再びベテルへ 2013年8月25日(日曜 夕方の礼拝)
問い合わせ
再びベテルへ
- 日付
-
- 説教
- 村田寿和 牧師
- 聖書
創世記 35章1節~15節
聖書の言葉
35:1 神はヤコブに言われた。「さあ、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてその地に、あなたが兄エサウを避けて逃げて行ったとき、あなたに現れた神のための祭壇を造りなさい。」
35:2 ヤコブは、家族の者や一緒にいるすべての人々に言った。「お前たちが身に着けている外国の神々を取り去り、身を清めて衣服を着替えなさい。
35:3 さあ、これからベテルに上ろう。わたしはその地に、苦難の時わたしに答え、旅の間わたしと共にいてくださった神のために祭壇を造る。」
35:4 人々は、持っていた外国のすべての神々と、着けていた耳飾りをヤコブに渡したので、ヤコブはそれらをシケムの近くにある樫の木の下に埋めた。
35:5 こうして一同は出発したが、神が周囲の町々を恐れさせたので、ヤコブの息子たちを追跡する者はなかった。
35:6 ヤコブはやがて、一族の者すべてと共に、カナン地方のルズ、すなわちベテルに着き、
35:7 そこに祭壇を築いて、その場所をエル・ベテルと名付けた。兄を避けて逃げて行ったとき、神がそこでヤコブに現れたからである。
35:8 リベカの乳母デボラが死に、ベテルの下手にある樫の木の下に葬られた。そこで、その名はアロン・バクト(嘆きの樫の木)と呼ばれるようになった。
35:9 ヤコブがパダン・アラムから帰って来たとき、神は再びヤコブに現れて彼を祝福された。
35:10 神は彼に言われた。「あなたの名はヤコブである。しかし、あなたの名はもはやヤコブと呼ばれない。イスラエルがあなたの名となる。」神はこうして、彼をイスラエルと名付けられた。
35:11 神は、また彼に言われた。「わたしは全能の神である。産めよ、増えよ。あなたから/一つの国民、いや多くの国民の群れが起こり/あなたの腰から王たちが出る。
35:12 わたしは、アブラハムとイサクに与えた土地を/あなたに与える。また、あなたに続く子孫にこの土地を与える。」
35:13 神はヤコブと語られた場所を離れて昇って行かれた。
35:14 ヤコブは、神が自分と語られた場所に記念碑を立てた。それは石の柱で、彼はその上にぶどう酒を注ぎかけ、また油を注いだ。
35:15 そしてヤコブは、神が自分と語られた場所をベテルと名付けた。創世記 35章1節~15節
メッセージ
関連する説教を探す
今夕は、創世記第35章1節から15節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願っております。
神さまはヤコブに、次のように言われました。「さあ、ベテルに上り、そこに住みなさい。そして、その地に、あなたが兄エサウを避けて逃げて行ったとき、あなたに現れた神のための祭壇を造りなさい」。このように神さまが言われたのは、第28章に記されていたヤコブの誓願を果たさせるためでありました。第28章20節から22節にこう記されています。旧約の46ページです。
ヤコブはまた、誓願を立てて言った。「神がわたしと共におられ、わたしが歩むこの旅路を守り、食べ物、着る物を与え、無事に父の家に帰らせてくださり、主がわたしの神となられるなら、わたしが記念碑として立てたこの石を神の家とし、すべて、あなたがわたしに与えられるものの十分の一をささげます。」
この誓願を果たさせるために、神さまは、ヤコブに再びベテルに上るようにと言われるのです。では、今夕の御言葉に戻ります。
ヤコブは神さまの御言葉を受けて、家族の者や一緒にいるすべての人々に次のように言いました。「お前たちが身につけている外国の神々を取り去り、身を清めて衣服を着替えなさい。さあ、これからベテルに上ろう。わたしはその地に、苦難の時わたしに答え、旅の間わたしと共にいてくださった神のために祭壇を造る」。このヤコブの言葉から教えられますことは、家族の者の中に、外国の神々を身につけている者たちがいたということであります。ヤコブは、アブラハムの神、イサクの神を信じる者でありましたが、家族の者たちは、それぞれ自由に外国の神々を信じていたようです。第31章には、ラケルが父ラバンの家から守り神の像を盗んだことが記されておりましたが、そのような外国の神々を、ヤコブは家族の者に、そして一緒にいるすべての人々に取り去らせるのです。