強めることができる神
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- 説教
- 村田寿和 牧師
- 聖書 ローマの信徒への手紙 16章25節~27節
16:25 神は、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって、あなたがたを強めることがおできになります。この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するものです。
16:26 その計画は今や現されて、永遠の神の命令のままに、預言者たちの書き物を通して、信仰による従順に導くため、すべての異邦人に知られるようになりました。
16:27 この知恵ある唯一の神に、イエス・キリストを通して栄光が世々限りなくありますように、アーメン。ローマの信徒への手紙 16章25節~27節
2016年4月3日から、ローマの信徒への手紙を学び始めました。私たちは、およそ1年8ヶ月にわたって、主の日の礼拝ごとにローマの信徒への手紙を読み進めてきました。今朝は、その最後の学びとなります。
今朝の御言葉は、小見出しにありますように、「神への賛美」の言葉であります。パウロは、ローマの信徒への手紙を閉じるにあたって、神様への賛美の言葉(頌栄)を書き記すのです。
25節から27節までをお読みします。
神は、わたしの福音すなわち、イエス・キリストについての宣教によって、あなたがたを強めることがおできになります。この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するものです。その計画は今や現されて、永遠の神の命令のままに、預言者たちの書き物を通して、信仰による従順に導くため、すべての異邦人に知られるようになりました。この知恵ある唯一の神に、イエス・キリストを通して栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
25節から27節までは、元の言葉では、一続きの長い文であります。新共同訳聖書は、その一続きの長い文を、四つの文に短く分けて翻訳しました。短い文の方が理解しやすいと考えたのかも知れませんが、全体の内容からすると、そうでもないと思います。それで、今朝は、参考として、新改訳聖書の翻訳を印刷しておきました。新改訳聖書の翻訳で、25節から27節までをお読みします。
私の福音とイエス・キリストの宣教によって、すなわち、世々にわたって、長い間隠されていたが、今や現されて、永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを堅く立たせることができる方、知恵に富む唯一の神に、イエス・キリストによって、御栄えがとこしえまでありますように。アーメン。
新改訳聖書は、元の言葉と同じように、一続きの長い文として、25節から27節までを翻訳しています。このように25節から27節までは、一つの長い文であるのです。
25節の最初の言葉は、「あなたがたを強めることがおできになる方に」と記されています。その後に、どのようにして、神様が私たちを強めてくださるかということがずらずらと書いてありまして、「知恵ある唯一の神に、イエス・キリストを通して栄光が世々限りなくありますように」と記されています。新共同訳聖書は、「神は,・・・・・・あなたがたを強めることがおできになります」と翻訳していますが、元の言葉では、「あなたがたを強めることがおできになる方に、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって」と記されているのです。パウロは、神は、あなたがたを強めることがおできになると記すわけですが、それは、わたしの福音、すなわち、イエス・キリストについての宣教によってであるのです。ここで「よって」と訳されている言葉(カタ)は、「(基準に)従って」とも訳すことができます。そうすると、神は、パウロが宣べ伝えた福音、すなわちイエス・キリストについての宣教に従って、強めてくださる。その教えに堅く立つ者としてくださるという意味にもなります。私たちは、パウロの福音を、週毎に学んできたわけですが、そのことを通して、神様は私たちを強めてくださり、堅く立つ者としてくださったのです(ローマ1:16「福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです」参照)。
では、パウロの福音とは、どのような福音を言うのか?パウロは、「この福音は、世々にわたって、隠されていた、秘められた計画を啓示するものです」と記します。これは、1章の挨拶の言葉と対応しております。パウロは、1章2節でこう記しておりました。「この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです」。パウロが宣べ伝えている福音は、神様が既に聖書の中で預言者を通して約束されたものである。それは、言い方を変えれば、世々にわたって隠されていた神の秘められた計画を啓示するものであるのです。この神様の秘められた計画について、後に、パウロは、エフェソの信徒への手紙の中で記しています。エフェソの信徒への手紙1章8節から14節までをお読みします。新約の352ページです。
