イサクとアビメレクの契約 2013年3月03日(日曜 夕方の礼拝)
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イサクとアビメレクの契約
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- 村田寿和 牧師
- 聖書
創世記 26章26節~33節
聖書の言葉
26:26 アビメレクが参謀のアフザトと軍隊の長のピコルと共に、ゲラルからイサクのところに来た。
26:27 イサクは彼らに尋ねた。「あなたたちは、わたしを憎んで追い出したのに、なぜここに来たのですか。」
26:28 彼らは答えた。「主があなたと共におられることがよく分かったからです。そこで考えたのですが、我々はお互いに、つまり、我々とあなたとの間で誓約を交わし、あなたと契約を結びたいのです。
26:29 以前、我々はあなたに何ら危害を加えず、むしろあなたのためになるよう計り、あなたを無事に送り出しました。そのようにあなたも、我々にいかなる害も与えないでください。あなたは確かに、主に祝福された方です。」
26:30 そこで、イサクは彼らのために祝宴を催し、共に飲み食いした。
26:31 次の朝早く、互いに誓いを交わした後、イサクは彼らを送り出し、彼らは安らかに去って行った。
26:32 その日に、井戸を掘っていたイサクの僕たちが帰って来て、「水が出ました」と報告した。
26:33 そこで、イサクはその井戸をシブア(誓い)と名付けた。そこで、その町の名は、今日に至るまで、ベエル・シェバ(誓いの井戸)といわれている。創世記 26章26節~33節
メッセージ
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序.
小見出しに「イサクとアビメレクの契約」とありますように、今夕の御言葉には、イサクがゲラルにいるペリシテ人の王アビメレクと契約を結んだことが記されております。私たちは第21章で、アブラハムとアビメレクが契約を結んだことを学んだのでありますが、アブラハムの息子イサクもアビメレクと契約を結んだのです。
1.イサクを訪ねるアビメレク
26節に、次のように記されています。「アビメレクが参謀のアフザトと軍隊の長ピコルと共に、ゲラルからイサクのところに来た」。ここには3人の人物がゲラルからイサクのところに来たことが記されています。それは、ゲラルの王アビメレクと参謀のアフザトと軍隊の長ピコルであります。第21章に記されているアブラハムとの契約の際にもゲラルの王アビメレクと軍隊の長ピコルの名前が記されています。ですから、第26章に出て来るアビメレクもピコルも、第21章に記されていたのと同一人物であったようであります。ただし、第26章では、参謀のアフザトの名が加えられています。王アビメレクと参謀のアフザトと軍隊の長のピコルが共に来たことは、彼らがイサクとの交渉をいかに重んじていたかを表しています。彼らはゲラルから来たわけですが、イサクはこのとき、ベエル・シェバに住んでおりました。23節に、「イサクは更に、そこからベエル・シェバに上った」と記されているとおりであります。ベエル・シェバという地名の由来についても、第21章に記されておりました。ご一緒に確認しておきたいと思います。第21章27節から31節までをお読みします。
アブラハムは、羊と牛の群れを連れて来て、アビメレクに贈り、二人は契約を結んだ。アブラハムは更に、羊の群れの中から七匹(シェバ)の雌の小羊を別にしたので、アビメレクがアブラハムに尋ねた。「この七匹の雌の小羊を別にしたのは、何のためですから。」アブラハムは答えた。「わたしの手からこの七匹の雌の小羊を受け取って、わたしがこの井戸(ベエル)を掘ったことの証拠としてください。」それで、この場所をベエル・シェバと呼ぶようになった。二人がそこで誓いを交わしたからである。
このようにベエル・シェバは、かつてアブラハムとアビメレクが誓いを交わした場所であったのです。そのベエル・シェバで、アビメレクはアブラハムの息子イサクと誓いを交わすためにゲラルから来たのです。今夕の御言葉に戻ります。旧約聖書の41頁です。
2.イサクは主に祝福された方
イサクは彼らにこう尋ねます。「あなたたちは、わたしを憎んで追い出したのに、なぜここに来たのですか」。15節に、イサクをねたんだペリシテ人が、昔、イサクの父アブラハムが僕たちに掘らせた井戸をことごとく、土で埋めたことが記されておりました。アビメレクは王として、ペリシテ人たちとイサクとの間を正しく裁くべきであったのに、16節を見ますと、イサクをその地から追い出したことが記されています。ですから、イサクは彼らに「あなたたちは、わたしを憎んで追い出したのに、なぜここに来たのですか」と問うたわけです。それに対して、彼らはこう答えました。「主があなたと共におられることがよく分かったからです。そこで考えたのですが、我々はお互いに、つまり、我々とあなたとの間で誓約を交わし、あなたと契約を結びたいのです。以前、我々はあなたに何ら害を加えず、むしろあなたのためになるよう計り、あなたを無事に送り出しました。そのようにあなたも我々にいかなる害も与えないでください。あなたは確かに、祝福された方です」。 12節に、「イサクがその土地に穀物を蒔くと、その年のうちに百倍もの収穫があった。イサクが主の祝福を受けて、豊かになり、ますます富み栄えて、多くの羊や牛の群れ、そに多くの召使いを持つようにな」ったことが記されておりました。