エリの家の没落 2020年11月04日(水曜 聖書と祈りの会)
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エリの家の没落
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- 村田寿和 牧師
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サムエル記上 2章27節~36節
聖書の言葉
2:27 神の人がエリのもとに来て告げた。「主はこう言われる。あなたの先祖がエジプトでファラオの家に服従していたとき、わたしは自らをあなたの先祖に明らかに示し、
2:28 わたしのためにイスラエルの全部族の中からあなたの先祖を選んで祭司とし、わたしの祭壇に上って香をたかせ、エフォドを着せてわたしの前に立たせた。また、わたしはあなたの先祖の家に、イスラエルの子らが燃やして主にささげる物をすべて与えた。
2:29 あなたはなぜ、わたしが命じたいけにえと献げ物をわたしの住む所でないがしろにするのか。なぜ、自分の息子をわたしよりも大事にして、わたしの民イスラエルが供えるすべての献げ物の中から最上のものを取って、自分たちの私腹を肥やすのか。
2:30 それゆえ、イスラエルの神、主は言われる。わたしは確かに、あなたの家とあなたの先祖の家はとこしえにわたしの前に歩む、と約束した。主は言われる。だが、今は決してそうはさせない。わたしを重んずる者をわたしは重んじ、わたしを侮る者をわたしは軽んずる。
2:31 あなたの家に長命の者がいなくなるように、わたしがあなたの腕とあなたの先祖の家の腕を切り落とす日が来る。
2:32 あなたは、わたしの住む所がイスラエルに与える幸いをすべて敵視するようになる。あなたの家には永久に長命の者はいなくなる。
2:33 わたしは、あなたの家の一人だけは、わたしの祭壇から断ち切らないでおく。それはあなたの目をくらまし、命を尽きさせるためだ。あなたの家の男子がどれほど多くとも皆、壮年のうちに死ぬ。
2:34 あなたの二人の息子ホフニとピネハスの身に起こることが、あなたにとってそのしるしとなる。二人は同じ日に死ぬ。
2:35 わたしはわたしの心、わたしの望みのままに事を行う忠実な祭司を立て、彼の家を確かなものとしよう。彼は生涯、わたしが油を注いだ者の前を歩む。
2:36 あなたの家の生き残った者は皆、彼のもとに来て身をかがめ、銀一枚、パン一切れを乞い、『一切れのパンでも食べられるように、祭司の仕事の一つに就かせてください』と言うであろう。」
サムエル記上 2章27節~36節
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今朝は、『サムエル記上』の第2章27節から36節より、「エリの家の没落」という題でお話します。
今朝の御言葉には、神の人がエリのもとに来て告げた「主の言葉」が記されています。「神の人」は「無名の預言者」と考えてよいでしょう。無名の預言者である神の人がエリに告げた主の御言葉を、読み進めていきます。
27節と28節を読みます。
神の人がエリのもとに来て告げた。「主はこう言われる。あなたの先祖がエジプトでファラオの家に服従していたとき、わたしは自らをあなたの先祖に明らかに示し、わたしのためにイスラエルの全部族の中からあなたの先祖を選んで祭司とし、わたしの祭壇に上って香をたかせ、エフォドを着せてわたしの前に立たせた。また、わたしはあなたの先祖の家に、イスラエルの子らが燃やして主にささげる物をすべて与えた。
ここでの「あなたの先祖」は、イスラエルの12部族の一つである「レビ族」のことを指しています。主は、イスラエルの全部族の中からレビ族を選んで祭司としました。その経緯が、『出エジプト記』第32章の「金の子牛」のお話しの中に記されています。レビの子らは、主につく者として、金の子牛を拝んだ自分の兄弟、友、隣人を殺すことにより、主の祭司職に任命されたのです(出エジプト32:29)。レビの子らは、自分の兄弟、友、隣人よりも、主を愛する者として祝福を受けたのです。また、主は、祭司であるレビ族に、イスラエルの子らが燃やして主にささげる物を与えられました(ヨシュア13:14参照)。主は、イスラエルの子らがささげるいけにえの一部を与えることによって、祭司であるレビ族を養われるのです。
29節と30節を読みます。
あなたはなぜ、わたしが命じたいけにえと献げ物をわたしの住む所でないがしろにするのか。なぜ、自分の息子をわたしよりも大事にして、わたしの民イスラエルが供えるすべての献げ物の中から最上のものを取って、自分たちの私腹を肥やすのか。それゆえ、イスラエルの神、主は言われる。わたしは確かに、あなたの家とあなたの先祖の家はとこしえにわたしの前に歩む、と約束した。主は言われる。だが、今は決してそうはさせない。わたしを重んずる者をわたしは重んじ、わたしを侮る者をわたしは軽んずる。
