シケムでの出来事 2013年8月18日(日曜 夕方の礼拝)
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シケムでの出来事
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- 村田寿和 牧師
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創世記 34章1節~31節
聖書の言葉
34:1 あるとき、レアとヤコブとの間に生まれた娘のディナが土地の娘たちに会いに出かけたが、
34:2 その土地の首長であるヒビ人ハモルの息子シケムが彼女を見かけて捕らえ、共に寝て辱めた。
34:3 シケムはヤコブの娘ディナに心を奪われ、この若い娘を愛し、言い寄った。
34:4 更にシケムは、父ハモルに言った。「どうか、この娘と結婚させてください。」
34:5 ヤコブは、娘のディナが汚されたことを聞いたが、息子たちは家畜を連れて野に出ていたので、彼らが帰るまで黙っていた。
34:6 シケムの父ハモルがヤコブと話し合うためにやって来たとき、
34:7 ヤコブの息子たちが野から帰って来てこの事を聞き、皆、互いに嘆き、また激しく憤った。シケムがヤコブの娘と寝て、イスラエルに対して恥ずべきことを行ったからである。それはしてはならないことであった。
34:8 ハモルは彼らと話した。「息子のシケムは、あなたがたの娘さんを恋い慕っています。どうか、娘さんを息子の嫁にしてください。
34:9 お互いに姻戚関係を結び、あなたがたの娘さんたちをわたしどもにくださり、わたしどもの娘を嫁にしてくださいませんか。
34:10 そして、わたしどもと一緒に住んでください。あなたがたのための土地も十分あります。どうか、ここに移り住んで、自由に使ってください。」
34:11 シケムも、ディナの父や兄弟たちに言った。「ぜひとも、よろしくお願いします。お申し出があれば何でも差し上げます。
34:12 どんなに高い結納金でも贈り物でも、お望みどおりに差し上げます。ですから、ぜひあの方をわたしの妻にください。」
34:13 しかし、シケムが妹のディナを汚したので、ヤコブの息子たちは、シケムとその父ハモルをだましてこう答えた。
34:14 「割礼を受けていない男に、妹を妻として与えることはできません。そのようなことは我々の恥とするところです。
34:15 ただ、次の条件がかなえられれば、あなたたちに同意しましょう。それは、あなたたちの男性が皆、割礼を受けて我々と同じようになることです。
34:16 そうすれば、我々の娘たちをあなたたちに与え、あなたたちの娘を我々がめとります。そして我々は、あなたたちと一緒に住んで一つの民となります。
34:17 しかし、もし割礼を受けることに同意しないなら、我々は娘を連れてここを立ち去ることにします。」
34:18 ハモルとその息子シケムは、この条件なら受け入れてもよいと思った。
34:19 とくにシケムは、ヤコブの娘を愛していたので、ためらわず実行することにした。彼は、ハモル家の中では最も尊敬されていた。
34:20 ハモルと息子シケムは、町の門のところへ行き町の人々に提案した。
34:21 「あの人たちは、我々と仲良くやっていける人たちだ。彼らをここに住まわせ、この土地を自由に使ってもらうことにしようではないか。土地は御覧のとおり十分広いから、彼らが来ても大丈夫だ。そして、彼らの娘たちを我々の嫁として迎え、我々の娘たちを彼らに与えようではないか。
34:22 ただ、次の条件がかなえられれば、あの人たちは我々と一緒に住み、一つの民となることに同意するというのだ。それは、彼らが割礼を受けているように、我々も男性は皆、割礼を受けることだ。
34:23 そうすれば、彼らの家畜の群れも財産も動物もみな、我々のものになるではないか。それには、ただ彼らの条件に同意さえすれば、彼らは我々と一緒に住むことができるのだ。」
34:24 町の門のところに集まっていた人々は皆、ハモルと息子シケムの提案を受け入れた。町の門のところに集まっていた男性はこうして、すべて割礼を受けた。
34:25 三日目になって、男たちがまだ傷の痛みに苦しんでいたとき、ヤコブの二人の息子、つまりディナの兄のシメオンとレビは、めいめい剣を取って難なく町に入り、男たちをことごとく殺した。
34:26 ハモルと息子シケムも剣にかけて殺し、シケムの家からディナを連れ出した。
34:27 ヤコブの息子たちは、倒れている者たちに襲いかかり、更に町中を略奪した。自分たちの妹を汚したからである。
34:28 そして、羊や牛やろばなど、町の中のものも野にあるものも奪い取り、
34:29 家の中にあるものもみな奪い、女も子供もすべて捕虜にした。
34:30 「困ったことをしてくれたものだ。わたしはこの土地に住むカナン人やペリジ人の憎まれ者になり、のけ者になってしまった。こちらは少人数なのだから、彼らが集まって攻撃してきたら、わたしも家族も滅ぼされてしまうではないか」とヤコブがシメオンとレビに言うと、
