公に言い表す 2010年1月31日(日曜 朝の礼拝)

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公に言い表す

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ヨハネによる福音書 9章13節~23節

聖句のアイコン聖書の言葉

9:13 人々は、前に盲人であった人をファリサイ派の人々のところへ連れて行った。
9:14 イエスが土をこねてその目を開けられたのは、安息日のことであった。
9:15 そこで、ファリサイ派の人々も、どうして見えるようになったのかと尋ねた。彼は言った。「あの方が、わたしの目にこねた土を塗りました。そして、わたしが洗うと、見えるようになったのです。」
9:16 ファリサイ派の人々の中には、「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」と言う者もいれば、「どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」と言う者もいた。こうして、彼らの間で意見が分かれた。
9:17 そこで、人々は盲人であった人に再び言った。「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか。」彼は「あの方は預言者です」と言った。
9:18 それでも、ユダヤ人たちはこの人について、盲人であったのに目が見えるようになったということを信じなかった。ついに、目が見えるようになった人の両親を呼び出して、
9:19 尋ねた。「この者はあなたたちの息子で、生まれつき目が見えなかったと言うのか。それが、どうして今は目が見えるのか。」
9:20 両親は答えて言った。「これがわたしどもの息子で、生まれつき目が見えなかったことは知っています。
9:21 しかし、どうして今、目が見えるようになったかは、分かりません。だれが目を開けてくれたのかも、わたしどもは分かりません。本人にお聞きください。もう大人ですから、自分のことは自分で話すでしょう。」
9:22 両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れていたからである。ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。
9:23 両親が、「もう大人ですから、本人にお聞きください」と言ったのは、そのためである。ヨハネによる福音書 9章13節~23節

原稿のアイコンメッセージ

はじめに.

 今朝はヨハネによる福音書の第9章13節から23節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願っております。

1.ファリサイ派の人々と前に盲人であった人

 13節から17節までをお読みいたします。

 人々は、前に盲人であった人をファリサイ派の人々のところへ連れて行った。イエスが土をこねて目を開けられたのは、安息日のことであった。そこで、ファリサイ派の人々も、どうして見えるようになったのかと尋ねた。彼は言った。「あの方が、わたしの目にこねた土を塗りました。そして、わたしが洗うと、見えるようになったのです。」ファリサイ派の人々の中には、「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」と言う者もいれば、「どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」と言う者もいた。こうして、彼らの間で意見が分かれた。そこで人々は盲人であった人に再び言った。「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか。」彼は「あの方は預言者です」と言った。

