使徒ペトロの手紙 2020年11月15日(日曜 朝の礼拝)

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使徒ペトロの手紙

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ペトロの手紙一 1章1節~2節

聖句のアイコン聖書の言葉

1:1 イエス・キリストの使徒ペトロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアの各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ。
1:2 あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、“霊”によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血を注ぎかけていただくために選ばれたのです。恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。ペトロの手紙一 1章1節~2節

原稿のアイコンメッセージ

 主の日の礼拝では、福音書と書簡と旧約聖書からお話ししています。福音書は『マルコによる福音書』を、旧約聖書は、おもに『詩編』をお話ししています。書簡は、『ヤコブの手紙』を学び終えましたので、今朝から『ペトロの手紙一』を学びます。先程は、1節と2節を読みましたが、今朝は、1節だけを御一緒に学びたいと思います。

1.差出人

 1節を読みます。

 イエス・キリストの使徒ペトロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアの各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ。

 ここに、この手紙の差出人と受取人が記されています。最初に差出人についてお話しします。この手紙の差出人は、「イエス・キリストの使徒ペトロ」です。「ペトロ」とは「岩」という意味で、イエスさまが「シモン」に付けられた名前です。シモンは、ガリラヤの湖で漁師をしていました。弟のアンデレとガリラヤの湖で網を打っていると、イエスさまから「わたしについて来なさい。人間を捕る漁師にしよう」と声をかけられて、イエスさまに従う弟子とされたのです(マルコ1:17)。しばらくして、イエスさまは、弟子たちの中から12人を任命し、使徒と名付けられました。それは、「彼らを自分のそばに置くため、また派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるため」でありました(マルコ3:14、15)。シモンは、12使徒の名簿の一番最初に名前があげられています。シモンは、最初の弟子であり、12使徒の筆頭であったのです。イエスさまは、そのシモンに、ペトロ(岩)という名を付けられました(マルコ3:16参照)。『マタイによる福音書』によると、ペトロ(岩)という名前が、シモンの信仰告白に由来します。『マタイによる福音書』の第16章13節から19節までを読みます。新約の31ページです。

 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できなさい。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

 シモンは、弟子たちを代表して、イエスさまに対し、「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白しました。そのようなシモンをペトロ(岩)と呼んで、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と言われたのです。イエスさまが、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と言われた「この岩」とは、ペトロ個人のことではなくて、「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白する弟子たちのことであります。イエスさまは、御自分に対して、「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白するペトロたちを土台として、御自分の教会を建てられるのです。そして、事実、『使徒言行録』を読むと、ペトロを含める12使徒たちを土台として、教会は形成されていったのです。

 今朝の御言葉に戻ります。新約の428ページです。 

 ペトロは、この手紙を「イエス・キリストの使徒」として、書き記しました。「使徒」とは、「権威を授けられて遣わされた者」のことです。ペトロは、イエス・キリストの代理人、名代であるのです。ですから、この手紙は、イエス・キリストの言葉であり、聞き従うべき権威ある言葉であるのです。(ヨハネ13:20「はっきり言っておく。わたしの遣わす者を受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである」参照)。

 今朝は、『ペトロの手紙一』からの最初の説教ですので、ペトロがいつ、どこで、この手紙を記したのかをお話したいと思います。第5章12節と13節を読みます。新約の434ページです。

 わたしは、忠実な兄弟と認めているシルワノによって、あなたがたにこのように短く手紙を書き、勧告をし、これこそ神のまことの恵みであることを証ししました。この恵みにしっかり踏みとどまりなさい。共に選ばれてバビロンにいる人々と、わたしの子マルコが、よろしくと言っています。

 この「結びの言葉」から、この手紙が「シルワノ」の手によって記されたことが分かります(口述筆記)。「シルワノ」とは、『使徒言行録』で、パウロと一緒に宣教した「シラス」のことです。『使徒言行録』の第15章に、マルコを連れて行くかどうかで、パウロとバルナバが激しく衝突したことが記されています。結局、パウロとバルナバは別々に宣教することにしました。バルナバはマルコと一緒に宣教しました。他方、パウロはシラス(シルワノ)と一緒に宣教したのです。かつてパウロと一緒に宣教したシルワノが、ペトロの書記として、この手紙を記したのです。そして、この手紙は、シルワノによって、送り届けられたと考えられているのです。ペトロは、この手紙を「バビロン」で記しました。ここでの「バビロン」とは、異教の都という意味で、ローマを指しています(黙示14:8参照)。伝説によれば、ペトロは、ローマ皇帝ネロの迫害により、64年に、逆さ十字架の刑によって殉教したと言われています。ペトロは、晩年をローマで過ごしていたのです。ペトロは、64年にローマで殉教しましたので、この手紙はその少し前、63年頃に記されたと考えられています。ペトロのもとには、「わたしの子マルコ」がいました。このマルコは、パウロとバルナバの衝突の原因となったマルコであり、ペトロの通訳として活躍し、後に『マルコによる福音書』を書き記したマルコのことであります。先程、マルコがパウロとバルナバの衝突の原因になったと申しましたが、パウロが書いた『コロサイの信徒への手紙』を読むと、パウロとマルコの関係が修復されていたことが分かります(コロサイ4:11「割礼を受けた者では、この三人だけが神の国のために共に働く者であり、わたしにとって慰めとなった人々です」参照)。シルワノにしても、マルコにしても、使徒パウロと関係の深い人物でありました。その二人が、ローマで使徒ペトロと共にいたのです。

