切なる望み 2008年9月28日(日曜 朝の礼拝)

問い合わせ

日本キリスト改革派 羽生栄光教会のホームページへ戻る

聖句のアイコン聖書の言葉

2:17 兄弟たち、わたしたちは、あなたがたからしばらく引き離されていたので、――顔を見ないというだけで、心が離れていたわけではないのですが――なおさら、あなたがたの顔を見たいと切に望みました。
2:18 だから、そちらへ行こうと思いました。殊に、わたしパウロは一度ならず行こうとしたのですが、サタンによって妨げられました。
2:19 わたしたちの主イエスが来られるとき、その御前でいったいあなたがた以外のだれが、わたしたちの希望、喜び、そして誇るべき冠でしょうか。
2:20 実に、あなたがたこそ、わたしたちの誉れであり、喜びなのです。テサロニケの信徒への手紙一 2章17節~20節

原稿のアイコンメッセージ

 先程は、テサロニケの信徒への手紙一第2章17節から第3章5節までをお読みいただきましたが、今朝は第2章17節から20節までを中心にしてお話しをいたします。

 私たちは、主の日ごとに、テサロニケの信徒への手紙一から御言葉の恵みにあずかっておりますが、この手紙は、パウロが紀元50年頃、コリントで執筆したものと考えられています。テサロニケとコリントは、およそ500キロメートル離れていたと言われますけども、そのコリントにおいて、パウロはテサロニケの信徒たち一人一人の顔を思い浮かべながら、この手紙を記したのです。

 17節にこう記されています。

 兄弟たち、わたしたちは、あなたがたからしばらく引き離されていたので、 -顔を見ないというだけで、心が離れていたわけではないのですが- なおさら、あなたがたの顔を見たいと切に望みました。

 ここには、テサロニケの信徒たちに会いたいというパウロの切実なる願いが記されています。ここで「引き離されていた」と訳されている言葉は、もとの言葉を直訳しますと「孤児とされていた」となります。パウロは、テサロニケの教会から引き離された自分たちを、親から引き離されてしまった子供にたとえているのです。パウロは、これまで自分たちを母親や父親にたとえて語ってきました。ですから、パウロは、子供と引き離された親の方に自分をたとえてもよかったのです。しかし、パウロは親から引き離された子供の方に自分たちを重ねるのです。それも、この子供は親元から無理やり引き離された子供なのです。パウロたちはテサロニケの信徒たちと一緒にいたかったにもかかわらず、ある事情のゆえにテサロニケを去らねばならなかったのです。使徒言行録の第17章が伝えておりますように、ユダヤ人たちによって騒動が引き起こされたその夜に、パウロとシラスはテサロニケの兄弟たちからベレアへと送り出されたのです。パウロたちは意図せずして、テサロニケの教会から引き離されたのでありました。

