互いに挨拶を交わしなさい 2017年11月05日(日曜 朝の礼拝)

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互いに挨拶を交わしなさい

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ローマの信徒への手紙 16章1節~16節

聖句のアイコン聖書の言葉

16:1 ケンクレアイの教会の奉仕者でもある、わたしたちの姉妹フェベを紹介します。
16:2 どうか、聖なる者たちにふさわしく、また、主に結ばれている者らしく彼女を迎え入れ、あなたがたの助けを必要とするなら、どんなことでも助けてあげてください。彼女は多くの人々の援助者、特にわたしの援助者です。
16:3 キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。
16:4 命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたしだけでなく、異邦人のすべての教会が感謝しています。
16:5 また、彼らの家に集まる教会の人々にもよろしく伝えてください。わたしの愛するエパイネトによろしく。彼はアジア州でキリストに献げられた初穂です。
16:6 あなたがたのために非常に苦労したマリアによろしく。
16:7 わたしの同胞で、一緒に捕らわれの身となったことのある、アンドロニコとユニアスによろしく。この二人は使徒たちの中で目立っており、わたしより前にキリストを信じる者になりました。
16:8 主に結ばれている愛するアンプリアトによろしく。
16:9 わたしたちの協力者としてキリストに仕えているウルバノ、および、わたしの愛するスタキスによろしく。
16:10 真のキリスト信者アペレによろしく。アリストブロ家の人々によろしく。
16:11 わたしの同胞ヘロディオンによろしく。ナルキソ家の中で主を信じている人々によろしく。
16:12 主のために苦労して働いているトリファイナとトリフォサによろしく。主のために非常に苦労した愛するペルシスによろしく。
16:13 主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです。
16:14 アシンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス、および彼らと一緒にいる兄弟たちによろしく。
16:15 フィロロゴとユリアに、ネレウスとその姉妹、またオリンパ、そして彼らと一緒にいる聖なる者たち一同によろしく。
16:16 あなたがたも、聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。キリストのすべての教会があなたがたによろしくと言っています。ローマの信徒への手紙 16章1節~16節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝の御言葉は、大きく二つに分けることができます。1節、2節には「ケンクレアイ教会の奉仕者フェベの紹介」が記されています。3節から16節には、ローマにいるパウロの友人たちへの挨拶の言葉が記されています。なぜ、パウロは、たくさんの人(26名)の名前を挙げて、挨拶の言葉を記したのでしょうか?その消極的な理由は、パウロがローマに行ったことがなかったからです(1:13、15:22参照)。もし、ローマの教会がパウロによって建てられた教会であれば、このような個人的な挨拶は記さなかったと思います。なぜなら、名前が記されていない信徒ががっかりするかも知れないからです。しかし、パウロはローマに行ったことがなかったので、そのような心配は無かったわけです。パウロは、自分が知っているだけの、ローマの教会の人々について記しているのだと思います。ローマの教会といいましても、今のように、十字架を高くかかげた建物があるわけではありません。当時は、家に集まって礼拝をささげていたのです。ですから、ローマには、いくつもの家の教会があったと思います。ここに名前が記されている人が、一緒に礼拝をささげていたわけでは必ずしもないのです。それで、パウロは、「だれだれさんに、よろしく伝えてください」と書き記しているわけです。

 また、パウロが個人的な挨拶を記した積極的な理由は、この人たちによって、パウロがどのような人物であるかを証ししてもらうためであります。前回も学びましたように、パウロは、ローマを基地(拠点)として、イスパニアで宣教したいと願っておりました。パウロは、ローマの教会に、キリストの祝福をあふれるほど持つ使徒として、受け入れてもらいたいわけです。そのために、この手紙を書いたと言ってもよいほどであります。そのパウロが、手紙の最後で、ローマにいる主にある兄弟姉妹の名前をあげて、個人的に親しい挨拶を書き送ったのです。それは、ローマにいる主にある兄弟姉妹の証しを通して、ローマの教会に自分を異邦人の使徒として受け入れてもらうためであったのです。このようなことを念頭においていただいて、今朝の御言葉の恵みにあずかりたいと願います。

 1節、2節をお読みします。

 ケンクレアイの教会の奉仕者でもある、わたしたちの姉妹フェベを紹介します。どうか、聖なる者たちにふさわしく、また、主に結ばれている者らしく彼女を迎え入れ、あなたがたの助けを必要とするなら、どんなことでも助けてあげてください。彼女は多くの人々の援助者、特にわたしの援助者です。

