主の名によって来られる方 2010年6月27日(日曜 朝の礼拝)

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主の名によって来られる方

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ヨハネによる福音書 12章12節~19節

聖句のアイコン聖書の言葉

12:12 その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、
12:13 なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、/イスラエルの王に。」
12:14 イエスはろばの子を見つけて、お乗りになった。次のように書いてあるとおりである。
12:15 「シオンの娘よ、恐れるな。見よ、お前の王がおいでになる、/ろばの子に乗って。」
12:16 弟子たちは最初これらのことが分からなかったが、イエスが栄光を受けられたとき、それがイエスについて書かれたものであり、人々がそのとおりにイエスにしたということを思い出した。
12:17 イエスがラザロを墓から呼び出して、死者の中からよみがえらせたとき一緒にいた群衆は、その証しをしていた。
12:18 群衆がイエスを出迎えたのも、イエスがこのようなしるしをなさったと聞いていたからである。
12:19 そこで、ファリサイ派の人々は互いに言った。「見よ、何をしても無駄だ。世をあげてあの男について行ったではないか。」ヨハネによる福音書 12章12節~19節

原稿のアイコンメッセージ

 先程はヨハネによる福音書の第12章12節から19節までをお読みしていただきましたが、この所にはイエスさまがエルサレムに迎えられたことが記されております。時は過越祭の五日前でありました。第12章1節に、「過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた」とあり、12節に、「その翌日」とありますので、イエスさまは過越祭の五日前の日曜日に、エルサレムに入城されたことになります。わたしは今、「エルサレムに入城された」と申しましたけども、この場合の「にゅうじょう」の「じょう」は城(しろ)と書きます。エルサレムは城壁に囲まれた大王の都でありました。そのエルサレムにイエスさまがまさに王として迎えられたことを今朝の御言葉は記しているのです。

 12節に「その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝をもって迎えに出た」とあります。イエスさまがエルサレムに迎えられるお話しは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書すべてに記されているのですが、読み比べると少しずつ異なっています。マタイ福音書では、「ホサナ」と叫んだのはイエスさまと共に歩んでいた巡礼団である「群衆」でありました。またマルコでも「ホサナ」と叫んだのはイエスさまと共に歩んでいた巡礼団の「多くの人」でありました。ルカ福音書においては、「ホサナ」と叫んだのは「弟子の群れ」と記されております。つまり、イエスさまの周りにいる者たちが「ホサナ」と叫んでエルサレムに入るというように記されているわけです。けれども、ヨハネ福音書は、そのようには記さず、祭りを祝うためにエルサレムに来ていた大勢の群衆が、イエスさまをお迎えするために、エルサレムの外に出て、なつめやしの枝を持って迎え出たと記すのです。ヨハネ福音書はエルサレムがイエスさまを王として迎え入れたことをはっきりと記すのです。ここに「なつめやしの枝をもって迎え出た」とありますが、このことを記しているのもヨハネ福音書だけであります。なぜ、福音書記者ヨハネは、「なつめやしの枝を持って迎えに出た」と記したのでしょうか。結論から申しますと、それは群衆がイエスさまを軍事的な王として迎えに出たことを示すためであります。第10章22節に「そのころ、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。冬であった」と記されておりましたけども、神殿奉献記念祭は、旧約聖書と新約聖書の間の時代、いわゆる中間時代に記された『旧約続編』のマカバイ記に、その起源が記されていることをお話ししたことがあります。イスラエルはバビロン捕囚から解放され、ユダヤの地に戻り神殿を再建するのですけども、ギリシア帝国の支配下に置かれることになってしまいます。ギリシア帝国の王アンティオコス・エピファネスは、ユダヤ人に律法を捨てさせることを強要し、従わない者は死刑に処したのでありました。エルサレム神殿にゼウス像を建てさせ、礼拝するという暴挙に出たのもアンティオコス・エピファネスでありました。それに対して抵抗運動を展開したのがユダ・マカバイを初めとするマカバイ家の者たちでありました。彼らはゲリラ戦を展開しまして、ついにはギリシア帝国からの独立を勝ち取るのであります。そのことが、旧約聖書続編のマカバイ記一第13章に記されています。第13章41節からお読みします。

