神に愛され、召された者 2016年4月03日(日曜 朝の礼拝)
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神に愛され、召された者
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- 村田寿和 牧師
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ローマの信徒への手紙 1章1節~7節
聖書の言葉
1:1 キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、――
1:2 この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、
1:3 御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、
1:4 聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。
1:5 わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。
1:6 この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。――
1:7 神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。ローマの信徒への手紙 1章1節~7節
メッセージ
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4月は新しい生活が始まる月でありますが、私たちも今朝から、ローマの信徒への手紙を新しく学び始めます。
今朝は最初ですので、この手紙が誰によって、いつ、どこで、誰に宛てて記されたのかをお話したいと思います。1章1節に「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから」とありますように、この手紙は「使徒パウロ」によって記された手紙であります。また、1章7節に、「神に愛され。召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ」とありますから、この手紙の「ローマの教会」に宛てて記された手紙であります。では、パウロはこの手紙をいつ、どこで記したのでしょうか?この手紙がいつ記されたのかについては、15章22節以下に、エルサレムの教会に募金を届けに行くことが記されています。15章25節、26節にこう記されています。「しかし今は、聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます。マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです」。ここから、私たちは、パウロがこの手紙をエルサレムに募金を届ける前に記したことが分かります。また、この手紙がどこで記されたかについては、16章23節にこう記されています。「わたしとこちらの教会全体が世話になっている家の主人ガイオが、よろしくとのことです」。ここから、私たちは、パウロがガイオの家でこの手紙を記したことが分かります。ちなみに、この手紙はパウロが筆を取って記したものではなく、語ったことを書記に書き取らせる口述筆記によって記されたものであります。16章22節にこう記されているからです。「この手紙を筆記したわたしテルティオが、キリストに結ばれた者として、あなたがたに挨拶いたします」。パウロは、ガイオの家で、筆記者であるテルティオによって、この手紙を記したのであります。このガイオについては、コリントに住んでおり、パウロから洗礼を受けたガイオではないかと考えられています。コリントの信徒への手紙一1章14節で、パウロはこう記しておりました。「クリスポとガイオ以外に、あなたがたのだれにも洗礼を授けなかったことを、わたしは神に感謝します」。パウロは、コリントにあるガイオの家でローマの手紙を執筆したと考えられているのです。このことは、ローマの信徒への手紙の16章1節、2節からも支持されます。そこにはこう記されているからです。「ケンクレアイの教会の奉仕者でもある、わたしたちの姉妹フェベを紹介します。どうか、聖なる者たちにふさわしく、また、主に結ばれている者らしく彼女を迎え入れ、あなたがたの助けを必要とするなら、どんなことでも助けてあげてください」。ここかから、この手紙はケンクレアイの教会の奉仕者フェベによってローマの教会に届けられたと考えられております。ケンクレアイは、コリントにある港の地名であります。このように、パウロはこの手紙を、エルサレムに募金を届ける前に、コリントで記したのでありました。パウロの宣教者としての生涯については、使徒言行録に記されておりますが、パウロはこの手紙を第三回宣教旅行の終わり頃に記したと考えられています。使徒言行録20章1節から3節にこう記されています。「この騒動が収まった後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げてからマケドニア州へと出発した。そして、この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ましながら、ギリシアに来て、そこで三ヶ月を過ごした」。この「ギリシア」とは「コリント」のことであり、パウロはこの三ヶ月間でローマの信徒への手紙を執筆したと考えられているのです。そうしますと、パウロがこの手紙を記したのは、56年頃の冬であったことが分かるのです。
パウロは、この手紙をギリシャのコリントで、第三回宣教旅行の終わり頃、56年頃の冬に、ローマの教会に宛てて記しました。しかし、パウロはローマの信徒たちと面識はありませんでした。新約聖書にはパウロの手紙が沢山ありますが、その多くは、パウロが開拓伝道した教会に宛てて記した手紙であります。しかし、ローマの教会はパウロが建てた教会ではありません。パウロは、ローマの信徒たちと面識がなく、ローマに行ったこともなかったのです(1:8~15参照)。
これらのことを踏まえながら、今朝はローマの信徒への手紙1章1節を中心にして、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。先程は、1節から7節までを読みましたけれども、今朝は1節を中心にしてお話をいたします。
1節をお読みします。
キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから
ここには、この手紙の差出人が記されていますが、この言葉は、パウロの自己紹介の言葉でもあります。先程も申しましたように、パウロはローマの信徒たちとは面識がありませんでした。ですから、パウロは自分がどのような者であるのか、また、どのような者として、この手紙を書き送るのかを記すのです。パウロは、まず自分のことを、「キリスト・イエスの僕」と記します。「イエス・キリスト」とは記さずに、「キリスト・イエス」と記されています。これは「キリストであるイエス」という意味であります。キリストとはヘブライ語のメシアのギリシャ語訳であり、その意味するところは、「油を注がれた者」であります。イスラエルにおいて、王や祭司の務めに就く人の頭に香油を注ぐ儀式をいたしました。そこから、王や祭司を「油を注がれた者」メシアと呼ぶようになったのです。パウロの時代、イスラエルはローマ帝国の属州となっており、王を持つことができませんでした。そのような時代にあって、メシアは約束の王、救い主を意味するようになりました。そのメシア、救い主であるイエスの僕であるとパウロは記すのです。ここでパウロの念頭にあったのは、「神の僕」という尊称であったと思います。旧約聖書を見ますと、アブラハムやモーセやダビデ、また預言者たちが、「神の僕」と言われております。その系譜に連なる者として、「キリスト・イエスの僕パウロ」と記したのです。そのことは、続くパウロの言葉からも伺い知ることができます。「神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから」。「福音」とは「良き知らせ」のことであります。パウロは神様の良き知らせを宣べ伝えるために選び出されました。ローマの信徒への手紙は、パウロが60歳頃、彼の人生の晩年に記した手紙でありますが、かつてパウロはガラテヤの信徒への手紙の1章15節でこう記しておりました。「しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき」。このパウロの言葉は、預言者エレミヤに言われた神様の言葉を背景としています。かつて預言者エレミヤを母の胎にあるときから選び分けらられた神様によって、自分も母の胎内にあるときから選び分けられていたとパウロは記したのです。ここにあるのは、パウロの明確な預言者意識であります。それゆえ、パウロは神の僕ならぬ、キリスト・イエスの僕であると記したのです。
パウロはガラテヤ書において、自分は母の胎内にあるときから選び分けられていたと記しましたが、ローマ書において、「神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロ」と記しています。この言葉の背後には、パウロがダマスコ途上で復活の主イエスにまみえた出来事があるのだと思います。使徒言行録の9章1節から16節までをお読みします。新約の229ページです。
さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。
ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。すると、主は言われた。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を尋ねよ。今、彼は祈っている。アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」しかし、アナニアは答えた。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」すると、主は言われた。「行け、あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」
少し長く読みましたが、ここには、迫害者であったパウロに、復活された主イエスが現れてくださり、御自分の名を伝えるための器として選ばれたことが記されております。パウロは、復活された主イエスにまみえることによって、十字架に磔にされて死んだナザレのイエスが、キリスト、メシア、救い主であることを知ったのです。そのようにして、パウロはイエス様から召されて使徒となったのです。ちなみに、使徒とは「遣わされた者」という意味で、権威を授けられて遣わされた代理人、名代のことを言います。ですから、使徒パウロの言葉は、パウロを遣わされたイエス・キリストの言葉であるのです。パウロはこの手紙を、キリスト・イエスの権威ある言葉として読むことを、ローマの信徒たちに、また私たちに求めているのです。
では、今朝の御言葉に戻ります。新約の273ページです。
パウロは自分から使徒となったのではなく、選び出され、召されて使徒とされました。このことは、パウロにとって、とても大切なことでありました(ガラテヤ1:1参照)。パウロは自分で使徒となったのではなく、イエス・キリストによって使徒とされたのです。そして、そこにパウロが使徒であることの確かさがあったのです。このことは、使徒という務めだけに言えることではなく、牧師、長老、執事といった務めにおいても言えることであります。私たちの教会には、一人の牧師、二人の長老、六人の執事がおります。一人の牧師とはわたしのことですが、わたしもイエス様から召されて牧師となったのです。イエス様の御言葉、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」という御言葉を自分に対する御言葉として聞いて、牧師になりたいという思いを与えられたのです(マタイ4:19)。長老も、執事も同じです。神様から長老として召されて、長老としての務めを果たしているのです。また、神様から執事として召されて、執事としての務めを果たしているのです。そのような召命感がなければやはり揺らぐと思います。ですから、わたしも含めて、牧師、長老、執事の務めにある者は、自分がイエス様から召されて、この働きについていることを、今朝はっきりと心に刻みたいと思うのです。また、このことは、牧師、長老、執事といった職務についている者だけではなく、すべての信徒に言えることでもあります。と言いますのも、パウロは7節でこう記しているからです。「神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ」。パウロは自分が選び出され、召されて使徒とされたと記しましたが、ローマの信徒たちも「神に愛され、召されて聖なる者となった」と記します。「選ばれる」ことと「愛されている」ことは、聖書において同じ意味を持っています。神様の選びの背後には、神様の愛があるからです。使徒だけではない、信徒であるあなたがたも神様から愛され、召されて聖なる者となったのだとパウロは記すのです。このことは、彼らがユダヤ人ではない異邦人であったことを思い起こすならば驚くべきことであります。パウロは神の民であったユダヤ人です。そして、キリストも肉によればユダヤ人から出たのです(9:5参照)。しかし、この手紙の受取人は神様の契約と関係がないと思われていた異邦人であったのです。その異邦人であるあなたがたがイエス・キリストを信じて神の民とされた。それは、あなたがたが神に愛され、召されたからであるとパウロは言うのです。イエス・キリストを信じる私たちは、神様から愛され、召されて聖なる者、神の民とされたのです。なぜ、私たちは、イエス・キリストを信じる者となったのか?それは、神様が私たちを愛してくださり、召してくださったからであるのです。私たちは、神様から愛され、召されて聖なる者とされた者たちである。このことを、私たちはいつも心に留めて歩んで生きたいと願います。