神の箱、奪われる 2020年11月18日(水曜 聖書と祈りの会)

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神の箱、奪われる

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
サムエル記上 4章1節~11節

聖句のアイコン聖書の言葉

4:1 イスラエルはペリシテに向かって出撃し、エベン・エゼルに陣を敷いた。一方、ペリシテ軍はアフェクに陣を敷き、
4:2 イスラエル軍に向かって戦列を整えた。戦いは広がり、イスラエル軍はペリシテ軍に打ち負かされて、この野戦でおよそ四千の兵士が討ち死にした。
4:3 兵士たちが陣営に戻ると、イスラエルの長老たちは言った。「なぜ主は今日、我々がペリシテ軍によって打ち負かされるままにされたのか。主の契約の箱をシロから我々のもとに運んで来よう。そうすれば、主が我々のただ中に来て、敵の手から救ってくださるだろう。」
4:4 兵士たちはシロに人をやって、ケルビムの上に座しておられる万軍の主の契約の箱を、そこから担いで来させた。エリの二人の息子ホフニとピネハスも神の契約の箱に従って来た。
4:5 主の契約の箱が陣営に到着すると、イスラエルの全軍が大歓声をあげたので、地がどよめいた。
4:6 ペリシテ軍は歓声を聞いて言った。「ヘブライ人の陣営にどよめくあの大歓声は何だろう。」そして、主の箱がイスラエル軍の陣営に到着したと知ると、
4:7 ペリシテ軍は、神がイスラエル軍の陣営に来たと言い合い、恐れて言った。「大変だ。このようなことはついぞなかったことだ。
4:8 大変なことになった。あの強力な神の手から我々を救える者があろうか。あの神は荒れ野でさまざまな災いを与えてエジプトを撃った神だ。
4:9 ペリシテ人よ、雄々しく男らしくあれ。さもなければ、ヘブライ人があなたたちに仕えていたように、あなたたちが彼らに仕えることになる。男らしく彼らと戦え。」
4:10 こうしてペリシテ軍は戦い、イスラエル軍は打ち負かされて、それぞれの天幕に逃げ帰った。打撃は非常に大きく、イスラエルの歩兵三万人が倒れた。
4:11 神の箱は奪われ、エリの二人の息子ホフニとピネハスは死んだ。サムエル記上 4章1節~11節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『サムエル記上』の第4章1節後半から11節より、「神の箱、奪われる」という題でお話しします。

 今朝の御言葉には、イスラエル軍とペリシテ軍との戦いが記されています。ペリシテ人は、イスラエルの民がカナンに定着した頃に、地中海方面からやって来た「海の民」でありました(前12世紀頃)。士師記の第13章から第16章までに、「サムソン」のことが記されています。サムソンが相手としていたのがペリシテ人でありました。サムソンの時代は、ペリシテ人がイスラエル人を支配していたと記されています(士師14:4参照)。

 イスラエルはペリシテに向かって出撃し、エベンエゼルに陣を敷きました。一方、ペリシテ軍はアフェクに陣を敷き、イスラエル軍に向かって戦列を整えました。戦いは広がり、イスラエル軍はペリシテ軍に打ち負かされて、この野戦でおよそ四千人の兵士が討ち死にしました。ペリシテ軍は鉄器を持っていました。それに対して、イスラエル軍は鉄器をもっていませんでした(サムエル上13:19「イスラエルにはどこにも鍛冶屋がいなかった」参照)。また、ペリシテ軍は二頭の馬にひかせる戦車を持っており、平地の戦いにおいては特に強かったそうです。このように、持っている武器を比較しても、ペリシテ軍の方が強かったのです。兵士たち(もとの言葉は「民」)が陣営に戻ると、イスラエルの長老たちはこう言いました。「なぜ主は今日、我々がペリシテ軍によって打ち負かされるままにされたのか」。この所を、新改訳2017は、次のように翻訳しています。「どうして主は、今日、ペリシテ人の前でわれわれを打たれたのだろう」。この新改訳2017の翻訳の方が、もとの言葉に近いのです。「どうして主は、今日、ペリシテ人の前でわれわれを打たれたのだろう」。こまれで、『サムエル記』を読み進めて来た私たちには、その原因がエリの家の罪であることが分かります。しかし、長老たちはそのことを知りませんので、不思議に思うのです。長老たちは続けてこう言いました。「主の契約の箱をシロから我々のもとに運んで来よう。そうすれば、主が我々のただ中に来て、敵の手から救ってくださるだろう」。長老たちは、主の契約の箱を持って来させることにより、主の臨在を確保し、勝利を得ようと企てるのです。