 今朝の御言葉に戻ります。新約の428ページです。

2.受取人

 次に、受取人についてお話しします。この手紙の宛先、受取人は、「ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアの各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たち」です。「ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニア」とは、現在のトルコ共和国のある小アジア(アナトリア半島)にある地名です。聖書巻末の「聖書地図」の「8 パウロの宣教旅行2,3」を見ると、その地名を確認することができます。この手紙は、小アジアにある諸教会で回し読みされる、いわば回状として記されたのです。

 新共同訳聖書は、「離散して仮住まいをしている選ばれた人たち」と翻訳していますが、元の言葉の順番どおりに翻訳すると、「選ばれて、仮住まいをして、離散している人たち」となります。最初に、「選ばれた人たち」と記されているのです。それは、神さまの選びから、すべてが始まるからです。小アジアに住むある人たちが、イエス・キリストを信じる者となった。それは、彼らが神さまによって選ばれたからです。神さまが、彼らをキリストにあって選ばれたゆえに、彼らは、イエス・キリストを信じることができたのです(エフェソ1:3~14参照)。私たちも同じです。私たちが、イエス・キリストを信じることができたのは、神さまが私たちをキリストにあって選んでくださったからです。この神さまの選びによって、私たちはこの地上に仮住まいをする者、寄留者となったのです。なぜなら、イエス・キリストを信じる私たちの本国は天にあるからです(フィリピ3:20参照)。そのようにして、私たちは、離散の民となったのです。ここで「離散して」と訳されている言葉は、「ディアスポラ」という言葉です。ディアスポラとは、元々は、異邦人の土地に住むユダヤ人のことでありました。その「ディアスポラ」という言葉を、ペトロは、異邦人でイエス・キリストを信じた者たちに用いているのです。なぜなら、民族の違いに関係なく、イエス・キリストを信じた者たちこそ、神の民であるからです。イエス・キリストを信じる私たちは、神の選びの民であり、本国を天に持つ寄留者であり、神の栄光をあらわすために散らされた民であるのです。ですから、『ペトロの手紙一』は、私たちに宛てて書き送られた手紙でもあるのです。

3.なぜ、ペトロはこの手紙を記したか

 今朝は、最後に、ペトロがこの手紙を記した目的についてお話ししたいと思います。この手紙の受取人は、小アジアに住むキリスト者たちであります。彼らは、ユダヤ人ではなく、異邦人でイエス・キリストを信じた者たちです。ペトロは、小アジアに住むキリスト者たちと面識はなかったようです(一ペトロ1:12「それらのことは、天から遣わされた聖霊に導かれて福音をあなたがたに告げ知らせた人たちが、今、あなたがたに告げ知らせており」参照)。しかし、ペトロは、小アジアに住むキリスト者のことを伝え聞いたのでしょう。ペトロは、小アジアに住むキリスト者たちが、同胞から苦しみを受けていることを伝え聞いたのです。それで、ペトロは、キリストのゆえに苦しむことが神の御前に恵みであり、キリストを信じる者たちに素晴らしい希望が与えられていることを知ってもらおうと、この手紙を書き送ったのです。そのペトロの心には、主イエス・キリストの御言葉があったと思います。ペトロは、イエスさまに対して、「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白した最初の人間であります。しかし、ペトロは、イエスさまとの関係を否定した最初の人間でもありました。イエスさまが捕らえられた夜、ペトロは我が身かわいさに、イエスさまのことを「知らない」と三度も言ってしまうのです。そのペトロに、十字架の死から復活されたイエスさまは現れてくださり、「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」と三度、問われました。そして、「わたしの羊の世話をしなさい」と三度、命じられたのです(ヨハネ21章参照)。ペトロにとって、主イエスを愛するとは、主イエスの羊の世話をすることであったのです。小アジアに住む異邦人キリスト者たちも、ペトロにとっては、世話をすべき主イエスの羊であるのです。それゆえ、ペトロは、イエス・キリストの使徒として、この手紙を書き送らずにはおれなかったのです。イエス・キリストの使徒ペトロから、手紙が届く。その手紙をシルワノが読み上げ、信徒たちから質問があれば、丁寧に答えたことでしょう。ただ手紙が読まれただけではなく、その写しが何通も作られたのです。昔のことですからコピー機などはありません。イエス・キリストの使徒ペトロからの手紙を、皆が喜んで書き写したのです。イエス・キリストの使徒ペトロから手紙が届いた。これは、一つの事件です。そのことを、小アジアのキリスト者たちは、どんなに喜んだことでしょうか。それと同じ喜びをもって、私たちは、イエス・キリストの使徒ペトロの手紙に、耳を傾けていきたいと願います。

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