ボアズの誓い 2020年8月26日(水曜 聖書と祈りの会)

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ボアズの誓い

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ルツ記 3章11節~18節

聖句のアイコン聖書の言葉

3:11 わたしの娘よ、心配しなくていい。きっと、あなたが言うとおりにします。この町のおもだった人は皆、あなたが立派な婦人であることをよく知っている。
3:12 確かにわたしも家を絶やさぬ責任のある人間ですが、実はわたし以上にその責任のある人がいる。
3:13 今夜はここで過ごしなさい。明日の朝その人が責任を果たすというのならそうさせよう。しかし、それを好まないなら、主は生きておられる。わたしが責任を果たします。さあ、朝まで休みなさい。」
3:14 ルツは、夜が明けるまでボアズの足もとで休んだ。ルツはまだ人の見分けのつかない暗いうちに起きた。麦打ち場に彼女の来たことが人に知られてはならない、とボアズが考えたからである。
3:15 ボアズは言った。「羽織ってきた肩掛けを出して、しっかりつかんでいなさい。」ルツがしっかりとつかんだ肩掛けの中に大麦を六杯量ってルツに背負わせると、ボアズは町へ戻って行った。
3:16 ルツがしゅうとめのところへ帰ると、ナオミは、「娘よ、どうでしたか」と尋ねた。ルツはボアズがしてくれたことをもれなく伝えてから、
3:17 「この六杯の大麦は、あなたのしゅうとめのところへ手ぶらで帰すわけにはいかないとおっしゃって、あの方がくださったのです」と言うと、
3:18 ナオミは言った。「わたしの娘よ、成り行きがはっきりするまでじっとしていなさい。あの人は、今日中に決着がつかなければ、落ち着かないでしょう。」
ルツ記 3章11節~18節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『ルツ記』の第3章11節から18節より、「ボアズの誓い」という題でお話しします。

 前回、私たちは、ルツがナオミの言葉に従って、ボアズに結婚を申し込んだことを学びました。ルツは、ボアズにこう言いました。「どうぞ、あなたの衣の裾を広げて、このはしためを覆ってください。あなたは家を絶やさぬ責任のある方です」。すると、ボアズはこう言いました。「わたしの娘よ。どうかあなたに主の祝福があるように。あなたは、若者なら、富のあるなしにかかわらず追いかけるというようなことはしなかった。今あなたが示した真心は、今までの真心よりまさっています」。この真心は、しゅうとめであるナオミに対する真心であり、さらには、家を絶やさないという共同体への忠実な愛であるのです。今朝は、その続きの11節から読み進めていきます。

 ボアズは続けてこう言いました。「わたしの娘よ、心配しなくていい。きっとあなたが言うとおりにします。この町のおもだった人は皆、あなたが立派な婦人であることをよく知っている」。ボアズは、心配するルツに、「きっとあなたの言うとおりにします」と言いました。ルツは門にいるおもだった人たちに認められる立派な婦人であるのです。ここで「立派な婦人」と訳されている言葉は、『箴言』の第31章では「有能な妻」と翻訳されています。そのところを開いて読んでみたいと思います。旧約の1033ページです。

