エリの息子たちの罪 2020年10月21日(水曜 聖書と祈りの会)
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エリの息子たちの罪
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- 村田寿和 牧師
- 聖書
サムエル記上 2章12節~21節
聖書の言葉
2:12 エリの息子はならず者で、主を知ろうとしなかった。
2:13 この祭司たちは、人々に対して次のように行った。だれかがいけにえをささげていると、その肉を煮ている間に、祭司の下働きが三つまたの肉刺しを手にやって来て、
2:14 釜や鍋であれ、鉢や皿であれ、そこに突き入れた。肉刺しが突き上げたものはすべて、祭司のものとした。彼らは、シロに詣でるイスラエルの人々すべてに対して、このように行った。
2:15 そればかりでなく、人々が供え物の脂肪を燃やして煙にする前に、祭司の下働きがやって来て、いけにえをささげる人に言った。「祭司様のために焼く肉をよこしなさい。祭司は煮た肉は受け取らない。生でなければならない。」
2:16 「いつものように脂肪をすっかり燃やして煙になってから、あなたの思いどおりに取ってください」と言っても、下働きは、「今、よこしなさい。さもなければ力ずくで取る」と答えるのであった。
2:17 この下働きたちの罪は主に対する甚だ大きな罪であった。この人々が主への供え物を軽んじたからである。
2:18 サムエルは、亜麻布のエフォドを着て、下働きとして主の御前に仕えていた。
2:19 母は彼のために小さな上着を縫い、毎年、夫と一緒に年ごとのいけにえをささげに上って来るとき、それを届けた。
2:20 エリはエルカナとその妻を祝福し、「主に願って得たこの子の代わりに、主があなたにこの妻による子供を授けてくださいますように」と言った。こうして彼らは家に帰った。
2:21 主がハンナを顧みられたので、ハンナは身ごもり、息子を三人と娘を二人産んだ。少年サムエルは主のもとで成長した。サムエル記上 2章12節~21節
メッセージ
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今朝は、『サムエル記上』の第2章12節から21節より、「エリの息子たちの罪」という題でお話しします。
第1章3節に、「シロには、エリの二人の息子ホフニとピネハスがおり、祭司として主に仕えていた」と記されていました。しかし、エリの息子たちは、ならず者で、主を知ろうとしませんでした。エリの息子たちは、祭司として主に仕えていながら、主への畏れがなかったのです。エリの息子たちが主を畏れていなかったことは、主へのいけにえに対する態度からも分かります。だれかがいけにえをささげていると、その肉を煮ている間に、祭司の下働きが三つまたの肉刺しを手にやって来て、釜や鍋であれ、鉢や皿であれ、そこに突き入れました。そして、肉刺しが突き上げたものはすべて、祭司のものとしたのです。このような規定は、律法のどこにも記されていません。律法は「いけにえの一部を、祭司に分け与えるように」と記していますが、「肉刺しが突き上げたものを、祭司に分け与えるように」とは、どこにも記していません。つまり、エリの息子たちは、律法に定められていたよりも多くの取り分を得ていたのです。そのようなことが公然と行われて、慣例のようになっていたのです。
また、いけにえの脂肪は、主のものでありますが、エリの息子たちは、いけにえの脂肪を自分たちのものとしていました。「和解の献げ物」については、『レビ記』の第3章1節から5節に、こう記されています。旧約の165ページです。
献げ物を和解の献げ物とするときは、牛であれば、雄であれ雌であれ、無傷の牛を主にささげる。奉納者が献げ物とする牛の頭に手を置き、臨在の幕屋の入り口で屠ると、アロンの子らである祭司たちは血を祭壇の四つの側面に注ぎかける。奉納者がこの牛を燃やして主にささげる和解の献げ物とする場合は、内蔵を覆っている脂肪、内臓に付着する腰のあたりの脂肪、二つの腎臓と共に切り取った肝臓の尾状葉を取る。アロンの子らはこれを、祭壇の燃えている薪の上の焼き尽くす献げ物と共に煙にする。これが燃やして主にささげる宥めの香りである。
