私たちの贖い手の一人 2020年8月05日(水曜 聖書と祈りの会)

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私たちの贖い手の一人

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ルツ記 2章18節~23節

聖句のアイコン聖書の言葉

2:18 それを背負って町に帰ると、しゅうとめは嫁が拾い集めてきたものに目をみはった。ルツは飽き足りて残した食べ物も差し出した。
2:19 しゅうとめがルツに、「今日は一体どこで落ち穂を拾い集めたのですか。どこで働いてきたのですか。あなたに目をかけてくださった方に祝福がありますように」と言うと、ルツは、誰のところで働いたかをしゅうとめに報告して言った。「今日働かせてくださった方は名をボアズと言っておられました。」
2:20 ナオミは嫁に言った。「どうか、生きている人にも死んだ人にも慈しみを惜しまれない主が、その人を祝福してくださるように。」ナオミは更に続けた。「その人はわたしたちと縁続きの人です。わたしたちの家を絶やさないようにする責任のある人の一人です。」
2:21 モアブの女ルツは言った。「その方はわたしに、『うちの刈り入れが全部済むまで、うちの若者から決して離れないでいなさい』と言ってくださいました。」
2:22 ナオミは嫁ルツに答えた。「わたしの娘よ、すばらしいことです。あそこで働く女たちと一緒に畑に行けるとは。よその畑で、だれかからひどい目に遭わされることもないし。」
2:23 ルツはこうして、大麦と小麦の刈り入れが終わるまで、ボアズのところで働く女たちから離れることなく落ち穂を拾った。ルツ記 2章18節~23節

原稿のアイコンメッセージ

今日は、『ルツ記』の第2章18節から23節より、「私たちの贖い手の一人」という題でお話します。

 ルツは拾い集めた穂を背負って、しゅうとめであるナオミの待つ家に帰りました。ナオミはルツが拾い集めたものに目を見張りました。ルツが1エファ、23リットルもの大麦を背負って帰ってきたからです。また、ルツは飽き足りて残した食べ物もナオミに差し出しました。

 ナオミはルツにこう言いました。「今日は一体どこで落ち穂を拾い集めたのですか。どこで働いてきたのですか。あなたに目をかけてくださった方に祝福がありますように」。それに対して、ルツはこう答えました。「今日働かせてくださった方は名をボアズと言っておられました」。「ボアズ」という名前を聞いて、ナオミはますます驚いたと思います。なぜなら、「ボアズ」は亡き夫エリメレクの一族の者であったからです。20節でナオミは嫁ルツにこう言っています。「どうか、生きている人にも死んだ人にも慈しみを惜しまれない主が、その人を祝福してくださるように」。ナオミは、ベツレヘムに帰って来たとき、「主がわたしを悩ませ/全能者がわたしを不幸に落とされた」と言っていました(1:21)。しかし、ここでは、主を「生きている人にも死んだ人にも慈しみを惜しまれない主」と呼ぶのです。「生きている人」とは、「自分と嫁のルツ」のことでしょう。また、「死んだ人」とは「夫のエリメレクと息子のマフロンとキルヨンのことでしょう。なぜ、ナオミは、「どうか、生きている人にも死んだ人にも慈しみを惜しまれない主が、ボアズを祝福してくださるように」と言ったのでしょうか?それは、ボアズが自分たちの親戚であり、家を絶やさないようにする責任がある人の一人であるからです。20節の後半を、岩波書店から出ている『旧約聖書』は次のように訳しています。「その人はね、私たちの近親者で、私たちの贖い手の一人ですよ」。元の言葉を見ると、「贖い手」と訳される「ゴーエール」という言葉が用いられています。『新共同訳聖書』は、「贖い手(ゴーエール)」という言葉を意訳して、「わたしたちの家を絶やさないようにする責任のある人」と記しているのです。このナオミの言葉の背景には、『申命記』の第25章に記されているレビラート婚の規定があります。旧約の319ページ。『申命記』の第25章5節から10節までを読みます。

 兄弟が共に暮らしていて、そのうちの一人が子供を残さずに死んだならば、死んだ者の妻は家族以外の他の者に嫁いではならない。亡夫の兄弟が彼女のところに入り、めとって妻として、兄弟の義務を果たし、彼女の産んだ長子に死んだ兄弟の名を継がせ、その名がイスラエルの中から絶えないようにしなければならない。もし、その人が義理の姉妹をめとろうとしない場合、彼女は町の門に行って長老たちに訴えて、こう言うべきである。「わたしの義理の兄弟は、その兄弟の名をイスラエルの中に残すのを拒んで、わたしのために兄弟の義務を果たそうとしません。」町の長老たちは彼を呼び出して、説得しなければならない。もし彼が、「わたしは彼女をめとりたくない」と言い張るならば、義理の姉妹は、長老たちの前で彼に近づいて、彼の靴をその足から脱がせ、その顔に唾を吐き、彼に答えて、「自分の兄弟の家を興さない者はこのようにされる」と言うべきである。彼はイスラエルの間で、「靴を脱がされた者の家」と呼ばれるであろう。

 ナオミは、この申命記の規定を、親戚まで拡大して、ボアズを「わたしたちの家を絶やさないようにする責任のある人の一人」と言ったのです。

 今日の御言葉に戻ります。旧約の424ページです。

 21節で、ルツは、ボアズについてこう言いました。「その方はわたしに、『うちの刈り入れが全部済むまで、うちの若者から決して離れないでいなさい』と言ってくださいました」。ルツは、ナオミから聞いて、初めて、ボアズが親戚であることを知ります。けれども、何もかも聞いていたボアズは、ルツが自分と縁続きの者であることを知っていたと思われます。ボアズがルツに目をかけ、厚意を示したのは、ルツが縁続きの者でもあったからです。

 ナオミは嫁ルツにこう答えました。「わたしの娘よ、すばらしいことです。あそこで働く女たちと一緒に畑に行けるとは。よその畑で、だれかからひどい目に遭わされることもないし」。『ルツ記』は、安心して読める、平和な物語です。モアブ人であるルツがいじめられて、乱暴を受けたなどということは記されていません。それは、贖い手の一人であるボアズが、ルツに目をかけて、守っているからなのです。神さまは、ボアズを通して、御翼のもとに逃れて来たルツを守ってくださっているのです。そればかりか、再び家を興す希望を与えてくださったのです。

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