律法学者を非難するイエス 2026年2月15日(日曜 朝の礼拝)
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律法学者を非難するイエス
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- 村田寿和 牧師
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ルカによる福音書 11章45節~54節
聖書の言葉
11:45 すると、律法の専門家の一人が、「先生、そんなことをおっしゃれば、私たちをも侮辱することになります」と言った。
11:46 イエスは言われた。「あなたがた律法の専門家にも災いあれ。あなたがたは、人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分ではその重荷に指一本も触れようとしない。
11:47 あなたがたに災いあれ。あなたがたは、自分の先祖が殺した預言者たちの墓を建てているからだ。
11:48 だから、あなたがたは先祖の仕業の証人であり、それに同意しているのだ。先祖が殺し、あなたがたが墓を建てているからである。
11:49 それゆえ、神の知恵もこう言っている。『私は預言者や使徒たちを遣わすが、人々はそのうちのある者を殺し、ある者を迫害する。』
11:50 それで、天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、今の時代が責任を問われることになる。
11:51 それは、アベルの血から、祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血にまで及ぶ。そうだ、言っておくが、今の時代はその責任を問われる。
11:52 あなたがた律法の専門家にも災いあれ。あなたがたは、知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、入ろうとする人々まで妨げてきた。」
11:53 イエスがそこを出て行かれると、律法学者たちやファリサイ派の人々は激しい敵意を抱き、イエスの言われたことをあれこれ口に出しては、
11:54 何か言葉尻を捕らえようと狙っていた。
ルカによる福音書 11章45節~54節
メッセージ
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今朝は、『ルカによる福音書』の第11章45節から54節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。
前回(先週)、私たちは、イエス様がファリサイ派の人々を非難するお話しを学びました。今朝の御言葉には、イエス様が律法の専門家を非難するお話しが記されています。律法の専門家とは、神の掟である律法を専門に研究し、解釈して民衆に教える律法学者のことです。律法学者はユダヤの社会において尊敬される高い地位にありました。ファリサイ派の人々も、律法学者たちの教えに基づいて、律法を守って生活していました。それゆえ、律法の専門家の一人は、イエス様にこう言います。「先生、そんなことをおっしゃれば、私たちをも侮辱することになります」。この律法の専門家の言葉がきっかけとなり、イエス様の非難の矛先が律法の専門家へと向かいます。46節をお読みします。
イエスは言われた。「あなたがた律法の専門家にも災いあれ。あなたがたは、人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分ではその重荷に指一本も触れようとしない。」
「災いあれ」と訳されている言葉(ウーアイ)は「わざわいだ」(新改訳2017)とも、「不幸だ」(新共同訳)とも訳せます。イエス様は、「あなたがた律法の専門家も災いだ」と言われます。なぜなら、律法の専門家は、人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分ではその重荷に指一本も触れようとしないからです。「背負いきれない重荷」とは、神の掟である律法を落ち度なく守るための昔の人の言い伝え(口伝律法)のことです。律法の専門家は、モーセの時代に与えられた律法を落ち度なく守るために、様々な細則を作りました。例えば、「安息日を覚えて、これを聖とせよ」という戒めを守るために、安息日に禁じられている労働や歩いてもよい距離など、さまざまな規則を作り出したのです。そのような背負いきれない重荷を人々に負わせながら、自分たちはその重荷に指一本触れようとしない。律法学者たちは、人々に重荷を負わせるだけであったのです。
さらにイエス様はこう言われます。47節から51節までをお読みします。
「あなたがたに災いあれ。あなたがたは、自分の先祖が殺した預言者たちの墓を建てているからだ。だから、あなたがたは先祖の仕業の証人であり、それに同意しているのだ。先祖が殺し、あなたがたが墓を建てているからである。それゆえ、神の知恵もこう言っている。『私は預言者や使徒たちを遣わすが、人々はそのうちのある者を殺し、ある者を迫害する。』それで、天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、今の時代が責任を問われることになる。それは、アベルの血から祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血にまで及ぶ。そうだ、言っておくが、今の時代はその責任を問われる。