 けれども、パウロにとって、それは顔を見ないというだけで、心が離れていたわけではありませんでした。パウロの心が、テサロニケの信徒たちから離れていなかったということ。それは、パウロの心の中に、いつもテサロニケの信徒たちがいたということでありましょう。また、第1章2節に「わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。」とありましたように、パウロたちは、いつもテサロニケの信徒たちのために祈っていたということであります。この祈りのことを考えますときに、パウロがここで感傷的に、「心が離れていたわけではない」と言っていることに気がつきます。テサロニケの信徒たち、それは第1章1節にもありましたように、父である神と主イエス・キリストに結ばれている者たちでありました。そして、当然、この手紙の差出人であるパウロ、シルワノ、テモテも、父である神と主イエス・キリストに結ばれている者たちであったのです。その彼らが、父なる神に、主イエス・キリストの御名によって祈りをささげるとき、文字通り「心が離れていたわけではない」と言い切ることができたのです。私たちの教会にも、体の弱さなどさまざまな事情で、礼拝に集うことのできない方たちがおられます。まさに、しばらく引き離されて、顔を見ない兄弟姉妹がいるわけです。けれども、私たちはその方たちに対しても「顔を見ないというだけで、心が離れていたわけではない」と言うことができるのです。その方たちのことを祈りに覚えるごとに、体は離れていても、心は寄り添うことができるのです。なぜなら、私たちはどこにいようとも、父である神と主イエス・キリストに結ばれている者たちであるからです。そして、この祈りが、なおさらパウロたちに、テサロニケの信徒たちの顔を見たいと切に望みませるのです。ここで「切に望みました」と訳されている言葉は、もとの言葉を直訳すると「たくさんの欲望をもって、熱心に努めた」となります。言葉を尽くして、パウロは、テサロニケの信徒たちの顔を見たいという思いを言い表しているわけです。それこそ、たとえるならば、親を慕い求める子供の心であります。「顔を見たい」。これは言うまでもなく愛の表現であります。顔と顔を合わせて、親しく語らいたいということであります。もちろん、パウロたちはテサロニケの信徒たちと顔と顔を合わせて、ただ世間話をしたいということではありません。そのことは、第3章2節を読めば分かります。パウロは、テサロニケの信徒たちを励まして、信仰を強め、このような苦難に遭っていても、だれ一人動揺することのないようにするために、彼らに会いたいと切に願ったのです。このことは、パウロたちがテサロニケを去ったときの状況を考えるならば、当然のことと言えるかも知れません。パウロとシラスは、ベレアへと逃れましたけども、テサロニケの教会は、依然として、ユダヤ人たちの迫害のもとにあったからです。使徒言行録を見ますと、パウロたちがベレアで宣教しておりましたときも、テサロニケのユダヤ人たちはわざわざ押しかけて来て、群衆を扇動し騒ぎを起こしました。そのため、パウロとシラスは、ベレアからも去らなくてはならなかったのです。テサロニケのユダヤ人はまことに執念深い者たちであったわけですね。そのことを思いますとき、パウロがテサロニケの信徒たちのために祈り、どうにかして会いたいと切に願ったことは当然のことと言えるのです。また、パウロはただ願うだけではなく、実際にテサロニケに行こうと何度も計画したのでありました。

 18節をお読みいたします。

 だから、そちらへ行こうと思いました。殊に、わたしパウロは一度ならず行こうとしたのですが、サタンによって妨げられました。

 ここで「わたしパウロ」という言葉がでてきます。これまで、この手紙は「わたしたち」、一人称複数形で記されておりましたけども、ここでは「わたし」、一人称単数形がでてくるのです。それもパウロという固有名詞と結びついて記されているのであります。この手紙は、パウロ、シルワノ、テモテからテサロニケの教会に送られた手紙でありますけども、以前申しましたように、三人で共同執筆したというよりも、パウロ一人が記したものであると考えられています。ですから、「わたしたちは」と記されても、実質、パウロによって「わたしは」と記されていると読まれることが多いのであります。しかし、パウロは、ここであえて、「殊に、わたしパウロは一度ならず行こうとした」と記すのです。ただ思ったというだけではありません。その計画を実際に立てて、それを実行しようとしたところでそれが妨げられたということであります。なぜ、パウロは、ここであえて、「わたしパウロは」と記さずにはおれなかったのか。それは、テサロニケの信徒たちに、あなたがたに会いに行かないのは、あなた方への愛が失われたからではないことをしっかりと伝える必要があったからです。今で言えば、テサロニケの教会は、使徒パウロが開拓伝道した教会であります。パウロによって始められた教会です。そのパウロがテサロニケを去ってから、何の連絡もない。テサロニケの信徒たちは、パウロが再び戻ってくることを待ち望んでいたと思います。これは推測でありますけども、パウロはテサロニケをあとにする際、「必ずまた戻って来ます」と約束していたのではないでしょうか。少なくとも、パウロは、テサロニケに再び訪れることを願いつつ、ベレアへと逃れて行ったと思うのです。ここで、もう少し私の推測を言わせていただければ、教会を迫害していたユダヤ人たちは、「パウロはお前たちを見捨てたのだ」とテサロニケの信徒たちを動揺させていたのではないかと思うのです。

