祝福をだまし取るヤコブ 2013年3月17日(日曜 夕方の礼拝)
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祝福をだまし取るヤコブ
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- 村田寿和 牧師
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創世記 27章14節~29節
聖書の言葉
27:14 ヤコブは取りに行き、母のところに持って来たので、母は父の好きなおいしい料理を作った。
27:15 リベカは、家にしまっておいた上の息子エサウの晴れ着を取り出して、下の息子ヤコブに着せ、
27:16 子山羊の毛皮を彼の腕や滑らかな首に巻きつけて、
27:17 自分が作ったおいしい料理とパンを息子ヤコブに渡した。
27:18 ヤコブは、父のもとへ行き、「わたしのお父さん」と呼びかけた。父が、「ここにいる。わたしの子よ。誰だ、お前は」と尋ねると、
27:19 ヤコブは言った。「長男のエサウです。お父さんの言われたとおりにしてきました。さあ、どうぞ起きて、座ってわたしの獲物を召し上がり、お父さん自身の祝福をわたしに与えてください。」
27:20 「わたしの子よ、どうしてまた、こんなに早くしとめられたのか」と、イサクが息子に尋ねると、ヤコブは答えた。「あなたの神、主がわたしのために計らってくださったからです。」
27:21 イサクはヤコブに言った。「近寄りなさい。わたしの子に触って、本当にお前が息子のエサウかどうか、確かめたい。」
27:22 ヤコブが父イサクに近寄ると、イサクは彼に触りながら言った。「声はヤコブの声だが、腕はエサウの腕だ。」
27:23 イサクは、ヤコブの腕が兄エサウの腕のように毛深くなっていたので、見破ることができなかった。そこで、彼は祝福しようとして、
27:24 言った。「お前は本当にわたしの子エサウなのだな。」ヤコブは、「もちろんです」と答えた。
27:25 イサクは言った。「では、お前の獲物をここへ持って来なさい。それを食べて、わたし自身の祝福をお前に与えよう。」ヤコブが料理を差し出すと、イサクは食べ、ぶどう酒をつぐと、それを飲んだ。
27:26 それから、父イサクは彼に言った。「わたしの子よ、近寄ってわたしに口づけをしなさい。」
27:27 ヤコブが近寄って口づけをすると、イサクは、ヤコブの着物の匂いをかいで、祝福して言った。「ああ、わたしの子の香りは/主が祝福された野の香りのようだ。
27:28 どうか、神が/天の露と地の産み出す豊かなもの/穀物とぶどう酒を/お前に与えてくださるように。
27:29 多くの民がお前に仕え/多くの国民がお前にひれ伏す。お前は兄弟たちの主人となり/母の子らもお前にひれ伏す。お前を呪う者は呪われ/お前を祝福する者は/祝福されるように。」創世記 27章14節~29節
メッセージ
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序.
今夕は創世記の第27章14節から29節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願っております。
1.リベカの計略に従うヤコブ
前回私たちは、「リベカの計略」について学んだのでありますが、14節以下には、母リベカの計略に従う息子ヤコブの姿が記されています。ヤコブは、リベカに言われたとおり、家畜の群れのところへ行って、よく肥えた子山羊を二匹取って来て、母リベカのところに持って行きました。そして、母リベカは父イサクの好きなおいしい料理を作ったのです。また、リベカの計略を聞いたヤコブは11節で、「エサウ兄さんはとても毛深いのに、わたしの肌は滑らかです。お父さんがわたしに触れば、だましているのが分かります」と言っておりましたが、そうならないように、リベカは、家にしまっておいた上の息子エサウの晴れ着を取り出して、下の息子ヤコブに着せ、子山羊の毛皮をヤコブのなめらかな腕や首に巻き付けたのです。そして、自分が作ったおいしい料理とパンを息子ヤコブに渡したのです。このようにして、リベカはヤコブをまるでエサウであるかのように装わせるのです。
2.エサウであると偽るヤコブ
ヤコブはエサウの晴れ着を着て、また子山羊の毛皮を自分の腕と首に巻き付けて、リベカが作ったおいしい料理とパンをもって父イサクのもとへ行き、「わたしのお父さん」と呼びかけました。父イサクが「ここにいる。わたしの子よ。誰だ、お前は」と尋ねているところを見ると、このときイサクの目はかすんでほとんど見えていなかったようです。そのことにつけ込んで、ヤコブはこう言いました。「長男のエサウです。お父さんの言われたとおりにしてきました。さあ、どうぞ起きて、座ってわたしの獲物を召し上がり、お父さん自身の祝福をわたしに与えてください」。ここでヤコブは明らかに嘘をついています。父イサクの目がほとんど見えないことにつけ込んで、「自分は長男のエサウである」と偽るのです。そして、家畜の群れから取ってきた子山羊を「わたしの獲物」と偽り、それを食べて自分を祝福するようにと願うのです。しかし、イサクには気になることがありました。それで、イサクはこう尋ねるのです。「わたしの子よ、どうしてまた、こんなに早くしとめられたのか」。獲物を捕りに野に行ったエサウが戻ってくるには早すぎるとイサクは不思議に思ったのです。それに対してヤコブはこう答えました。