 ここでの「人々」とは、8節の「近所の人々や、彼が物乞いであったのを前に見ていた人々」のことであります。その人々が前に盲人であった人をファリサイ派の人々のところへ連れて行きました。ファリサイ派の人々とは律法を守ることにひときわ熱心な指導的立場にあった者たちのことであります。おそらく人々は、生まれつきの盲人の目がイエスさまによって開かれたことを、どのように理解すればよいのかを問うために、前に盲人であった人をファリサイ派の人々のところへ連れて行ったのだと思います。14節に、「イエスが土をこねてその目を開けられたのは、安息日のことであった」とありますけども、これは第5章のベトザタの池の病人を癒されたのと同じであります。そして、このことがファリサイ派の人々がイエスさまをどのような人物と判断するかに大きく関わってくるのです。近所の人々や、彼が物乞いであったのを前に見ていた人々が尋ねたように、ファリサイ派の人々も、前に盲人であった人に「どうして見えるようになったのか」と尋ねました。それに対して彼は、「あの方が、わたしの目にこねた土を塗りました。そして、わたしが洗うと、見えるようになったのです」と答えました。11節の彼の答えでは「イエスという方」とありましたが、ここでは「あの方」と言われています。イエスという名前はできませんけども、「あの方」がイエスさまを指していることは明かでありまして、ファリサイ派の人々も、前に盲人であった人を連れてきた人々からそのことを聞いていたはずであります。そして、ここでは本人の口からその経緯を聞いているわけです。前に盲人であった人の言葉を聞いて、ファリサイ派の人々の中には、「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」と言う者がおりました。イエスさまは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の両目にお塗りになったのですが、この「土をこねて泥を作り、塗る」という行為が、壁塗りの仕事にあたるとファリサイ派の人々は考えたのです。律法の中心とも言えます十戒の第四戒には次のように記されておりました。「安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである」。当時の安息日は金曜日の日没から土曜日の日没まででありましたが、その日には「いかなる仕事もしてはならない」と命じられておりました。ファリサイ派の人々は安息日に禁じられている「いかなる仕事」が何であるかを明らかにするために細則を作り、それを口伝律法として重んじていたのです。そして、イエスさまがなされた「土をこねて、塗る」という行為はファリサイ派の人々が作った細則で禁じられていた労働の一つであったのです。それゆえ、ファリサイ派の人々の中には、「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」と言う者がいたのです。しかし他方、ファリサイ派の人々の中には、「どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」と言う者もおりました。こうして民衆の指導的立場にあったファリサイ派の人々の間にも意見の対立が生じたのです。そこで、ファリサイ派の人々は、盲人であった人に、「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか」と尋ねるわけです。すると彼は「あの方は預言者です」と答えたのでありました。イエスという方は、聖書に記されている預言者のような人物であると盲人であった人は答えたのです。旧約聖書には、イザヤとかエレミヤとか沢山の預言者が出てきますけども、おそらく、この時、盲人であった人が思い描いていたのは預言者エリシャではなかったかと思います。といいますのも、列王記下の第5章には、エリシャが重い皮膚病を患っていたナアマン将軍を癒したことが記されていたからです。旧約聖書の列王記下第5章1節から14節までをお読みいたします。

 アラムの王の軍司令官ナアマンは、主君に重んじられ、気に入られていた。主がかつて彼を用いてアラムに勝利を与えられたからである。この人は勇士であったが、重い皮膚病を患っていた。アラム人がかつて部隊を編成して出動したとき、彼らはイスラエルの地から一人の少女を捕虜として連れて来て、ナアマンの妻の召し使いにしていた。少女は女主人に言った。「御主人様がサマリアの預言者のところにおいでになれば、その重い皮膚病をいやしてもらえるでしょうに。」ナアマンが主君のもとに行き、「イスラエルの地から来た娘がこのようなことを言っています」と伝えると、アラムの王は言った。「行くがよい。わたしもイスラエルの王に手紙を送ろう。」こうしてナアマンは銀十キカル、金六千シェケル、着替えの服十着を携えて出かけた。彼はイスラエルの王に手紙を持って行った。そこには、こうしたためられていた。

 「今、この手紙をお届けするとともに、家臣ナアマンを送り、あなたに託します。彼の重い皮膚病をいやしてくださいますように。」イスラエルの王はこの手紙を読むと、衣を裂いて言った。「わたしが人を殺したり生かしたりする神だとでも言うのか。この人は皮膚病の男を送りつけていやせと言う。よく考えてみよ。彼はわたしに言いがかりをつけようとしているのだ。」

 神の人エリシャはイスラエルの王が衣を裂いたことを聞き、王のもとに人を遣わして言った。「なぜあなたは衣を裂いたりしたのですか。その男をわたしのところによこしてください。彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう。」

 ナアマンは数頭の馬と共に戦車に乗ってエリシャの家に来て、その入り口に立った。エリシャは使いの者をやってこう言わせた。「ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります。」ナアマンは怒ってそこを去り、こう言った。「彼が自ら出て来て、わたしの前に立ち、彼の神、主の名を呼び、患部の上で手を動かし、皮膚病をいやしてくれるものと思っていた。イスラエルのどの流れの水よりもダマスコの川アバナやパルパルの方が良いではないか。これらの川で洗って清くなれないというのか。」彼は身を翻して、憤慨しながら去って行った。しかし、彼の家来たちが近づいて来ていさめた。「わが父よ、あの預言者が大変なことをあなたに命じたとしても、あなたはそのとおりになさったにちがいありません。あの預言者は、『身を洗え、そうすれば清くなる』と行っただけではありませんか。」ナアマンは神の人の言葉どおりに下って行って、ヨルダン川に七度身を浸した。彼の体は元に戻り、小さい子どもの体のようになり、清くなった。

