エサウの系図 2013年9月08日(日曜 夕方の礼拝)

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エサウの系図

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 36章1節~43節

聖句のアイコン聖書の言葉

36:1 エサウ、すなわちエドムの系図は次のとおりである。
36:2 エサウは、カナンの娘たちの中から妻を迎えた。ヘト人エロンの娘アダ、ヒビ人ツィブオンの孫娘でアナの娘オホリバマ、
36:3 それに、ネバヨトの姉妹でイシュマエルの娘バセマトである。
36:4 アダは、エサウとの間にエリファズを産み、バセマトはレウエルを産んだ。
36:5 オホリバマは、エウシュ、ヤラム、コラを産んだ。これらは、カナン地方で生まれたエサウの息子たちである。
36:6 エサウは、妻、息子、娘、家で働くすべての人々、家畜の群れ、すべての動物を連れ、カナンの土地で手に入れた全財産を携え、弟ヤコブのところから離れてほかの土地へ出て行った。
36:7 彼らの所有物は一緒に住むにはあまりにも多く、滞在していた土地は彼らの家畜を養うには狭すぎたからである。
36:8 エサウはこうして、セイルの山地に住むようになった。エサウとはエドムのことである。
36:9 セイルの山地に住む、エドム人の先祖エサウの系図は次のとおりである。
36:10 まず、エサウの息子たちの名前を挙げると、エリファズはエサウの妻アダの子で、レウエルはエサウの妻バセマトの子である。
36:11 エリファズの息子たちは、テマン、オマル、ツェフォ、ガタム、ケナズである。
36:12 エサウの息子エリファズの側女ティムナは、エリファズとの間にアマレクを産んだ。以上が、エサウの妻アダの子孫である。
36:13 レウエルの息子たちは、ナハト、ゼラ、シャンマ、ミザである。以上が、エサウの妻バセマトの子孫である。
36:14 ツィブオンの孫娘で、アナの娘であるエサウの妻オホリバマの息子たちは、次のとおりである。彼女は、エサウとの間にエウシュ、ヤラム、コラを産んだ。
36:15 エサウの子孫である首長は次のとおりである。まず、エサウの長男エリファズの息子たちについていえば、首長テマン、首長オマル、首長ツェフォ、首長ケナズ、
36:16 首長コラ、首長ガタム、首長アマレクである。これらは、エドム地方に住むエリファズ系の首長で、アダの子孫である。
36:17 次に、エサウの子レウエルの息子たちについていえば、首長ナハト、首長ゼラ、首長シャンマ、首長ミザである。これらは、エドム地方に住むレウエル系の首長で、エサウの妻バセマトの子孫である。
36:18 エサウの妻オホリバマの息子たちについていえば、首長エウシュ、首長ヤラム、首長コラである。これらは、アナの娘であるエサウの妻オホリバマから生まれた首長である。
36:19 以上が、エサウ、すなわちエドムの子孫である首長たちである。
36:20 この土地に住むフリ人セイルの息子たちは、ロタン、ショバル、ツィブオン、アナ、
36:21 ディション、エツェル、ディシャンである。これらは、エドム地方に住むセイルの息子で、フリ人の首長たちである。
36:22 ロタンの息子たちは、ホリとヘマムであり、ロタンの妹がティムナである。
36:23 ショバルの息子たちは、アルワン、マナハト、エバル、シェフォ、オナムである。
36:24 ツィブオンの息子たちは、アヤとアナである。アナは父ツィブオンのろばを飼っていたとき、荒れ野で泉を発見した人である。
36:25 アナの子供たちは、ディションとアナの娘オホリバマである。
36:26 ディションの息子たちは、ヘムダン、エシュバン、イトラン、ケランである。
36:27 エツェルの息子たちは、ビルハン、ザアワン、アカンである。
36:28 ディシャンの息子たちは、ウツとアランである。
36:29 フリ人の首長は次のとおりである。首長ロタン、首長ショバル、首長ツィブオン、首長アナ、
36:30 首長ディション、首長エツェル、首長ディシャン。以上がフリ人の首長であり、セイル地方に住むそれぞれの首長であった。
36:31 イスラエルの人々を治める王がまだいなかった時代に、エドム地方を治めていた王たちは次のとおりである。
36:32 エドムで治めていたのは、ベオルの息子ベラであり、その町の名はディンハバといった。
36:33 ベラが死んで、代わりに王となったのは、ボツラ出身でゼラの息子ヨバブである。
36:34 ヨバブが死んで、代わりに王となったのは、テマン人の土地から出たフシャムである。
36:35 フシャムが死んで代わりに王となったのは、ベダドの息子ハダドであり、モアブの野でミディアン人を撃退した人である。その町の名はアビトといった。
36:36 ハダドが死んで代わりに王となったのは、マスレカ出身のサムラである。
36:37 サムラが死んで代わりに王となったのは、ユーフラテス川のレホボト出身のシャウルである。
36:38 シャウルが死んで、代わりに王となったのは、アクボルの息子バアル・ハナンである。
36:39 アクボルの息子バアル・ハナンが死んで代わりに王となったのは、ハダドである。その町の名はパウといい、その妻の名はメヘタブエルといった。彼女はマトレドの娘で、メ・ザハブの孫娘である。
36:40 エサウ系の首長たちの名前を氏族と場所の名に従って挙げれば、首長ティムナ、首長アルワ、首長エテト、
36:41 首長オホリバマ、首長エラ、首長ピノン、
36:42 首長ケナズ、首長テマン、首長ミブツァル、
36:43 首長マグディエル、首長イラムである。以上がエドムの首長であって、彼らが所有した領地に従って挙げたものである。エサウは、エドム人の先祖である。創世記 36章1節~43節

