神の重い御手 2020年12月02日(水曜 聖書と祈りの会)
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神の重い御手
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- 村田寿和 牧師
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サムエル記上 5章1節~12節
聖書の言葉
5:1 ペリシテ人は神の箱を奪い、エベン・エゼルからアシュドドへ運んだ。
5:2 ペリシテ人は神の箱を取り、ダゴンの神殿に運び入れ、ダゴンのそばに置いた。
5:3 翌朝、アシュドドの人々が早く起きてみると、主の箱の前の地面にダゴンがうつ伏せに倒れていた。人々はダゴンを持ち上げ、元の場所に据えた。
5:4 その翌朝、早く起きてみると、ダゴンはまたも主の箱の前の地面にうつ伏せに倒れていた。しかもダゴンの頭と両手は切り取られて敷居のところにあり、胴体だけが残されていた。
5:5 そのため、今日に至るまで、ダゴンの祭司やダゴンの神殿に行く者はだれも、アシュドドのダゴンの敷居を踏まない。
5:6 主の御手はアシュドドの人々の上に重くのしかかり、災害をもたらした。主はアシュドドとその周辺の人々を打って、はれ物を生じさせられた。
5:7 アシュドドの人々はこれを見て、言い合った。「イスラエルの神の箱を我々のうちにとどめて置いてはならない。この神の手は我々と我々の神ダゴンの上に災難をもたらす。」
5:8 彼らは人をやってペリシテの領主を全員集め、「イスラエルの神の箱をどうしたものか」と尋ねた。彼らは答えた。「イスラエルの神の箱をガトへ移そう。」イスラエルの神の箱はそこに移された。
5:9 箱が移されて来ると、主の御手がその町に甚だしい恐慌を引き起こした。町の住民は、小さい者から大きい者までも打たれ、はれ物が彼らの間に広がった。
5:10 彼らは神の箱をエクロンに送った。神の箱がエクロンに着くと、住民は大声で叫んだ。「イスラエルの神の箱をここに移して、わたしとわたしの民を殺すつもりか。」
5:11 彼らは人をやってペリシテの領主を全員集め、そして言った。「イスラエルの神の箱を送り返そう。元の所に戻ってもらおう。そうすれば、わたしとわたしの民は殺されはしないだろう。」実際、町全体が死の恐怖に包まれ、神の御手はそこに重くのしかかっていた。
5:12 死を免れた人々もはれ物で打たれ、町の叫び声は天にまで達した。
サムエル記上 5章1節~12節
メッセージ
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今朝は、『サムエル記上』第5章1節から12節より、「神の重い御手」という題でお話しします。
ペリシテ人は神の箱を奪い、エベン・エゼルからアシュドドへ運びました。「エベン・エゼル」は、イスラエルが陣を敷いた場所であります。また、「アシュドド」は、ペリシテ人の町であります。エベン・エゼルでイスラエル軍に勝利したペリシテ軍は、神の箱を自分たちの町であるアシュドドに運んだのです。そして、ペリシテ人は神の箱を、ダゴンの神殿に運び入れ、ダゴンのそばに置きました。「ダゴン」とは、ペリシテ人が信じていた神であります。「ダゴン」の語源は「穀物」で、豊穣の神でありました。そのダゴンの神殿に、主の箱を運び入れ、ダゴンの像のそばに置いたのです。そのようにして、ペリシテ人は、イスラエルの神に対するダゴンの勝利を祝ったのです。古代のオリエントの世界において、民族と民族との戦いは、その民族が信じている神と神との戦いでもありました。ペリシテ軍がイスラエル軍に勝利したことは、ダゴンが主に勝利したことでもあったのです。イスラエルの神は、今やダゴンの支配下に置かれていることを、ペリシテ人は、主の箱をダゴンの神殿に運び込み、ダゴンの像の前に置くことによって表したのです。
翌朝、アシュドドの人々が早く起きてみると、主の箱の前にダゴンがうつ伏に倒れていました。人々は朝早くダゴンを礼拝するために神殿に来たのでしょう。しかし、その人々よりも早くダゴンが主の箱の前にうつぶせになり、主を礼拝していたのです。ダゴンは人の形をした偶像であったようですが、もちろん、自分で倒れたのではありません。偶像の中には命がないからです。では、誰が倒したのだろうかと不思議に思うのですが、あまり詮索しても意味はありません。ここで、面白いのは、ペリシテ人が神として拝んでいたダゴンが、イスラエルの神を礼拝することによって、人間が礼拝すべき真の神がだれであるかを示しているということです。
