テモテの派遣 2008年10月05日(日曜 朝の礼拝)

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聖句のアイコン聖書の言葉

3:1 そこで、もはや我慢できず、わたしたちだけがアテネに残ることにし、
3:2 わたしたちの兄弟で、キリストの福音のために働く神の協力者テモテをそちらに派遣しました。それは、あなたがたを励まして、信仰を強め、
3:3 このような苦難に遭っていても、だれ一人動揺することのないようにするためでした。わたしたちが苦難を受けるように定められていることは、あなたがた自身がよく知っています。
3:4 あなたがたのもとにいたとき、わたしたちがやがて苦難に遭うことを、何度も予告しましたが、あなたがたも知っているように、事実そのとおりになりました。
3:5 そこで、わたしも、もはやじっとしていられなくなって、誘惑する者があなたがたを惑わし、わたしたちの労苦が無駄になってしまうのではないかという心配から、あなたがたの信仰の様子を知るために、テモテを派遣したのです。テサロニケの信徒への手紙一 3章1節~5節

原稿のアイコンメッセージ

 先程は、テサロニケの信徒への手紙一第3章1節から10節までをお読みいたしましたが、今朝は1節から5節までを中心にしてお話しをいたします。

 前回お話ししましたように、パウロは、テサロニケの信徒たちの顔を見たいと切に望み、一度ならずそこへ行こうとしたのですが、サタンによって妨げられました。そこでパウロは、テモテをテサロニケへ派遣することにしたのです。

 1節から2節の途中までをお読みいたします。

 そこで、もはや我慢できず、わたしたちだけがアテネに残ることにし、わたしたちの兄弟で、キリストの福音のために働く神の協力者テモテをそちらに派遣しました。

 ここで、「アテネ」という地名が出てきますが、これは使徒言行録に記されているパウロが歩んだ旅路と重なるものであります。使徒言行録を見ますと第17章にテサロニケでの宣教の様子が記されています。テサロニケにおいて、三回の安息日に渡って福音を宣べ伝えたパウロたちは、ユダヤ人たちによって引き起こされた騒動を避けるために、その夜のうちにベレアへと逃れるのです。そして、ベレアでも福音を宣べ伝えるのですが、テサロニケのユダヤ人たちがここにも押しかけて騒ぎを起こしましたので、シラスとテモテをベレアに残し、パウロは単身アテネへと向かうのであります。そのことを使徒言行録は次のように記しております。使徒言行録第17章13節から16節までをお読みいたします。

 ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、ベレアでもパウロによって神の言葉が宣べ伝えられていることを知ると、そこへも押しかけて来て、群衆を扇動し騒がせた。それで、兄弟たちは直ちにパウロを送り出して、海岸地方へ行かせたが、シラスとテモテはベレアに残った。パウロに付き添った人々は、彼をアテネまで連れて行った。そしてできるだけ早く来るようにという、シラスとテモテに対するパウロの指示を受けて帰って行った。パウロはアテネで二人を待っている間に、この町に至るところに偶像があるのを見て憤慨した。

 このように、ベレアに残ったシラスとテモテは、アテネにいるパウロからできるだけ早く来るようにと指示を受けていたのでありますが、使徒言行録を見ると、シラスとテモテがパウロのもとに来るのは、パウロがコリントに滞在していたときでありました。使徒言行録の第18章5節にこう記されています。

 シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。

 けれども、パウロは、この手紙において、テモテをテサロニケへ派遣したのはアテネからであったと記すのです。これは、使徒言行録には記されていないことであります。使徒言行録の記述とテサロニケの信徒への手紙一の記述は、矛盾しているのでしょうか。どちらかが正しくて、どちらかが誤りであるということでしょうか。そうではないでありましょう。むしろ、このところを次のように補い合わせて理解するのがよいと思います。つまり、使徒言行録には記されておりませんけども、シラスとテモテは、指示どおりベレアからアテネにいるパウロのもとに戻って来たのです。しかし、教会について心配していたパウロは、テモテをテサロニケへ、シラスをフィリピへと遣したと考えられるのです。そのシラスとテモテが、コリントにいるパウロのもとにやって来たことが使徒言行録の第18章5節に記されているのであります。このように、使徒言行録とテサロニケの信徒への手紙一を補い合って読むとき、私たちはより深くパウロの心の内に迫ることができます。アテネにいたパウロは、ベレアから戻って来たテモテを、再びテサロニケへと遣わしました。これはパウロにとって、重い決断であり、大きな犠牲を伴う決断でありました。パウロにとって、テモテは「わたしたちの兄弟で、キリストの福音のために働く神の協力者」でありました。パウロにとって、テモテはなくてはならない存在であったのです。福音書に、主イエスが弟子たちを二人一組で宣教へと遣わされたことが記されております。それは「二人または三人の証言が真実として受け入れられた」ためでありますが、そればかりでなく迫害や困難にあったときに、励まし合い、祈り合うためであったのです。旧約聖書のコヘレトの言葉に、「ひとりよりふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い。倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。」と書いてあるとおりです。けれども、パウロは、あえて自分だけがアテネに残ることを決断したのです。パウロは、いなくても差し障りのない人をテサロニケへ遣わしたのではありません。「わたしたちの兄弟で、キリストの福音のために働く神の協力者テモテ」をテサロニケへと遣わしたのです。このことを通しても、私たちは、パウロがテサロニケの教会をどれほど愛していたかを知ることができるのです。

 パウロがテモテをテサロニケへと遣わす目的が、2節後半から3節までにこう記されています。

 あなたがたを励まして、信仰を強め、このような苦難に遭っていても、だれ一人動揺することのないようにするためでした。

 ここでの「このような苦難」が具体的にどのようなものを指すのかは分かりません。第2章14節に、「あなたがたもまた同胞から苦しめられた」とありましたが、おそらく同じことを指しているのだと思います。パウロは、自分たちが引き離されたあとのテサロニケの教会のことを案じておりました。しかし、それは彼らが苦難を受けることではなくて、苦難の中で信仰にしっかりと立ち続けることができるかどうかであったのです。ここで「動揺する」と訳されている言葉のもともとの意味は、「犬がしっぽを振る」という意味です。それが、へつらうことを意味し、さらには動揺することを意味するようになったのです。ですから、ある人は、ここでテサロニケの信徒たちが同胞から甘い言葉をかけられて、犬がしっぽを振ってついて行くように、へつらうことをパウロは心配していると申しております。テサロニケの信徒たちは、生活のさまざまな局面において、同胞から圧迫を受け、苦しめられておりました。テサロニケの信徒たちは、「そのような苦しみに、イエス・キリストを信じることは価するのか。」と同胞から問いかけられたであろうし、また彼ら自身も、もしかしたら自らの心にそのように問いかけたことがあったかも知れません。テサロニケの信徒たちほどではないかも知れませんが、私たちもそれぞれの生活において、やはりキリスト者であるということで、肩身の狭い思いをし、悪口を言われるということがあると思います。そのようなとき、私たちも少なからず動揺するのです。イエス・キリストを信じるという細い道ではなくて、多くの人々が歩いている広々とした道を歩もうかしらと、ふと考えてしますのです。イエス・キリストを信じて、すべての罪が赦され、正しい者として受け入れられ、神の子としていただいた。それなのに、同胞から苦しみを受けるのはどういうことなのだろうか。そのように私たちも不思議に思うことがあるのではないでしょうか。けれどもパウロは、私たちは、苦難を受けるように神さまから定められているのだと語るのです。

 3節後半から4節までをお読みいたします。

 わたしたちが苦難を受けるように定められていることは、あなたがた自身がよく知っています。あなたがたのもとにいたとき、わたしたちがやがて苦難に遭うことを、何度も予告しましたがあなたがたも知っているように、事実そのとおりになりました。 

 ここでの「苦難」は、キリスト者であろうが、なかろうが誰もが味わういわゆる人生苦のことではありません。ここでの「苦難」は、イエス・キリストの名のゆにこうむる苦難、苦しみであります。福音書において、主イエスは弟子たちにこう仰せになりました(マルコ8:34、35)。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」