 第百七十年、イスラエルは異邦人の軛から解放された。イスラエルの民は公文書や契約書に、「偉大なる大祭司、ユダヤ人の総司令官、指導者であるシモンの第一年」と記し始めた。

 そのころ、シモンはゲゼルに向けて陣を敷き、この町を包囲した。そして移動攻城機を作って町を襲い、一つの塔を攻撃し、これを占領した。移動攻城機に乗っていた兵は町の中になだれ込み、町は大混乱となった。町の住民は妻や子供と共に城壁に駆け登り、衣を裂いて大声で叫び、右手を差し伸べてくれるよう、シモンに哀願した。「わたしたちの悪に報いるに、あなたの慈悲をもってしてください。」シモンはこれを受け入れ、戦いをやめた。そして彼らを町から追放し、偶像をまつっていた家々を清め、賛美と祝福の歌をうたいつつ町に入った。こうして汚れたすべてのものを町から取り除き、律法を順守する者たちをそこに住まわせた。そして町を強化し、彼自身も家を設けて住んだ。

 エルサレムの要塞内の者たちは、周辺地域に出入りすることを阻止され、売り買いもできず、食物は欠乏を極め、多数の者が餓死した。彼らは、シモンが右手を差し伸べてくれるよう、大声で哀願した。シモンは彼らに右手を差し伸べた。そして、彼らをそこから追い出し、要塞の汚れを清めた。第百七十一年の第二の月の二十三日にシモンとその民は、歓喜に満ちてしゅろの枝をかざし、竪琴、シンバル、十二弦を鳴らし、賛美の歌を歌いつつ要塞に入った。イスラエルから大敵が根絶されたからである。更にシモンは、この日を年ごとに喜びをもって祝うように定めた。また要塞の近くにある神殿の丘をいっそう強化し、仲間と共にそこに住んだ。シモンは、息子のヨハネが成人したので、彼を全軍の指揮官に任じ、ゲゼルに住まわせた。

 51節に「シモンとその民は、歓喜に満ちてしゅろの枝をかざし、竪琴、シンバル、十二弦を鳴らし、賛美の歌をうたいつつ要塞に入った」とありますけども、このところが、今朝の御言葉の背景となっているわけです。「なつめやし」はしゅろ科の植物でありまして、口語訳聖書では「しゅろ」と訳されておりました。ですから、エルサレムから出てきた群衆が、なつめやしの枝、しゅろの枝を持ってイエスさまを迎えに出たことは、シモンに対するのと同じ期待をもっていたことを示しているのです。群衆は、かつてシモンがイスラエルをギリシア帝国の支配から解放したように、イエスさまがイスラエルをローマ帝国の支配から解放してくれるのではないかと期待していたのです。それゆえ彼らはこう叫び続けたのです。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に」。「ホサナ」とは「今、お救いください」という意味のヘブライ語であります。この群衆の叫びは旧約聖書の詩編第118編の替え歌なのですけども、特に25節、26節を下敷きとしております。詩編第118編25節、26節をお読みします。「どうか主よ、わたしたちに救いを。どうか主よ、わたしたちに栄えを。祝福あれ、主の御名によって来る人に。わたしたちは主の家からあなたたちを祝福する」。この詩編第118編の御言葉を下敷きして、「ホサナ、主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に」と群衆は叫び続けたのであります。詩編第118編には「イスラエルの王に」という言葉はありませんけども、このことは群衆がイエスさまを「イスラエルの王」として迎えに出たことをはっきりと示しております。エルサレムの群衆はイエスさまを自分たちをローマ帝国の軛から解放してくださるイスラエルの王として迎え出たのです。