ヤコブはこれから家族で、神さまを礼拝しにベテルに上ろうとしております。いわば巡礼の旅に出かけるわけです。その準備として先ず為すべきこと、それが「身に着けている外国の神々を取り去らせること」であったのです。また、ヤコブは「身を清めて衣服を着替えなさい」と命じております。これも神さまにお会いするための準備であります。衣服を着替えることによって、新しい思いで神さまにお会いするのです。ヤコブは、家族に、「さあ、これからベテルに上ろう」と呼びかけ、そこに「苦難の時にわたしに答え、旅の間わたしと共にいてくださった神のために祭壇を造る」と明言します。このようにして、ヤコブは、今度は家族で、ベテルに上ろうとするのです。このヤコブの言葉を受けて、人々は、持っていた外国のすべての神々と、着けていた耳飾りをヤコブに渡したので、ヤコブはそれらをシケムの近くにある樫の木の下に埋めました。ここで、ヤコブは家族内の宗教改革を行ったとも言うことができます。「着けていた耳飾りをヤコブに渡した」とありますが、耳飾りは、ただの飾りではなくて、お守りのような宗教的な意味をもっていたようです。例えば、月の神さまを象徴する三日月の耳飾りなどもあったようであります。ここで、人々は、ヤコブの言うことに従順に従っております。これは、当時は家父長制社会であったからとも言えますが、それだけではなくて、シケムでの出来事のゆえに、カナン人やペリジ人から攻撃されることにより、滅ぼされてしまうのではないかという危機感が人々の間にあったからだと思います。第34章30節で、ヤコブはこう言っておりました。「困ったことをしてくれたものだ。わたしはこの土地に住むカナン人やペリジ人の憎まれ者になり、のけ者になってしまった。こちらは少人数なのだから、彼らが集まって攻撃してきたら、わたしも家族も滅ぼされてしまうではないか」。このような危機感が家族の中に広まっていたからこそ、人々は、苦難の時にヤコブに答え、旅の間ヤコブと共にいてくださった神さまを礼拝するために、外国の神々を捨て去ったのです。そして、そのようなヤコブの家族を、神さまは、周囲の町々を恐れさせることによって守られたのです。神さまが周囲の町々を恐れさせたので、ヤコブが危惧していたような攻撃を受けることはなかったのであります。ヤコブはやがて、一族の者すべてと共に、カナン地方のルズ、すなわちベテルに着き、そこに祭壇を築いて、その場所をエル・ベテルと名付けました。「エル・ベテル」とは「ベテルの神」という意味でありますが、このようにして、ベテルの神は、ヤコブの神だけではなく、ヤコブの家族の神となったのであります。ヤコブが兄を避けて逃げて行ったとき、ベテルで現れてくださった神は、今や、ヤコブの家族の神となられたのです。
8節に、リベカの乳母デボラの死について記されていますが、第24章59節に、「彼らは妹であるリベカとその乳母、アブラハムの僕と従者たちを一緒に出立させることにし」と記されておりました。リベカの乳母でありますから、かなりの高齢であったと思われます。彼女がどうして、ヤコブの一族の中にいたのかは分かりませんが、デボラはヤコブにとっておばあちゃんのような存在だったのかも知れません。そのデボラが、ベテルの下手にある樫の木の下に葬られたことにより、その樫の木は、アロン・バクト(嘆きの樫の木)と呼ばれるようになったのです。
9節から15節までは、7節に記していたことを詳しく記したものであります。7節に、「そこに祭壇を築いて、その場所をエル・ベテルと名付けた」云々と記されていましたが、そのときの様子が、9節から15節までに詳しく記されているのです。ヤコブが、伯父ラバンが住んでいたパダン・アラムから帰って来たとき、神さまは再びヤコブに現れて彼を祝福されました。そして、こう言われたのです。「あなたの名はヤコブである。しかし、あなたの名はもはやヤコブと呼ばれない。イスラエルがあなたの名となる」。イスラエルという名前については、第32章の「ペヌエルでの格闘」のところに、既に記されておりました。イスラエルとは、「神は争う」という意味でありますが、そこでは、「お前は神と人と闘って勝ったから、イスラエルと呼ばれる」と記されておりました。ともかく、神さまはヤコブに、イスラエルという新しい名前を与えてくださったのです。そして、このイスラエルという名前が、後に民族としての名称となるのです。