原稿のアイコンメッセージ

 今夕は創世記第36章1節から42節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願っています。

 前回、私たちは、エサウとヤコブが父イサク葬った場面を読みましたが、今夕の御言葉は、エサウの系図について記しています。ちょうど、イサクの物語を記す前に、第25章でイシュマエルの系図について記したように、ヤコブの息子の物語を記す前に、第36章でエサウの系図について記しているのです。なぜ、エサウの系図がここに長々と記されているのでしょうか?それは、エサウもアブラハムの子イサクの子孫であるからです。

 1節から5節までをお読みします。

 エサウ、すなわちエドムの系図は次のとおりである。エサウは、カナンの娘たちの中から妻を迎えた。ヘト人エロンの娘アダ、ヒビ人ツィブオンの孫娘でアナの娘オホリバマ、それに、ネバヨトの姉妹でイシュマエルの娘バセマトである。アダは、エサウとの間にエリファズを産み、バセマトはレウエルを産んだ。オホリバマは、エウシュ、ヤラム、コラを産んだ。これらは、カナン地方で生まれたエサウの息子たちである。

 エサウがエドムとも呼ばれる由来については、第25章30節に記されておりました。第25章は「長子の特権」について記している個所ですが、その30節にこう記されています。「エサウはヤコブに言った。『お願いだ、その赤いもの(アドム)、そこの赤いものを食べさせてほしい。わたしは疲れきっているんだ。』彼が名をエドムとも呼ばれたのはこのためである」。このようなことからエサウはエドムとも呼ばれるようになりました。そして、エドムは、エサウから出た子孫たちの名前ともなったのです。ヤコブから出た子孫たちがイスラエルと呼ばれたように、エサウから出た子孫たちはエドムと呼ばれるようになったのであります。ここで、エサウは三人の妻を娶っております。二人は、カナンの娘たちであり、ヘト人エロンの娘アダとヒビ人ツィブオンの孫娘でアナの娘オホリバマであります。エサウがカナンの娘たちを妻にしたことは、第26章34節、35節にこう記されていました。「エサウは、四十歳のときヘト人ベエリの娘ユディトとヘト人エロンの娘バセマトを妻として迎えた。彼女たちは、イサクとリベカにとって悩みの種となった」。この第26章と今夕の第36章に出てくる名前は一致しておりません。彼女たちは二つの名前をもっていたのではないかと考える研究者もおりますが、おそらく、別の伝承を資料として用いているためであると思います。また、エサウは、三人目の妻としてネバヨトの姉妹でイシュマエルの娘バセマトを娶っていますが、このことについても、第28章8節、9節にこう記されていました。「エサウは、カナンの娘たちが父イサクの気に入らないことを知って、イシュマエルのところへ行き、既にいる妻のほかにもう一人、アブラハムの息子イシュマエルの娘で、ネバヨトの妹に当たるマハラトを妻とした」。ここでも、今夕の御言葉と名前が一致しておりません。ともかく、エサウは父イサクに好かれようと、カナンの娘たちではない、父方の親族であるイシュマエルの娘を、三人目の妻として迎え入れたのです。

 エサウは、アダとオホリバマとバセマトの三人の妻を迎えたわけですが、アダはエリファズを、また、バセマトはレウエルを、さらにオホリバマは、エウシュ、ヤラム、コラを産みました。エサウは三人の妻によって、カナン地方で5人の息子をもうけたのです。

 6節から8節までをお読みします。

 エサウは、妻、息子、娘、家で働くすべての人々、家畜の群れ、すべての動物を連れ、カナンの土地で手に入れた全財産を携え、弟ヤコブのところから離れてほかの土地へ出て行った。彼らの所有物は一緒に住むにはあまりにも多く、滞在していた土地は彼らの家畜を養うには狭すぎたからである。エサウはこうして、セイルの山地に住むようになった。エサウとはエドムのことである。

 父イサクの死によって、エサウは、カナンの土地で手に入れた全財産を携えて、弟ヤコブのところから離れて他の土地へ出て行きました。この記述は、第33章に記されていた記述と食い違うように思えます。なぜなら、第33章16には、「エサウは、その日セイルへの道を帰って行った」と記されていたからです。第33章を読みますと、すでにエサウがセイルの地に住んでいたように記されておりますが、今夕の御言葉では、カナンの地に住んでいるように記されているのです。ある研究者は、父イサクの死によって、エサウは完全にセイルの地に移住したと解釈しております。ともかく、ここで私たちが心に留めておくべきことは、エサウは平和のうちに、カナンの土地から、弟ヤコブの土地から離れて行ったということであります。そのようにしてエサウは、自分ではなく弟ヤコブに長子の権利があることを認めたのです。ちょうど、アブラハムとロトが、一緒に住むには所有物が多かったゆえに、別れたように、エサウとヤコブも平和のうちに別れたのです。こうして、エサウは、死海の南方のセイルの山地に住むようになったのでありました。このようにして、かつてのイサクの言葉、「ああ、地の生み出す豊かなものから遠く離れた所/この後お前にはそこに住む」という言葉が現実のものとなったのです(27:39参照)。