 すると、イエスさまはろばの子を見つけて、お乗りになりました。この記述もヨハネ福音書独自のものであります。マタイ、マルコ、ルカのいわゆる共観福音書を見ますと、「ホサナ」という叫びの前に、イエスさまはろばに乗ってエルサレムに入城されます。しかし、ヨハネ福音書では、群衆の「ホサナ」という叫びの後に、イエスさまがろばの子を見つけて、お乗りになるのです。そのようにしてイエスさまは御自分を軍事的な王として迎え出た群衆に無言の抗議をされたのです。イエスさまはろばの子に乗ってエルサレムに入られることによって、御自分が軍事力によってローマ帝国からの解放をもたらすイスラエルの王ではないことを示されたのです。このことは15節に短く引用されております旧約聖書のゼカリア書第9章9節、10節を読むとき明かとなります。「娘シオンよ、大いに躍れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。わたしはエフライムから戦車をエルサレムから軍馬を断つ。戦いの弓は絶たれ/諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ/大河から地の果てにまで及ぶ」。

 イエスさまは群衆の期待に応えるように軍馬に乗られたのではなくて、ろばに乗ってエルサレムへと入られました。それはイエスさまが軍事力によらず平和を与える王であられるからです。イエスさまは第14章27節で弟子たちにこう言われています。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない」。また復活されたイエスさまは弟子たちに現れ、「あなたがたに平和があるように」と言われたのであります(21:19、21、26)。イエスさまはエルサレムで十字架に上げられることによって、神との平和、シャロームを御自分を信じる者たちに与えてくださるお方なのです。そのようにして、私たちを死から解放して、揺るぎない平安を与えてくださるお方なのであります。弟子たちは、イエスさまが栄光を受けられたとき、そのことが分かったのです。イエスさまが第14章25節で、「わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」と言われたように、栄光の主イエスから聖霊をいただいたとき、イエスさまがまさにゼカリア書の預言を成就する平和の王としてエルサレムに入城されたことが分かったのであります。

 わたしは先程、イエスさまは十字架の死と復活によって、御自分を信じる者たちを死から解放し、揺るぎない平安を与えてくださる王であると申しました。このような救いは誰もが必要としている救いであります。なつめやしの枝を振りかざし、イエスさまを軍事的なメシア、王として迎え出た群衆にもそのような願いはあったのです。17節、18節にこう記されています。「イエスがラザロを墓から呼び出して、死者の中からよみがえらせたとき一緒にいた群衆は、その証しをしていた。群衆がイエスを出迎えたのも、イエスがこのようなしるしをなさったと聞いていたからである」。なぜ、群衆はイエスさまを迎えに出たのか。それはイエスさまがラザロを墓から呼び出して、死者の中からよみがえらせたと聞いていたからでありました。そのことはイエスさまが主の御名によって来られたことのしるしであると同時に、そのように判断した群衆の心にも、死からの解放を願う思いがあったことを教えているのです。群衆が叫び続けた詩編第118編の17節、18節には次のような御言葉があります。「死ぬことなく、生き長らえて/主の御業を語り伝えよう。主はわたしを厳しく懲らしめられたが/死に渡すことはなさらなかった」。この御言葉は家を建てる者の退けた石でありますイエスさまにおいて実現するものであります。イエスさまはヨハネによる福音書の第11章25節で、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない」と言われました。イエスさまを信じる者はこの地上で死んでも、永遠に死ぬことはない。神の御前に死ぬことはないのです。それゆえ、私たちは死んでも、主の御業を語り伝えることができるのです。死んでも、いや死んでからなおいっそう、私たちは主を誉めたたえることができるのであります。ろばに乗って入城された王イエスさまの玉座は十字架でありました。そのイエスさまのへりくだりが、ひとえに私たちを死から解放し、神さまの平和を与えるためであったことを今朝改めて心に刻みたいと思います。

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