今日、与えられた贖い手 2020年9月16日(水曜 聖書と祈りの会)
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今日、与えられた贖い手
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- 村田寿和 牧師
- 聖書
ルツ記 4章14節~22節
聖書の言葉
4:14 女たちはナオミに言った。「主をたたえよ。主はあなたを見捨てることなく、家を絶やさぬ責任のある人を今日お与えくださいました。どうか、イスラエルでその子の名があげられますように。
4:15 その子はあなたの魂を生き返らせる者となり、老後の支えとなるでしょう。あなたを愛する嫁、七人の息子にもまさるあの嫁がその子を産んだのですから。」
4:16 ナオミはその乳飲み子をふところに抱き上げ、養い育てた。
4:17 近所の婦人たちは、ナオミに子供が生まれたと言って、その子に名前を付け、その子をオベドと名付けた。オベドはエッサイの父、エッサイはダビデの父である。
4:18 ペレツの系図は次のとおりである。ペレツにはヘツロンが生まれた。
4:19 ヘツロンにはラムが生まれ、ラムにはアミナダブが生まれた。
4:20 アミナダブにはナフションが生まれ、ナフションにはサルマが生まれた。
4:21 サルマにはボアズが生まれ、ボアズにはオベドが生まれた。
4:22 オベドにはエッサイが生まれ、エッサイにはダビデが生まれた。ルツ記 4章14節~22節
メッセージ
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今朝は、『ルツ記』の第4章14節から22節より、「今日、与えられた贖い手」という題でお話しします。
ナオミがモアブの地からベツレヘムに帰って来たとき、女たちが、ナオミさんではありませんかと声を掛けました。すると、ナオミは、女たちにこう答えました。「どうか、ナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです。出て行くときは、満たされていたわたしを/主はうつろにして帰らせたのです。なぜ、快い(ナオミ)などと呼ぶのですか。主がわたしを悩ませ/全能者がわたしを不幸に落とされたのに」(ルツ1:20,21)。女たちは、このナオミの言葉を忘れてはいなかったと思います。その女たちが、ナオミにこう言うのです。「主をたたえよ。主はあなたを見捨てることなく、家を絶やさぬ責任のある人を今日お与えくださいました。どうか、イスラエルでその子の名があげられますように。その子はあなたの魂を生き返らせる者となり、老後の支えとなるでしょう。あなたを愛する嫁、七人の息子にもまさるあの嫁がその子を産んだのですから」。「家の絶やさぬ責任のある人」とは、ゴーエール、贖い手のことです。主が今日、与えてくださった贖い手とは、誰のことでしょうか。それは、ボアズとルツとの間に産まれた男の子のことです。愛する嫁であるルツが産んだ男の子は、夫も息子も亡くしたナオミにとって、贖い手であるのです。具体的に言えば、その子は、ナオミの魂を生き返らせ、老後の生活を支える者となるのです。ナオミがモアブの地から帰って来たとき、女たちはルツについては一言も触れませんでした。しかし、ここでは、「七人の息子にまさる嫁」と最大の賛辞を送っています。ルツは、ナオミを愛する嫁としてボアズと結婚し、贖い手である男の子を産んだのです。そのようにして、エリメレクの家系は絶えることを免れたのです。
16節に、こう記されています。「ナオミはその乳飲み子をふところに抱き上げ、養い育てた。近所の婦人たちは、ナオミに子供が生まれたと言って、その子に名前を付け、その子をオベドと名付けた」(~17a)。ある人は、ナオミがルツの産んだ子を、養子にして育てたと解釈しますが、必ずしもそのように解釈する必要はないと思います。なぜなら、昔は、三代、四代が共に暮らす大所帯であったからです。その子は近所の婦人たちによって、オベド(仕える者)と名付けられました。このオベドからエッサイが産まれ、エッサイからダビデ王が産まれるのです。そして、ダビデ王の子孫から、私たちの贖い主、イエス・キリストがお生まれになるのです。今朝は、そのことを確認して終わりたいと思います。新約聖書の1ページ。『マタイによる福音書』の第1章1節から16節までをお読みします。
アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。
アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。
ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、ソロモンはレハブアムをもうけ、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、ヨシヤは、バビロンへ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。
バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、ゼルバベルはアビウドを、アビウドはエリアキムを、エリアキムはアゾルを、アゾルはサドクを、サドクはアキムを、アキムはエリウドを、エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。
5節と6節に、「ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた」とあります。このように、ルツは、メシアの系図に名前を連ねる女性となるのです。ルツがいなければ、メシアとよばれるイエスはお生まれにならなかったのです。そのことを覚えつつ、私たちは、人々の背後で働き、導いておられる主の御名を崇めたいと願います。