 「殊に、わたしパウロは一度ならず行こうとしたのですが、」この言葉は、パウロではなく、テモテがテサロニケの教会に派遣されたことと関係があるとも考えることができます。パウロが来てくれることを願っていたテサロニケの信徒たちにとって、テモテが遣わされたことは少し拍子抜けであったと思います。パウロ先生は、自分のことを気にかけてくれていないようだが、テモテ先生はそうではないようだということになりかねない。けれども事実はそうではないわけですね。まず、パウロ自身がテサロニケに行こうと何度も計画し、それがサタンによって妨げられたので、パウロは自分の右腕とも言える神の同労者テモテをテサロニケに遣わしたのです。第3章5節に「そこで、わたしも、もはやじっとしていられなくなって」とありますように、テモテをテサロニケに遣わしたのは、他ならぬわたしパウロなのであります。

 パウロがテサロニケに一度ならず行こうとしたのは、テサロニケの信徒たちへの抑えきれない愛情からでありますけども、それは「あなたがたを励まし、信仰を強め、このような苦難にあっていても、だれ一人同様することのないようにするため」でありました。そのようなテサロニケ教会への訪問を妨げられたことを、パウロは「サタンによって」と言い表しています。サタンとは、悪魔とも呼ばれるもので、神さまに敵対し、神さまの御業を破壊しようとする悪しき霊のことです。「サタンによって妨げられました。」この言葉が、具体的にどのようなことを言っているのかは分かりません。ある人は、コリントの信徒への手紙二第12章で、パウロに身に与えられた一つのとげが、「サタンから送られた使い」と言われていることから、パウロが患っていた病のことではないかと推測いたします。また、ある人は、コリントにおける激しい迫害を指すのではないかと推測いたします。正確なところは分かりませんけども、ともかくパウロは、それがサタンの仕業だと言うことができたのです。それは、自分がテサロニケの教会を訪れることが神さまの御心であると確信していたからです。自分がテサロニケの教会を訪問することが神の御心である。この確信がなければ、とうてい「サタンによって妨げられた」と言うことはできないのです。私たちも、「サタンによって妨げられた」とはあまり言わなくても、自分の歩みを振り返るとき、「主に守っていただいた」と感謝することがあるのではないでしょうか。自分のこれまでの歩みを振り返って、よくあのような時期を生き抜くことができた。これは主の守りと導きによるものだと感謝の念を抱くということがあると思います。しかし案外、自分の過去を振り返って、あのとき、自分はサタンの試みに遭っていたなぁと思うことは少ないのではないでしょうか。

 自分のことを話して恐縮ですが、わたしが洗礼を受けて間もない頃、当時のわたしの牧師であった片岡先生のもとを訪ね、ある相談をしたことがあります。その頃のわたしは、信仰がぐらついておりまして、ある書物の中に記されていた言葉を片岡先生に投げかけてみました。「ある本に『死ぬのは怖くはない。死んだら生まれる前に戻るだけだ。』と書いてあったのですが、先生どう思いますか。」と率直に問うたのです。そうしたら、片岡先生は、ひと言こう言われたのです。「それはサタンの教えだ」と。それから、聖書から死と死後のいのちについて教えてくださったのであります。この小さなエピソードは、片岡先生が霊的な視点をもって歩んでおられることを深くわたしのうちに刻みつけるものとなったのです。

 ここでパウロが、「サタンによって妨げられました」と語るとき、パウロが福音宣教はサタンとの霊的戦いであることを弁えていたことが分かります。のちにパウロは、そのことをエフェソの信徒への手紙第6章10節以下ではっきりと語っております。

 最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。どのような時にも、霊に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。

 パウロがどのような事情で、テサロニケに行くことを断念しなければならなかったのかは分かりませんけども、パウロは、そこに神さまに敵対するサタンの働きを見て取ったのです。私たちを主イエス・キリストの礼拝から遠ざけようとする人や物事の背後に、このサタンの力が働いていることを、私たちも霊的な視点をもって見抜かなければなりません。そして、神の武具に身に着けて、悪魔に抵抗し、しっかりと立ち続けなければならないのです。