イエス様は、律法の専門家たちが、旧約の預言者たちの墓を建てているゆえに、災いであると言われます。律法の専門家たちは、もし、自分たちが、その時代に生きていたら、預言者たちを殺す側にはつかなかったであろうという思いで、預言者たちの死を悲しみ、弔う者としてお墓を建てていました(マタイ23:30参照)。しかし、イエス様は、律法の専門家が預言者の墓を建てているのは、預言者を殺した先祖に同意する行いであり、その仕上げであると言うのです。なぜ、イエス様は、このように言われるのでしょうか。それは律法の専門家が神の知恵であるイエス様を殺し、その預言者や使徒たちを殺してしまうからです。49節に、こう記されています。「それゆえ、神の知恵もこう言っている。『私は預言者や使徒たちを遣わすが、人々はそのうちのある者を殺し、ある者を迫害する』」。ここでの神の知恵は、イエス様のことです(人になる前を含む、マタイ23:34参照)。律法の専門家は、神の知恵であるイエス様を迫害し、殺してしまいます。律法の専門家は、イエス様を裁いて、死刑の判決を下す最高法院のメンバーであるのです(最高法院は、祭司、長老、律法学者の代表からなる71人の議会)。律法の専門家は、神の知恵であるイエス様を迫害し、殺すだけではなく、そのイエス様が遣わす使徒たちをも迫害し、殺すことになるのです。『ルカによる福音書』の続編である『使徒言行録』を読むと、そのことが記されています(例えば、ステファノ)。ですから、律法の専門家は、旧約の預言者たちを殺した先祖に連なる者たちであるのです。さらに言えば、「天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、今の時代が責任を問われることになる」のです。ここで、「今の時代」「今の世代」と言われていることに注意したいと思います。律法の専門家だけではなく、律法の専門家から教えを受けている今の時代の人々が、天地創造の時から流されたすべての預言者の血について責任を問われることになるのです。その責任は、「アベルの血から、祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血にまで及ぶ」のです。「アベルの血」については『創世記』の第4章に記されています。旧約の5ページです。第4章1節から12節までをお読みします。
さて、人は妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「私は主によって男の子を得た」と言った。彼女はさらに弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。日がたって、カインは土地の実りを供え物として主のもとに持って来た。アベルもまた、羊の初子、その中でも肥えた羊を持って来た。主はアベルとその供え物に目を留められたが、カインとその供え物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。主はカインに向かって言われた。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしあなたが正しいことをしているのなら、顔をあげられるはずではないか。正しいことをしていないのなら、罪が戸口で待ち伏せている。罪はあなたを求めるが、あなたはそれを治めなければならない。」
カインが弟アベルに声をかけ、二人が野にいたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。主はカインに言われた。「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」彼は言った。「知りません。私は弟の番人でしょうか。」主は言われた。「何ということをしたのか。あなたの弟の血が土の中から私に向かって叫んでいる。今やあなたは呪われている。あなたの手から弟の血を受け取るため、その口を開いた土よりもなお呪われている。あなたが土を耕しても、その土地にはもはや実を結ぶ力がない。あなたは地上をさまよい、さすらう者となる。」
このように、アベルはカインによって殺されてしまいます。「あなたの弟の血が土の中から私に向かって叫んでいる」と主が言われるように、アベルの血は、主なる神に報復を、正しい裁きを求めるのです。そのアベルの血の叫びに応えて、主はカインを裁いて、呪われた者、地上をさすらう者とされるのです。
また、「祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血」については、『歴代誌下』の第24章に記されています。旧約の688ページです。第24章17節から22節までをお読みします。
