名が天に書き記されている喜び 2025年10月12日(日曜 朝の礼拝)

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名が天に書き記されている喜び

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ルカによる福音書 10章17節~20節

聖句のアイコン聖書の言葉

10:17 七十二人は喜んで帰って来て、言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」
10:18 イエスは言われた。「私は、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。
10:19 蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、私はあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。
10:20 しかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」ルカによる福音書 10章17節~20節

原稿のアイコンメッセージ

 前回、私たちは、72人を遣わすにあたってのイエス様の御言葉を学びました。続く今朝の御言葉には、イエス様から遣わされた72人が帰って来たことが記されています。

 72人は喜んで帰って来て、こう言います。「主よ、お名前を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します」。イエス様は、72人にあらゆる悪霊を追い出し、病気を癒やす力と権能をお授けになったうえで、遣わされたようです(ルカ9:1参照)。第4章に、イエス様がカファルナウムの会堂で、男から悪霊を追い出したお話しが記されていました。第4章31節から37節までを読みます。新約の107ページです。

 イエスはガリラヤの町カファルナウムに下って、安息日には人々を教えておられた。人々はその教えに驚いた。その言葉に権威があったからである。ところが会堂に、汚れた悪霊に取りつかれた男がいて、大声で叫んだ。「ああ、ナザレのイエス、構わないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、悪霊はその男を人々の中に投げ倒し、何の傷も負わせずに出て行った。人々は皆驚いて、互いに言った。「一体、この言葉は何だ。権威と力とをもって汚れた霊に命じると、出て行くとは。」こうして、イエスの噂は、辺り一帯に広まった。

 このようにイエス様は、権威ある言葉によって、男から悪霊を追い出しました。そのイエス様のお名前を使って、72人は人々から悪霊を追い出したのです。72人は、「主イエスの名によって命じる。この人から出て行け」と言って、人々から悪霊を追い出したのです。このことは72人にとって驚きであり、喜びであったのです。

 今朝の御言葉に戻ります。新約の124ページです。

 「主よ、お名前を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します」と言って、喜ぶ72人に、イエス様はこう言われます。「私は、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、私はあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。しかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」。

 イエス様は、「私は、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた」と言われます。「サタン」とは堕落した天使であり、神の敵である悪魔のことです(二ペトロ2:4参照)。このサタン(悪魔)の手下が悪霊であるのです。イエス様から遣わされた72人が人々から悪霊を追い出していたとき、イエス様は、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていたのです。このことは、イエス・キリストの福音を宣べ伝えることがサタンとの霊的な戦いであることを教えています(エフェソ6:12「私たちの戦いは、人間に対するものではなく、支配、権威、闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊に対するものだからです」参照)。はじめの人アダムが、神の言葉ではなく悪魔の言葉に従うことによって、世界は悪魔の支配下に置かれてしまいました。悪魔はいなおり強盗のように、この世界に居座ってしまったわけです。そのような世界に、神様は聖書の約束に従って、ダビデの子孫からイエス・キリストを遣わしてくださいました。イエス・キリストにおいて神の国(神の王国、神の王的支配)は到来しました。そして、イエス・キリストによって遣わされた72人の福音宣教によって、神の国は広がって行ったのです。そのことは同時にサタンの支配が狭まったことを意味します。ですから、イエス様は、「主よ、お名前を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します」と喜ぶ72人に、「私は、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた」と言われるのです。

 以前にお話ししましたが、72という数字は象徴的な意味を持っています。72は全世界の民族を象徴しています(創世10章参照)。また、72は聖霊を与えられた者たちを象徴しています(民数11章参照)。イエス様が72人を遣わされたことは、全世界の民に、聖霊を注がれた弟子たちが遣わされることの先取りであるのです。それと同じことが、「私は、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた」というイエス様の御言葉においても言えます。ここでイエス様は、将来起こることの幻を見ているのです。では、サタンが稲妻のように天から落ちるのは、いつでしょうか?それは、イエス様が、十字架の死によって悪魔を無力にし、勝利者として復活され、天に上げられるときです(ヘブライ2:14参照)。そのことが『ヨハネの黙示録』の第12章に記されています。新約の453ページです。1節から18節までを読みます。

 また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が太陽を身にまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。女は身ごもっていて、産みの痛みと苦しみのために叫んでいた。また、もう一つのしるしが天に現れた。それは巨大な赤い竜であって、七つの頭と十本の角を持ち、頭には七つの王冠をかぶっていた。竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ち、生まれたら、その子を食い尽くそうとしていた。女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖であらゆる国の民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へと引き上げられた。女は荒れ野へ逃げた。そこには、この女が1260日の間養われるように、神の用意された場所があった。

 さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその天使たちが竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちもこれに応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この強大な竜、いにしえの蛇、悪魔ともサタンとも呼ばれる者、全人類を惑わす者は、地上に投げ落とされた。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。そして私は、天で大きな声がこう語るのを聞いた。「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。神のメシアの権威が現れた。我々のきょうだいたちを告発する者/我々の神の前で昼も夜も彼らを告発する者が/投げ落とされたからである。きょうだいたちは、小羊の血と/自分たちの証しの言葉とによって/この者たちに勝ち/死に至るまで命を惜しまなかった。それゆえ、もろもろの天とそこに住む者たちよ、喜べ。地と海には災いあれ。悪魔は怒りに燃えて/お前たちのところへ降って行った。残された時が少ないのを知ったからである。」

 竜は、自分が地上へ投げ落とされたと知ると、男の子を産んだ女の後を追った。しかし、女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒れ野にある自分の場所へ飛んで行くためである。女は蛇から逃れ、そこで一年と二年と半年の間、養われることになっていた。