 兵士たちはシロに人をやって、ケルビムの上に座しておられる万軍の主の契約の箱を、そこから担いで来させました。主の契約の箱がどのような作りであったのかは、『出エジプト記』の第25章に記されています。箱の中には、十戒が記された契約の石板が納められていました。そして、蓋には一対のケルビム(頭は人間で、体は翼をもったライオンのスフィンクスのような生き物)が打ち出し作りで作られていました。この蓋は「贖いの座」でありまして、神さまは、一対のケルビムの間、すなわち贖いの座の上に臨在されたのです。

 今朝の御言葉で、主が「万軍の主」と呼ばれています。主は、「天の軍勢を指揮する戦いの神」でもあるのです(マタイ26:53参照)。エリの二人の息子ホフニとピネハスも神の契約の箱に従って来ました。主の契約の箱が陣営に到着すると、イスラエルの全軍は、大歓声をあげたので、地がどよめきました。イスラエルの兵士たちは、地がどよめくほどの喜びの叫びをあげたのです。ペリシテ軍は歓声を聞いてこう言いました。「ヘブライ人の陣営にどよめくあの大歓声は何だろう」(ヘブライ人は外国人がイスラエル人を呼ぶときの名称)。そして、主の箱がイスラエル軍の陣営に到着したと知ると、神がイスラエル軍の陣営に来たと言い合い、恐れてこう言いました。「大変だ。このようなことはついぞなかったことだ。大変なことになった。あの強力な神の手から我々を救える者があろうか。あの神は荒れ野でさまざまな災いを与えてエジプトを撃った神だ。ペリシテ人よ、雄々しく男らしくあれ。さもなければ、ヘブライ人があなたたちに仕えていたように、あなたたちが彼らに仕えることになる。男らしく彼らと戦え」。ペリシテ人も、イスラエルの神が、荒れ野でエジプトを撃ったことを伝え聞いていたようです。『出エジプト記』の第14章に記されているように、主は、エジプト軍を海の中に投げ込まれ、滅ぼされたのです。ただ、少し不正確なところもあります。主がさまざまな災いをエジプトにもたらしたのは、荒れ野ではなく、エジプト国内においてでありました。ともかく、ペリシテ人は、イスラエルの陣営に神が来たことを知って、大いに恐れたのです。では、ペリシテ人は、意気消沈したかと言えば、そうではありません。むしろ、「雄々しく男らしくあれ」と戦意を高めるのです。当時、イスラエル人はペリシテ人に仕えていました。しかし、この戦いに敗れてしまえば、逆に、ペリシテ人がイスラエル人に仕えるようになってしまう。そうならないように、男らしく戦えと鼓舞するのです。

 こうしてペリシテ軍は戦い、イスラエル軍は打ち負かされて、それぞれの天幕に逃げ帰りました。「それぞれの天幕に逃げ帰る」とは、自分の家に帰ったことを表しています。打撃は非常に大きく、イスラエルの歩兵三万人が倒れました。一回目の戦いでは、死者は四千人でしたが、二回目の戦いでは、死者は三万人でした。イスラエル軍はペリシテ軍に大敗北したのです。イスラエルの長老たちは、主の契約の箱を運んで来れば、主が自分たちを救ってくださる、勝利を与えてくださると考えました。また、イスラエルの全軍もそのように考えて、契約の箱を大歓声をもって迎えたのです。しかし、皮肉にも、そのことは、ペリシテ軍の戦意を奮い立たせることになります。そして、イスラエルの軍は、非常に大きな打撃を受けることになるのです。主の契約の箱を持って来ることによって、神の救いを自分たちの思うように操作しようとするイスラエルの民を、主はこのように打たれたのです。

 神の箱は奪われ、エリの二人の息子ホフニとピネハスは死にました。このようにして、神の人によって、エリに告げられていた預言は実現しました。第2章33節と34節にこう記されていました。「あなたの家の男子がどれほど多くとも皆、壮年のうちに死ぬ。あなたの二人の息子ホフニとピネハスの身に起こることが、あなたにとってそのしるしとなる。二人は同じ日に死ぬ」。この神の人の言葉は、ペリシテ人の手によって、実現したのです。

 新約時代において、神さまは、イエス・キリストの名によって二人、または三人が集まるところに、臨在してくださいます(マタイ18:20参照)。贖いの座に臨在された神さまは、贖い主イエス・キリストの名によって、集まる私たちの只中に臨在してくださるのです。これが、イエス・キリストを通して、私たちに与えられている約束です。しかし、だからといって、この約束を自動的に必ずそうなると考えるならば、私たちは、イスラエルの長老たちや兵士たちと同じ過ちを犯すことになると思います。神さまの臨在は、条件が整えば、自動的に起こることではなく、私たちが神さまの約束に従って、祈り求めることであるのです。イエス・キリストの名によって礼拝がささげられても、神さまが臨在されない礼拝がありうることを、私たちは、心に留めたいと願います。

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