ところがヨヤダの死後、ユダの高官たちが王のもとに来て、ひれ伏した。その時、王は彼らの言うことを聞き入れた。彼らは先祖の神、主の神殿を捨て、アシェラと偶像に仕えた。この罪責のため、ユダとエルサレムに怒りが下った。彼らを主に立ち帰らせるため、預言者が遣わされた。預言者たちが厳しく命じても、彼らは耳を貸さなかった。祭司ヨヤダの子ゼカルヤは神の霊に包まれた。彼は民を見下ろして立ち、こう言った。「神はこう言われる。『なぜ、あなたがたは主の戒めを破るのか。あなたがたは栄えない。あなたがたが主を捨てたから、主もあなたがたを捨てる。』」だが、ゼカルヤに対する陰謀が企てられ、彼は王の命令により主の神殿の庭で石で打ち殺された。ヨアシュ王は、彼の父ヨヤダが示した慈しみを思い起こさず、その息子を殺したのである。ゼカルヤは死の間際に言った。「主が御覧になり、この血の責任を追及されますように。」
主の神殿で打ち殺されたゼカルヤは、死の間際に、「主が御覧になり、この血の責任を追及されますように」と叫びました。そのゼカルヤの血の責任を、イエス様を殺し、イエス様の使徒たちを殺す、今の時代の人々が問われることになるのです。
今朝の御言葉に戻ります。新約の129ページです。
51節に、「それは、アベルの血から祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血にまで及ぶ」とあります。この御言葉は、ヘブライ語の聖書が『創世記』から始まり、『歴代誌下』で終わっていたことを教えています(律法、預言者、諸書から成る)。ヘブライ語の聖書において、アベルは最初の殉教者であり、ゼカルヤは最後の殉教者であるのです。イエス様とその使徒たちは、殉教の死を遂げた預言者たちに連なる者であります。さらに言えば、殉教の死を遂げた預言者たちが証しした御方こそ、イエス・キリストであったのです。それゆえ、イエス・キリストを殺し、その使徒たちを迫害する今の時代の者たちは責任を問われることになる。具体的に言えば、紀元70年に、ローマ帝国の軍隊によってエルサレムは滅ぼされ、ユダヤ人は地上をさまよう民となるのです。
52節をお読みします。
「あなたがた律法の専門家にも災いあれ。あなたがたは、知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、入ろうとする人々まで妨げてきた。」
ここでの「知識の鍵」は、イエス・キリストにおいて到来している神の王国に入るための「知識の鍵」のことです。さらに言えば、「イエス様が神の御子であり、罪人の救い主である」という知識の鍵です。本来であれば、律法の専門家は、イエス様を約束のメシアとして受け入れ、民衆に教える者となるはずでした。イエス様は、「聖書は私について証しをするものだ」と言われました(ヨハネ5:39)。そうであれば、聖書の専門家である律法学者は、誰よりも先にイエス様を信じて、イエス様において神の王国は到来していることを民衆に教えるべきであったのです。しかし、洗礼者ヨハネを受け入れなかった律法の専門家は、イエス様をも受け入れませんでした(ルカ7:29、30「民衆は皆ヨハネの教えを聞き、徴税人さえもその洗礼を受け、神の正しさを認めた。しかし、ファリサイ派の人々や律法の専門家たちは、彼から洗礼を受けないで、自分に対する神の御心を拒んだ」参照)。律法の専門家は、イエス様において到来した神の王国に自分が入らないばかりか、入ろうとする人々を妨げて来たのです。そのようにして、律法の専門家は民衆全体に災いをもたらしていたのです。
このようなイエス様からの非難を受けて、律法学者たちとファリサイ派の人々はどうしたでしょうか。自らを顧みて、悔い改めたのでしょうか。残念ながらそうではありませんでした。彼らはイエス様に対して激しい敵意を抱き、イエス様の言われたことをあれこれ口に出して、何か言葉尻を捕えようとしたのです。
今朝の御言葉で私たちに求められていることは、私たちもイエス様を殺すという罪を犯したことを認めることです。そのことを認めて、神様に立ち帰るとき、私たちは、罪の赦しと聖霊を受けることができるのです。今朝はそのことを確認して終わりたいと思います。『使徒言行録』の第2章36節から39節までをお読みします。新約の212ページです。
「だから、イスラエルの家はみな、はっきりと知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロと他の使徒たちに、「兄弟たち、私たちは何をすべきでしょうか」と言った。そこで、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、聖霊の賜物をうけるでしょう。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子どもたちにも、また、遠くにいるすべての人にも、つまり、私たちの神である主が招いてくださる者なら誰にでも、与えられているものなのです。」
私たちが、イエス・キリストを十字架につけたのは、自分であったことを認めて、神様に立ち帰るならば、私たちはすべての罪を赦されて、神の霊、聖霊をいただくことができるのです。そして、私たちもイエス・キリストに遣わされた者として、イエス・キリストの福音(良き知らせ)を語ることができるのです。そのようにして、私たちは人々に神の祝福をもたらす者となるのです。イエス様から「あなたがたは幸いである」と言っていただける者となるのです(6:20「貧しい人々は幸いである/神の国はあなたがたのものである」参照)。自らの罪を認めて、救い主イエス・キリストに依り頼む人は幸いであるのです。