報いを与える神 2025年7月09日(水曜 聖書と祈りの会)

問い合わせ

日本キリスト改革派 羽生栄光教会のホームページへ戻る

報いを与える神

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
箴言 11章31節

聖句のアイコン聖書の言葉

11:31 正しき者がこの地上で報いを受けているなら/悪しき者や罪人はなおのことである。箴言 11章31節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『箴言』の第11章31節を中心にしてお話しします。

 前回もお話ししたことですが、箴言の文体の特徴は二つの句からなる対句法(並行法、パラレリズム)です。対句法とは、一つの思想を二つ以上の似た言葉ないし文を並べて言う表現方法です。対句法には、「同意対句法」と「反意対句法」と「トーブ対句法」(比較対句法)があります。第11章31節は「反意対句法」で記されています。「反意対句法」とは、反対の内容の言葉を並べて、その対比によって言いたいことを一層鮮明にする表現方法です。第11章31節は、「正しき者」と「悪しき者」という反対の意味の言葉を並べた反意対句法であるのです。

 正しき者がこの地上で報いを受けているなら/悪しき者や罪人はなおのことである。

 「正しき者」とは「神の御心に従って生きる人」のことです。また、「悪しき者や罪人」とは「神の御心に背いて生きる人」のことです。「報い」とありますが、この「報い」は神様から与えられる報いのことです。「正しき者がこの地上で報いを受けているなら/悪しき者や罪人はなおのこと地上で報いを受ける」とソロモンは言うのです。正しき者と悪しき者が正反対の報いを受けることは、第10章27節から30節に記されていました。

 主を畏れる人は長寿を得/悪しき者の人生は短くなる。正しき者の望みは喜びとなり/悪しき者の希望は滅びる。主の道は、誠実な人にとっては砦/悪事を働く者にとっては廃墟。正しき者はとこしえに揺らぐことはないが/悪しき者は地に住むことはできない。

 このように、正しき者はその報いとして、長寿を得、望みを実現して喜び、揺らぐことのない人生を送ることができます。他方、悪しき者はその報いとして、人生は短くなり、望みは実現せず、地に住むことはできないのです。ここで言われていることは、善い人は良い報いを受け、悪い人は悪い報いを受けるという応報思想ですね。しかも、その善悪の規準は神様であり、その報いを与えられるのも神様であるのです。それは神様が善を喜ばれ、悪をいとわれるからです。第11章20節にあるように、「主は心の曲がった者をいとい/誠実な道を歩む人を喜びとされる」のです。それは主ご自身が、心のまっすぐな誠実で正しい御方であるからです。

 イエス・キリストの使徒パウロが『ローマの信徒への手紙』の第2章で記しているように、まことの神を知らない異邦人であっても、神のかたちに造られた人間には、その心に律法が要求する事柄が記されています(ローマ2:14、15「たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。こういう人々は、律法の命じる行いがその心に記されていることを示しています。彼らの良心がこれを証ししています。また、互いに告発したり弁護したりする彼らの議論も、証ししています」参照)。ですから、まことの神を知らない異邦人の社会であっても、殺人や盗みは悪と見なされ、罰を受けるわけです。また、まことの神を知らない異邦人であっても、良心(自分の罪を責めるもう一人の自分)が与えられており、「善い行いをすれば良い報いを受ける。悪い行いをすれば悪い報いを受ける」と信じているのです。

 神は御自分に従う正しき者には良い報いを与えてくださる。しかし、神はご自分に背く悪しき者には悪い報いを与えられる。これは、神が人間社会に定められた秩序であり、知恵です。その神の知恵が確かであることを明らかにするために、神は正しき者に、また悪しき者に、この地上で報いを受けさせるのです。正しき者がこの地上で良い報いを受け、悪しき者がこの地上で悪い報いを受ける。そのことによって、神は正しい者を喜び、悪しき者をいとわれる正義の神であることを示されるのです。このような応報思想は、よい行いをすすめ、悪い行いをこらしめる勧善懲悪な社会を形づくっていきます。そこで大切なことは、善悪の判断規準を神の言葉に置くということです。エデンの園において、はじめの人アダムは、神の言葉ではなく、自分の思いを善悪の判断規準として、禁じられた木の実を食べてしまいました。しかし、最後のアダムであるイエス・キリストは、神の言葉を善悪の判断規準として、十字架の死に至るまで神の御心に従われました。私たちは、最後のアダムであるイエス・キリストに連なる者として、神の言葉を善悪の判断規準として歩んでいるのです。私たちには罪が残っていますから、完全に神の言葉に従うことができるわけではありません。けれども、私たちはイエス・キリストに結ばれた正しき者として、日々、罪を悔い改めて、神の御心に従って歩んでいくことが求められているのです(マタイ6:10「御国が来ますように。御心が行われますように/天におけるように地の上にも」参照)。

 「正しき者がこの地上で報いを受けているなら/悪しき者や罪人はなおのことである」。私たちは、この御言葉から、神は正しい者を喜ばれ、良い報いを与えてくださること。それは神様ご自身が正しい御方であり、そのような秩序をもって人間と人間社会を造られたことを覚えたいと願います。また、このような秩序があるからこそ、完全に正しいイエス・キリストが十字架の死から復活し、父なる神の右の座へあげられたことを覚えたいと思います(ローマ2:6、7「神はおのおの行いに従ってお報いになります。耐え忍んで善を行い、栄光と誉れと朽ちないものを求める者には、永遠の命をお与えになり、利己心に駆られ、真理ではなく不義に従う者には、怒りと憤りを下されます」参照)。

関連する説教を探す関連する説教を探す