身の破滅をもたらす浅はかさ 2025年5月21日(水曜 聖書と祈りの会)
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身の破滅をもたらす浅はかさ
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- 説教
- 村田寿和 牧師
- 聖書
箴言 6章20節~35節
聖書の言葉
6:20 子よ、父の戒めを守れ。/母の教えをおろそかにするな。
6:21 それを常に心に結び付け/首に巻きつけておけ。
6:22 それはあなたの歩みを導き/床に就くときも守り/目覚めればあなたに話しかける。
6:23 戒めは灯、教えは光/諭しのための懲らしめは命の道。
6:24 それはあなたを悪い女から/異国の女の滑らかな舌から守る。
6:25 彼女の美しさを心の中で追い慕うな。/そのまなざしに捕らわれるな。
6:26 遊女への支払いは多くても一塊のパン/人の妻は貴い命を貪る。
6:27 人が火を懐に抱え込み/衣を焼かれないことがあろうか。
6:28 炭火の上を歩いて/足にやけどをしないことがあろうか。
6:29 友の妻と通じる者も同様。/彼女に触れる者は誰も罰を免れることはない。
6:30 飢えを満たそうと盗みを働く者を/人々は侮りはしないだろう。
6:31 だが見つかれば、七倍を償い/一族の財産すべてを充てることになる。
6:32 女と姦淫する者は浅はか/身の破滅をもたらす。
6:33 彼は傷と恥を受け/その屈辱は拭われることはない。
6:34 憤った男は嫉妬に駆られ/復讐するときは容赦しない。
6:35 その男はいかなる償いをも受け入れず/どれほど多くの贈り物にも応じない。箴言 6章20節~35節
メッセージ
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聖書と祈りの会では、「イスラエルの王、ダビデの子ソロモンの箴言」を読み進めています。今朝は、第6章20節から35節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。
20節から26節までをお読みします。
子よ、父の戒めを守れ。母の教えをおろそかにするな。それを常に心に結び付け/首に巻きつけておけ。それはあなたの歩みを導き/床に就くときも守り/目覚めればあなたに話しかける。戒めは灯、教えは光/諭しのための懲らしめは命の道。それはあなたを悪い女から/異国の女の滑らかな舌から守る。彼女の美しさを心の中で追い慕うな。そのまなざしに捕らわれるな。遊女への支払いは多くても一塊のパン/人の妻は尊い命を貪る。
知恵の教師であるソロモンは、「子よ、父の戒めを守れ。母の教えをおろそかにするな」と語ることによって、父と母から受けた宗教教育に、私たちの心を向けさせます。父の戒めと母の教えを、宝石の首飾りのように、常に心に結びつけておけと言うのです。そうすれば、知恵は私たちの歩みを導き、床に就くときも守り、目覚めれば私たちに話しかけてくれるのです。神の知恵であるイエス・キリストが聖霊と御言葉において、私たちの歩みを導き、守ってくれるように、知恵は私たちの歩みを導き、守ってくれるのです。23節にあるように、主の戒めは灯であり、主の教えは光であるのです(詩119:105「あなたの言葉は私の足の灯/私の道の光」参照)。
ソロモンは、24節で、父の戒めと母の教えが、あなたを悪い女(男)の滑らかな舌から守ると言います。この戒めと教えについては、第5章に記されていました。第5章で、ソロモンは、よその女に酔いしれることなく、あなたの若い時の妻から喜びを得るようにと語りました。そのような戒めと教えは、私たちを悪い女(男)の誘惑から守ってくれるのです。
ソロモンは、25節で、「彼女の美しさを心の中で追い慕うな。そのまなざしに捕らわれるな」と言います。このことは、イエス様が山上の説教で教えられたことでもあります。新約の7ページです。イエス様は第5章27節から29節でこう言われます。
「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、私は言っておく。情欲を抱いて女を見る者は誰でも、すでに心の中で姦淫を犯したのである。右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい。体の一部がなくなっても、全身がゲヘナに投げ込まれないほうがましである。」