 私たち改革派教会の源流とも言えるジャン・カルヴァンは、自分を捨て、自分の十字架を背負って、キリストに従うこと、これこそ弟子の条件であると語っております。私たちキリスト者は皆、この条件をのんで、キリストの弟子となったのではないかと言うのです。キリストの名のゆえの苦難という十字架を負うこと、それは初めから主イエスが求められた弟子の条件であったのです。そして、それはパウロが身をもってテサロニケの教会に示してきたことであり、何度も予告しておいたことであり、事実、彼らが実際に体験していることなのです。パウロは、「あなたがたのもとにいたとき、わたしたちがやがて苦難に遭うことを、何度も予告しました」と語っておりますが、使徒言行録の第14章22節に、この実例を見ることができます。パウロは、「リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、弟子たちを力づけ、『わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない』と言って信仰に踏みとどまるように励ました。」のでありました。おそらくパウロは、テサロニケにおいても、これと同じようなことを何度も予告したのだと思います。「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない。」この言葉からも分かりますように、苦しみそのものが、最終目的ではありません。私たちは、苦難を受けるために、イエス・キリストを信じたのではありません。イエスの名のために苦しむこと、それは私たちが神の国へと入るために通らねばならない道なのです。なぜなら、主イエス・キリスト御自身が、苦難を通して栄光へと入られたからです。復活されたイエスさまは、エマオ途上において、二人の弟子たちにこう仰せになりました(ルカ24:25、26)。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずではないか。」

 苦難を通して栄光へ。これこそ、旧約聖書に預言されていた、メシアの歩む道であったのであります。そして、それはイエス・キリストだけではなく、イエス・キリストを主と仰ぐ私たちが栄光へと至る道でもあるのです。

 このことをパウロはローマの信徒への手紙第8章17節ではっきりと述べております。ローマの信徒への手紙第8章14節から17節までをお読みします。

 神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。

 キリストと共に栄光を受けるには、キリストと共に苦しむことを避けることはできないのです。それゆえ、パウロはフィリピの信徒たちに、「あなたがたは、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。」と語ることができたのです(フィリピ1:29)。

 また、ペトロもその第一の手紙第4章12節、13節でこう述べております。

 愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかるような火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも喜びに満ちあふれるためです。

 このように、聖書はいたるところで、私たちキリスト者が苦難に遭うことを予告しております。そして、その苦難が、キリストと共に栄光にあずかるための道であることを教えているのです。

 「わたしたちが苦難を受けるように定められている」。この言葉は重々しい、厳しい言葉に思えます。けれども、ある研究者は、この言葉は本当は慰めなのだと語っているのです。記されているままに紹介しますとこう言う文書です。「苦しむのがキリスト者の定めだということは、厳しく聞こえるけれども、本当は慰めなのである。」わたしは、この言葉をはじめて読んだとき良く意味が分かりませんでした。けれども、その苦しみが、運命論的な定めではなく、独り子をお与えになったほどに私たちを愛してくださる父なる神によって定められた苦しみであることを覚えるとき、「ここに書いてあることは、本当は慰めなのだ」という言葉に、その通り、アーメンと言うことができたのです。私たちが受ける苦しみが父なる神の御手の内にあることが分かるとき、私たちは苦難の中にあっても、主の慰めと希望を見出すことができるのです。

 テサロニケの信徒への手紙一に戻ります。

 第3章5節には、再びパウロがテモテを派遣する動機と目的について記されています。

 そこで、わたしも、もはやじっとしていられなくなって、誘惑する者があなたがたを惑わし、わたしたちの労苦が無駄になってしまうのではないかという心配から、あなたがたの信仰の様子を知るために、テモテを派遣したのです。

 ここで、「誘惑する者」とありますが、これは神に敵対する悪魔、サタンのことであります。パウロは、自分がテサロニケに行くことができなかったことを、「サタンによって妨げられました」と述べておりましたが、テサロニケの信徒たちを苦しめる者たちの背後にも、試みる者、サタンの働きを見て取っているのです。テサロニケの信徒たちを苦しめ、イエス・キリストへの信仰を捨てれば、そのような苦しみからも解放されるのではないかと惑わす者たちの背後に、神の御業を破壊しようとする悪しき霊、サタンの働きがあることをパウロは見抜いているのです。