 前回わたしは、生まれつき目の見えない人がイエスさまの御言葉どおりにしたのは、イエスさまと弟子たちのやりとりを聞いていたからではないかと申しました。けれども、「あの方は預言者です」という盲人であった人の言葉から考えますと、彼はイエスさまから「シロアムの池に行って洗いなさい」と言われたとき、預言者エリシャがナアマン将軍を癒したお話しを思い起こしていたのかも知れません。それゆえ、エリシャの言葉どおりにナアマンがヨルダン川で七度身を洗ったように、生まれつき目の見えない人も、イエスさまの御言葉どおりにシロアムの池に行って洗うことができたのです。

2.ファリサイ派の人々と目が見えるようになった人の両親

 ヨハネによる福音書に戻ります。

 18節から23節までをお読みいたします。

 それでも、ユダヤ人たちはこの人について、盲人であったのに目が見えるようになったということを信じなかった。ついに、目が見えるようになった人の両親を呼び出して、尋ねた。「この者はあなたたちの息子で、生まれつき目が見えなかったと言うのか。それが、どうして今は目が見えるのか。」両親は答えて言った。「これがわたしどもの息子で、生まれつき目が見えなかったことは知っています。しかし、どうして今、目が見えるようになったのかは、分かりません。だれが目を開けてくれたのかも、わたしどもは分かりません。本人にお聞きください。もう大人ですから、自分のことは自分で話すでしょう。」両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れていたからである。ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。両親が、「もう大人ですから、本人にお聞きください」と言ったのは、そのためである。

