イサクのゲラル滞在 2013年2月10日(日曜 夕方の礼拝)
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イサクのゲラル滞在
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- 村田寿和 牧師
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創世記 26章1節~14節
聖書の言葉
26:1 アブラハムの時代にあった飢饉とは別に、この地方にまた飢饉があったので、イサクはゲラルにいるペリシテ人の王アビメレクのところへ行った。
26:2 そのとき、主がイサクに現れて言われた。「エジプトへ下って行ってはならない。わたしが命じる土地に滞在しなさい。
26:3 あなたがこの土地に寄留するならば、わたしはあなたと共にいてあなたを祝福し、これらの土地をすべてあなたとその子孫に与え、あなたの父アブラハムに誓ったわたしの誓いを成就する。
26:4 わたしはあなたの子孫を天の星のように増やし、これらの土地をすべてあなたの子孫に与える。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。
26:5 アブラハムがわたしの声に聞き従い、わたしの戒めや命令、掟や教えを守ったからである。」
26:6 そこで、イサクはゲラルに住んだ。
26:7 その土地の人たちがイサクの妻のことを尋ねたとき、彼は、自分の妻だと言うのを恐れて、「わたしの妹です」と答えた。リベカが美しかったので、土地の者たちがリベカのゆえに自分を殺すのではないかと思ったからである。
26:8 イサクは長く滞在していたが、あるとき、ペリシテ人の王アビメレクが窓から下を眺めると、イサクが妻のリベカと戯れていた。
26:9 アビメレクは早速イサクを呼びつけて言った。「あの女は、本当はあなたの妻ではないか。それなのになぜ、『わたしの妹です』などと言ったのか。」「彼女のゆえにわたしは死ぬことになるかもしれないと思ったからです」とイサクは答えると、
26:10 アビメレクは言った。「あなたは何ということをしたのだ。民のだれかがあなたの妻と寝たら、あなたは我々を罪に陥れるところであった。」
26:11 アビメレクはすべての民に命令を下した。「この人、またはその妻に危害を加える者は、必ず死刑に処せられる。」
26:12 イサクがその土地に穀物の種を蒔くと、その年のうちに百倍もの収穫があった。イサクが主の祝福を受けて、
26:13 豊かになり、ますます富み栄えて、
26:14 多くの羊や牛の群れ、それに多くの召し使いを持つようになると、ペリシテ人はイサクをねたむようになった。創世記 26章1節~14節
メッセージ
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序.
今夕は創世記の第26章1節から14節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願っております。第26章には、イサクについての伝承がまとめて記されております。創世記は族長であるアブラハム、イサク、ヤコブのそれぞれの歩みについて記しておりますが、イサクの歩みについて記しているのは第26章だけであります。それゆえ、私たちは一つ一つの記事を丁寧に読み進めて行きたいと願っております。
1.イサクに現れた主の御言葉
1節に、「アブラハムの時代にあった飢饉とは別に、この地方にまた飢饉があったので、イサクはゲラルにいるペリシテ人の王アビメレクのところへ行った。」と記されております。今夕の御言葉は、第12章と第20章に記されているアブラハムのお話と似ているのでありますが、創世記の記者は、わざわざ「アブラハムの時代にあった飢饉とは別に、この地方に飢饉があったので」と記しております。ですから、私たちは今夕の御言葉を、アブラハム物語の焼き直しではなくて、イサクの物語として読みたいと思います。飢饉のあった「この地方」がどこであるかは分かりませんが、おそらく、ゲラルよりも北であったと思います。なぜなら、イサクはエジプトを目指して歩むその途上で、「ゲラルにいるペリシテ人の王アビメレクのところへ行った」と思われるからです。エジプトは穀物の豊かな国であり、かつてアブラハムも飢饉のために、エジプトに下りました(12:10参照)。ですから、イサクも飢饉のために、穀物の豊かなエジプトへと下って行こうとしたのです。しかし、その途上であるゲラルの地において、主がイサクに現れてこう言われたのです。「エジプトへ下って行ってはならない。わたしが命じる土地に滞在しなさい。あなたがこの土地に寄留するならば、わたしはあなたと共にいてあなたを祝福し、これらの土地をすべてあなたとその子孫に与え、あなたの父アブラハムに誓ったわたしの誓いを成就する。