 パウロは、この手紙をコリントで記したと考えられています(使徒20:1~3参照)。ケンクレアイは、コリントの東11キロメートルに位置する港町でありました。ここで「奉仕者」と訳されている言葉(ディアコノス)は、「執事」とも訳される言葉であります(口語訳、新改訳参照)。パウロがローマの信徒たちに紹介している姉妹フェベは、ケンクレアイ教会の女性執事であったのです。パウロは、ローマの信徒たちに、「聖なる者たちにふさわしく、また、主に結ばれている者らしく彼女を迎え入れ、あなたがたの助けを必要とするなら、どんなことでも助けてあげてください」と記しておりますが、これは、フェベによって、この手紙、ローマの信徒への手紙が届けられたからであると考えられております。パウロは、ローマの信徒への手紙を、ケンクレアイの女性執事であるフェベに託したのです。私たちは、ここから、当時の教会において、女性が重要な働きを担っていたことが分かります。当時は、郵便の制度が普及しておらず、また、宿泊施設もそれほどありませんでした。宿屋は誘惑に満ちたいかがわしい場所であったのです。ですから、パウロは、ローマの信徒たちに、フェベを主にある姉妹としてふさわしく受け入れ、助けてあげてくださいと記すのです。また、彼女はそのような待遇を受けるのにふさわしい者でもあります。なぜなら、フェベ自身が、多くの人々を助けてきたからであります。パウロはそのことを身をもって知っていたのです。

 3節から5節までをお読みします。

 キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている。プリスカとアキラによろしく。命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたしだけではなく、異邦人のすべての教会が感謝しています。また、彼らの家に集まる教会の人々にもよろしく伝えてください。わたしの愛するエパイネトによろしく。彼はアジア州でキリストに献げられた初穂です。

 プリスカとアキラ。この二人はユダヤ人の夫婦であります。ちなみに、プリスカが妻、アキラが夫であります。この手紙は紀元56年頃に記されたと言われていますが、このとき、プリスカとアキラはローマにいたようです。パウロとこの夫婦の出会いについては、使徒言行録の18章に記されています。信徒言行録の18章1節から3節にこう記されています。「その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった」。ここに、プリスカとアキラが、もともとはローマに住んでいたことが記されています。彼らはクラウディウス帝のユダヤ人退去命令によって、コリントに逃れていたのです。この二人は、パウロがコリントを去ったときも同行しております(使徒18:18参照)。そして、エフェソにとどまり、雄弁家アポロに、もっと正確に神の道を説明したのです(使徒18:26参照)。また、アポロがコリントに渡る際には、彼を歓迎してくれるよう手紙を書いております(使徒18:27参照)。パウロは、プリスカとアキラと、夫よりも妻の名前を先に記しております。このことから、妻プリスカの方が夫アキラよりも熱心であったのではないかと推測されています。ここからも、私たちは、当時の教会において、女性が活躍していたことが分かります。ローマからユダヤ人を追放したクラウディウス帝は紀元54年に亡くなりました。それによって、ユダヤ人追放令は無効となり、プリスカとアキラは、エフェソからローマへと戻っていたのです。

 パウロは、プリスカとアキラが「命がけでわたしの命を守ってくれた」と記しております。これがいつのことであるのかは分かりません。ある人は、使徒言行録19章に記されているエフェソでの騒動のときではないかと推測しています。いずれにしましても、プリスカとアキラは、自分の命を犠牲にする覚悟で、パウロの命を守ってくれたのです。このように、パウロは、ただ名前を挙げるだけではなくて、自分が知っているエピソードを合わせて記すのです。それも、その人にとって誉れとなることを記すのです。このパウロの言葉を読めば、プリスカとアキラを知らないローマの信徒たちも、この二人がすばらしい信仰者であるかがよく分かります。二人は、「異邦人のすべての教会が感謝している」ほど、善い働きをしました。そして、ローマでも、自分の家を開放して、教会としていたのであります。おそらく、パウロは、プリスカとアキラを窓口として、ローマの教会の状況を、また、ローマにいるパウロの友人について聞いていたのだと思います。それゆえ、パウロは、ローマにいる自分の知り合いの名前を書き記すことができたのです。

 パウロは、エパイネトについて、「彼はアジア州でキリストに献げられた初穂です」と記しております。これは、「パウロのエフェソ宣教によって、最初にイエス・キリストを信じた人」という意味であります。パウロは、自分が東地中海世界を福音で満たしたと記しましたが、その最初の実りと言える人物が、ローマの教会にいたのです。

 6節から15節までをお読みします。

 あなたがたのために非常に苦労したマリアによろしく。わたしの同胞で、一緒に捕らわれの身となったことのある、アンドロニコとユニアスによろしく。この二人は使徒たちの中で目立っており、わたしより前にキリストを信じる者になりました。主に結ばれている愛するアンプリアトによろしく。わたしたちの協力者としてキリストに仕えているウルバノ、および、わたしの愛するスタキスによろしく。真のキリスト信者アペレによろしく。アリストブロス家の人々によろしく。わたしの同胞ヘロディオンによろしく。ナルキソ家の中で主を信じている人々によろしく。主のために苦労して働いているトリファイナとトリフォサによろしく。主のために非常に労苦した愛するペルシスによろしく。主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです。アシンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス、および彼らと一緒にいる兄弟たちによろしく。フィロロゴとユリアに、ネレウスとその姉妹、またオリンパ、そして彼らと一緒にいる聖なる者たち一同によろしく。