 ここでは「ファリサイ派の人々」が「ユダヤ人たち」に変わっております。ファリサイ派の人々の中には、「どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」とイエスさまに好意を抱く者もおりました。けれども、「ユダヤ人たち」と言い換えることによって、イエスさまを信じようとしない指導者たちが全面に出てきているわけです。ユダヤ人たちは、盲人であった人の目が見えるようになったということを信じられず、その両親を呼び出して、こう尋ねたのです。「この者はあなたたちの息子で、生まれつき目が見えなかったと言うのか。それが、どうして今は目がみえるのか」。これは近所の人々や、彼が物乞いであったのを前に見ていた人々が示した反応に通じるものであります。人々は座って物乞いをしていた人が、目が見えるようになって帰ってきたとき、「その人だ」と言う者もいれば、「いや違う。似ているだけだ」と言う者もおりました。しかし、本人が「わたしがそうなのです」と証言しましたので、その人がかつて目が見えず、座って物乞いをしていた人であることが分かったわけです。しかし、ユダヤ人たちはそれがどうしても信じられないので、その人の両親を呼び出して証言を得ようとしたのです。もし両親から「これは生まれつき目が見えなかったわたしどもの息子ではない」との証言を得ることができれば、もうこれ以上このやっかいな問題に関わらなくて済むと彼らは考えたのです。しかし、両親の答えは次のようなものでありました。「これがわたしどもの息子で、生まれつき目が見えなかったことは知っています。しかし、どうして今、目が見えるようになったかは、分かりません。だれが目を開けてくれたのかも、わたしどもは分かりません。本人にお聞きください。もう大人ですから、自分のことは自分で話すでしょう」。ここで両親は、この男が生まれつき目が見えなかった自分たちの息子であることは知っていますと証言いたしました。けれども、その息子がどうして今、目が見えるようになったのかは分かりません。誰が目を開けてくれたのかは分かりません。本人に聞いてくださいと証言することを避けるのです。おそらく両親も、息子の目を開けたのがイエスという男であることは伝え聞いていたと思います。けれども、彼らはイエスさまについて公に言い表すことをせず、「もう大人ですから、本人にお聞きください」と口をつぐむわけです。そして、聖書は、その理由を22節で次のように記すのであります。「両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れていたからである。ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである」。多くの研究者はこの22節はイエスさまが活動されていた紀元30年頃ではなくて、ヨハネによる福音書が執筆された紀元90年頃を背景としていると申しております。そうしますと、今朝の御言葉は、イエスさまの時代の出来事を語っていると同時に、この福音書を執筆したヨハネの時代の出来事が重ね合わされて語られているわけです。12節に「人々が『その人はどこにいるのか』と言うと、彼は『知りません』と言った」とありましたすように、今朝のお話しはイエスさま不在の中で繰り広げられています。それはちょうどヨハネの教会が置かれていた状態でもありました。また現在の私たちの教会が置かれている状態でもあるわけです。22節の「会堂から追放する」と訳されている言葉はヨハネによる福音書にしか出てこない言葉で、ここ以外には第12章42節と第16章2節にだけ記されています。第12章42節には次のように記されています。「とはいえ、議員の中にもイエスを信じる者が多かった。ただ、会堂から追放されるのを恐れ、ファリサイ派の人々をはばかって公に言い表さなかった。彼らは、神からの誉れよりも、人間からの誉れの方を好んだのである」。また第16章2節には次のように記されています。「人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る」。これはイエスさまが弟子たちをつまずかせないために前もって語られた御言葉でありますが、この福音書が執筆されたヨハネの時代にはすでにこのことが現実となっていたのです。イエスは聖書が約束するメシア、救い主であると公に言い表す者は会堂から追放され、命を奪われることさえあったのです。「会堂から追放される」とはユダヤ人社会から除け者にされる、村八分にされるということです。それは宗教的に孤立するだけではなく社会的な死を意味しておりました。ですから、目が見えるようになった人の両親は、「分かりません」「知りません」と答え、「もう大人ですから、本人にお聞きください」と語ることを避けたわけです。両親は自分の息子の目が見えるようになったことを喜んだと思いますけども、しかし内心困ったことになったと思ったのではないでしょうか。そのことは、「イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放する」と指導者たちが既に決めていた社会において、自分の息子がキリスト者となった両親の気持ちを考えるならば分かります。その息子に少しでも同情的なことを言えば、自分たちもイエスをメシアと信じているのではないかと疑われかねない。ですから彼らは、「知らない。知らない。どうぞ、本人に聞いてください」と言ったのです。

むすび.イエスをメシアであると公に言い表す

 この後、盲人であった人がどうしたのかについては次週に学ぶことにして、今朝は最後にローマの信徒への手紙第10章9節、10節をお読みしたいと思います。

 口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。

 ここに2回、「公に言い表す」という言葉が記されています。ヨハネによる福音書は、イエスをメシアであると公に言い表す者は、会堂から追放されるという社会的制裁を受けねばならなかったことを伝えておりました。けれども、ローマの信徒への手紙は、イエスをメシアであると公に言い表すことが救いには必要不可欠であることを教えています。現代に生きる私たちはどうでしょうか。私たちは戦前、戦時中とは 違って、イエスは主であると公に言い表すことによって、社会全体から除け者にされるということはありません。「天皇とキリストとどちらが偉いか」と問われることもなければ、「キリストです」と答えて投獄されることもないのです。けれども、私たちはどうも臆病になってしまっているのではないでしょうか。少数派のいじけ根性のために、私たちはイエスが救い主であることを大胆に語らず、口をつぐんでしまってばかりいるのではないかと反省させられるのです。しかし、繰り返しになりますけども、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表してして救われるのであります。現代の日本において、イエスは救い主であると公に言い表すことに大胆な私たちでありたいと願います。

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