神さまは、またヤコブにこう言われました。「わたしは全能の神である。産めよ、増えよ。あなたから一つの国民、いや多くの国民の群れが起こり/あなたの腰から王たちが出る。わたしはアブラハムとイサクに与えた土地をあなたに与える。また、あなたに続く子孫にこの土地を与える」。神さまは、「わたしは全能の神である」と自己紹介なされました。このことは、第17章の御言葉を思い起こさせるものであります。第17章においても、主はアブラハムに、「わたしは全能の神である」と言われております。そして、そこでもアブラムに、「アブラハム」(多くの国民の父)という新しい名前をお与えになっているのです。その6節以下で、神さまは、アブラハムに、こう言われておりました。「わたしは、あなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする。王となる者たちがあなたから出るであろう。わたしは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる。わたしは、あなたが滞在しているこのカナンのすべての土地を、あなたとその子孫に、永久の所有地として与える。わたしは彼らの神となる」。このようにアブラハムに言われた神さまが、今夕の御言葉で、ヤコブに、「産めよ、増えよ、あなたから一つの国民、いや多くの国民の群れが起こり/あなたの腰から王たちが出る。わたしはアブラハムとイサクに与えた土地をあなたに与える。また、あなたに続く子孫にこの土地を与える」と言われたのです。このことから分かりますは、アブラハムに与えられた祝福が、イサクへと受け継がれ、さらにはヤコブへと受け継がれているということであります。アブラハムと結ばれた契約が、イサクへと、そしてヤコブへと更新されているということです。アブラハムの神、イサクの神は、ヤコブの神となられたということであります。神さまはヤコブと語られた場所を離れて上って行かれました。そして、ヤコブは、神が自分と語られた場所に記念碑を立て、その石の柱に、ぶどう酒と油を注いで、神さまを礼拝したのです。そして、その場所をベテルと名付けたのであります。第28章において、すでにその場所はベテルと名付けられておりましたけれども、家族で礼拝することによって、その場所がベテル、神の家であることが人々の共通の認識となったのです。
さて、今夕の御言葉から教えられることは何でしょうか?いろいろなことを挙げることができると思いますが、その一つは、シケムでの出来事によって危機的な状況にあったからこそ、ヤコブの一族は空しい神々を捨てて、苦難の時にヤコブに答え、共にいて守ってくださった神さまを信じることができたということです。ヤコブの神が、苦難の中から救ってくださる神であることは、実は、ヤコブの一族もエサウとの再会のときに、体験していたことでありました。その神さまに、カナン人やペリジ人から攻撃されて滅ぼされてしまうかも知れないという危機的状況の中で、一族全体が依り頼むことができたのであります。このようなことは、私たちにもあるのではないでしょうか?危機的な状況に置かれて、まことの神さま、空しい偽りの神々ではなくて、力ある神さま、イエス・キリストを死者の中から復活させられた実力のある神さまに立ち返るということが起こると思うのです。それは個人だけではなくて、その個人を通して、偽りの神々を信じていた家族も、まことの神さまに立ち返ることが起こるのだと思います。使徒パウロは、使徒言行録の第16章で、自害しようとした看守に、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」と語りました。そして、この看守はパウロの言葉を受け入れ、家族ともども洗礼を受けたのでありました。私たちは、家族が危機的な状況に置かれたとき、その家族にイエス・キリストの福音を伝え、神の家である教会へと招くことができるのです。そのような祝福を、私たち一人一人が神さまから与えられているのであります。パウロの言葉を受け入れた看守は、真夜中であったにも関わらず、家族ともども洗礼を受け、神を信じる者になったことを喜びました。この喜びは、今夕のヤコブの家族にも与えられていたのではないでしょうか?そして、この喜びは、まだイエス・キリストの父なる神さまを信じていない私たちの家族にも与えられる喜びであるのです。そのような約束を、私たちは今夕の御言葉の中に聞き取りたいと願います。