 9節から14節までは、セイルの山地に住む、エドム人の先祖エサウの系図が記されております。ここでは子、孫の三世代にわたる系図が記されております。

また、15節から19節までは、エサウの子孫である首長たちの一覧表が記されています。首長は、部族の長でありますから、ここでエサウの子孫たちが氏族から部族へと拡大していることが分かります。このエサウの子孫である首長たちのリストは、よく見ますと、9節から14節に記されていたエサウの系図に記されている名前に、首長という言葉を付け加えて記されていることに気づきます。

 20節から29節までは、小見出しに「セイルの子孫」とありますように、エサウが移り住む前に、セイルに住んでいたフリ人セイルの息子たちの系図であります。死海の南方にある山地がセイルと呼ばれるのは、フリ人のセイルの子孫たちによってその地が治められていたからであるのです。このことについては、申命記の第2章12節に次のように記されています。旧約の282ページです。

 セイルには、かつてフリ人が住んでいたが、エサウの子孫は彼らを追い払って滅ぼし、代わってそこに住んだ。これは、イスラエルが主から与えられた領地を手に入れたのと同様である。

 また、22節にも次のように記されています。

 それは、セイルに住んでいるエサウの子孫のために主がなさったことと同様である。主は彼らの前からフリ人を滅ぼされたので、エサウの子孫は彼らを追い払い、代わってそこに住み、今日に至っている。

 このようにエサウが移住する前は、セイルの地にフリ人セイルの子孫たちが住んでいたのです。それゆえ、創世記第36章は、フリ人セイルの息子たちの系図についても記しているのです。では、今夕の御言葉に戻ります。旧約の62ページです。

 申命記の記述によれば、セイルの子孫たちは、エサウの子孫によって滅ぼされるのでありますが、それはエサウがセイルの地に移り住んでからしばらくのことであったことが、このセイルの子孫の系図から分かります。といいますのも、25節に記されている「アナの娘オホリバマ」は、2節に記されていたエサウの妻「ヒビ人ツィブオンの孫娘でアナの娘オホリバマ」と同一人物であるからです。私たちはここから、エサウがセイルの子孫と姻戚関係を結んでいたこと、さらには、それから何代か経って、セイルがエドムによって滅ぼされたことを知ることができるのです。

 31節から43節までは、小見出しに「エドムの王国」とありますように、エドム地方を治めていた王たちの一覧表が記されています。31節に、「イスラエルの人々を治める王たちがまだいなかった時代に」とありますように、王制を取ったのは、イスラエルよりエドムの方が先でありました。ここではエドムが部族から民族へと拡大しております。このエドムの王たちのリストから教えられますことは、王は世襲制ではなかったということ、また、その王の出身地が都とされたということであります。40節から43節には、再び首長の一覧表が記されていますが、これは、ダビデ王によってエドムが討たれ、ダビデがエドムに守備隊を置いたことと関係があります。サムエル記下の第8章13節、14節にこう記されています。旧約の492ページです。

 ダビデは、アラムを討って帰る途中、塩の谷でエドム人一万八千人を討ち殺し、名声を得た。彼はエドムに守備隊を置くことにした。守備隊はエドム全土に置かれ、全エドムはダビデに隷属した。主はダビデに行く先々で勝利を与えられた。

 このようにして、父イサクのエサウへの言葉、「お前は弟に仕える」という言葉は実現するのです。そして、エドムは王国から部族へと後退することになるのです。しかし、エドムは、ユダの王ヨラムの時代に、「反抗を企て、自分の首から軛を振り落と」し、自分たちの王を再び立てることになるのです(列王記下8:20~22参照)。

 今夕の御言葉には、エサウ、すなわちエドムの系図がダビデ王の時代に至るまで長々と記されているのですが、このことは、神さまが、ヤコブの子孫であるイスラエルだけではなく、エサウの子孫であるエドムをも心に留めておられることを示しています。それゆえ、神さまは、申命記の第23章8節で、「エドム人をいとってはならない。彼らはあなたの兄弟である」とイスラエルに言われるのです。確かに、神さまはエサウではなく、ヤコブをお選びになりました。しかし、それはヤコブの子孫であるイスラエルが、エサウの子孫であるエドム人をいとってよいことにはならないのです。なぜなら、イスラエルは、エドムを含めたすべての民族を祝福するために選ばれた神の器であるからです。エドムの系図が長々と聖書に記されていることは、旧約の区分から言えば異邦人である私たちにとっても、大きな意味を持っているのです。

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