 6節に、「あなたがたのために非常に苦労したマリアによろしく」とあります。マリアは、その名前から判断するとユダヤ人の女性です。なぜ、パウロは、マリアが、ローマの信徒たちのために非常に労苦したことを知っていたのでしょうか?これは、一つの推測ですが、マリアも、プリスカとアキラと一緒に、コリントに逃れていたのではないでしょうか?ローマの教会がどのようにできたのかは分かりませんが、パウロより前にキリストを信じた、アンドロニコとユニアスのような人物によって、福音が宣べ伝えられたのでしょう。いずれにしても、ローマで福音を最初に宣べ伝えたのはユダヤ人であります。そのユダヤ人であるマリアがローマの信徒たちのために非常に労苦したのです。ローマの教会は、クラウディウス帝のユダヤ人追放令によって、一時期、異邦人だけの教会となりました。クラウディウス帝が死んで、勅令が無効となり、ユダヤ人が教会に戻ってみると、異邦人はそれなりにうまくやっていたわけです。その異邦人キリストたちが、おそらく知らなかったであろう、マリアの苦労について、パウロは記すのです。私たち羽生栄光教会で言えば、この教会を始められた人たちの苦労を記すわけですね。この教会を始められた人たちの苦労は、私たちのためでもありました。そのことを、私たちも想い起こして、感謝しなければいけないと思います。この人たちの苦労があるから、今、私たちは、こうして礼拝をささげることができるのです(『羽生栄光教会10年史』参照)。

 ここで、パウロが記している名前について、ざっと見ていきますと、「アンドロニコとユニアス」はヘレニストのユダヤ人であるようです。彼らは、広い意味での使徒であり、パウロより前にイエス・キリストを信じた者たちでありました。「ユニアス」は「ユニア」女性とも解釈することができます。そうしますと、使徒たちの中に女性がいたことになります。「アンプリアト」はローマ名、奴隷によくあった名前であると言われています。「ウルバノ」はローマ名、「スタキス」はギリシャ名、「アリストブロス」はヘロデ大王の孫、「へロディア」はヘロデ家の親族、「ナルキソ」はクラウディウス帝の時代に奴隷から成り上がった悪名高い人物と考えられています。ただし、ここで「ナルキソ」その人がキリスト者であるとは記されていません。ナルキソの家のものに、主を信じる奴隷たちがいたようです。トリファイナとトリフォサは双子の姉妹、ペルシスはペルシャの婦人で奴隷であったと言われています。ルフォスは、イエス様の十字架を無理に担がされた、キレネ人シモンの息子であるかも知れません(マルコ15:21参照)。ルフォスの母を、パウロは、「わたしの母でもある」と記していますから、親しい交わりがあったようです。「アシンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス」はいずれも、その名前から奴隷であると考えられています。また、「フィロロゴ、ユリア、ネレウス、オリンパ」もその名前から奴隷であると考えられています。このように、パウロがあげている名前を見ていきますと、ローマの教会がどのような教会であったのかが分かります。ローマの教会は、男と女からなる、ユダヤ人と異邦人からなる、奴隷と自由な身分の者からなる教会であったのです。パウロは、ガラテヤの信徒への手紙で、教会の交わりについて次のように記しています。「そこでは、もはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」。この御言葉のとおり、ローマの教会では、ユダヤ人と異邦人が、自由な身分の者と奴隷が、男と女が一つのなって、礼拝をささげていたのです。

 16節をお読みします。

 あなたがたも聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。キリストのすべての教会があなたがたによろしくと言っています。

 当時、ユダヤ人は親しい挨拶として、口づけをしました。軽く抱き合って、ほっぺのあたりにチュチュとするわけです。このような習慣は、私たち日本人には馴染まないかもしれません。しかし、主にある者として、互いに挨拶を交わし合うことは大切なことであります。礼拝を共に献げた後で、挨拶を交わし合う。それは、私たちにとって、お互いが主の祝福の中にいることを確かめ合う行為であるのです。パウロは、最後に、「キリストのすべての教会があなたがたによろしくと言っています」と記します。これは、異邦人の使徒であるパウロ、東地中海世界に多くの教会を建てたパウロならでは言葉であると思います。パウロは、すべての異邦人教会を代表する者として、この手紙を記し、そして、挨拶の言葉を述べるのです。ローマの信徒への手紙を、私たちに宛てて記された手紙として読むことは、すべての教会からの挨拶を、私たちへの挨拶として受けることでもあるのです。パウロが宣べ伝えたイエス・キリストの福音を信じる私たちは、同じ信仰を持つすべての教会と、主にあって挨拶を交わすことができるのです。

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