サムエルの誕生 2020年9月30日(水曜 聖書と祈りの会)

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サムエルの誕生

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
サムエル記上 1章9節~20節

聖句のアイコン聖書の言葉

1:9 さて、シロでのいけにえの食事が終わり、ハンナは立ち上がった。祭司エリは主の神殿の柱に近い席に着いていた。
1:10 ハンナは悩み嘆いて主に祈り、激しく泣いた。
1:11 そして、誓いを立てて言った。「万軍の主よ、はしための苦しみを御覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生を主におささげし、その子の頭には決してかみそりを当てません。」
1:12 ハンナが主の御前であまりにも長く祈っているので、エリは彼女の口もとを注意して見た。
1:13 ハンナは心のうちで祈っていて、唇は動いていたが声は聞こえなかった。エリは彼女が酒に酔っているのだと思い、
1:14 彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましてきなさい。」
1:15 ハンナは答えた。「いいえ、祭司様、違います。わたしは深い悩みを持った女です。ぶどう酒も強い酒も飲んではおりません。ただ、主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました。
1:16 はしためを堕落した女だと誤解なさらないでください。今まで祈っていたのは、訴えたいこと、苦しいことが多くあるからです。」そこでエリは、
1:17 「安心して帰りなさい。イスラエルの神が、あなたの乞い願うことをかなえてくださるように」と答えた。
1:18 ハンナは、「はしためが御厚意を得ますように」と言ってそこを離れた。それから食事をしたが、彼女の表情はもはや前のようではなかった。
1:19 一家は朝早く起きて主の御前で礼拝し、ラマにある自分たちの家に帰って行った。エルカナは妻ハンナを知った。主は彼女を御心に留められ、
1:20 ハンナは身ごもり、月が満ちて男の子を産んだ。主に願って得た子供なので、その名をサムエル(その名は神)と名付けた。サムエル記上 1章9節~20節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『サムエル記上』の第1章9節から20節より、「サムエルの誕生」という題でお話しします。

 前回、お話したことですが、エルカナには、ハンナとペニナという二人の妻がいました。ペニナには子供がありましたが、ハンナには子供がありませんでした。ハンナは不妊の女であったのです。シロでのいけにえの食事は、ハンナにとって、ペニナにはたくさんの子供がいるが、自分には子供がいないことを思い知らされる時でありました。ハンナを敵と見るペニナも、嫌みを言って、ハンナを苦しめました。夫エルカナは、「わたしはあなたにとって十人の息子にまさるではないか」と言って慰めます。エルカナは確かに、ハンナを愛していたのです。

 さて、シロでのいけにえの食事が終わると、ハンナは立ち上がり、神殿に行きました。祭司エリは主の神殿の柱の近くの席に着いていました。その席からは、祈っている人たちの姿がよく見えたのでしょう。ハンナは悩み嘆いて主に祈り、激しく泣きました。子供は神さまからの授かりものですから、ハンナは、自分に子供を与えてくださるように、主に祈ったのです。ハンナの子供を授けてほしいという並々ならぬ思いは、「誓い」(誓願)という形をとります。その昔、族長のヤコブも誓願を立てて、祈ったことがありました。『創世記』の第28章20節から22節に、こう記されています(ヤコブは兄エサウから逃れて、伯父ラバンの住むパダン・アラムへ向かう)。

 ヤコブはまた、誓願を立てて言った。「神がわたしと共におられ、わたしが歩むこの旅路を守り、食べ物、着る物を与え、無事に父の家に帰らせてくださり、主がわたしの神となられるなら、わたしが記念碑としてこの石を神の家とし、すべて、あなたがわたしに与えられるものの十分の一をささげます」。

 このヤコブのように、ハンナも誓願を立てて、祈ったのです。誓願を立てることによって、自分の願いを神にかなえていただこうとしたのです。

 ハンナは誓いを立ててこう言いました。「万軍の主よ、はしための苦しみを御覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生を主におささげし、その子の頭には決してかみそりをあてません」。「その子の頭にかみそりをあてない」とは、その子をナジル人として、主にささげるということです。『士師記』の第13章に、士師であるサムソンの誕生のことが記されています。

 主の御使いは、マノアの妻に現れて、こう言いました。「あなたは不妊の女で、子を産んだことがない。だが、身ごもって男の子を産むであろう。今後、ぶどう酒や強い飲み物を飲まず、汚れた物を一切食べないように気をつけよ。あなたは身ごもって男の子を産む。その子は胎内にいるときから、ナジル人として神にささげられているので、その子の頭にかみそりを当ててはならない。かれは、ペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者となろう。」

 ハンナは、主が男の子を授けてくださるならば、その男の子をサムソンのようなナジル人として主にささげますと誓いを立てたのです。

 ハンナは主の御前に長い間、祈りをささげていました。エリが彼女の口元を注意して見ると唇は動いているが、声は出ていませんでした。当時は、神さまに祈るときは、声を出して祈るのが一般的でした。また、いけにえの食事ではぶどう酒を飲みました。それで、エリはハンナが酒に酔っていると勘違いして、こう言ったのです。「いつまで酔っているのか。酔いをさましてきなさい」。ハンナはこう答えます。「いいえ、祭司様、違います。わたしは深い悩みを持った女です。ぶどう酒も強い酒も飲んではおりません。ただ、主の御前に心からの願いを注ぎだしておりました。はしためを堕落した女だと誤解なさらないでください。今まで祈っていたのは、訴えたいこと、苦しいことが多くあるからです」。「心からの願いを注ぎだしていた」とありますが、『新改訳2017』は、「私は主の前に心を注ぎ出していたのです」と翻訳しています。祈り(黙祷)とは、主の御前に、私たちの心を注ぎ出すことであるのです。私たちは、人には言えないことであっても、神さまには洗いざらいお話しすることができます。ハンナは、訴えたいこと、苦しいことが多くあったので、主の御前で長く祈っていたのです。そこで、エリはハンナにこう言いました。「安心して帰りなさい。イスラエルの神が、あなたの乞い願うことをかなえてくださるように」。「安心して帰りなさい」は、直訳すると「平安(シャローム)に行きなさい」となります。これは、祭司が民を送り出すときの言葉です(士師18:6参照)。このとき、エリは、ハンナが何を願ったかは知りません。ハンナは心の中で祈ったのであって、苦しみの内容について、エリは知らないのです。けれども、エリは、祭司として、平安のうちにハンナを送り出し、神さまがハンナの祈りを聞いてくださることを願うのです。ハンナは、「はしためが御厚意をえますように」と言ってその場を離れ、食事の席に戻りました。何も食べようとしなかったハンナが食事をするのです。「彼女の表情はもはや前のようではなかった」とあります。主に心を注ぎだして祈る前は、彼女は暗い表情であったのでしょう。あるいは、憤った荒々しい表情であったかも知れません。しかし今や、彼女の表情は平安そのものであったのです。ハンナは、自分の願いを主が聞いてくださるとの確信を与えられて、平安を得ることができたのです。

 エルカナ一家は朝早く起きて主の御前で礼拝し、ラマ(「丘」の意)にある自分の家に帰って行きました。

 エルカナは妻ハンナを知り(性的な関係を持つことの婉曲的な表現)、主が彼女を御心に留められたので、ハンナは身ごもり、男の子を産みました。この男の子がサムエルであるのです。サムエルの名前の由来については次のように記されています。「主に願って得た子供なので、その名をサムエル(その名は神)と名付けた」。産まれた男の子が主に願って得た子供であることを忘れないために、ハンナは、その名をサムエルと名付けたのです。

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