救い主である唯一の神 2020年4月26日(日曜 朝の礼拝)

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救い主である唯一の神

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ユダの手紙 1章17節~25節

聖句のアイコン聖書の言葉

1:17 愛する人たち、わたしたちの主イエス・キリストの使徒たちが前もって語った言葉を思い出しなさい。
1:18 彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、あざける者どもが現れ、不信心な欲望のままにふるまう。」
1:19 この者たちは、分裂を引き起こし、この世の命のままに生き、霊を持たない者です。
1:20 しかし、愛する人たち、あなたがたは最も聖なる信仰をよりどころとして生活しなさい。聖霊の導きの下に祈りなさい。
1:21 神の愛によって自分を守り、永遠の命へ導いてくださる、わたしたちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい。
1:22 疑いを抱いている人たちを憐れみなさい。
1:23 ほかの人たちを火の中から引き出して助けなさい。また、ほかの人たちを用心しながら憐れみなさい。肉によって汚れてしまった彼らの下着さえも忌み嫌いなさい。
1:24 あなたがたを罪に陥らないように守り、また、喜びにあふれて非のうちどころのない者として、栄光に輝く御前に立たせることができる方、
1:25 わたしたちの救い主である唯一の神に、わたしたちの主イエス・キリストを通して、栄光、威厳、力、権威が永遠の昔から、今も、永遠にいつまでもありますように、アーメン。
ユダの手紙 1章17節~25節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『ユダの手紙』の17節から25節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願っております。

1.霊を持たない者

 17節から19節までをお読みします。

 愛する人たち、わたしたちの主イエス・キリストの使徒たちが前もって語った言葉を思い出しなさい。彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、あざける者どもが現れ、不信心な欲望のままにふるまう。」この者たちは、分裂を引き起こし、この世の命のままに生き、霊を持たない者たちです。

 これまでユダは、旧約聖書と旧約外典を思い出させて、偽教師たちについて記してきました。ここでは、主イエス・キリストの使徒たちの言葉を思い出させて、偽教師たちについて記しています。主イエス・キリストの使徒たちは、「終わりの時には、あざける者どもが現れ、不信心な欲望のままにふるまう」と前もって語っていました。(二テサロニケ2:3「だれがどのような手段を用いても、だまされてはいけません。なぜなら、まず、神に対する反逆が起こり、不法の者、つまり、滅びの子が出現しなければならないからです」、一ヨハネ2:18「子供たちよ、終わりの時が来ています。反キリストが来ると、あなたがたはかねて聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。これによって、終わりの時が来ていると分かります」参照)。また、主イエス・キリスト御自身も、世の終わりについて教えられたとき、「偽メシアや偽預言者が現れて、しるしや不思議な業を行い、できれば選ばれた人たちを惑わそうとするからである」と前もって言われました(マルコ13:22)。教会を惑わせている偽教師たちは、主イエスとその使徒たちが前もって語っていた、終わりの時に現れる神をあざけり、欲望のままに振る舞う者たちであるのです。主イエス・キリストの使徒たちが前もって語っていたことが、偽教師たちの出現によって現実のものとなっているのです。ユダは、偽教師たちについて、「この者たちは、分裂を引き起こし、この世の命のままに生き、霊を持たない者です」と記します。「この世の命のままに生き」と訳されている言葉(プキコイ)を、『新改訳2017』は「生まれつきのままの人」と翻訳しています。偽教師たちは、自分たちは「霊の人である」と主張して、教会に分裂を引き起こしていたようです。しかし、ユダは、教会に分裂を引き起こす彼らは、聖霊を持っていない、生まれつきのままの人であるのです。

2.聖なる信仰をよりどころとして

 20節から23節までをお読みします。

 しかし、愛する人たち、あなたがたは最も聖なる信仰をよりどころとして生活しなさい。聖霊の導きの下に祈りなさい。神の愛によって自分を守り、永遠の命へ導いてくださる、わたしたちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい。疑いを抱いている人たちを憐れみなさい。ほかの人たちを火の中から引き出して助けなさい。また、ほかの人たちを用心しながら憐れみなさい。肉によって汚れてしまった彼らの下着さえも忌み嫌いなさい。

