聖書の言葉 19:17 弱い人を憐れむのは主に貸しを作ること。/主はその行いに報いてくださる。箴言 19章17節 メッセージ 今朝は、『箴言』の第19章17節を中心にしてお話しします。17節は、二つの文が並んでいますが、ひと続きの内容となっています。 弱い人を憐れむのは主に貸しを作ること。 主はその行いに報いてくださる。 「弱い人を憐れむ」とは、「貧しい人に施しをする」ことです(新改訳2017「貧しい者に施しをするのは、主に貸しを作ること」参照)。ここでソロモンは、私たちに、弱い人を憐れむこと、貧しい人に施しをすることを勧めています。弱い人を憐れむこと、貧しい人に施しをすることは、主に貸しを作ることであると言うのです。「主」とは、その昔、モーセにホレブの山で示された神様のお名前です。主は、イスラエルを奴隷の家から導き出されたイスラエルの神であり、イスラエルの王であるのです。古代オリエントの世界において、王は、その国民の生活と福祉に責任を持つ者でした。『申命記』の第10章17節と18節にこう記されています。旧約の282ページです。 あなたがたの神、主は神の中の神、主の中の主、偉大で勇ましい畏るべき神、偏り見ることも、賄賂を取ることもなく、孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛してパンと衣服を与えられる方である。 イスラエルの神であり、王である主は、弱い人である孤児(みなしご)と寡婦(やもめ)と寄留者の権利を守り、パンと衣服を与える御方であるのです。また、主なる神は、ご自分の民イスラエルに、貧しい同胞に、惜しみなく与えることを命じています。『申命記』の第15章7節から11節までを読みます。旧約の290ページです。 あなたの神、主があなたに与えられた地のどこかの町で、あなたの兄弟の一人が貧しいなら、あなたは、その貧しい兄弟に対して心を閉ざし、手をこまねいていてはならない。彼に向かって手を大きく広げ、必要なものを十分に貸し与えなさい。あなたは、心によこしまなことを抱き、「七年目の負債免除の年が近づいた」と言って貧しい同胞に物惜しみをし、彼に何も与えないことのないように気をつけなさい。彼があなたのことで主に訴えると、あなたは罪に問われることになる。彼に惜しみなく与えなさい。与えるときに惜しんではならない。そのことで、あなたの神、主は、あなたのすべての働きとあなたのすべての手の業を祝福してくださる。この地から貧しい者がいなくなることはないので、あなたに命じる。この地に住むあなたの同胞、苦しむ者、貧しい者にあなたの手を大きく広げなさい。 このように、主は、イスラエルの民に、貧しい者に貸し与えること、惜しみなく与えることを命じています。また、主は貧しい人に惜しみなく与える人を祝福してくださるのです。 今朝の御言葉に戻ります。旧約の999ページです。 「弱い人を憐れむのは主に貸しを作ること。主はその行いに報いてくださる」。ここで注目したいのは、ソロモンが「弱い人」と「主」を同一視しているということです。それは、主が「弱い人」の生活と福祉に責任を持つ王であるからです。それゆえ、弱い人を憐れむことは主に貸しを作ることであり、その行いに主が報いてくださるのです。 主イエス・キリストは、弟子たちに、弱い人を憐れむように、貧しい人に施しをするように教えられました。その根本にあるのは、今朝の御言葉、「弱い人を憐れむのは主に貸しを作ること。主はその行いに報いてくださる」という箴言であるのです。 例えば、イエス様は、『ルカによる福音書』の第12章33節と34節で、弟子たちにこう言われます。新約の130ページです。 自分の財産を売って施しなさい。古びることのない財布を作り、尽きることのない宝を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」 イエス様は、貧しい人に施すことを、宝を天に積むことであると言います。それは、天において父なる神が報いてくださるからです。神様からの報いを期待して、貧しい人に施すことこそ、神のために豊かになることであるのです(ルカ12:21参照)。 「弱い人を憐れむのは主に貸しを作ること。主はその行いに報いてくださる」。このことを、使徒パウロもよく知っていました。それゆえ、パウロは、エルサレム教会の貧しい人々への募金についてこう記すのです。『コリントの信徒への手紙二』の第9章6節から8節までを読みます。新約の329ページです。 つまり、こういうことです。惜しんで僅かに蒔く者は、僅かに刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取るのです。各自、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。神は、あらゆる恵みをあなたがたに満ち溢れさせることがおできになります。こうして、あなたがたは常にすべてのことに自足して、あらゆる善い業に満ち溢れる者となるのです。 ここでパウロは、主は天ではなく、地上で報いてくださると言います。私たちは、天上だけではなく、地上においても、主からの報いを期待してよいのです。 「弱い人を憐れむのは主に貸しを作ること。主はその行いに報いてくださる」。この知恵の言葉を心に刻んで、私たちも貧しい人に施すことを忘れずに歩んでいきたいと願います。主が報いてくださるとの約束を信じて、憐れみの業を行う者でありたいと願います。 関連する説教を探す 2025年の水曜 聖書と祈りの会 『箴言』