「あなたの神、主がわたしのために計らってくださったからです」。ここでもヤコブは嘘をついております。しかも、神様の御名を用いて、嘘をついているのです。不信感を抱いたヤコブはこう言いました。「近寄りなさい。わたしの子に触って、本当にお前が息子エサウか、どうか、確かめたい。」イサクは目がかすんで見えなくなっておりました。それゆえ、触ることによって、息子エサウかどうか確かめようとしたのです。ヤコブが父イサクに近寄ると、イサクは彼に触りながらこう言いました。「声はヤコブの声だが、腕はエサウの腕だ」。イサクが不信感を抱いたのは、息子がはやく獲物をしとめることができただけではありませんでした。息子の声がヤコブの声であったのです!しかし、イサクはヤコブの腕がエサウの腕のように毛深くなっていたので見破ることができませんでした。そこで、イサクは祝福しようとして、「お前は本当にわたしの子エサウなのだな」と念を押すと、ヤコブは「もちろんです」と答えました。このようにヤコブは、父イサクに、自分をエサウであるかのように思いこませることができたのです。
3.ヤコブを祝福するイサク
イサクは、ヤコブをエサウであると思いこみ、こう言いました。「では、お前の獲物をここへ持って来なさい。それを食べて、わたし自身の祝福をお前に与えよう」。ヤコブが料理を差し出すと、イサクは食べ、ぶどう酒をつぐと、それを飲みました。そして、父イサクはヤコブをエサウであると思いこんでこう言うのです。「わたしの子よ、近寄ってわたしに口づけしなさい」。ここでの「口づけ」は、抱擁してほっぺにする口づけのことであります。ヤコブが近寄って口づけすると、イサクはヤコブが着ていたエサウの着物の匂いをかいで、ヤコブを祝福して言いました。「ああ、わたしの子の香りは/主が祝福された野の香りのようだ。どうか、神が/天の露と地の産み出す豊かなもの/穀物とぶどう酒をお前に与えてくださるように。多くの民がお前に仕え/多くの国民がお前にひれ伏す。お前は兄弟たちの主人となり/母の子らもお前にひれ伏す。お前を呪う者は呪われ/お前を祝福する者は/祝福されるように」。ここでの祝福は、これまで創世記が記してきた祝福とは、少し異なっています。アブラハムに与えられた祝福、それは土地の所有と子孫の増加がおもな内容でありました。しかし、ここではむしろ土地の所有を前提として作物の豊作が、子孫の増加を前提として兄弟たちの主人となることが祝福として語られているのです。ここでの祝福を正しく理解する鍵は、この祝福の言葉をヤコブ個人に対する祝福としてではなく、ヤコブから出るイスラエルの民に対する祝福の言葉として聞き取ることであります。「多くの民がお前に仕え/多くの国民がお前にひれ伏す」という言葉は、ヤコブから出るイスラエルがカナンの地に住む多くの民を支配するという祝福であります。また、「お前は兄弟たちの主人となり」とは、ヤコブから出るイスラエルがアブラハムから出た諸部族の主人となること、さらに「母の子らもお前にひれ伏す」とはエサウから出るエドム人がヤコブから出るイスラエルに屈服することを意味しているのです。このようにイサクの祝福は土地の所有と子孫の増加を前提とする農作物の豊作と政治的支配を内容としているのですが、最後の祝福はアブラハムに主が言われたものと似ております(創世12:3)。「お前を呪う者は呪われ/お前を祝福する者は/祝福されるように」。この祝福は、主なる神が共にいてくださることを告げる祝福の言葉であります。なぜ、お前を呪う者は呪われるのか。また、なぜ、お前を祝福する者は祝福されるのか。それは主なる神が「お前」と共にいてくださり、「お前」の神となってくださるからです。そして、その「お前」とはエサウから出るエドムではなくて、ヤコブから出るイスラエルであるのです。
結.ヤコブの罪を用いられる主の計らい
エサウとヤコブが生まれる前、母リベカは、「二つの国民があなたの胎内に宿っており/二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。一つの民が他の民より強くなり/兄が弟に仕えるようになる」との主のお告げを聞いておりました。そして、そのことは神様の祝福として、父イサクを通してヤコブに与えられるのです。母リベカの計略を大胆に実行したヤコブは、長男のエサウに代わって、イサクの祝福を受け継ぐ者となったのです。このように見ていくとき、私たちは20節のヤコブの言葉がある意味で真実であったことに気づかされます。イサクが「わたしの子よ、どうしてまた、こんなに早くしとめられたのか」と尋ねると、ヤコブはこう答えました。「あなたの神、主がわたしのために計らってくださったからです」。この言葉は、リベカの計略も、またリベカの計略を実行して父イサクをだましたヤコブの罪も、イサクの神、主がヤコブのために計らってくださったことであったことを言い当てております。神様はリベカの計略やヤコブの嘘を用いて、エサウではなくヤコブを祝福し、ヤコブの神となってくださったのです。神様は、人間の罪を用いてイエス・キリストを十字架につけ、救いを成し遂げられたように、リベカとヤコブの罪を用いて、御自身の救いの計画をちゃくちゃくと進められるのです。もちろん、これからリベカも、またヤコブも自分の罪の報いを受けることになります。しかし、今夕私たちは、祝福をだまし取るヤコブの罪の背後にも主なる神様のご計画があったことを覚えたいと思います。神様はヤコブの罪を用いて、イスラエルの神となり、そのイスラエルから救い主イエス・キリストを遣わしてくださったのです。