34:31 二人はこう言い返した。「わたしたちの妹が娼婦のように扱われてもかまわないのですか。」
創世記 34章1節~31節
メッセージ
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今夕は創世記第34章1節から31節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願っております。
小見出しに「シケムでの出来事」とありますが、第33章18節、19節にこう記されておりました。「ヤコブはこうして、パダン・アラムから無事にカナン地方にあるシケムの町に着き、町のそばに宿営した。ヤコブは、天幕を張った土地の一部を、シケムの父ハモルの息子たちから百ケシタで買い取り、そこに祭壇を建てて、それをエル・エロヘ・イスラエルと呼んだ」。シケムは、交通の要所であり、交易が盛んな町でありました。ヤコブは天幕を張った土地の一部を買い、イスラエルの神のための祭壇を建てましたから、おそらくシケムに腰を落ち着けて生活しようと考えていたのだと思います。しかし、そのようなヤコブの計画を揺るがす出来事が起こってしまうのです。
シケムでの出来事の発端は、ヤコブとレアとの間に生まれた娘ディナが、その土地の首長であるヒビ人ハモルの息子シケムに捕らえられ、共に寝て辱められたことにあります。このことは、イスラエルに対して恥ずべきことであり、してはならないことでありましたが、どうも、カナン地方に住むヒビ人ハモルも、またその息子シケムもそのようには考えていなかったようであります。今夕の御言葉全体を読みましても、シケムがディナを辱しめたことを詫びる言葉は一切記されておりません。しかし、ヤコブとその息子たちは、そのことによって、ディナが「汚された」と考えたのです。ディナを辱めたシケムは、彼女に心を奪われ、愛するようになります。そして、父ハモルに、「どうか、この娘と結婚させてください」と願うのです。父ハモルは息子シケムと、ヤコブのもとに来るのですが、ヤコブは息子たちが野に出ていたので、黙っておりました。ヤコブとしては息子たちに交渉を委ねる考えであったようです。当然のことながら、ディナが汚されたことを聞いて、兄弟たちは皆、互いに嘆き、激しく憤りました。なぜなら、シケムがしたことは、イスラエルに対して恥ずべきことであり、してはならないことであったからです。
ハモルは、息子のシケムがヤコブの娘ディナを恋い慕っていることを理由に、ディナを息子の嫁に欲しいと願い出ます。そればかりでなく、これを機会に、お互いに姻戚関係を結び、一緒に住んでくださいとまで言うのです。遊牧民であるヤコブたちにとって、これは魅力的な申し出でありました。約束の地カナンをイスラエルはどのようにして自分たちのものとするのか?ここに、一つの選択肢が示されたとも言えるのです。また、シケムは、ディナを嫁にいただけるならば、どんなに高い結納金でも贈り物でもすると言いました。しかし、ヤコブの息子たちは、ディナを嫁として与えるつもりはありませんでした。なぜなら、シケムが妹ディナを汚したからです。ハモルも、シケムも、このことについて一言も言及しておりませんが、ヤコブの息子たちにとって、妹のディナが汚されたことは、到底赦せないこと、報復すべきことであったのです。それで、彼らはシケムとその父ハモルをだまして、割礼を受けるならば、同意しましょうと言うのです。割礼とは包皮の一部を切り取ることですが、第17章によれば、割礼は神の契約の民であることのしるしでありました。しかし、ここでヤコブの息子たちは、アブラハムの神への信仰を求めたわけではありません。ヤコブの息子たちは、その割礼が意味することではなくて、割礼そのもの、包皮の一部を切り取ることを条件として求めたのです。
ハモルとシケムは、この条件なら受け入れてもよいと思いました。それで、ハモルとシケムは、町の門のところに行き、町の人々に割礼を受けるよう提案するのです。21節に、「あの人たちは、我々と仲良くやっていける人たちだ」とありますから、このとき、彼らは完全にだまされていたことが分かります。ハモルとシケムは、ヤコブとその息子たちにとっても、土地を自由に使えるようになることは大きな利点であることを知っていました。ですから、彼らはヤコブの息子たちが自分たちをだましているなどとは考えなかったのです。また、彼らの条件である割礼を受け、一緒に住み、一つの民となることは、ヒビ人にも大きな利点がありました。それは、ヤコブの家の家畜の群れも財産も、動物もみな、我々のものになる、ということであります。ヒビ人の方が人数からすれば多いわけですから、ヤコブの家族は、やがてヒビ人の中に取り込まれてしまうわけです。そうすると、結局、ヤコブたちの家畜の群れも財産も動物もみな、ヒビ人のものとなるのです。彼らは、割礼が神の民の契約のしるしであるなどとは考えておりません。割礼を受けたとしても、彼らはイスラエルの民になるわけではなく、カナン人、ヒビ人であり続けるのです。ヤコブの家の家畜や財産がすべて自分たちのものになる。このような利点から、町の門のところに集まっていた男たちはすべて割礼を受けたのです。