 19節と20節をお読みいたします。

 わたしたちの主イエスが来られるとき、その御前でいったいあなたがた以外のだれが、わたしたちの希望、喜び、そして誇るべき冠でしょうか。実に、あなたがたこそ、わたしたちの誉れであり、喜びなのです。

 この19節のはじめには、訳出されておりませんが、もとの言葉を見ますと、「なぜなら」と訳される接続詞が記されています。つまり、19節と20節はパウロが一度ならずテサロニケに行こうとした理由として記されているのです。パウロが、一度ならずテサロニケに行こうと計画したのは、主イエスがすぐにでも来られるという再臨信仰と深く結びついておりました。このことは、パウロがダマスコ途上で、復活の主イエスとまみえ、異邦人の使徒とされたことによるものであります。パウロは、ガラテヤの信徒への手紙の中で、「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子を示して、その福音を異邦人に告げ知らせようとされた」と記しております。そのような自己認識を持っていたパウロにとって、主イエスが来られるとき、テサロニケの信徒たちこそ、パウロの希望、喜び、誇るべき冠であったのです。ここでパウロがイメージしている光景は、テサロニケの信徒たちと共に、主イエスの御前に立つ姿であります。主イエスが来られるとき、テサロニケの信徒たちを主の民として御前に立たせることができるかどうか。そこに異邦人の使徒であるパウロのすべてがかかっていたのです。このことは、使徒パウロだけではありません。私たち自身も、主が来られるとき、共に礼拝をささげている兄弟姉妹を希望、喜び、誇るべき冠とすることができるのです。願いながらも礼拝に集えない兄弟姉妹と共に主の御前に立つことを、私たちの希望、喜び、誇るべき冠とすることができるのです。さらには、まだ見ぬ選びの民と共に、主の御前に立つことを、私たちの希望、喜び、誇るべき冠とすることができるのです。先程、パウロはここでテサロニケの信徒たちと共に主の御前に立つ姿をイメージしていると申し上げましたけども、私たちも、そのような想像をすることがゆるされるのではないでしょうか。イエスさまは、世の終わりに「人の子は、天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」と仰せになっておりますが(マルコ13:27)、そのとき、集められる者たちはどのような集まりに集められるのでしょうか。これは、わたしの想像なのですけども、それはこの地上で主の日の礼拝をささげている群れごとに集められるのではないでしょうか。私たちが主イエスの御前に立つとき、それは顔も見たことのないキリスト者に紛れて立つのではなくて、このように礼拝をささげている私たちが共に立つのではないでしょうか。そして、事実パウロはここでそのような光景を思い描いているのです。主イエスが来られるとき、主の日ごとに礼拝をささげてきた私たちが共に立つことができる。そのような光景を信仰の想像力をもって思い描いていただきたいと思います。そのとき、「実に、あなたがたこそ、わたしたちの誉れであり、喜びなのです。」というパウロの言葉を、私たちも味わうことができるのです。こう聞きますと、何もわたしが福音を伝えたわけではないと思う方もおられるかも知れません。けれども、ここに集う一人一人に私たちの信仰は支えられているのではないでしょうか。わたし自身のことを考えて見ましても、主の日の礼拝を守り続けるその皆さんの姿に、どれだけ支えられているかと思うのです。皆さんの祈りに、わたしの働きがどれほど支えられているかと思うのです。それはわたしばかりではないでありましょう。ある長老が祈られるように、「主の日に兄弟姉妹が共に集まり礼拝をささげることは大きな慰めであり、励ましである」のです。自分のために祈ってくれる兄弟姉妹がいるということ、それがどれほどありがたいことであり、力となることか分からないのであります。主イエスが来られる日、私たちは互いを誉れとし、喜びとすることができる。その幸いに、ここに集う誰一人もれることはないのです。

関連する説教を探す関連する説教を探す