しかし、そのようなイサクの繁栄はペリシテ人のねたみを引き起こし、彼らはイサクの父アブラハムの井戸をふさいで土で埋めてしまうわけです。また、アビメレクはイサクがあまりにも強くなったことを理由に、ゲラルの地から出て行くようにイサクに命じたわけであります。しかし、イサクの繁栄ぶりはゲラルを出てからも変わることはありませんでした。なぜなら、アビメレクも言っておりますように、主がイサクと共におられるからです。24節で、主はイサクに、「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる」と言われましたけれども、そのことをゲラルの王アビメレクが証言しているわけです。王アビメレクが警戒心を抱くほどに、イサクは裕福となり、有力な人物となっていたのです。そこで、自分たちのイサクとの間で誓約を交わし、契約を結びたいと願い出るのです。イサクはゲラルの王アビメレクと対等な契約を結ぶほどに有力な人物となったことを私たちはこのところから教えられるわけであります。アビメレクは29節で、「以前、我々はあなたに何の害も加えず、むしろあなたのためになるように計り、あなたを無事送り出しました」と言っておりますけれども、確かにアビメレクは11節で、「この人(イサク)、またはその妻に危害を加える者は、必ず死刑に処せられる」とすべての民に命じておりますし、16節の「あなたは我々と比べてあまりに強くなった。どうか、ここから出て行っていただきたい」とのアビメレクの言葉も、イサクの身を案じてのことであったとも読むことができます。アビメレクはイサクの父アブラハムが神の人、また預言者であることを知っていたので、イサクを丁重に扱っていたと考えられるのです。それゆえ、アビメレクは、「そのようにあなたも、我々にいかなる害も与えないでください」と言うのです。そして、イサクに「あなたは確かに、主に祝福された方です」と言うのであります。この所も24節に記されていた主の言葉、「わたしはあなたを祝福し、子孫を増やす/わが僕アブラハムのゆえに」を反響しています。「わたしはあなたと共にいる」、「わたしはあなたを祝福する」という主の約束がイサクのうえに実現していることを、異邦人の王であるアビメレクが証言しているのです。箴言の第27章2節に、「自分の口で自分をほめず、他人にほめてもらえ。自分の唇でではなく、異邦人にほめてもらえ」とありますが、異邦人の王アビメレクは、主がイサクと共におり、イサクを祝福していることの証言しているのです。アビメレクがアブラハムと、さらにはその息子イサクと誓約を交わしたことは、イサクが父アブラハムと同じように主の祝福を受けていたことを私たちに教えているのであります。
3.イサクとアビメレクの契約
30節に、「そこで、イサクは彼らのために祝宴を催し、共に飲み食いした」と記されておりますが、この祝宴は契約を締結する際の大切な手続きの一つであります(出エジプト24:11参照)。共に飲み食いすることによって、互いに心を開いて信頼関係を深めるわけです。共に飲み食いすることによって、「我々」と呼べる仲間となるわけです。次の朝早く、彼らは互いに誓いを交わしました。互いに害を加えないという不可侵条約を彼らは結んだのです。「イサクは彼らを送り出し、彼らは安らかに去って行った」とありますが、ここで「安らか」と訳されているヘブライ語は平安とも訳される「シャローム」であります。イサクとアビメレクは誓約を交わすことによって、戦争の危機を回避し、平安を手に入れたのです。外交によって戦争の危機を回避し、平和のうちに歩む。これは聖書が教えるところの知恵でもあるのです。
結.ベエル・シェバ
イサクとアビメレクが互いに誓いを交わしたその日、井戸を掘っていたイサクの僕たちが帰って来て、「水が出ました」と報告しました。そこで、イサクはその井戸をシブア(誓い)と名付けたのであります。「そこで、その町の名は、今日に至るまで、ベエル・シェバ(誓いの井戸)といわれている」とありますが、これはかつてアブラハムが付けた地名と同じであります。先程確認しましたように、アブラハムは、アビメレクと契約を結んだ際に、七匹(シェバ)の雌の子羊にちなんで、その土地をベエル・シェバと名付けたのでありました。そして、今夕の御言葉でもイサクはアビメレクと契約を結び、その地をベエル・シェバ(誓いの井戸)と名付けているのです。このことは、かつてアブラハムがベエル・シェバと名付けた土地を、イサクが再びベエル・シェバと名付けたことを教えています。18節に、「イサクはそれらの井戸を掘り直し、父が付けたとおりの名前を付けた」とありますように、イサクはかつて父がつけたベエル・シェバという名前を付けたのです。しかし、それはただ同じ名前をつけたということではありません。そこには、アビメレクと誓いを交わし、その日に井戸から水が出たという体験が含まれているのです。イサクは自分の体験を踏まえて、その井戸をシブアと名付け、その町の名をベエル・シェバと呼んだのです。このことは、私たちにイサクの人生はアブラハムの焼き直しではなく、イサクにはイサク独自の人生があったことを教えてくれます。私たちキリスト者の歩みも、親から子へと受け継がれていきますけれども、そこで子は親とまったく同じ歩みをするということはありません。主が共にいてくださり、主が祝福してくださることは同じでありましても、その信仰の歩みは一人一人に違うものであるのです。そのことをイサクの歩みは私たちに教えてくれているのです。