 ユダは、この手紙を「ひとたび伝えられた信仰のために戦うことを勧めるため」に記しました(3節参照)。ここには、その勧めの言葉が記されています。「あなたがたは最も聖なる信仰をよりどころとして生活しなさい」とありますが、もとの言葉を見ますと、「自分自身を建て上げる」という言葉が含まれています。『新改訳2017』は、「あなたがたは自分たちの最も聖なる信仰の上に、自分自身を築き上げなさい」と翻訳しています。「最も聖なる信仰」とは、3節にあるように、「聖なる者たちにひとたび伝えられた信仰」のことです。私たちは、先程、ご一緒に「使徒信条」を告白しました。そのような最も聖なる信仰の上に、私たち自分自身をキリスト者として築き上げて行くことが求められているのです。私たち日本キリスト改革派教会は、「使徒信条」に留まらず、信仰規準として、『ウェストミンスター信仰基準』を採用しています。それは、私たちが聖なる信仰の上に、自分自身をキリストの教会として築き上げて行くためであるのです。

 続けて、ユダは、「聖霊の導きの下に祈りなさい。神の愛によって自分を守り、永遠の命へ導いてくださる、わたしたちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい」と記します。ここには、「聖霊」と「神」と「主イエス・キリスト」の三位一体の神が記されています。ユダは、1節で、この手紙の読者たちを、「父である神に愛され、イエス・キリストに守られている召された人たち」と記しました。そのような者たちとして、私たちにも、聖霊によって祈り、神の愛によって自分を守り、永遠の命へ導いてくださる主イエス・キリストの待ち望むことが命じられているのです。

 22節と23節には、偽教師たちによって惑わされている人たちに、どのような態度を取るべきかが記されています。私たちは、主イエス・キリストの憐れみを待ち望む者として、疑いを抱いている人たちを憐れむべきであるのです。また、ほかの人たちを裁きの火から引き出して助けるべきであるのです。さらには、ほかの人たちを用心しながら憐れむべきであるのです。用心するとは、「肉によって汚れてしまった彼らの下着さえも忌み嫌い」ながらということです。惑わされている人を憐れむことは、彼らの罪を受け入れるということではないのです。私たちは自分も罪の影響を受けることを用心しながら、惑わされている人を憐れまなければならないのです。

3.救い主である唯一の神

 24節と25節をお読みします。

 あなたがたを罪に陥らせないように守り、また、喜びにあふれて非のうちどころのない者として、栄光に輝く御前に立たせることができる方、わたしたちの救い主である唯一の神に、わたしたちの主イエス・キリストを通して、栄光、威厳、力、権威が永遠の昔から、今も、永遠にいつまでもありますように、アーメン。

 ユダは、この手紙を「賛美の祈り」をもって、閉じています。ユダは神さまをほめたたえるにあたって、神さまがどのような御方であるかを記しています。神さまは、私たちを罪に陥らせないように守り、また、喜びにあふれて非のうちどころのない者として、栄光に輝く御前に立たせることができる御方であるのです。ここで、ユダが言っていることは、救いは神さまの御業であるということですね。私たちは聖なる信仰の上に自分自身を築き上げることが命じられています。しかし、究極的には、私たちを罪に陥らないように守り、喜びにあふれた完全な者として、御前に立たせてくださるのは、神さまであるのです。そして、ここに、私たちが神さまをほめたたえずにはいられない根拠があるのです。

 「わたしたちの救い主である唯一の神に、わたしたちの主イエス・キリストを通して、栄光、威厳、力、権威が永遠の昔から、今も、永遠にいつまでもありますように、アーメン」。この賛美の祈りを、私たち自身の祈りとしたいと願います。旧約聖書の『ネヘミヤ記』に、「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」と記されています(ネヘミヤ8:10)。主イエス・キリストを通して神さまをほめたたえる祈りこそ、私たちがひとたび伝えられた信仰のために戦う力の源であるのです。

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