わたしはあなたの子孫を天の星のように増やし、これらの土地をすべてあなたの子孫に与える。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。アブラハムがわたしの声に聞き従い、わたしの戒めや命令、掟や教えを守ったからである。」。主がイサクに現れて、イサクに語られたのは、ここが初めてであります。イサクは、父アブラハムから主の祝福の約束について聞いていたはずであります。しかし、ここでイサクは、主から直接、祝福の約束について聞かされるのです。主は、食物を求めてエジプトに下ろうとしていたイサクに対して、「エジプトへ下って行ってはならない」と言われます。そして、「わたしが命じる土地に滞在しなさい」と言われるのです。「わたしが命じる土地」とは主がアブラハムに約束されたカナンの土地であります。ゲラルもカナンの土地にあるわけです。ですから、主は、「あなたがこの土地に寄留するならば、わたしはあなたと共にいてあなたを祝福し、これらの土地をすべてあなたとその子孫に与え、あなたの父アブラハムに誓ったわたしの誓いを成就する。」と言われたのです。イサクにとって、カナンの土地に留まることは、主の祝福に留まることであったのです。また、主は、「わたしはあなたの子孫を天の星のように増やし、これらの土地をすべてあなたの子孫に与える。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。」とも言われました。これもアブラハムに主が誓われたことでありますが、同じ内容が語られることによって、私たちはイサクにおいて主の契約がアブラハムからイサクへと受け継がれていることを確認することができるのです。アブラハムと結ばれた契約は、息子イサクへと受け継がれる。このようにして、アブラハムの神は、イサクの神ともなられたのです。
前回私たちは、イサクとリベカから双子が産まれたことを学んだのでありますが、今夕の第26章においては、イサクとリベカにまだ子供はいなったと思われます。前回学びましたように、イサクがリベカと結婚したのは40歳のときであり、リベカが双子を産んだのはイサクが60歳のときでありました。イサクとリベカの間には20年間子供が与えられたなかったのです。そして、イサクは20年間、妻リベカに子供が与えられるように祈り続けたのです。その20年間の祈りを支えたものは何だったのでしょうか?それは、主がイサクに与えられた御言葉、「わたしはあなたの子孫を天の星のように増やし、これらの土地をすべてあなたの子孫に与える。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。」という主の御言葉であったのです。今夕の御言葉は、エサウとヤコブの誕生の後に記されておりますので、順序通りに読むと、イサクに子供が与えられた後の出来事のように思えますけれども、しかし、そうではなくて、今夕の御言葉は、イサクとリベカが結婚してしばらくの出来事であったと読みたいと思います。
神の御言葉が私たちの信仰と祈りを支える。このことは、イサクだけではなくて、私たちにおいても言えることであります。私たちには神の御言葉である聖書が与えられております。そして、その聖書の御言葉を生ける神の語りかけとして聞くのが礼拝における説教であります。それゆえ、主は礼拝における説教を通して、私たちの信仰と祈りを支えてくださっていると言うことができるのです。
主は5節で、「アブラハムがわたしの声に聞き従い、わたしの戒めや命令、掟や教えを守ったからである。」と言われました。この主の御言葉は、第22章のイサク奉献の後の主の御言葉を思い起こさせます。主イエスの兄弟ヤコブは、アブラハムの信仰が独り子イサクをささげることによって完成されたと記しましたけれども、そのようにして、アブラハムは主の契約を受け継ぐ者たちの模範となったのです(ヤコブ2:22参照)。もちろん、アブラハムは完全に主に聞き従い、主の戒めや命令、掟や教えを守ったわけではありません。といいますのも、アブラハムは自分の身を守るために2回も妻サラを妹と偽ったからです。そして、同じことを息子イサクもしてしまうのであります。
2.イサクが妻リベカを妹と偽る
