ヤコブの旅立ち 2013年4月14日(日曜 夕方の礼拝)
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ヤコブの旅立ち
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- 村田寿和 牧師
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創世記 27章41節~28章9節
聖書の言葉
27:41 エサウは、父がヤコブを祝福したことを根に持って、ヤコブを憎むようになった。そして、心の中で言った。「父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる。」
27:42 ところが、上の息子エサウのこの言葉が母リベカの耳に入った。彼女は人をやって、下の息子のヤコブを呼び寄せて言った。「大変です。エサウ兄さんがお前を殺して恨みを晴らそうとしています。
27:43 わたしの子よ。今、わたしの言うことをよく聞き、急いでハランに、わたしの兄ラバンの所へ逃げて行きなさい。
27:44 そして、お兄さんの怒りが治まるまで、しばらく伯父さんの所に置いてもらいなさい。
27:45 そのうちに、お兄さんの憤りも治まり、お前のしたことを忘れてくれるだろうから、そのときには人をやってお前を呼び戻します。一日のうちにお前たち二人を失うことなど、どうしてできましょう。」
27:46 リベカはイサクに言った。「わたしは、ヘト人の娘たちのことで、生きているのが嫌になりました。もしヤコブまでも、この土地の娘の中からあんなヘト人の娘をめとったら、わたしは生きているかいがありません。」
28:1 イサクはヤコブを呼び寄せて祝福して、命じた。「お前はカナンの娘の中から妻を迎えてはいけない。
28:2 ここをたって、パダン・アラムのベトエルおじいさんの家に行き、そこでラバン伯父さんの娘の中から結婚相手を見つけなさい。
28:3 どうか、全能の神がお前を祝福して繁栄させ、お前を増やして多くの民の群れとしてくださるように。
28:4 どうか、アブラハムの祝福がお前とその子孫に及び、神がアブラハムに与えられた土地、お前が寄留しているこの土地を受け継ぐことができるように。」
28:5 ヤコブはイサクに送り出されて、パダン・アラムのラバンの所へ旅立った。ラバンはアラム人ベトエルの息子で、ヤコブとエサウの母リベカの兄であった。
28:6 エサウは、イサクがヤコブを祝福し、パダン・アラムへ送り出し、そこから妻を迎えさせようとしたこと、しかも彼を祝福したとき、「カナンの娘の中から妻を迎えてはいけない」と命じたこと、
28:7 そして、ヤコブが父と母の命令に従ってパダン・アラムへ旅立ったことなどを知った。
28:8 エサウは、カナンの娘たちが父イサクの気に入らないことを知って、
28:9 イシュマエルのところへ行き、既にいる妻のほかにもう一人、アブラハムの息子イシュマエルの娘で、ネバヨトの妹に当たるマハラトを妻とした。創世記 27章41節~28章9節
メッセージ
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序.
今夕は、創世記の第27章41節から第28章9節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。
1.逃亡の勧め
ヤコブは父イサクをだまして、祝福を得たわけですが、祝福を受けるはずだったエサウはヤコブを憎むようになりました。そして、心の中でこう言うのです。「父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる」。そのように、エサウは自分を言い聞かせていたわけであります。ところが、上の息子エサウのこの言葉が母リベカの耳に入りました。エサウは心の中だけではなく、口に出して言っていたようであります。おそらくエサウに仕えている僕の誰かがリベカに伝えたのでしょう。それで、リベカは人をやって、下の息子ヤコブを呼び寄せてこう言うのです。「大変です。エサウ兄さんがお前を殺して恨みを晴らそうとしています。わたしの子よ。今、わたしの言うことをよく聞き、急いでハランに、わたしの兄ラバンの所へ逃げて行きなさい。そして、お兄さんの怒りが治まるまで、しばらく伯父さんの所に置いてもらいなさい。そのうちに、お兄さんの憤りも治まり、お前のしたことを忘れてくれるだろうから、そのときには人をやってお前を呼び戻します。一日のうちにお前たち二人を失うことなど、どうしてできましょう」。リベカはかつてヤコブに父イサクをだまして祝福を得るようにと説得したように、ここでもヤコブにハランに逃げていくよう説得しています。リベカは頭の回転の速い女性でありまして、ヤコブのために、自分の兄ラバンがいるハランへ逃げ、そこにしばらく置いてもらうようにと言うのです。リベカは上の息子エサウの怒りがすぐに治まるものと考えていたようであります。しかし、実際は「しばらく」ではなく、20年もの間、ヤコブは伯父ラバンのもとにとどまることになるのです。そして、母リベカと下の息子ヤコブは、これによって生き別れとなるのです。リベカは「一日のうちにお前たち二人を失うことなど、どうしてできましょう」と言っておりますが、これは兄弟を殺した者は死刑に処せられるからであります。エサウがヤコブを殺すことは、エサウ自身にも身の破滅を招くのです。そして、それは家族の破滅を意味しておりました。そこで母リベカは、エサウとヤコブを遠ざけようとするのです。
2.ヤコブの旅立ち