三日目になって、男たちが傷の痛みに苦しんでいたとき、ヤコブの息子であり、ディナと同じレアから生まれた兄のシメオンとレビは、剣を取って難なく町に入り、男たちをことごとく殺しました。ハモルと息子シケムも剣にかけて殺し、シケムの家からディナを連れ出したのです。さらに、ヤコブの他の息子たちは町中を略奪しました。その理由を聖書は、「自分たちの妹を汚したからである」と記しています。そして、彼らは、羊や牛やろばなど、町の中のものも野にあるものもみな奪い取り、家の中にあるものもみな奪い、女も子供も捕虜にしたのでありました。ハモルとシケムは、「ヤコブとその息子たちのように割礼を受ければ、彼らの家畜の群れも財産も動物もみな、われわれのものになる」と言っていたのですが、ヒビ人のすべての財産はヤコブの息子たちによって略奪されてしまうのです。このような記述を読むとき、何と言うことだろうか、妹を汚されたからと言って、町のすべての男を殺し、その財産を略奪し、女と子供を捕虜とするといった侵略行為が正当化されるのかと思わざるを得ません。私たちはここに、罪が罪を招き、さらにはその罪が増大されていることを見てとることができると思います。このようなことをしたシメオンとレビに、父ヤコブは次のように言っています。「困ったことをしてくればものだ。わたしはこの土地に住むカナン人やペリジ人の憎まれ者になり、のけ者になってしまった。こちらは少人数なのだから、彼らが集まって攻撃してきたら、わたしも家族も滅ぼされてしまうではないか」。ここでヤコブは息子たちがしたことについての道徳的な是非は述べておりません。ただ、このことによって、自分たちが危機的な状況に置かれたことを嘆くのです。新共同訳聖書は、「わたしも家族も滅ぼされてしまうではないか」と記しておりますが、新改訳聖書は、「私も私の家も根絶やしにされるであろう」と訳しています。ヤコブもヤコブの家も根絶やしにされるならば、当然、あなたの子孫を海辺の砂のように、夜空の星のように増やすという神さまの約束も実現しないことになってしまうわけです。それに対して、シメオンとレビはこう答えました。「わたしたちの妹が娼婦のように扱われてもかまわないのですか」。今夕の御言葉は、このような問いかけで終わっているのですが、これは私たちに対する問いかけでもあります。ヤコブとその息子たちは、ハモルとシケムの申し出のとおり、ヒビ人と一緒に住み、一つの民になったほうがよかったのでしょうか?それとも、申し出を断って、ディナを連れてシケムから立ち去った方がよかったのでしょうか?色々な選択肢が考えられる中で、ヤコブの息子たちがしたことは、妹を汚されたことの復讐として、ヒビ人たちをだまし、その町の男たちを皆殺しにするということでありました。しかし、それは、ヤコブが言っておりますように、自らの家を根絶やしにする災いを招く行為でしかなかったのです。確かに、シケムがディナを汚したことは赦されることではありません。しかし、シケムは、ディナを愛するようになり、優しくその心に語りかけ、自分の妻にしたいと願ったのです。ここには、ディナの気持ちは一切語られておりません。26節に、「ハモルと息子シケムも剣にかけて殺し、シケムの家からディナを連れ出した」とありますから、数日といえども、ディナはシケムと一緒に暮らしていたのでありましょう。そのディナの気持ちが語られないまま、兄たちのよって、大量殺人と侵略行為が行われるのです。そして、そこには、ディナが汚されたことへの報復とは別の動機、ヒビ人の財産を自分たちのものにしたいという別の動機を見て取ることができるのです。シメオンとレビの言葉、「わたしたちの妹が娼婦のように扱われてもかまわないのですか」という言葉に、ヤコブが何と答えたのかは記されておりません。しかし、後に、ヤコブはこのことについて、次のように述べています。第49章5節から7節までをお読みします。旧約の89ページです。
シメオンとレビは似た兄弟。彼らの剣は暴力の道具。わたしの魂よ、彼らの謀議に加わるな。わたしの心よ、彼らの仲間に連なるな。彼らは怒りのままに人を殺し/思うがままに雄牛の足の筋を切った。呪われよ、彼らの怒りは激しく/憤りは甚だしいゆえに。わたしは彼らをヤコブの間に分け/イスラエルの間に散らす。
このヤコブの言葉から、聖書がシケムでの出来事を悪として見ていることは明らかであります。聖書は、シメオンとレビのしたこと、また他の兄弟たちがしたことを良いこととして、美化しているのでも、あるいは模範として描いているのでもありません。ここに記されていることは、呪われるべき罪です。そのような罪が、ヤコブの息子たちのうちにもあるということを今夕の御言葉は教えているのです。それゆえ、神の民イスラエルも罪から救われなくてはならないのであります。そして、そのために、神さまは、御子イエス・キリストを遣わしてくださったのです(マタイ1:21参照)。