7節に、「その土地の人たちがイサクの妻のことを尋ねたとき、彼は、自分の妻だと言うのを恐れて、『わたしの妹です』と答えた。リベカが美しかったので、土地の者たちがリベカのゆえに自分を殺すのではないかと思ったからである。」と記されています。かつてアブラハムも、エジプトで、またゲラルで、妻サラを妹と偽りましたが、ここでイサクも妻のことを妹と偽っております。イサクは妻リベカが美しかったので、土地の人たちが夫である自分を殺して、リベカを妻にするかも知れないと恐れたのでありました。しかし、それが嘘であることが判明するときが来ます。ある時、ペリシテ人の王アビメレクが窓から下を眺めると、イサクが妻のリベカと戯れていたのです。ここで「戯れていた」と訳されている言葉は、「愛撫していた」(新改訳聖書)とも訳すことができる言葉です。分かりやすく言えば、「いちゃついていた」ということであります。それで、アビメレクは、イサクとリベカが兄妹ではなく、夫婦であることが分かったのです。この「アビメレク」については第20章に出て来たアビメレクと同一人物であるかどうかで議論があります。結論から申しますと、私は同一人物であると思います。第20章はイサクの誕生の前のお話であり、今夕の第26章はイサクが40歳と少しのお話でありますから、アビメレクが同一人物であっても不思議はないのです。また、第26章26節を見ますと、「軍隊の長ピコル」が出て来ますが、この人は、第21章で、アブラハムがアビメレクと契約を結んだ際にも出て来ました。ですから、第26章のアビメレクは、第20章、第21章に出てきたアビメレクと同一人物であると考えることができるのです。ちなみに、このとき、まだアブラハムは死んではおりません。第25章7節に、「アブラハムの生涯は百七十五年であった。」と記されておりましたように、アブラハムは、イサクが75歳のときに天に召されるのです。アビメレクが、イサクに長い間ゲラルに滞在することを許したのも、イサクがアブラハムの息子であることを知っていたからと思われるのです。それだけに、イサクが妻を妹であると偽ったことは、かつての苦い経験をアビメレクに思い起こさせるものとなったのです。アビメレクは、イサクを早速呼びつけて、「あの女は、本当はあなたの妻ではないか。それなのになぜ、『わたしの妹です』などと言ったのか」と問いつめました。すると、イサクは「彼女のゆえにわたしは死ぬことになるかもしれないと思ったからです」と答えました。ここには、イサクの弱さが表れています。イサクはアブラハムと同様、主から子孫の約束を受けておりながら、自分の身を守るために妻を危険にさらすのです。妻を危険にさらすこと、それは主の約束の実現を妨げる不信仰な行為であります。また、アビメレクが言っているように、ゲラルの人たちを罪に陥れる行為でもあったのです。このアビメレクの言葉の背後には、かつて彼が聞いた主の御言葉があると思われます。かつて、主はアビメレクに次のように言われました。第20章6節、7節をお読みします。
神は夢の中でアビメレクに言われた。「わたしも、あなたが全くやましい考えなしにこの事をしたことは知っている。だからわたしも、あなたがわたしに対して罪を犯すことのないように、彼女に触れさせなかったのだ。直ちに、あの人の妻を返しなさい。彼は預言者だから、あなたのために祈り、命を救ってくれるだろう。しかし、もし返さなければ、あなたもあなたの家来も皆、必ず死ぬことを覚悟せねばならない。」
このような主の御言葉を背景として、アビメレクは、「あなたは何ということをしたのだ。民のだれかがあなたの妻と寝たら、あなたは我々を罪に陥れるところであった。」とイサクを非難したのです。また、「この人、またその妻に危害を加える者は、必ず死刑に処せられる。」とすべての民に命じたのであります。ここで、私たちが教えられますことは、主がかつてアブラハムに約束された約束、「あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う」という約束が、イサクにおいても真実であるということであります(12:3参照)。主は妻を妹と偽るイサクの不信仰を通して、イサクの身の安全とリベカの貞節を守られたのでありました。
今夕の御言葉に戻ります。旧約聖書の40頁です。
結.主がイサクを祝福する
12節に、「イサクがその土地に穀物の種を蒔くと、その年のうちに百倍もの収穫があった。」と記されています。族長が農業を営んだことは、ここで初めて記されていますが、遊牧民である彼らが寄留している土地で農業を営んだことはおかしなことではありません。当時は、豊作でも40倍から60倍の収穫であったと言いますから、イサクがその年のうちに百倍の収穫を得たことは、主がイサクを大いに祝福されたことを表しています。イサクは主の祝福を受けて、豊かになり、ますます富み栄えて、多くの羊や牛の群れ、さらには多くの召使いを持つようになりました。私たちはこのことから、主の御心が、イサクを約束の地において豊かな者にすることであったことが分かります。イサクのゲラル滞在は、飢饉が原因で始まったことでありますが、主はその土地で100倍もの収穫を与え、イサクを豊かにし、富み栄える者としてくださったのです。そして、それはひとえに、アブラハムとイサクに対する主の誠実のゆえであるのです。何度も繰り返される妻を妹と偽るお話は、族長たちの弱さにもかかわらず、主の誠実が約束を実現へと至らせてくださることを私たちに教えているのです。