ラバンの家に着く 2013年5月05日(日曜 夕方の礼拝)
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- 村田寿和 牧師
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創世記 29章1節~14節
聖書の言葉
29:1 ヤコブは旅を続けて、東方の人々の土地へ行った。
29:2 ふと見ると、野原に井戸があり、そのそばに羊が三つの群れになって伏していた。その井戸から羊の群れに、水を飲ませることになっていたからである。ところが、井戸の口の上には大きな石が載せてあった。
29:3 まず羊の群れを全部そこに集め、石を井戸の口から転がして羊の群れに水を飲ませ、また石を元の所に戻しておくことになっていた。
29:4 ヤコブはそこにいた人たちに尋ねた。「皆さんはどちらの方ですか。」「わたしたちはハランの者です」と答えたので、
29:5 ヤコブは尋ねた。「では、ナホルの息子のラバンを知っていますか。」「ええ、知っています」と彼らが答えたので、
29:6 ヤコブは更に尋ねた。「元気でしょうか。」「元気です。もうすぐ、娘のラケルも羊の群れを連れてやって来ます」と彼らは答えた。
29:7 ヤコブは言った。「まだこんなに日は高いし、家畜を集める時でもない。羊に水を飲ませて、もう一度草を食べさせに行ったらどうですか。」
29:8 すると、彼らは答えた。「そうはできないのです。羊の群れを全部ここに集め、あの石を井戸の口から転がして羊に水を飲ませるのですから。」
29:9 ヤコブが彼らと話しているうちに、ラケルが父の羊の群れを連れてやって来た。彼女も羊を飼っていたからである。
29:10 ヤコブは、伯父ラバンの娘ラケルと伯父ラバンの羊の群れを見るとすぐに、井戸の口へ近寄り石を転がして、伯父ラバンの羊に水を飲ませた。
29:11 ヤコブはラケルに口づけし、声をあげて泣いた。
29:12 ヤコブはやがて、ラケルに、自分が彼女の父の甥に当たり、リベカの息子であることを打ち明けた。ラケルは走って行って、父に知らせた。
29:13 ラバンは、妹の息子ヤコブの事を聞くと、走って迎えに行き、ヤコブを抱き締め口づけした。それから、ヤコブを自分の家に案内した。ヤコブがラバンに事の次第をすべて話すと、
29:14 ラバンは彼に言った。「お前は、本当にわたしの骨肉の者だ。」創世記 29章1節~14節
メッセージ
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前回は、ヤコブの夢に主が現れてくださり、御言葉を与えてくださったことを学びました。主なる神がヤコブに与えられた御言葉が13節から15節までに記されております。「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない」。この主の御言葉を支えとして、ヤコブは旅を続けたのです。ヤコブはカナン地方のベエル・シェバからハラン地方のパダン・アラムへと旅立ったのですが、この二つの地点は距離にしておよそ800キローメートル、日数にしておよそ1カ月かかったと言われています。1節に、「ヤコブは旅を続けて、東方の人々の土地へ行った」と簡単に記されていますが、ここまで来るのには、何十日もの道のりがあったのです。
ヤコブがふと見ると、野原に井戸があり、そのそばに羊が三つの群れになって伏しておりました。その理由を聖書は、「その井戸から羊の群れに、水を飲ませることになっていたからである」と記しております。では、さっさっと水を飲ませればよいのにと思うのでありますが、それは物理的に不可能でありました。なぜなら、「井戸の口の上には大きな石が載せてあったからです。また、それは慣習的にも不可能でありました。なぜなら、「まず羊の群れを全部そこに集め、石を井戸の口から転がして羊の群れに水を飲ませ、また石を元の所に戻しておくことになっていた」からです。砂漠に生きる民にとって、水は大変貴重でありまして、この井戸はどうやらいくつかの群れで共同使用していたようであります。「羊の群れを全部そこに集め、石を井戸の口から転がして羊の群れに水を飲ませ」るとは、井戸を個人で利用しないようするための決まりであったのです。2節の井戸のそばで伏していた三つの羊の群れは、すべての羊の群れがそろうのを待っていたわけであります。
ヤコブは、そこにいた人たちにこう尋ねました。「皆さんはどちらの方ですか」。すると彼らは「私たちはハランの者です」と答えたのです。ヤコブは、このとき、ようやく自分が母の兄ラバンがいるハランに着いたことを知ったのです。さらにヤコブは尋ねます。「では、ナホルの息子のラバンを知っていますか。」すると彼らは「ええ、知っています」と答えました。これでヤコブはラバンに会うことができるわけです。さらにヤコブは、「元気でしょうか」と尋ねました。彼らは「元気です。もうすぐ、娘のラケルも羊の群れを連れてやって来ます」と答えました。なんと、井戸のそばで伏していた三つの群れがまっていたのは、ラバンの娘ラケルが飼う羊の群れであったのです。こう聞きますと、ヤコブは次のように言いました。「まだこんな日は高いし、家畜を集める時でもない。羊に水を飲ませて、もう一度草を食べさせに行ったらどうですか」。ヤコブも天幕の周りで働く羊飼いでありましたから、まだ日が高いのに、井戸のそばで羊を休ませているのは怠惰なことにように思ったのかもしれません。あるいは、ラバンの娘ラケルがもうすぐ来ることを聞いて、人払いをしたかったのかも知れません。しかし、彼らはこう答えました。「そうはできないのです。羊の群れを全部ここに集め、あの石を井戸の口から転がして羊に水を飲ませるのですから」。このことは3節に記されていたことでありますが、ヤコブは彼らの口を通して初めて知ったわけです。
