贖い手であるボアズ 2020年9月02日(水曜 聖書と祈りの会)
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贖い手であるボアズ
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- 村田寿和 牧師
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ルツ記 4章1節~10節
聖書の言葉
4:1 ボアズが町の門のところへ上って行って座ると、折よく、ボアズが話していた当の親戚の人が通り過ぎようとした。「引き返してここにお座りください」と言うと、その人は引き返してきて座った。
4:2 ボアズは町の長老のうちから十人を選び、ここに座ってくださいと頼んだので、彼らも座った。
4:3 ボアズはその親戚の人に言った。「モアブの野から帰って来たナオミが、わたしたちの一族エリメレクの所有する畑地を手放そうとしています。
4:4 それでわたしの考えをお耳に入れたいと思ったのです。もしあなたに責任を果たすおつもりがあるのでしたら、この裁きの座にいる人々と民の長老たちの前で買い取ってください。もし責任を果たせないのでしたら、わたしにそう言ってください。それならわたしが考えます。責任を負っている人はあなたのほかになく、わたしはその次の者ですから。」「それではわたしがその責任を果たしましょう」と彼が言うと、
4:5 ボアズは続けた。「あなたがナオミの手から畑地を買い取るときには、亡くなった息子の妻であるモアブの婦人ルツも引き取らなければなりません。故人の名をその嗣業の土地に再興するためです。」
4:6 すると親戚の人は言った。「そこまで責任を負うことは、わたしにはできかねます。それではわたしの嗣業を損なうことになります。親族としてわたしが果たすべき責任をあなたが果たしてくださいませんか。そこまで責任を負うことは、わたしにはできかねます。」
4:7 かつてイスラエルでは、親族としての責任の履行や譲渡にあたって、一切の手続きを認証するためには、当事者が自分の履物を脱いで相手に渡すことになっていた。これが、イスラエルにおける認証の手続きであった。
4:8 その親戚の人は、「どうぞあなたがその人をお引き取りください」とボアズに言って、履物を脱いだ。
4:9 ボアズはそこで、長老とすべての民に言った。「あなたがたは、今日、わたしがエリメレクとキルヨンとマフロンの遺産をことごとくナオミの手から買い取ったことの証人になったのです。
4:10 また、わたしはマフロンの妻であったモアブの婦人ルツも引き取って妻とします。故人の名をその嗣業の土地に再興するため、また故人の名が一族や郷里の門から絶えてしまわないためです。あなたがたは、今日、このことの証人になったのです。」ルツ記 4章1節~10節
メッセージ
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今朝は、『ルツ記』の第4章1節から10節より、「贖い手であるボアズ」という題でお話しします。
1節に、「ボアズが町の門のところへ上って座ると」とあります。「町の門のところ」とは、町を治める長老たちが公の裁判や商売の交渉を取り仕切る場所のことです。ボアズが、町の門のところへ上って座ったことは、彼が長老の一人であり、有力な人物であることを物語っています(2:1参照)。ボアズは、自分以上に家を絶やさない責任のある人と交渉するために、町の門のところに座っていたのです。すると、折よく、ボアズが話していた当の親戚の人、贖い手(ゴーエール)が通り過ぎようとしました。ボアズが「引き返してここにお座りください」と言うと、その人は引き返してきて座りました。その人は、ボアズの言ったとおりにしたわけです。ボアズは町の長老のうちから10人を選び、そこに座らせました。この10人の長老たちは、これから起こることの証人であるのです。ボアズは親戚の人(贖い手)にこう言いました。「モアブの野から帰って来たナオミが、わたしたちの一族エリメレクの所有する畑地を手放そうとしています。それでわたしの考えをお耳に入れたいと思ったのです。もしあなたに責任を果たすおつもりがあるのでしたら、この裁きの座にいる人々と民の長老たちの前で買い取ってください。もし責任を果たせないのでしたら、わたしにそう言ってください。それならわたしが考えます。責任を負っている人はあなたのほかになく、わたしはその次の者ですから」。ここで、「責任を果たす」と訳されている言葉は「贖う」ゴーエールという言葉です。ボアズは、「もし、あなたが贖うというなら、どうぞ、贖って下さい。もし、贖わないというならば、私に〔そう〕告げて下さい」と言っているのです(岩波訳)。このボアズの言葉の背景にあるのは、『レビ記』の第25章に記されている掟であります。旧約の203ページです。『レビ記』の第25章23節から25節までをお読みします。
