幼子をささげるハンナ 2020年10月07日(水曜 聖書と祈りの会)
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幼子をささげるハンナ
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- 村田寿和 牧師
- 聖書
サムエル記上 1章21節~28節
聖書の言葉
1:21 さて、夫エルカナが家族と共に年ごとのいけにえと自分の満願の献げ物を主にささげるために上って行こうとしたとき、
1:22 ハンナは行こうとせず、夫に言った。「この子が乳離れしてから、一緒に主の御顔を仰ぎに行きます。そこにこの子をいつまでもとどまらせましょう。」
1:23 夫エルカナは妻に言った。「あなたがよいと思うようにしなさい。この子が乳離れするまで待つがよい。主がそのことを成就してくださるように。」ハンナはとどまって子に乳を与え、乳離れするまで育てた。
1:24 乳離れした後、ハンナは三歳の雄牛一頭、麦粉を一エファ、ぶどう酒の革袋を一つ携え、その子を連れてシロの主の家に上って行った。この子は幼子にすぎなかったが、
1:25 人々は雄牛を屠り、その子をエリのもとに連れて行った。
1:26 ハンナは言った。「祭司様、あなたは生きておられます。わたしは、ここであなたのそばに立って主に祈っていたあの女です。
1:27 わたしはこの子を授かるようにと祈り、主はわたしが願ったことをかなえてくださいました。
1:28 わたしは、この子を主にゆだねます。この子は生涯、主にゆだねられた者です。」彼らはそこで主を礼拝した。
サムエル記上 1章21節~28節
メッセージ
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今朝は、『サムエル記上』の1章21節から28節より、「幼子をささげるハンナ」という題でお話しします。
夫エルカナは、家族と共に年ごとのいけにえと自分の満願の献げ物を主にささげるためにシロに上って行こうとしました。「自分の満願の献げ物」とは、自分とハンナとの間に、男の子が産まれたことに対する感謝の献げ物のことでしょう。エルカナはハンナの誓いを認めていただけではなく、自分の誓いともしていたのです。「産まれてくる男の子の一生を主におささげします」という誓いは、母親になる妻だけでできる誓いではありません。父親となる夫に認められる必要があったのです。このことは律法に定められていたことでした。『民数記』の第30章11節から14節までを読みます。旧約の267ページです。
もし、妻が夫の家で誓願をし、あるいは物断ちを誓ってするとき、夫がそれを聞いても、彼女に何も言わずそれを禁じない場合、彼女の誓願も物断ちの誓いもすべて有効となる。しかし、夫がそれを聞いた日に、それをはっきりと破棄する場合、誓願も物断ちの誓いも、彼女が口にしたことは、すべてが無効となる。夫がそれを破棄したのであるから、主は彼女を赦されるであろう。誓願や苦行による物断ちの誓いはすべて、彼女の夫がそれを有効にも、無効にもすることができる。
この「誓願の規定」を念頭に置くとき、夫エルカナは、妻ハンナの誓いを認めて、自らの誓いとしたことが分かります。ですから、エルカナは、「自分の満願の供え物」をささげに、シロに上って行こうとしたのです。
今朝の御言葉に戻ります。旧約の429ページです。
エルカナはシロに上って行こうとするのですが、ハンナは行こうとせず、こう言いました。「この子が乳離れしてから、一緒に主の御顔を仰ぎに行きます。そこにこの子をいつまでもとどまらせましょう」。当時は、三歳頃に乳離れしました(二マカバイ7:27参照)。乳離れする三歳頃まで育ててから、主にささげるという判断は、順当な判断であると思います。もちろん、ここに、わが子に対する母親の愛情があったことは言うまでもありません。
エルカナは妻にこう言いました。「あなたがよいと思うようにしなさい。この子が乳離れするまで待つがよい。主がそのことを成就してくださるように」。エルカナは、誓願を実行する責任を持つ者として発言しています。当時は、子どもが生まれても三歳までに死んでしまうことが多くありました。『創世記』の第21章に、アブラハムがイサクの乳離れの日に盛大な祝宴を開いたことが記されています。それは、乳児が死んでしまう恐れのある期間を無事に乗り切ったことの祝いであったのです。ですから、エルカナの「主がそのことを成就してくださるように」という言葉は、「主がサムエルの命を乳離れするときまで守ってくださり、誓願のとおり、主におささげすることができるように」という意味であるのです。
ハンナは子どもを乳離れするまで育てました。そして、乳離れした後、ハンナは三歳の雄牛一頭、麦粉を一エファ、ぶどう酒の革袋を一つ携え、子どもを連れてシロの主の家に上りました。この献げ物に、ハンナの主に対する感謝の気持ちが表れています。雄牛を屠った後で、ハンナは子どもをエリのもとに連れて行き、こう言いました。「祭司様、あなたは生きておられます。わたしは、ここであなたのそばに立って主に祈っていたあの女です。わたしはこの子を授かるようにと祈り、主はわたしが願ったことをかなえてくださいました。わたしはこの子を主にゆだねます。この子は生涯、主にゆだねられた者です」。このように言われて、祭司エリは、驚いたと思います。と言いますのも、エリは、ハンナがどのようなことを祈ったのかを知らなかったからです(ハンナは声に出さずに祈った)。エリは、ハンナがどのようなことを祈ったかを知らないで、「安心して帰りなさい。イスラエルの神が、あなたの乞い願うことをかなえてくださるように」と言ったのです(1:17)。そして、実際、主はハンナを御心に留められて、ハンナは身ごもり男の子を産んだのでした。ハンナは、主に誓ったとおり、幼子を主にゆだねるのです。
ある説教者は、このハンナの行為に、幼児洗礼式を重ねています。私たちは、子どもが主からの授かりものであると信じています(創世4:25参照)。親は、主から授かった子供を、主におささげして、次の誓約をするのです。
1.あなたがたは、あなたがたの子に、イエス・キリストの血による罪の赦しと、聖霊による生まれ変わりの恵みが必要であることを認めますか。
2.あなたがたは、子のために神の契約の約束を信じ、求めますか。また、あなたがたは、自分のためになすように、子の救いのためにも、ただ主イエス・キリストにより頼みますか。
3.あなたがたは、今、あなたがたの子を全く神にささげますか。あなたがた は、謙虚に神の恵みにより頼み、あなたがたの子の前に敬虔の模範を示し、彼とともにまた彼のために祈り、教理を教え、また主の薫陶と訓戒のうちに彼を育てるように務めることを、約束しますか。
契約の子供の親たちが、誓約をしっかりと果たすことができるように。主がこのことを成就してくださるようにと祈ります。