脂肪を取り分けて、燃やして、煙にする。そのようにして、脂肪は宥めの香りとして主にささげられるのです。
今朝の御言葉に戻ります。旧約の430ページです。
『レビ記』の規定によれば、脂肪は燃やして、煙にし、宥め香りとして、主に献げねばなりませんでした。しかし、人々が供え物の脂肪を燃やして煙にする前に、祭司の下働きがやって来て、いけにえをささげる人にこう言いました。「祭司様のために焼く肉をよこしなさい。祭司は煮た肉は受け取らない。生でなければならない」。主のための献げ物が、祭司のための献げ物となっていたのです。それに対して、人々は、こう言いました。「いつものように脂肪をすっかり燃やして煙りになってから、あなたの思いどおりに取ってください」。祭司ではない人々の方が、律法に適った正しいことを言っています。脂肪を燃やして、天に上っていく煙は、主への宥めの香りなのですから、そのことがなされないなら、罪の赦し、和解が成り立たないわけです。また、祭司の取り分については、『レビ記』の第7章28節から34節にこう記されています。旧約の171ページです。
主はモーセに仰せになった。イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。和解の献げ物を主にささげる者は、その中から次のものを主にささげよ。彼は燃やして主にささげる物を自分の手にささげ持つ。すなわち胸の肉に脂肪を載せてささげる。奉納する胸の肉は主の御前に奉納物とする。祭司は脂肪を祭壇で燃やして煙りにするが、胸の肉はアロンとその子らのものとなる。あなたたちはこの和解の献げ物のうち、右後ろ足を礼物として祭司に与えなさい。右後ろ足は、アロンの子らのうちで和解の献げ物の血と脂肪をささげる祭司のものである。なぜなら奉納物の胸の肉と献納物の右後ろ足は、イスラエルの民がささげる和解の献げ物のうちから、わたしが取り分けて、祭司アロンとその子らに与えたものだからである。これはイスラエルの人々が守るべき不変の定めである。
このように、祭司は、脂肪を燃やした後で、胸の肉と右後ろ足の肉を礼物(れいもつ)として分け与えられたのです。しかし、エリの息子たちは、「生で肉をよこしなさい」と要求したのです。
今朝の御言葉に戻ります。旧約の430ページです。
「いつものように脂肪をすっかり燃やして煙になってから、あなたの思いどおりに取ってください」と言う人々に対して、祭司の下働きたちは、こう言いました。「今、よこしなさい。さもなければ力ずくで取る」。彼らは、暴力で脅して、主へのいけにえを、自分たちのものとしていたのです。このことは、主に対するはなはだ大きな罪でありました。祭司は、主への供え物を重んじるべきであります。しかし、その祭司が主への供え物を軽んじていたのです。
他方、サムエルは、亜麻布のエフォドを着て、エリの下働きとして主に仕えておりました。「亜麻布のエフォド」は祭司が着る服ですから、サムエルは小さな祭司として、主に仕えていたのです。そのサムエルのために、母ハンナは、小さな上着を縫い、毎年、夫と一緒に年ごとのいけにえをささげに上って来るとき、それを届けました。ここには、サムエルの健やかな成長が暗示されています。サムエルの体が大きくなるので、毎年、新しい上着が必要であったのです。エリは年ごとにいけにえをささげに上って来るエルカナと妻を祝福して、こう言いました。「主に願って得たこの子の代わりに、主があなたにこの妻による子どもを授けてくださいますように」。そして、主がハンナを顧みられたので、ハンナは、身ごもり息子三人と娘二人を産んだのです。かつて、ハンナは、「子のない女は七人の子を産み/多くの子をもつ女は衰える」と歌いました(サムエル上2:5)。かつて子どものいなかったハンナは、主によって、六人の子どもを産むことになるのです。このようにして、主は、ハンナに報いてくださったのです。少年サムエルは主のもとで成長していきました。サムエルは、主を畏れる者として、成長していったのです。