下の息子ヤコブを説得したリベカは、次は夫イサクの説得いたします。リベカはイサクにこう言いました。「わたしは、ヘト人の娘たちのことで、生きているのが嫌になりました。もしヤコブまでも、この土地の娘の中からあんなヘト人の娘をめとったら、わたしは生きているかいがありません」。エサウの妻については、第26章34節、35節に、次のように記されておりました。「エサウは四十歳のときヘト人ベエリの娘ユディトとヘト人エロンの娘バセマトを妻として迎えた。彼女たちは、イサクとリベカにとって悩みの種となった」。ヘト人の娘は、カナンの土地の娘でありまして、主なる神ではない他の神々を礼拝する者たちでありました。そのようなヘト人の娘を妻とすることによって、当然、イサクの家に異教の風習が入り込んできたわけです。そのことをリベカは問題としているのです。リベカは「もし、ヤコブまでも、この土地の娘の中からあんなヘト人の娘をめとったら、わたしは生きているかいがありません」と言っておりますが、新改訳聖書はこのところを「私は何のために生きることになるのでしょう」と翻訳しています。もしヤコブも、ヘト人の娘を妻に迎えるならば、リベカがはるばるイサクのもとへ嫁いできたことも無意味になってしまうわけですね。リベカは、アブラハムの僕の話を聞いて、そこに主なる神様の導きを信じて、故郷を捨てて、イサクのもとに嫁いできたわけです。しかし、もし、ヤコブまでもヘト人の娘を妻とするようなことがあれば、彼女の人生そのものが無意味なものとなってしまうわけであります。
やはりリベカは頭の回転の速い女性でありまして、夫イサクには、エサウがヤコブを殺そうとしていることを一言も言わないわけです。イサクにとっても、エサウの妻たちは悩みの種でありましたから、そのことから、ヤコブを自分の兄がいるパダン・アラムへ行くようにと仕向けるわけです。ヤコブは人知れず逃げ出すのではなく、イサクの命令によって、祝福を受けて、パダン・アラムへと旅立つのです。
イサクはヤコブを呼び寄せて祝福して、次のように命じました。「お前はカナンの娘の中から妻を迎えてはいけない。ここをたって、パダン・アラムのベトエルおじいさんの家に行き、そこでラバン伯父さんの娘の中から結婚相手を見つけなさい。どうか、全能の神がお前を祝福して繁栄させ、お前を増やして多くの民の群れとしてくださるように。どうか、アブラハムの祝福がお前とその子孫に及び、神がアブラハムに与えられた土地、お前が寄留しているこの土地を受け継ぐことができるように」。ここでイサクは、「お前はカナンの娘の中から妻を迎えていけない」と言っておりますが、これはかつてアブラハムが年老いた僕に命じたことでもあります。しかし、一つ大きく違っている点は、アブラハムは息子が行くことを禁じたのに対して、イサクは息子に行くことを命じたという点であります。どうして、イサクはアブラハムのように、僕を遣わして嫁を連れてくるという仕方ではなく、ヤコブに行くように命じたのでしょうか?それはおそらく、このとき、イサクの家は相当険悪な雰囲気であったからだと思います。イサクは、エサウがヤコブを殺そうと考えていたことは聞いていなかったかも知れませんが、しかし、二人の関係が険悪なものとなっていることは、一緒に生活しているならば分かったと思います。それで、イサクはヤコブをカナンの地から遠く離れたパダン・アラムの地へ送り出し、ラバン伯父さんの娘の中から結婚相手を見つけるようにと命じるのです。このことは、ヤコブが約束の地から追放されたことを意味しておりません。むしろ、逆でありまして、ヤコブは約束の地を受け継ぐために、パダン・アラムへと旅立つのです。そのことは、イサクの祝福の言葉を読めば、明らかであります。かつてイサクは、エサウだと思い込んで、ヤコブを祝福しましたが、ここではヤコブであることを知って、ヤコブを祝福しております。そして、それはアブラハムに与えられた主の祝福を内容とするものであるのです。すなわち、そこでは子孫の増加と土地の所有が約束されているのであります。アブラハムに与えられた主の祝福は、イサクへと受け継がれ、さらにはヤコブへと受け継がれたのです。ここでイサクはヤコブを正式に祝福の担い手としているのです。このように、ヤコブはイサクの祝福をもって送り出され、パダン・アラムのラバンの所へ旅立ったのです。
3.エサウの別の妻
エサウは、イサクがヤコブを祝福し、パダン・アラムへ送り出し、そこから妻を迎えさせようとしたこと、しかも彼を祝福したとき、「カナンの娘の中から妻を迎えてはいけない」と命じたこと、そして、ヤコブが父と母の命令に従ってパダン・アラムへ旅立ったことなどを知りました。そして、エサウは、カナンの娘たちが父イサクの気に入らないことを知って、イシュマエルの所へ行き、既にいる妻のほかにもう一人、アブラハムの息子イシュマエルの娘で、ネバヨトの妹に当たるマハラトを妻としたのです。ヤコブが母リベカの親族から妻を迎えようとしたのに対して、エサウは父イサクの親族から妻を迎えたわけです。そのようにして、エサウは少しでも父イサクに気に入ってもらおうとするわけであります。しかし、これは少し的外れの印象を受けます。なぜなら、イサクとイシュマエルの関係も主の祝福をめぐって複雑な関係にあったからです。しかし、それでも私たちはエサウが少しでも父イサクに気に入られて、家庭の雰囲気を良くしようと務めたことは評価すべきであると思います。
結び.主の祝福に支えられて
今夕の御言葉は、イサクの家族が一緒に暮らしていくことができず、別れ別れになる様子を記しております。ヤコブの旅立ちには、エサウの殺意から逃れるためという目的と、信仰を同じくする同族の娘の中から妻を迎えるためという目的とがあるわけでありますが、どのような目的があったにせよ、ヤコブは家にいることができなくなるのです。ヤコブはどれほど心細かったでしょうか?そして、そのようなヤコブにとって、イサクを通して与えられた主の祝福はどれほど力強く、励ましに満ちたものであったでしょうか?私たちも、祝福を受けて、それぞれの生活の場へと帰って行くわけですが、それは主の祝福を携えてそれぞれの生活の場へと遣わされていくことでもあります。私たちの一日一日の生活を支えているのは、主の祝福であります。そのことを覚えて、今日から始まる新しい週を歩んでいきたいと願います。