエナイムの入り口に座りました。彼女がこのようにしたのは、シェラが成人したのに、自分がその妻にしてもらえないと分かったからです。ユダは彼女を見て、顔を隠しているので娼婦だと思い、「さあ、あなたの所に入らせてくれ」と言いました。ユダは彼女がベールで顔を隠していたので、自分の嫁だとは気づかなかったのです。「わたしの所にお入りになるのなら、何をくださいますか」と彼女が言うと、ユダは「群れの中から子山羊を一匹送り届けよう」と答えました。しかし、彼女は、「でも、それを送り届けてくださるまで、保証の品をください」と言い、「どんな保証がいいのか」とユダが言うと、「あなたのひもの付いた印象と、持っていらっしゃるその杖です」と答えました。これは、どちらもその人がだれであるかを示す品々であります。私たちも印鑑を用いますが、その印鑑のようなものをユダはひもに付けて首にぶら下げていたのです。また杖にも、その人がだれであるかが分かる印が刻まれておりました。ユダは、その品々を渡して、彼女のところに入ったのです。このようにして、タマルはユダによって身ごもったのです。目的を果たしたタマルはそこを去り、ベールを脱いで、再びやもめの着物を着ました。他方、ユダは子山羊を友人のアドラム人の手に託して送り届けて、保証の品々を取り戻そうとしますが、その女は見つかりませんでした。友人は土地の人々に、「エナイムの路傍にいた神殿娼婦は、どこにいるでしょうか」と尋ねておりますが、カナン人は神々を礼拝する中で、性的な営みを行っておりました。その性的な営みに関わっていた聖なる女たち、それが神殿娼婦であります。後に、イスラエルでは、みだらな行いとして神殿娼婦、神殿男娼を禁じるのですが、ここで、友人が「娼婦」という言葉を用いずに「神殿娼婦」という言葉を用いているのは、社会的な目を気にしてのことであったと思います(申命23:18参照)。友人から女が見つからなかったことを聞いたユダはこう言いました。「では、あの品はあの女にそのままやっておこう。さもないと、我々が物笑いの種になるから、とにかく、わたしは子山羊を届けたのだが、女が見つからなかったのだから」。ここに「我々が物笑いの種になる」とありますように、ユダは世間体を重んじる人物でありました。ですから、ユダは友人を通して、女に子山羊を届けさせたわけです。
そのような世間体を重んじるユダに、衝撃的な知らせが届きます。それから三カ月ほどたって、「あなたの嫁タマルは姦淫をし、しかも、姦淫によって身ごもりました」との知らせをユダは聞くことになるのです。これに対して、ユダは家長としての裁きをくだします。「あの女を引きずり出して、焼き殺してしまえ」とユダは言うのです。タマルは、自分の父の家に帰って暮らしておりましたが、依然として、ユダの家族の一員でありました。それゆえ、ユダは家長として、タマルに死を言い渡すのです。「焼き殺す」ことは、もっとも残虐な処刑方法であります(レビ21:9参照)。それほど、ユダの怒りは燃え上がっていたのでしょう。ところが、引きずり出されようとしたとき、タマルはしゅうとに使いをやってこう言うのです。「わたしは、この品々の持ち主によって身ごもったのです」。「どうか、このひもの付いた印章とこの杖とが、どなたのものか、お調べください」。それを調べて、ユダはこう言うのです。「わたしよりも彼女の方が正しい。わたしが彼女を息子のシェラに与えなかったからだ」。このようにして、タマルは死を免れ、しゅうとのユダによって、夫エルの子を産むことができたのです。このお話しを道徳的、倫理的に読むならば、タマルの行為はおぞましいものに思えます。しかし、聖書は、ユダの口を通して、「彼女の正しさ」を語るのです。エルとオナンが主の目に悪とされたのに対して、タマルは主の目に正しい者とされているのです。それは彼女が娼婦に変装するという大胆な行動を取り、何とかして子孫を得ようとした姿勢にあると思います。やもめのまま暮らしていても、彼女に未来はありませんでした。シェラの妻にしてもらえないと分かった以上、彼女はしゅうとをだましてでも、子孫を得ようとするのです。そのようにして、彼女は自分の未来を切り開いたのであります。そのような行為はもちろん、後に律法で禁じられる近親相姦の罪であります(レビ18:15参照)。それで、聖書は、ユダが妻の死んだ後に娼婦と関係をもったこと、ユダが娼婦をタマルだとは知らなかったこと、ユダが再びタマルを知ることはなかったことを記し、ユダを擁護しているのです。
3.双子の息子たち
タマルの出産の時が来ましたが、胎内には双子がいました。その双子とは、ペレツとゼラであります。ペレツとゼラの名前の由来については、ここでは繰り返しませんが、ペレツの子孫としてダビデが、さらにはイエス・キリストがお生まれになるのです。今夕のそのことを確認して終わりたいと思います。マタイによる福音書第1章1節から16節までをお読みします。新約の1ページです。
アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。
ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、ヨシヤは、バビロンに移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。
バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、ゼルバベルはアビウドを、アビウドはエリアキムを、エリアキムはアゾルを、アゾルはサドクを、サドクはアキムを、アキムはエリウドを、エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。
このようにユダによってタマルから生まれたペレツによって、後に、イエス・キリストはお生まれになるのです。それゆえ、今夕のタマルの物語は、私たちの救いへと通じる物語であるのです。神さまは、タマルの冒険的とも言える振る舞いをも用いて、アブラハムの子孫からすべての民を祝福する王、イエス・キリストを遣わしてくださったのです。