エリは、息子たちについての悪い噂を聞いて警告をしました。しかし、父の声に耳を貸さない息子たちを放っておいたようです。そして、息子たちが、取ってきた献げ物の中からの最上のものを、エリも食べていたようです。エリと息子たちは、一緒に住んでいたので、エリも息子たちが取ったいけのえの最上の肉を食べていたのです。それは、主よりも自分の息子を大事にして、自分もいけにえの最上の肉によって私腹を肥やす「エリの家」の罪であるのです。息子たちだけの罪ではなく、エリをも含めた、「エリの家」の罪であるのです。それゆえ、主は、エリの家に対して、「あなたの家とあなたの先祖の家はとこしえにわたしの前を歩む」という約束を取り消されるのです。「あなたの家とあなたの先祖の家はとこしえにわたしの前を歩む」という約束は、『民数記』の第25章に記されています。そこには、祭司アロンの孫で、エルアザルの子であるピネハスが、偶像崇拝をしていたミディアン人の女と、その女を連れていたイスラエル人を、槍で刺し殺したことが記されています。その主に対するピネハスの熱情のゆえに、主はこう言われたのです。「見よ、わたしは彼にわたしの平和の契約を授ける。彼と彼に続く子孫は、永遠の祭司職の契約にあずかる。彼がその神に対する熱情を表し、イスラエルの人々のために、罪の贖いをしたからである」。このように、「あなたの家とあなたの先祖の家はとこしえにわたしの前を歩む」という神さまの約束は、主に対する熱情を前提としているのです。ですから、主より自分の息子を大事にして、いけにえの最上の肉で自分たちの私腹を肥やすエリの家に対して、主は、「だが、今は決してそうはさせない」と言われるのです。主は、「わたしを重んずる者をわたしは重んじ、わたしを侮る者をわたしは軽んずる」御方として、御自分を侮るエリの家に裁きをくだされるのです。
31節から34節までを読みます。
あなたの家に長命の者がいなくなるように、わたしがあなたの腕とあなたの先祖の家の腕を切り落とす日が来る。あなたは、わたしの住む所がイスラエルに与える幸いをすべて敵視するようになる。あなたの家には永久に長命の者はいなくなる。わたしは、あなたの家の一人だけは、わたしの祭壇から断ち切らないでおく。それはあなたの目をくらまし、命を尽きさせるためだ。あなたの家の男子がどれほど多くとも皆、壮年のうちに死ぬ。あなたの二人の息子ホフニとピネハスの身に起こることが、あなたにとってそのしるしとなる。二人は同じ日に死ぬ。
聖書において、長寿(長生き)は、神さまからの祝福であります。しかし、エリの家には長命の者、年寄りがいなくなるのです。それは、主がエリの家の腕(力の象徴)を切り落とす日が来るからです。33節に、「わたしはあなたの家の一人だけは、わたしの祭壇から断ち切らないでおく」とあります。この主の言葉の実現が、『サムエル記上』の第22章に記されています。そこには、サウル王がノブの祭司たちを殺したこと。また、アヒメレクの息子のアビアタルだけが殺されず、ダビデのもとに逃れたことが記されています。このアビアタルが、エリの家で生き残る「一人」であるのです。
エリの家の男子が、老年まで生きることができず、壮年のうちに死ぬこと。そのことの確かなしるしが、エリの二人の息子が同じ日に死ぬということでありました。そして、このことは、第4章に記されているペリシテ軍との戦いにおいて実現することになるのです(サムエル上4:11参照)。
35節をお読みします。
わたしはわたしの心、わたしの望みのままに事を行う忠実な祭司を立て、彼の家を確かなものとしよう。彼は生涯、わたしが油を注いだ者の前を歩む。
主は、エリの家に代わる、忠実な祭司を立て、彼の家を確かなものとしようと言われます。この「忠実な祭司」とは、ソロモンによって、アビアタルに代わって祭司となったツァドクのことです。『列王記上』の第2章26節と27節に、こう記されています。旧約の529ページです。
王(ソロモン)はまた祭司アビアタルにこう言った。「アナトトの自分の耕地に帰るがよい。お前は死に値する者だが、今日、わたしはお前に手を下すのを控える。お前はわたしの父ダビデの前で主なる神の箱を担いだこともあり、いつも父と辛苦を共にしてくれたからだ。」ソロモンはアビアタルが主の祭司であることをやめさせた。こうして主がシロでエリの家についてお告げになったことが実現した。
飛んで、35節を読みます。
王は彼(ヨアブ)の代わりにヨヤダの子ベナヤを軍の司令官とし、アビアタルの代わりに祭司ツァドクを立てた。
このように、エリに対する主の言葉は、ソロモンがエリの子孫であるアビアタルの代わりに、ツァドクを祭司とすることによって実現するのです。そして、実際、ツァドクの家の者たちは、バビロン帝国によってユダ王国が滅ぼされるまで、祭司として、主が油を注がれた王の前を歩むのです(歴代誌上5:27~41参照)。
今朝の御言葉に戻ります。旧約の432ページです。
36節を読みます。
あなたの家の生き残った者は皆、彼のもとに来て身をかがめ、銀一枚、パン一切れを乞い、『一切れのパンでも食べられるように、祭司の仕事の一つに就かせてください』と言うであろう。」
エリの家は、イスラエルが供えるすべての献げ物の中から最上のものを取って、自分たちの私腹を肥やしました。そのようにして、エリの家は、主を侮り、軽んじたのです。しかし、エリの家の生き残った者は皆、「一切れのパンでも食べれるように、祭司の仕事の一つに就かせてください」と願うようになるのです。そのようにして、エリの家は、自分たちが軽んじることによって失ったものが、どれほど重いものであるのかを知るようになるのです。
今朝の御言葉を読んで、主の裁きは厳しすぎると思われたのではないでしょうか。エリとその息子たちが罰を受けるだけではなく、その子孫たちまで罰を受けるのは、厳しすぎると思われます。けれども、私たちは、今朝の御言葉が、私たちに対する警告として記されていることを見落としてはなりません。主は、「わたしを重んずる者をわたしは重んじ、わたしを侮る者をわたしは軽んずる」と言われる御方です。その主を、私たちが軽んじるならば、私たちは自分に厳しい裁きを招くことになるのです。