主に立ち帰るなら 2020年12月23日(水曜 聖書と祈りの会)
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主に立ち帰るなら
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- 村田寿和 牧師
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サムエル記上 7章2節~17節
聖書の言葉
7:2 主の箱がキルヤト・エアリムに安置された日から時が過ぎ、二十年を経た。イスラエルの家はこぞって主を慕い求めていた。
7:3 サムエルはイスラエルの家の全体に対して言った。「あなたたちが心を尽くして主に立ち帰るというなら、あなたたちの中から異教の神々やアシュトレトを取り除き、心を正しく主に向け、ただ主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はあなたたちをペリシテ人の手から救い出してくださる。」
7:4 イスラエルの人々はバアルとアシュトレトを取り除き、ただ主にのみ仕えた。
7:5 サムエルは命じた。「イスラエルを全員、ミツパに集めなさい。あなたたちのために主に祈ろう。」
7:6 人々はミツパに集まると、水をくみ上げて主の御前に注ぎ、その日は断食し、その所で、「わたしたちは主に罪を犯しました」と言った。サムエルはミツパでイスラエルの人々に裁きを行った。
7:7 イスラエルの人々がミツパに集まっていると聞いて、ペリシテの領主たちはイスラエルに攻め上って来た。イスラエルの人々はそのことを聞き、ペリシテ軍を恐れて、
7:8 サムエルに乞うた。「どうか黙っていないでください。主が我々をペリシテ人の手から救ってくださるように、我々の神、主に助けを求めて叫んでください。」
7:9 サムエルはまだ乳離れしない小羊一匹を取り、焼き尽くす献げ物として主にささげ、イスラエルのため主に助けを求めて叫んだ。主は彼に答えられた。
7:10 サムエルが焼き尽くす献げ物をささげている間に、ペリシテ軍はイスラエルに戦いを挑んで来たが、主がこの日、ペリシテ軍の上に激しい雷鳴をとどろかせ、彼らを混乱に陥れられたので、彼らはイスラエルに打ち負かされた。
7:11 イスラエルの兵はミツパを出てペリシテ人を追い、彼らを討ってベト・カルの下まで行った。
7:12 サムエルは石を一つ取ってミツパとシェンの間に置き、「今まで、主は我々を助けてくださった」と言って、それをエベン・エゼル(助けの石)と名付けた。
7:13 ペリシテ人は鎮められ、二度とイスラエルの国境を侵すことはなかった。サムエルの時代を通して、主の手はペリシテ人を抑えていた。
7:14 ペリシテ人がイスラエルから奪い取っていた町々は、エクロンからガトまで再びイスラエルのものとなった。イスラエルはその周辺の村々をもペリシテ人の手から救った。イスラエルとアモリ人との間は平和であった。
7:15 サムエルは生涯、イスラエルのために裁きを行った。
7:16 毎年、ベテル、ギルガル、ミツパを巡り歩き、それらの地でイスラエルのために裁きを行い、
7:17 ラマに戻った。そこには彼の家があった。彼はそこでもイスラエルのために裁きを行い、主のために祭壇を築いた。サムエル記上 7章2節~17節
メッセージ
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今朝は、『サムエル記上』第7章2節から17節より、「主に立ち帰るなら」という題でお話しします。
主の箱がキルヤト・エアリムに安置されてから20年が経ちました。イスラエルの家はこぞって主を慕い求めていました。そのイスラエルの家全体に、サムエルはこう言います。「あなたたちが心を尽くして主に立ち帰るというなら、あなたたちの中から異教の神々やアシュトレトを取り除き、心を正しく主に向け、ただ主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はあなたたちをペリシテ人の手から救い出してくださる」。イスラエルの人々は、主を慕い求めながらも、異教の神々やアシュトレトの像を持っていました。また、お守りのようなものを身につけていました。そのようなイスラエルの人々に、サムエルは、「あなたたちが心を尽くして主に立ち帰るというなら、あなたたちの中から異教の神々やアシュトレトを取り除き、心を正しく主に向け、ただ主にのみ仕えなさい」と言うのです。なぜなら、主は、「あなたは、わたしの他に何ものをも神としてはならない」と言われる御方であるからです。また、主は、「あなたは自分のために刻んだ像を造ってはならない」と言われる御方であるからです(十戒の第一戒と第二戒参照)。心を尽くして主に立ち帰るというならば、それにふさわしい態度と心が求められるのです。イスラエルの人々が、偶像の神々を取り除いて、心を正しく主に向け、ただ主にのみ仕えるならば、主はイスラエルの人々をペリシテ人の手から救い出してくださる、とサムエルは言います。なぜなら、主は御自分に仕える民を苦しみの中に放っておくことのできない憐れみ深い御方であるからです(申命4:29~31、士師10:16参照)。イスラエルの人々は、サムエルの言葉に従って、バアルとアシュトレトを取り除き、ただ主にのみ仕えました。「バアル」とは、カナンの人々が信じていた豊穣の神であり、「アシュトレト」は「バアル」の妻の女神です。イスラエルの人々は、カナンの土地で礼拝されていた偽りの神々を拝むようになっていたのです。第4章に、イスラエル軍がペリシテ軍に打ちまかされ、四千人が討ち死にしたことが記されていました。そのとき、イスラエルの長老たちは、「なぜ主は今日、我々がペリシテ軍によって打ち負かされるままにされたのか」と言いました。その答えは、イスラエルの人々が、主だけではなくて、異教の神々にも仕える者であったからです。