 「誘惑する者」。これと同じ言葉が、マタイによる福音書の第4章3節に記されています。マタイによる福音書第4章は、主イエスが荒れ野で悪魔から誘惑を受ける場面を記しています。洗礼者ヨハネから洗礼を受け、天からの「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」との御声を聞いて、公に救い主として歩み出されたイエスさまがまず霊に導かれて連れて行かれたところ、それは荒れ野という試みの場であったのです。ここで悪魔は様々な言葉を用いてイエスさまを誘惑するのでありますが、その要点は苦難を通らずして栄光を現しなさいという誘惑でありました。けれども、イエスさまは、この誘惑を聖書の御言葉をもって退けられたのです。そして、苦難の極みとも言える十字架を目指して歩み出されたのであります。このサタンの誘惑が、キリストを信じるテサロニケの信徒たちにも、また私たちにもあるわけです。けれども、忘れてはならないことは、イエスさまは、十字架と復活によって、すでにサタンに勝利してくださっているということであります。イエスさまが弟子たちに「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」と仰ったとおりであります(ヨハネ16:33)。イエス・キリストを信じる者たちは、サタンの支配から解き放たれ、今すでに神の霊の導きの下に生きる者とされております。けれども、そのことが完全に実現するのは、イエス・キリストが栄光の主として天から再び来てくださる日においてであるのです。それまで、私たちはこの地上においてサタンの誘惑と戦い続けなければならないのです。

 次回詳しく学ぶことになりますが、パウロのもとに帰って来たテモテがもたらしたのは、テサロニケの信徒たちが主にしっかりと結ばれて歩み続けているといううれしい知らせでありました。このことは、テサロニケの信徒たちが、サタンの誘惑を退け、苦難の中で信仰に留まり続けたことを教えています。いったいどのようにしてテサロニケの信徒たちはサタンの誘惑を退けることができたのでしょうか。それは彼らがパウロが語った神の言葉に立ち続けたからです。主イエスが荒れ野において聖書の御言葉をもって悪魔の誘惑を退けたように、テサロニケの信徒たちもパウロから聞いた神の言葉をもって悪魔の誘惑を退けたのです。第2章13節に、「このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実それは神の言葉であり、また信じているあなたがたの中に現に働いているものです。」とありましたけども、テサロニケの信徒たちがサタンの誘惑を退け、信仰に堅く立ち続けることができたのは、彼らの中に現に働いている神の言葉によるものであったのです。パウロが語った神の言葉は、パウロが去ったのちも、テサロニケの信徒たちの間で働き続けていた。それゆえパウロは、神さまに絶大なる感謝をささげているのであります。

 現代に生きる私たちキリスト者も、サタンの誘惑に常にさらされています。かつてイエス・キリストを信じていたというのではだめであって、私たちは主イエスが再び来られる日まで、あるいは地上の生涯を全うしてそれぞれが天に召される日までイエス・キリストを信じ続けていなければならないのです。神の恵みによっていただいたイエス・キリストへの信仰を私たちは誘惑する者から守り抜かなければならないのです。そして、その私たちの信仰を守り抜くための最大の武器が、私たちの内に働く神の言葉なのです。もし私たちが、神の言葉なしにサタンと戦うならば、私たちは負けてしまいます。けれども、十字架と復活において勝利された主イエス・キリストの言葉、神の言葉に従って歩むとき、私たちは悪魔の誘惑を退け、信仰にしっかりと踏みとどまることができるのです(ヤコブ4:7も参照)。

 パウロは、大切な同労者テモテを遣わすほどにテサロニケの信徒たちの信仰について心を配りました。そうであれば、私たちは自らの信仰について、また兄弟姉妹の信仰について無頓着でいることは許されません。私たちも犠牲を払って、自分の信仰のために、さらには兄弟姉妹の信仰のために心を配りたいと願います。

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