パウロの祈りをきかれる神 2017年10月29日(日曜 朝の礼拝)

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パウロの祈りをきかれる神

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ローマの信徒への手紙 15章22節~33節

聖句のアイコン聖書の言葉

15:22 こういうわけで、あなたがたのところに何度も行こうと思いながら、妨げられてきました。
15:23 しかし今は、もうこの地方に働く場所がなく、その上、何年も前からあなたがたのところに行きたいと切望していたので、
15:24 イスパニアに行くとき、訪ねたいと思います。途中であなたがたに会い、まず、しばらくの間でも、あなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアへ向けて送り出してもらいたいのです。
15:25 しかし今は、聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます。
15:26 マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです。
15:27 彼らは喜んで同意しましたが、実はそうする義務もあるのです。異邦人はその人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります。
15:28 それで、わたしはこのことを済ませてから、つまり、募金の成果を確実に手渡した後、あなたがたのところを経てイスパニアに行きます。
15:29 そのときには、キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところに行くことになると思っています。
15:30 兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストによって、また、“霊”が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください、
15:31 わたしがユダヤにいる不信の者たちから守られ、エルサレムに対するわたしの奉仕が聖なる者たちに歓迎されるように、
15:32 こうして、神の御心によって喜びのうちにそちらへ行き、あなたがたのもとで憩うことができるように。
15:33 平和の源である神があなたがた一同と共におられるように、アーメン。ローマの信徒への手紙 15章22節~33節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、ローマの信徒への手紙15章22節から33節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願っております。

 22節から24節までをお読みします。

 こういうわけで、あなたがたのところに何度も行こうと思いながら、妨げられてきました。しかし今は、もうこの地方に働く場所がなく、その上、何年も前からあなたがたのところに行きたいと切望していたので、イスパニアに行くとき、訪ねたいと思います。途中であなたがたに会い、まず、しばらくの間でも、あなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアに向けて送り出してもらいたいのです。

 パウロは、ローマに何度も行こうとしたことを、1章13節に、こう記しておりました。「兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです」。パウロはその思いを今朝の御言葉でも記しております。ただ、今朝の御言葉では、「こういうわけで」とありますように、その理由が記されています。なぜ、パウロは、ローマに何度も行こうと思いながら、行くことができなかったのか?それは、東地中海世界に、キリストの福音をあまねく宣べ伝えるためであったのです。しかし、今は、東地中海世界に、働く場所がなくなった。パウロは、東地中海世界のおもだった町に、福音を宣べ伝え、教会を建てたのです。パウロという人は、自分の働きが何であるかをよく弁えていた人でありますね。パウロは、異邦人の使徒として、キリストの名がまだ知られていない所で福音を告げ知らせることを、自分の伝道方針としてきました。パウロは、大きな都市に、教会を建てれば、その教会を中心にして、福音が広がって行くと考えていたわけです。パウロは、マケドニア州のフィリピとテサロニケに教会を建てました。また、アカイア州のコリントに教会を建てました。アジア州では、エフェソで宣教しました。それで、パウロは、マケドニア州にも、アカイア州にも、アジア州にも福音を満たしたと考えているわけです。パウロがこのように考えたのは、福音の持つ生命力を信じていたからだと思います。福音は命の言葉でありますから、それ自体に成長する力を持っているのです(マタイ13:31~33参照)。パウロの見るところ、東地中海世界には、働く場所がない。それゆえ、何年も前から切望していた、ローマを訪ねることができるわけです。しかし、パウロは、ここで、「イスパニアに行くとき、訪ねたい」と記しています。イスパニアとは、現在のスペインのことです。当時の世界、地中海世界で言えば、イスパニアは地の果てであります。東地中海世界を福音で満たしたパウロは、西地中海世界をも福音で満たそうと考えていたのです。パウロにとって、ローマは最終目的地ではありません。パウロにとっての最終目的地は、キリストの名がまだ知られていないイスパニアであったのです。しかし、パウロにとって、ローマは、単なる通過点ではありません。パウロは、1章11節、12節で、こう記しておりました。「あなたがたにぜひ会いたいのは、霊の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いにもっている信仰によって、励まし合いたいのです」。異邦人の使徒であるパウロにとって、ローマ帝国の首都ローマで福音を宣べ伝えることは、大きな意味を持っていたと思います。パウロは、「しばらくの間でも、あなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアへ向けて送り出してもらいたい」と記しております。これは、ただ、「いってらっしゃい」と言って送り出してもらうということではなくて、パウロの宣教を支える拠点(基地)となってほしいということであります。使徒言行録を見ますと、パウロが、宣教旅行をしたことが記されています。その際、パウロを送り出したのは、アンティオキアの教会でありました(使徒13:1~3参照)。パウロは、アンティオキア教会から物質的な援助と祈りの援助を受けて、宣教に励んだのです。ですから、パウロは、宣教旅行の終わりには、アンティオキアに帰って、報告をしているわけです。東地中海世界において、アンティオキア教会が宣教の基地となったように、西地中海世界においては、ローマ教会が宣教の基地となってほしいとパウロは記しているのです。