サムエルはこう命じます。「イスラエルを全員、ミツパに集めなさい。あなたたちのために主に祈ろう」。ミツパ(「眺望」の意)は、かつてイスラエルの全部族がベニヤミン族と戦うために集まった場所でありました(士師20:1参照)。そのミツパに、イスラエルの人々を集めて、大集会を開こうと言うのです。サムエルは、「あなたたちのために主に祈ろう」と言っているように、かつてのモーセのような執り成し手であるのです(詩99:6、エレミヤ15:1参照)。人々はミツパに集まると、水をくみ上げて主の御前に注ぎました。この儀式は、ここにしか出てきませんので、何を意味するのかはよく分かりません。『哀歌』の第2章19節に、「主の御前に出て/水のようにあなたの心を注ぎ出せ」とありますので、イスラエルの人々が、主の御前に心を注ぎ出すことを表しているのかも知れません。また、イスラエルの人々は、その日断食しました。断食は、自分を貧しくして、悔い改めるための行為であります。そして、イスラエルの人々は、「わたしたちは主に罪を犯しました」と罪を告白しました。そのようにして、イスラエルの人々は心を尽くして主に立ち帰ったのです。
他方、イスラエルの人々がミツパに集まっていると聞いて、ペリシテの領主たちはイスラエルに攻め上って来ました。ペリシテ人は、イスラエルの人々が集まって戦いの準備をしていると勘違いしたのでしょうか。それとも、イスラエルの人々が礼拝をするために集まっていることを知っていて、攻め上って来たのでしょうか。どちらにしても、イスラエルの人々は戦いの準備をしておりませんでした。それで、イスラエルの人々は、ペリシテ軍を恐れて、サムエルに、こう願ったのです。「どうか黙っていないでください。主が我々をペリシテ人の手から救ってくださるように、我々の神、主に助けを求めて叫んでください」。イスラエルの人々はサムエルに執り成しの祈りを願い、主に依り頼むのです。サムエルはまだ乳離れしない小羊一匹を取り、焼き尽くす献げ物として主にささげ、イスラエルのために主に助けを求めて叫びました。「焼き尽くす献げ物」は、贖罪の献げ物であります(レビ1:4参照)。その贖罪の献げ物に基づいて、サムエルは、主に助けを祈り求めるのです。それは「叫んだ」とあるように、激しい祈りでありました。その祈りに主は答えてくださいます。主はペリシテ軍の上に激しい雷鳴をとどろかせ、彼らを混乱に陥れられたのです。「雷鳴」とはカミナリのことであり、神の恐ろしい大声であると信じられていました。主は天から恐ろしい大声で、サムエルの祈りに答えてくださったのです(ヨハネ12:28、29参照)。そのようにして、主はペリシテ軍に勝利されるのです。イスラエルの兵士たちに残されたことは、敗走したペリシテ人を追い、彼らを討つことだけでした。イスラエルの兵士たちはペリシテ人を追って、ベト・カルの下まで行きました。サムエルはミツパとシェン(「歯」の意)の間に、石を置き、「今まで(ここまで)、主は我々を助けてくださった」と言って、それをエベン・エゼル(助けの石)と名付けました。「エベン・エゼル」という名は、第4章で、イスラエルがペリシテに向かって陣を敷いた地名です(4:1参照)。しかし、名前は同じでも違う場所であると考えられています。そうであっても、同じ名前が用いられていることは、私たちにいろいろと考えさせてくれます。第4章で、エベン・エゼルに陣を敷いたイスラエルの人々は、主だけではなく、異教の神々にも仕える者たちでありました。それにもかかわらず、彼らは主の箱を持ち出すことによって、勝利を得ようとしたのです。しかし、第7章では、イスラエルの人々は異教の神々を捨てて、主にのみ仕える者となりました。彼らは、サムエルに執り成しの祈りを願い、主に依り頼んだのです。そして、主は、天から恐ろしい大声(カミナリ)をもって答え、ペリシテ軍を打ち負かし、敗走させられたのです。そのようにして、主はイスラエルの人々を助けてくださったのです。イスラエルの人々は、まことの神に依り頼む信仰によって、ペリシテ軍から救われたのです。イスラエルの人々にとって、ペリシテ人との戦いは、政治的な戦いというよりも、信仰の戦いであります。そして、そのことは、私たちにおいても同じであるのです。『エフェソの信徒への手紙』の第6章で、使徒パウロは、次のように記しています。「最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです」。イエス・キリストを信じて、神の民とされた私たちの戦いは、究極的に言うと、悪の諸霊を相手にする霊的な戦い、信仰の戦いであるのです。ですから、私たちは、主に心から立ち帰って、主に依り頼み、その偉大な力によって強くされたいと願います。