今朝は、『箴言』の第19章17節を中心にしてお話しします。17節は、二つの文が並んでいますが、ひと続きの内容となっています。
弱い人を憐れむのは主に貸しを作ること。
主はその行いに報いてくださる。
「弱い人を憐れむ」とは、「貧しい人に施しをする」ことです(新改訳2017「貧しい者に施しをするのは、主に貸しを作ること」参照)。ここでソロモンは、私たちに、弱い人を憐れむこと、貧しい人に施しをすることを勧めています。弱い人を憐れむこと、貧しい人に施しをすることは、主に貸しを作ることであると言うのです。「主」とは、その昔、モーセにホレブの山で示された神様のお名前です。主は、イスラエルを奴隷の家から導き出されたイスラエルの神であり、イスラエルの王であるのです。古代オリエントの世界において、王は、その国民の生活と福祉に責任を持つ者でした。『申命記』の第10章17節と18節にこう記されています。旧約の282ページです。
あなたがたの神、主は神の中の神、主の中の主、偉大で勇ましい畏るべき神、偏り見ることも、賄賂を取ることもなく、孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛してパンと衣服を与えられる方である。
イスラエルの神であり、王である主は、弱い人である孤児(みなしご)と寡婦(やもめ)と寄留者の権利を守り、パンと衣服を与える御方であるのです。また、主なる神は、ご自分の民イスラエルに、貧しい同胞に、惜しみなく与えることを命じています。『申命記』の第15章7節から11節までを読みます。旧約の290ページです。
あなたの神、主があなたに与えられた地のどこかの町で、あなたの兄弟の一人が貧しいなら、あなたは、その貧しい兄弟に対して心を閉ざし、手をこまねいていてはならない。彼に向かって手を大きく広げ、必要なものを十分に貸し与えなさい。あなたは、心によこしまなことを抱き、「七年目の負債免除の年が近づいた」と言って貧しい同胞に物惜しみをし、彼に何も与えないことのないように気をつけなさい。彼があなたのことで主に訴えると、あなたは罪に問われることになる。彼に惜しみなく与えなさい。与えるときに惜しんではならない。そのことで、あなたの神、主は、あなたのすべての働きとあなたのすべての手の業を祝福してくださる。この地から貧しい者がいなくなることはないので、あなたに命じる。この地に住むあなたの同胞、苦しむ者、貧しい者にあなたの手を大きく広げなさい。
このように、主は、イスラエルの民に、貧しい者に貸し与えること、惜しみなく与えることを命じています。また、主は貧しい人に惜しみなく与える人を祝福してくださるのです。
今朝の御言葉に戻ります。旧約の999ページです。
「弱い人を憐れむのは主に貸しを作ること。主はその行いに報いてくださる」。ここで注目したいのは、ソロモンが「弱い人」と「主」を同一視しているということです。それは、主が「弱い人」の生活と福祉に責任を持つ王であるからです。それゆえ、弱い人を憐れむことは主に貸しを作ることであり、その行いに主が報いてくださるのです。
主イエス・キリストは、弟子たちに、弱い人を憐れむように、貧しい人に施しをするように教えられました。その根本にあるのは、今朝の御言葉、「弱い人を憐れむのは主に貸しを作ること。主はその行いに報いてくださる」という箴言であるのです。
例えば、イエス様は、『ルカによる福音書』の第12章33節と34節で、弟子たちにこう言われます。新約の130ページです。
自分の財産を売って施しなさい。古びることのない財布を作り、尽きることのない宝を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」
イエス様は、貧しい人に施すことを、宝を天に積むことであると言います。それは、天において父なる神が報いてくださるからです。神様からの報いを期待して、貧しい人に施すことこそ、神のために豊かになることであるのです(ルカ12:21参照)。
「弱い人を憐れむのは主に貸しを作ること。主はその行いに報いてくださる」。このことを、使徒パウロもよく知っていました。それゆえ、パウロは、エルサレム教会の貧しい人々への募金についてこう記すのです。『コリントの信徒への手紙二』の第9章6節から8節までを読みます。新約の329ページです。
つまり、こういうことです。惜しんで僅かに蒔く者は、僅かに刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取るのです。各自、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。神は、あらゆる恵みをあなたがたに満ち溢れさせることがおできになります。こうして、あなたがたは常にすべてのことに自足して、あらゆる善い業に満ち溢れる者となるのです。
ここでパウロは、主は天ではなく、地上で報いてくださると言います。私たちは、天上だけではなく、地上においても、主からの報いを期待してよいのです。
「弱い人を憐れむのは主に貸しを作ること。主はその行いに報いてくださる」。この知恵の言葉を心に刻んで、私たちも貧しい人に施すことを忘れずに歩んでいきたいと願います。主が報いてくださるとの約束を信じて、憐れみの業を行う者でありたいと願います。