土地を売らねばならないときにも、土地を買い戻す権利を放棄してはならない。土地はわたしのものであり、あなたたちはわたしの土地に寄留し、滞在する者にすぎない。あなたたちの所有地においてはどこでも、土地を買い戻す権利を認めねばならない。もし同胞の一人が貧しくなったため、自分の所有地の一部を売ったならば、それを買い戻す義務を負う親戚が来て、売った土地を買い戻さねばならない。
ボアズは、この掟を背景にして、親戚の人に、兄弟エリメレクの土地を贖うかどうかを尋ねたのです。
今朝の御言葉に戻ります。旧約の426ページです。
それにしても、ボアズは、「ナオミがエリメレクの所有する畑地を手放そうとしている」という情報をどこから得たのでしょうか。やはり、ルツが知らないところで、ナオミとボアズが接触していたようですね。第3章1節で、ナオミは、ルツに、「わたしの娘よ、わたしはあなたが幸せになる落ち着き先を探してきました」と言いましたが、このときに、ボアズはナオミからエリメレクの土地のことを聞いていたのでしょう。それで、ボアズは、当の親戚の人に、土地を買い取って責任を果たすかどうかを尋ねるのです。その人は、「それではわたしが贖いましょう」と答えました。先程のレビ記の掟に従って、親戚としての責任を果たすと言うのです。すると、ボアズはこう続けて言いました。「あなたがナオミの手から畑地を買い取るときには、亡くなった息子の妻であるモアブの婦人ルツも引き取らなければなりません。故人の名をその嗣業の土地に再興するためです」。このボアズの言葉は、『申命記』の第25章に記されている掟を背景にしています。旧約の319ページです。『申命記』の第25章5節と6節を読みます。
兄弟が共に暮らしていて、そのうちの一人が子供を残さずに死んだならば、死んだ者の妻は家族以外の他の者に嫁いではならない。亡夫の兄弟が彼女のところに入り、めとって妻として、兄弟の義務を果たし、彼女の産んだ長子に死んだ兄弟の名を継がせ、その名がイスラエルの中から絶えないようにしなければならない。
この『申命記』の掟は、兄弟を対象にしていますが、ボアズはそれを「親戚」まで広げて、解釈しています。土地を贖うだけではなく、未亡人であるルツを妻として、子をもうけ、故人の名を立てなければならないと、ボアズは言うのです。ボアズは、『レビ記』の第25章の掟と『申命記』の第25章の掟を合わせて、その両方の責任を果たすことを親戚の人に求めるのです。
今朝の御言葉に戻ります。旧約の426ページです。
すると親戚の人はこう言いました。「そこまで責任を負うことは、わたしにはできかねます。それではわたしの嗣業を損なうことになります。親族としてわたしが果たすべき責任をあなたが果たしてくださいませんか。そこまで責任を負うことは、わたしにはできかねます」。このような答えを、ボアズは当然、予想していたと思います。それで、ボアズは、当事者が自分の履物を脱いで相手に渡すという正式な手続きを経て、贖いの責任を引き受けるのです。その親戚の人は、「どうぞあなたがその人をお引き取りください」とボアズに言って、履物を脱ぎました(申命25:8~10参照)。ボアズはそこで、長老とすべての民にこう言うのです。「あなたがたは、今日、わたしがエリメレクとキルヨンとマフロンの遺産をことごとくナオミの手から買い取ったことの証人になったのです。また、わたしはマフロンの妻であったモアブの婦人ルツも引き取って妻とします。故人の名をその嗣業の土地に再興するため、また故人の名が一族や郷里の門から絶えてしまわないためです。あなたがたは、今日、このことの証人になったのです」。「故人の名をその嗣業の土地に再興する」とは「家系を絶やさない」ことを意味しています。また、「故人の名が一族や郷里の門から絶えてしまわない」とは、「先祖の名を唱える祭儀」に関係しているようです。子孫が絶えてしまえば、先祖の名は忘れられてしまいます。しかし、子孫が続くならば、先祖の名は唱えられ、覚えられるのです。このことは、お墓に、葬られた人の名前を刻むことや、墓地記念会を行うことを考えるならばよく分かると思います。このように、ボアズは、ナオミの手から畑地を買い取ることによって、また、ルツを引き取って妻とすることによって、贖い手となるのです。ナオミは、第2章20節で、主のことを、「生きている人にも死んだ人にも慈しみを惜しまれない主」と言いました。その主の慈しみは、贖い手であるボアズを通してもたらされるのです。