ここでイエス様は、情欲を抱いて他人の妻を見る者は、心の中で姦淫を犯したのであると言われます。このイエス様の教えは、神様が姦淫という行いだけではなく、その源にある心の中のみだなら思いを裁かれることを教えています。つまり、ここでイエス様が言いたいことは、神の裁きは心の中のみだらな思いにも及ぶということです。姦淫の罪の源には、他人の妻の美しさを追い慕う思いがあるのです。もし、よその女の美しさを追い慕うようなことがあれば、そのことは彼女の知れることになり、彼女の餌食になります。よその女が遊女であるの場合は、その支払いは一塊のパンで済みますが、人の妻(夫)の場合は、貴い命を貪られるのです。
今朝の御言葉に戻ります。旧約の981ページです。
27節から35節までをお読みします。
人が火を懐に抱え込み/衣を焼かれないことがあろうか。炭火の上を歩いて/足にやけどをしないことがあろうか。友の妻と通じる者も同様。彼女に触れる者は誰も罰を免れることはない。飢えを満たそうと盗みを働く者を/人々は侮りはしないだろう。だが見つかれば、七倍を償い/一族の財産すべてを充てることになる。女と姦淫する者は浅はか/身の破滅をもたらす。彼は傷と恥を受け/その屈辱は拭われることはない。憤った男は嫉妬に駆られ/復讐するときは容赦しない。その男はいかなる償いをも受け入れず/どれほど多くの贈り物にも応じない。
人が火を懐に抱え込めば、その衣は必ず焼かれます。また、炭火の上を裸足で歩けば、その足にやけどを負います。それと同じように、隣人の妻と関係を持つ者は、必ず罰を受けることになるのです(新改訳2017参照)。人は、飢えを満たそうと盗みを働く者を侮りません。それはやむを得ないと考えるからです。しかし、見つかったら、7倍の償いを要求され、一族の財産すべてを充てることになるのです(ただし『出エジプト記』の21章37節では牛は5倍、羊は4倍で、22章3節では2倍にして賠償することが命じられている)。盗みを働いた者は、財産のすべてを失うことになりますが、償いは成立します。しかし、隣人の妻と姦淫する者は、いかなる償いも受け入れてもらえず、償いが成立しないのです。償いが成立しないので、隣人の妻と姦淫する者の屈辱は、一生涯、拭われることがないのです。
そもそも、姦淫の罪とは、配偶者に対する罪であります。それは、使徒パウロが、『コリントの信徒への手紙一』の第7章で言っているように、妻は自分の体を意のままにする権利を持たず、夫がそれを持っているからです。また、夫も自分の体をいのままにする権利を持たず、妻がそれを持っているからです。ですから、不倫は、当事者の合意のうえであっても、互いの配偶者に対して罪を犯すことになるのです。このような姦淫の罪は、その人の人生を台無しにしてしまいます。姦淫の罪は、自分の家庭と相手の家庭をも破壊してしまうのです。そのようなことがないように、ソロモンは、「子よ、父の戒めを守れ。母の教えをおろそかにするな」と言うのです。
イエス様の教え、「情欲を抱いて女を見る者は誰でも、すでに心の中で姦淫を犯したのである。右の目があなたをつなずかせるなら、えぐり出して捨てなさい」という教えは、誇張法であり、そのとおりに実行してはなりませんが、私たちを姦淫の罪から守るための教えであるのです。また、『ヘブライ人への手紙』の第13章4節には、次のように記されています。「結婚はすべての人に尊ばれるべきであり、寝床を汚してはなりません。神は、淫らな者や姦淫する者を裁かれます」。神様は、「男は父母(ふぼ)を離れて妻と結ばれ、二人は一体となる」という結婚の制度を定められました(創世2:24)。姦淫は、神様が結び合わされた夫婦関係を引き裂いてしまう罪であるのです。また、神様が建てられた家庭を破壊してしまう罪であるのです。そのような罪を犯した人を嫉妬に駆られた男は赦そうとはしません。しかし、そのような姦淫の罪を、神様は、イエス・キリストにあって赦してくださいます。イエス・キリストは姦淫の罪を犯した女にこう言われました。「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはいけない」(ヨハネ8:11)。