ヤコブがこのような話を彼らとしているうちに、ラケルが父の羊の群れを連れてやって来ました。ここにラケルの容姿について記されていませんが、17節を見ますと、「ラケルは顔も美しく、容姿も優れていた」と記されています。ですから、ヤコブはこのとき、ラケルを一目見て好きになったのではないかと思うのです。そもそもこの旅は、ラバンの娘の中から結婚相手を見つけるための旅でもあったのですから、そのようなヤコブが容姿端麗なラケルを見たとき、一目で好きになったのではないかと思うのです。私がこのように思います一つの根拠は、10節であります。「ヤコブは、伯父ラバンの娘ラケルと伯父ラバンの羊の群れを見るとすぐに、井戸の口へ近寄り石を転がして、伯父ラバンの羊に水を飲ませた」。通常、このような石は、何人かが力を合わせて動かせるような大きな石であります。そうでなければ、その役割を果たせません。しかし、ヤコブはこのとき、ラケルとその羊の群れを見るとすぐに、その大きな石を転がして、羊たちに水を飲ませたのです。ヤコブにしてみれば、リベカにいいところを見せたわけであります。また、私たちはこのところから、ヤコブが怪力の持ち主であることを教えられるのです(28:18、32:26参照)。
ヤコブは自分の感情を抑えきれなかったのでしょう。ラケルに口づけし、声をあげて泣きました。ここでの口づけは、親族同士がほっぺにするものであります。大の男が声をあげて泣いているのを見られるのは、恥ずかしいことでありますから、ヤコブが羊飼いたちを去らせようとしたのは自分の失態を見られまいとのことであったかも知れません。ヤコブはやがて、ラケルに自分が彼女の父の甥に当たり、リベカの息子であることを打ち明けました。ラケルも、父の妹リベカのことを聞いていたのでしょう。彼女は走って行って、父に知らせました。ラバンは、妹の息子ヤコブの事を聞くと、走って迎えに行き、ヤコブを抱き締め口づけしました。リベカもラバンも「走る」わけですが、走らずにはおれないほど、妹リベカの息子ヤコブの到着は驚くべき、ビックニュースであったのです。
それからラバンはヤコブを自分の家に案内し、ヤコブはラバンに事の次第をすべて話すのですが、その内容について聖書は記しておりません。これは、イサクとリベカの結婚の時と大きく異なる点であります。聖書は24章で、アブラハムの僕の口を通して、これまでの経緯をことこまかに記しております(24:34~49)。しかし、ヤコブがラバンに話した、事の次第については何を話したかが記されていないのです。ただ、それを聞いたラバンの言葉は記されています。ラバンは事の次第をすべて聞いて、「お前は、本当にわたしの骨肉の者だ」と言いました。「骨肉の者」とは「同じ親族の者」という意味であります。その昔、アダムが女を見たとき、「ついにこれこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉」と叫んだように、「骨肉の者」とは「肉親」であることを表す言葉であるのです。
ヤコブがラバンに話した事の次第がどのようなものであったのかは、書いていない以上、推測するしかありませんが、わたしはここに、ヤコブがはるばるラバンのもとを訪ねて来た理由が含まれていたと思います。どうして、わざわざ、ハランにいる自分のもとを訪ねて来たのか?当然、ラバンはそのことを知りたいと思ったはずです。これまで学んできましたように、ヤコブがラバンを訪ねた理由は2つありました。1つは兄エサウの殺意から身を守るためであります。そして、もう1つは、ラバンの娘の中から結婚相手を見つけるためであります。私が思いますに、おそらく、ヤコブは結婚のことはこのとき言わなかったのではないかと思います。と言いますのも、15節でラバンはヤコブにこう言っているからです。「お前は身内の者だからと言って、ただで働くことはない。どんな報酬が欲しいか言ってみなさい」。結納金も用意していないヤコブにとって、「お嬢さんをお嫁にください」とは言いづらかったでしょう。では、ヤコブはラバンのもとに来た理由として何を告げたのか?それは、兄エサウとの一件ではなかったかと思うのです。次週学ぶことになりますが、この後、ヤコブは伯父ラバンにだまされることになります。そのことを前提にして、このラバンの「お前は、本当にわたしの骨肉の者だ」という言葉を読むとき、ある皮肉が含まれているように思えるのです。そして、ヤコブは自分と同じようなラバンを通して、自分の罪と向き合うようになるのであります。そのような意味での骨肉としても、私たちは主にある兄弟姉妹を与えられているのです。