人々の祝福と神の祝福 2020年9月09日(水曜 聖書と祈りの会)
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人々の祝福と神の祝福
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- 村田寿和 牧師
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ルツ記 4章11節~13節
聖書の言葉
4:11 門のところにいたすべての民と長老たちは言った。「そうです、わたしたちは証人です。あなたが家に迎え入れる婦人を、どうか、主がイスラエルの家を建てたラケルとレアの二人のようにしてくださるように。また、あなたがエフラタで富を増し、ベツレヘムで名をあげられるように。
4:12 どうか、主がこの若い婦人によってあなたに子宝をお与えになり、タマルがユダのために産んだペレツの家のように、御家庭が恵まれるように。」
4:13 ボアズはこうしてルツをめとったので、ルツはボアズの妻となり、ボアズは彼女のところに入った。主が身ごもらせたので、ルツは男の子を産んだ。ルツ記 4章11節~13節
メッセージ
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今朝は、『ルツ記』の第4章11節から13節より、「人々の祝福と神の祝福」という題でお話しします。
親戚の人から履物を受け取ったボアズは、長老とすべての民にこう言いました。「あなたがたは、今日、わたしがエリメレクとキルヨンとマフロンの遺産をことごとくナオミの手から買い取ったことの証人になったのです。また、わたしはマフロンの妻であったモアブの婦人ルツを引き取って妻とします。故人の名をその嗣業の土地に再興するため、また故人の名が郷里の門から絶えてしまわないためです。あなたがたは、今日、このことの証人になったのです」。すると、門のところにいたすべての民と長老たちはこう言いました。「そうです。わたしたちは証人です。あなたが家に迎え入れる婦人を、どうか、主がイスラエルの家を建てたラケルとレアの二人のようにしてくださるように」。ここには、ボアズが妻として迎えるルツに対する主の祝福を願う言葉が記されています。人々は、主がモアブの女であるルツを、イスラエルの家を建てたラケルとレアのようにしてくださるようにと言うのです。これは、驚くべきことですね。と言いますのも、『申命記』の第23章4節から7節にこう記されていたからです。旧約の316ページです。
アンモン人とモアブ人は主の会衆に加わることはできない。十代目になっても、決して主の会衆に加わることはできない。それは、かつてあなたたちがエジプトから出て来たとき、彼らがパンと水を用意して旅路を歓迎せず、アラム・ナハライムのペトルからベオルの子バラムを雇って、あなたを呪わせようとしたからである。あなたの神、主はバラムに耳を傾けず、あなたの神、主はあなたのために呪いを祝福に代えられた。あなたの神、主があなたを愛されたからにほかならない。あなたは生涯いつまでも彼らの繁栄や幸福を求めてはならない。
これまで、『ルツ記』は、ルツがモアブの女であることを何度も記してきました。しかし、ルツがモアブ人であることによって、差別を受けたとは一度も記していません。人々は、モアブ人であるルツを、イスラエル人と同じように、受け入れています。それどころか、モアブ人であるルツを、主がイスラエルの家を建てたラケルとレアのようにしてくださるようにと言うのです。このことは、当時の社会において、『申命記』の掟が知られていなかったことを示しています。『申命記』は、モーセが約束の地カナンに入る前にした説教ですが、長い間、歴史の中に埋もれていました。『列王記下』の第22章に、ユダの王ヨシヤの治世のことが記されています。ヨシヤは神殿の修復工事を命じるのですが、その時、神殿から発見された律法の書が、『申命記』であると考えられています(列王下22:8参照)。『ルツ記』のお話の時代設定は、「士師が世を治めていたころ」でした(ルツ1:1)。士師が世を治めていた時代とは、どのような時代であったのかと言えば、「それぞれ自分の目に正しいことを行っていた」時代でした(士師21:25)。そのような時代にあって、モアブ人であるルツは、何の差別も受けておらず、むしろ、立派な婦人として認められ、人々から「ラケルとレアの二人のようにしてくださるように」との祝福を受けるのです。この背景には、バビロン捕囚後になされたネヘミヤとエズラによる民族主義的な政策に反対する声があると言われます。バビロン捕囚から帰って来たエズラは、イスラエルの人々に外国人の妻と離縁することを強制しました(エズラ記10章参照)。そのような民族主義的なものの考え方に対して、『ルツ記』は、ダビデ王の誕生に、モアブ人ルツが関わっていることを記すことによって抗議したと言うのです。これは、一つの解釈ですが、覚えていてよい解釈であると思います。聖書のある書物が、他の書物を批判している。いわば、聖書が自己批判しているのです。聖書はそのような懐が広い書物であるのです。
今朝の御言葉に戻ります。旧約の427ページです。
すべての民と長老たちは、続けてこう言いました。「また、あなたがエフラタで富を増し、ベツレヘムで名をあげられるように。どうか、主がこの若い婦人によってあなたに子宝をお与えになり、タマルがユダのために産んだペレツの家のように、御家庭が恵まれるように」。「エフラタ」とは一族の名であり、「ベツレヘム」とは地名であります。第1章3節に、モアブに移り住んだエリメレクたちが、「ユダのベツレヘム出身のエフラタ族の者であった」と記されていました。そのところに、対応して、「エフラタ」と「ベツレヘム」の名があげられているのです。人々は、「どうか、主がこの若い婦人によってあなたに子宝をお与えになり、タマルがユダのために産んだペレツの家のように、御家庭が恵まれるように」と祈ります。タマルがユダのためにペレツを産んだことは、『創世記』の第38章に記されています。タマルは、娼婦に変装して、義理の父親のユダによって身ごもるのです。これは、律法で禁じられている性的な関係ですが、聖書は、ユダの口を通して、「タマルは正しい」と語っています。子をもうけて、未来を切り開くことにおいて、タマルは正しいのです。そして、タマルの大胆な振る舞いがあったからこそ、ユダ族の今があるのですね。ルツも、麦打ち場において、大胆な振る舞いをしました。ルツは、自分の方から結婚を申し込んだのです。そのようなルツを通して、子供が与えられ、御家庭が祝福されるようにと、人々は言うのです。そして、主は、そのようにしてくださるのです。13節に、ボアズがルツと結婚したこと、また、ルツが男の子を産んだことが記されています。「主が身ごもらせたので、ルツは男の子を産んだ」とあります。ルツは、亡き夫マフロンとの10年間の結婚生活において子供が授けられませんでした。ルツはいわゆる不妊の女であったのです。しかし、主が身ごもらせたので、ルツはボアズとの間に男の子を産んだのです。後に、この男の子は、ダビデ王の祖父となります。そして、ダビデの子孫から、救い主イエス・キリストが生まれるのです。ボアズとルツに対する主の祝福は、私たちにも及んでいるのです。