神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとにひとつにまとめられるのです。キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。
神様の秘められた計画とは、「あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられ」ることであります。それは、ユダヤ人も異邦人も、イエス・キリストの福音を聞き、そして、信じて、聖霊を与えられて神の民となり、神様の栄光をたたえるようになるということです。
では、今朝の御言葉に戻ります。新約の298ページです。
パウロが宣べ伝えてきた福音、それは、神の秘められた計画を啓示するもの、あらわにするものであります。パウロの福音宣教によって、神の計画は今や現され、永遠の神の命令のままに記された預言者たちの書物を通して、信仰による従順に導くために、すべての異邦人に知られるようになったのです。ここで言われていることは、ペトロの手紙一に記されていることでもあります。ペトロの手紙一1章10節から12節までをお読みします。新約の428ページです。
この救いについては、あなたがたに与えられる恵みのことをあらかじめ語った預言者たちも、探求し、注意深く調べました。預言者たちは、自分たちの内におられるキリストの霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光についてあらかじめ証しされた際、それがだれを、あるいは、どの時期を指すのか調べたのです。彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのためであるとの啓示を受けました。それらのことは、天から遣わされた聖霊に導かれて福音をあなたがたに告げ知らせた人たちが、今、あなたがたに告げ知らせており、天使たちも見て確かめたいと願っているものなのです。
このように、預言者たちの書物は、後の時代に生きる、私たちのために書かれた書物であるのです。それは、今朝の御言葉で言えば、私たちをイエス・キリストへの信仰の従順に導くために書かれた書物であるのです。
では、今朝の御言葉に戻ります。新約の298ページです。
「信仰による従順に導くために」。この言葉も、パウロは冒頭の挨拶で用いておりました。1章5節にこう記されておりました。「私たちはこの方(主イエス・キリスト)により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました」。私たちがパウロの福音を学んできたのは、永遠の神の言葉に従って、イエス・キリストへの信仰の従順に導かれるためであったのです。パウロは、いつも、神の言葉である聖書に基づいて、論証をしてきました。3章21節に、「ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です」とありますように、パウロは、律法と預言者によって立証されていたイエス・キリストの義を宣べ伝えたのです。私たちは、パウロが宣べ伝えた福音に従って、旧約聖書を読み、イエス・キリストへの信仰の従順へと導かれて来たのです。そのようにして、福音に堅く立つ者としていただいたのです。
パウロは、私たちを強めることができる方を「知恵ある唯一の神」と記します。神様の知恵について、パウロは、コリントの信徒への手紙一で次のように記しておりました。コリントの信徒への手紙1章21節から25節までをお読みします。新約の300ページです。
世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
神の知恵の最たるものは、十字架につけられたナザレのイエスが、キリスト(救い主)であるということです。それは、世の知恵からすれば愚かなことです。自分を救えないものが、他人を救うことなどできないからです。しかし、神に召された者、聖霊を与えられた者にとっては、十字架につけられたイエス・キリストこそ、神の知恵であるのです。十字架の死から復活されたイエス・キリストの聖霊を与えられて人は初めて、キリストの十字架の死が自分の罪のためであり、そこにおいてこそ、神の救いの御業が成し遂げられたことを知ることができるのです。
では、今朝の御言葉に戻ります。新約の298ページです。
イエス様は、聖書を御自分について証しをする書物であると言われました(ヨハネ5:39参照)。旧約聖書は、「救い主がお生まれになるぞ」と預言する書物であり、新約聖書は、「救い主が来たぞ、それはイエス様だぞ」と証しする書物であります。そして、そのことを公に告知するのが、礼拝における説教であるのです。神様は、今も、聖書の御言葉と、その説き明かしである説教を用いて、聞く者に聖霊を与え、イエス・キリストを信じる者を起こしてくださいます。また、イエス・キリストを信じる者たちを堅く立つ者としてくださり、喜んで従う者としてくださるのです。そのような知恵ある唯一の神を、私たちもパウロと一緒にほめたたえたいと願います。私たちを強めることができる方、知恵ある唯一の神に、イエス・キリストを通して、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。