 有能な妻を見いだすのは誰か。真珠よりはるかに貴い妻を。夫は心から彼女を信頼している。儲けに不足することはない。彼女は生涯の日々/夫に幸いをもたらすが、災いはもたらさない。羊毛と亜麻を求め/手ずから望みどおりのものに仕立てる。商人の船のように/遠くからパンを運んで来る。夜の明ける前に起き出して/一族には食べ物を供し/召し使いの女たちには指図を与える。熟慮して畑を買い/手ずから実らせた儲けでぶどう畑をひらく。力強く腰に帯し、腕を強くする。商売が好調かどうか味わい/灯は夜も消えることがない。手を糸車に伸べ、手のひらに錘をあやつる。貧しい人には手を開き、乏しい人に手を伸べる。雪が降っても一族に憂いはない。一族は皆、衣を重ねているから。敷物を自分のために織り、麻と紫布の衣を着ている。夫は名を知られた人で/その地の長老らと城門で座に着いている。彼女は亜麻布を織って売り、帯を商人に渡す。力と気品をまとい、未来にほほえみかける。口を開いて知恵の言葉を語り/慈しみの教えをその舌にのせる。一族の様子によく目を配り/怠惰のパンを食べることはない。息子らは立って彼女を幸いな人と呼び/夫は彼女をたたえて言う。「有能な女は多いが/あなたはなお、そのすべてにまさる」と。あでやかさは欺き、美しさは空しい。主を畏れる女こそ、たたえられる。彼女にその手の実りを報いよ。その業を町の城門でたたえよ。

 ボアズが、ルツのことを「立派な婦人」と言うとき、このようなイメージがあるのです。ルツは未亡人であり、子どもがありませんから、「有能な妻」の記述と完全に一致するわけではありません。しかし、「主を畏れる女」である点においては同じでありました。ルツがしゅうとめであるナオミに示した真心の背後には、主を畏れる信仰があったのです(1:16,17参照)。

 今朝の御言葉に戻ります。旧約の425ページです。

 ボアズは、ルツにこう言いました。「確かにわたしも家を絶やさぬ責任のある人間ですが、実はわたし以上にその責任のある人がいる。今夜はここで過ごしなさい。明日の朝その人が責任を果たすというのならそうさせよう。しかし、それを好まないなら、主は生きておられる。わたしが責任を果たします。さあ、朝まで休みなさい」。ここで、「家を絶やさぬ責任のある人間」と訳されている言葉は、「贖い手」と訳されるゴーエールという言葉です。また、「責任を果たす」と訳されている言葉も「贖う」という言葉です。岩波書店から出ている『旧約聖書』は、12節と13節を次のように翻訳しています。「ところで、私が贖い手の一人であるとは本当ですが、じつは、私よりなお近親の贖い手がもう一人いるのです。今夜はもう、〔ここに〕お泊まりなさい。明朝、もしその彼があなたを贖おうとするなら、それもよし。彼に贖わせましょう。もし彼があなたを贖うことを好まないというなら、ヤハウェに誓って〔言いますが〕、この私があなたを贖いましょう。さあ、朝までおやすみなさい」。贖うとは、『新共同訳聖書』が意訳しているように、ナオミの家を絶やさないために、ルツと結婚するということです。ルツと結婚して、ナオミの家が絶えてしまう危機的状況から救い出すことです。ここで、ボアズもルツとの結婚を、神の掟に従うことと考えています。好きか嫌いかの観点ではなく、共同体を存続させる神の掟に従うか従わないかの観点で結婚を考えているのです。それゆえ、ボアズは、自分よりも近親の者が贖わない場合には、必ずルツを贖う、ルツと結婚することを、主に誓うのです。

 ボアズは、人の見分けがつかない暗い内に、大麦六杯を背負わせて、ルツをナオミのもとへ帰しました。この大麦は、「あなたのしゅうとめのところへ手ぶらで帰すわけに

はいかない」と言って、ボアズがルツに持たせたものでした。この大麦は、ボアズがルツと結婚した暁には、しゅうとめであるナオミの世話をする保証の品であります。ボアズが贖うのは、「わたしたちの家」であり、そこにはルツだけではなく、ナオミも含まれているのです。

 ナオミは、ルツに、こう言いました。「わたしの娘よ、成り行きがはっきりするまでじっとしていなさい。あの人は、今日中に決着がつかなければ、落ち着かないでしょう」。ルツはナオミの言葉に従って行動しました。しかし、今やすることは何もありません。腰を落ち着けて待つだけです。御言葉に従って最善を尽くして待つ。これこそ、私たち信仰者の姿であるのです。

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