 蛇は、女の後ろに水を口から川のように吐き出して、彼女を押し流そうとした。しかし、大地が女を助けた。大地は口を開けて、竜が吐き出した川を飲み干したのである。竜は女に対して激しく怒り、その子孫の残りの者たち、すなわち、神の戒めを守り、イエスの証しを守る者たちと戦うために出て行った。そして、竜は海辺の砂の上に立った。

 5節にこう記されています。「女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖であらゆる国の民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた」。ここには、神のメシア、王であるイエス様の誕生と、昇天と着座が記されています。十字架の死と復活については記されていませんが、そのことを前提にして、神のメシアであるイエス・キリストが天に上げられたことと、父なる神の右の座に着いたことが記されています。

 また、7節から9節にこう記されています。「さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその天使たちが竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちもこれに応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天に彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、いにしえの蛇、悪魔ともサタンとも呼ばれる者、全人類を惑わす者は、地上に投げ落とされた。その使いたちも、もろともに投げ落とされた」。ここでの「ミカエル」とは、天の玉座へ引き上げられたイエス・キリストのことです(ダニエル12:1「その時、大天使長ミカエルが立つ」参照)。十字架の死によって悪魔を無力にし、勝利者として復活されたイエス・キリストが天に上げられることにより、サタンとの戦いが起こります。そしてサタンとその手下たち(悪霊たち)は、天に居場所を失い、地上に投げ落とされたのです。今朝の御言葉、「私は、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた」というイエス様の御言葉は、このことを指しているのです。天に居場所を失い、地上に投げ落とされたサタンとその手下たちは、地上の教会に戦いを挑みます。13節に、「竜は、自分が地上へ投げ落とされたと知ると、男の子を産んだ女の後を追った」とあります。この女はイエスの母マリアであり、また、教会でもあるのです。17節にはこう記されています。「竜は女に対して激しく怒り、その子孫の残りの者たち、すなわち、神の戒めを守り、イエスの証しを守る者たちと戦うために出て行った」。『ヨハネの黙示録』は、紀元90年頃、ローマ皇帝ドミティアヌスの時代に、小アジアの教会に宛てて記されました。ローマ皇帝ドミティアヌスは、自らを神と名乗り、自分の像を拝むように強制しました。そして、自分の像を拝まない者たちを迫害したのです。そのような迫害の中にある教会に宛てて、『ヨハネの黙示録』は記されたのです。ところで、迫害の中にあった小アジアのキリスト者たちは、不可解であったのではないでしょうか。イエス・キリストが十字架の死によって悪魔を無力にし、勝利者として復活され、天にあげられ、父なる神の右の座に着いたのであれば、なぜ、自分たちは、イエス・キリストの名のゆえに迫害されているのだろうか。その不可解なことを解き明かしているのが、第12章の御言葉であるのです。イエス・キリストが天の玉座に引き上げられたことにより、サタンは天の居場所を失い、地上に投げ落とされた。そのサタンが怒りに燃えて、イエスの証しを守る者たちを迫害しているのです。ローマ帝国による迫害は、天上においてイエス・キリストが勝利したことの結果であり、悪魔は最後の悪あがきをしているわけです。

 今朝の御言葉に戻ります。新約の124ページです。

 天に居場所を失い、地上に投げ落とされたサタンとその手下たちは、今も、ほえたける獅子のように、誰かを食い尽くそうと歩き回っています(一ペトロ5:8参照)。しかし、イエス様は、「蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、私はあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない」と言います。これは、私たちにも言われている御言葉です。「蛇やさそり」は「悪い者」の象徴です(申命8:15参照)。私たち教会は、悪い者、神の敵であるサタンに打ち勝つ権威(エクスーシア、権能)を、イエス様から授かっているのです。それゆえ、私たちは迫害の中にあっても、イエスの証しを守り抜くことができるのです。「あなたがたに害を加えるものは何一つない」とは、どのような苦しみの中にあっても、イエス・キリストへの信仰を失うことはないという意味です。ウェストミンスター信仰告白の言葉で言えば、「聖徒の堅忍」のことがここで言われているのです。

 イエス様は、72人にこう言われます。「しかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」。イエス様は、「最も喜ぶべきことは、あなたがたの名が天に書き記されていることである」と言われます。そして、この喜びは、イエス・キリストの弟子である私たちにも与えられている喜びであるのです。旧約聖書は、神様のもとに命の書があり、その命の書に名前が記されている者が救われると教えています(出エジプト32:32、詩69:29、イザヤ4:3、ダニエル12:1参照)。イエス様は、そのことを背景にして、「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」と言われるのです。イエス・キリストを信じて、洗礼を受けた私たち、イエスの証しを守っている私たちの名前は、天国の住民台帳である「小羊の命の書」に記されています(黙示21:27)。それは、イエス様から「喜びなさい」と言われるほど、喜ばしいことであるのです(イエス・キリストの福音を宣べ伝える者は、自分の名が天に書き記されていることを喜んで、福音を宣べ伝えるべきである!)。

 イエス・キリストの使徒パウロは、フィリピの信徒たちに対して、「主にあっていつも喜びなさい」と記しました(フィリピ4:4)。なぜ、パウロは、フィリピの信徒たちに、「主にあっていつも喜びなさい」と記すことができたのか?また、なぜ、パウロは牢獄の中で、主にあっていつも喜ぶことができたのか?それは、パウロが、自分とフィリピの信徒たちの名前が「小羊の命の書」に記されており、自分とフィリピの信徒たちの国籍が天にあることを知っていたからです(フィリピ4:3、3:20参照)。

 「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」。この主イエス・キリストの御言葉を、私たちは今朝、しっかりと心に刻みたいと願います。そして、主にあって、いつも喜ぶ者でありたいと願います。 

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