人々は倒れているダゴンを持ち上げ、元の場所に据えました。ダゴンは自分では起き上がることもできない、無力な偶像であるのです(イザヤ46:7参照)。その翌朝、早く起きて見ると、ダゴンはまたも主の箱の前の地面にうつぶせに倒れていました。しかもダゴンの頭と両手は切り取られて敷居のところにあり、胴体だけが残されていたのです。ペリシテ人は、翌日の朝早くダゴンを礼拝するために、神殿に来たのでしょう。そこで彼らは再び、ダゴンが主の箱の前にうつ伏せに倒れているを見ました。しかも頭と両手が切り取られて、胴体だけになっていたのです。このダゴンの姿は、礼拝というよりも降伏の姿、敗北の姿であります。頭と両手が切り取られていたことは、ダゴンが主に完全に敗北したことを示しています。ペリシテ人たちは、イスラエルに勝利したことを、自分たちの神ダゴンが、イスラエルの神に勝利したことであると考えました。しかし、そうではないことを、今朝の御言葉は示しているのです。5節に、ダゴンの祭司やダゴンの神殿に行く者が敷居を踏まないことが、ダゴンの頭と両手が敷居のところに置かれていたことから説明されています。これも一つのユーモアですね。元来、ペリシテ人は、ダゴンの神殿の敷居は聖と俗を分ける境界であると考えて踏みませんでした。しかし、その風習を、ここでは、ダゴンに対するイスラエルの神の勝利と結びつけて説明するのです。そのようにして、敷居を踏まないように跳び越える、彼らの風習を無意味なこととして笑うのです(ゼファニヤ1:9参照)。
主の御手はアシュドドの人々の上に重くのしかかり、災害をもたらしました。ここで「重く」と訳されている言葉(カボード)は、「栄光」とも訳されます。ペリシテ人によって神の箱が奪われたとき、ピネハスの妻は、「栄光はイスラエルを去った」と言いました(4:21)。その主の栄光が、重い御手として、ペリシテ人に災いをもたらすのです。主はアシュドドとその周辺の人々を打って、はれ物を生じさせました。『出エジプト記』の第9章に、主がエジプト人にはれ物の災いをもたらしたことが記されています。かつて、エジプト人にはれ物を生じさせた主は、ペリシテ人にもはれ物を生じさせるのです。アシュドドの人々は、これを見てこう言い合いました。「イスラエルの神の箱を我々のうちにとどめて置いてはならない。この神の手は我々と我々の神ダゴンの上に災難をもたらす」。かつて、ペリシテ人は、イスラエルの陣営に神の箱が到着したことを聞いて、こう言いました。「大変なことになった。あの強力な神の手から我々を救える者があろうか。あの神は荒れ野でさまざまな災いを与えてエジプトを撃った神だ」(4:8)。ペリシテ人は、イスラエル軍に勝利することによって、その神を自分たちのダゴンの支配下に置くことができたと考えたのですが、そうではありません。主は唯一の生けるまことの神として、自由に振る舞われるのです。すなわち、偽りの神ダゴンとペリシテ人に災いをもたらし、裁きを行われるのです。
アシュドドの人々は人をやってペリシテの領主を全員集めて、会議を行いました。ペリシテには、五つの町があり、五人の領主がおりました。五つの町とは、アシュドド、ガザ、アシュケロン、ガト、エクロンの五つです(6:17参照)。その五つの町の領主たちが集まり、「イスラエルの神の箱をどうしたものか」と話し合ったのです。それで、彼らは、イスラエルの神の箱を、他の町、ガトへ移すことにしました。彼らは、アシュドドに神の箱が運ばれたことと、アシュドドの人々にはれ物が生じたことが偶然かも知れないと思い、神の箱をガトに移したのでした。
箱がガトに移されると、主の御手がその町に大きな混乱をもたらしました。ガトの町の住民は、小さい者から大きい者まで打たれ、はれ物が彼らの間に広まったのです。これによって、はれ物が主の御手によることが確かめられたのです。ガトの町の人々は、神の箱をエクロンに送りました。しかし、神の箱がエクロンに着くと、住民は大声でこう叫びました。「イスラエルの神の箱をここに移して、わたしとわたしの民を殺すつもりか」。このように、エクロンの人々は、神の箱を受け入れることを拒否したのです。領主たちは、再び全員集まって話し合い、こう言いました。「イスラエルの神の箱を送り返そう。元のところに戻ってもらおう。そうすれば、わたしとわたしの民は殺されはしないだろう」。このように、ペリシテ人は、神の箱をイスラエル人のもとに送り返すことにしたのです。実際、町全体が死の恐怖に包まれ、神の御手はそこに重くのしかかっていました。死を免れた人々もはれ物で打たれ、町の叫びは天にまで達したのです。