 25節から27節までをお読みします。

 しかし今は、聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます。マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです。彼らは喜んで同意しましたが、実はそうする義務もあるのです。異邦人はその人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります。

 パウロは、異邦人教会からの募金を届けるために、エルサレムに行かなくてはなりませんでした。エルサレムの聖なる者たちへの募金は、パウロとエルサレム教会のおもだった人たちの間で、取り決めていたことであります。ガラテヤ書の2章に、パウロとバルナバがエルサレムに上ったことが記されています。そこにおいて、異邦人は救われるために割礼を受ける必要はないことが確認されました。エルサレムのおもだった人たち(ヤコブとケファとヨハネ)は、パウロたちにどんな義務も負わせなかったのです。ただ、彼らは、パウロたちが貧しい人たちのことを忘れないように求めたのです。その取り決めを果たすために、パウロは異邦人教会から募金を集め、その代表者たちと共に、エルサレムへ届けようとしていたのです。これは、パウロにとって、東地中海世界での異邦人宣教の総仕上げという意味をもっておりました。パウロは、異邦人教会からの献金をエルサレム教会に受け入れてもらうことによって、エルサレム教会が異邦人教会を受け入れたことを、目に見えるかたちで確かなものにしたかったのです。パウロにとって、エルサレム教会と繋がっていることは、決定的に大切なことでありました。なぜなら、エルサレム教会は、イエス・キリストの十字架の死と復活という歴史的事実に直接繋がっているからです。それゆえ、パウロは、今はエルサレムにどうしても行かねばならなかったのです。

 パウロは、マケドニア州の教会(フィリピ、テサロニケ)とアカイア州の教会(コリント)が、エルサレムの聖なる者たちを援助することに、喜んで同意したこと。実はそのことは彼らの義務であることを記します。異邦人はエルサレムの聖徒たちから霊的な祝福にあずかったのだから、物質的な祝福でお返しする義務があると言うのです。ここで、「霊的なものにあずかる」の「あずかる」は、元の言葉では「コイノーニア」「共有する」という言葉であります。そして、「貧しい人々を援助する」の「援助する」と訳されている言葉も、「コイノーニア」「共有する」という言葉であるのです。異邦人の教会は、エルサレム教会から霊的な祝福を共有させていただいた。それゆえ、異邦人の教会はエルサレム教会の物質的な貧しさを共有すべきである。すなわち、物質的な祝福をお返しすべきであるとパウロは記しているのです。私は、先程、パウロは、アンティオキア教会から送り出されて、宣教旅行に出発したと申しました。けれども、アンティオキア教会も、元をたどれば、エルサレム教会へと至るわけです。アンティオキアで福音を宣べ伝えたのは、ステファノの事件をきっかけに起こった迫害のために散らされたエルサレムの信徒たちであったのです(使徒11:19参照)。霊的なものを受けた者は、肉的なもので援助する。この原則をパウロは、コリントの教会で、牧師と信徒の関係に当てはめています(一コリント9:11,12参照)。牧師の第一の働きは、御言葉の説教であります。信徒はそれを聴いて霊的なものを受けるわけです。そのような者として、牧師の生活を献金をもって支えているわけです(ガラテヤ5:6参照)。

 28節、29節をお読みします。

 それで、わたしはこのことを済ませてから、つまり、募金の成果を確実に手渡した後、あなたがたのところを経てイスパニアに行きます。そのときには、キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところに行くことになると思っています。

 ここには、パウロのこれからの見通しが記されています。パウロは、「そのときには、キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところに行くことになる」と知っていると言うのです。イエス・キリストの使徒がおとずれるとは、そういうことだと思いますね。パウロその人が、キリストの祝福にあふれる主の器であるのです。このようなパウロの言葉を読みますと、すべては順調であるように思えます。しかし、パウロには、いくつかの心配事がありました。それゆえ、パウロは、30節から33節でこう記すのです。

 兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストによって、また、霊が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください、わたしがユダヤにいる不信の者たちから守られ、エルサレムに対するわたしの奉仕が聖なる者たちに歓迎されるように、こうして、神の御心によって喜びのうちにそちらへ行き、あなたがたのもとで憩うことができるように。平和の源である神が、あなたがた一同と共におられるように、アーメン。

 パウロは、ローマの教会の多くの人々と会ったことがありません。しかし、主イエス・キリストを信じる兄弟姉妹として、また、聖霊の愛に訴えて、自分のために、一緒に熱心に祈ってほしいと願うのです。「祈りにおいて、共に戦ってほしい」(スン・アゴニゾマイ)とパウロは記しているのです。この願いからも、パウロがどれほど危険な状態にあったかを知ることができます。実際、使徒言行録を読むと、パウロはエルサレムへ行かないようにと、何度も他の信徒たちから説得されるのです。パウロは、ユダヤ人からすれば、疫病のような人間であり、ユダヤ人の間で騒動を引き起こす、「ナザレ人の分派」の主謀者であります(使徒24:5参照)。そのようなパウロがエルサレムに行けば、どうなるか?実際、パウロは神殿を汚した者として、殺されそうになるわけです。また、エルサレムの教会は、そのような状況において、ユダヤ人たちを刺激したくないわけです。異邦人からの献金を受け取ったことが分かれば、周りのユダヤ人から何を言われるか分からない。もしかしたら、エルサレムの教会は、異邦人教会からの献金を受け取ってくれないのではないか、そのような不安がパウロにはあったのです。それは、パウロにとって、異邦人教会がエルサレム教会からの承認を得られなかったことを意味していたわけです。それは絶対に避けたいとパウロは考えていたのであります。ですから、パウロは、ローマの信徒たちに、「わたしと共に熱心に祈ってほしい」と願ったのです。エルサレム教会に異邦人教会からの献金が歓迎され、神様の御心によって喜びのうちにローマへ行き、あなたがたと共に憩うことができるように、祈ってほしいと願ったのです。

 私たちは、使徒言行録を読むことによって、パウロがユダヤにいる不信の者たちによって殺されそうになったこと。しかし、ローマの軍隊によって、守られたことを知っております。また、エルサレム教会のヤコブと長老たちが、パウロの奉仕を通して神様が異邦人の間で行われたことを聞いて、神様を賛美したことを知っております。ですから、パウロが、ここで祈っていることは、神様にきかれたということができると思います。しかし、パウロがどのようにローマに行ったかを考えれば、それは、パウロが願っていたものとは、かけ離れておりました。パウロは、カイサリアでの2年におよぶ監禁生活を経て、ローマ皇帝に上訴する未決囚として、ローマに護送されることになるのです。そして、それが「神様の御心」であったのです。神様は、パウロの祈りをきいてくださった。しかし、それは、パウロの思い通りに事が運んだということではありません。このことを、私たちは、パウロの生涯を通して教えられるわけです。パウロは、自分が思ってもみなかった仕方で、すなわち、ローマ皇帝に上訴する未決囚として、ローマに行くことになりました。しかし、そのときも、パウロは喜びのうちに、ローマを訪れることができたのです。使徒言行録の28章を見ますと、パウロたちがイタリア半島に到着したことを聞いて、ローマから兄弟たちがアピイフォルム(ローマの南東70㎞)とトレス・タベルネ(ローマの南東48㎞)まで迎えに来てくれたこと。パウロは彼らを見て、神様に感謝し、勇気づけられたことが記されています。もしかしたら、この兄弟たちは、ローマの信徒への手紙を読んだ兄弟であったかも知れません。彼らは、パウロの願いを聞いて、パウロのために一緒に熱心に祈っていた。それゆえ、彼らは、パウロたちがイタリア半島に到着したと聞いて、アピィフォルムとトレス・タベルネまで迎えに行ったのです。

 パウロは、自分に対する神様の御心を祈り続けたと思います。また、ローマの信徒たちも、パウロのために祈り続けたと思います。それができたのは、神様が平和の源である御方であるからです。私たちと共におられる神様は、平和の神である。神様が私たちに与えてくださる平和、それはイエス・キリストの十字架の贖いを基とする神様との平和であります。それゆえ、私たちは自分の思い通りにならなくても、熱心に祈り続けることができるのです。自分に対する神様の御心を求めて、また、兄弟姉妹に対する神様の御心を求めて、共に熱心に祈ることができるのです。

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