あなたの心を保て 2025年4月30日(水曜 聖書と祈りの会)
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あなたの心を保て
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- 村田寿和 牧師
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箴言 4章1節~27節
聖書の言葉
4:1 子らよ、父の諭しを聞け。/分別をわきまえるために思いを向けよ。
4:2 あなたがたに良い教訓を授ける。/私の教えを捨ててはならない。
4:3 私も父の子であり/母にとっては、いとしい独り子であった。
4:4 父は私に教えて言った。/「私の言葉を心に留め/私の戒めを守って、生きよ。
4:5 知恵を得よ、分別を得よ。/私の口が語ることを忘れることなく/そこからそれるな。
4:6 知恵を捨てるな、それはあなたを守る。/分別を愛せ、それはあなたを見守る。
4:7 知恵の初めとして知恵を得よ。/あなたが得たすべてを尽くして分別を得よ。
4:8 知恵を尊べ、それはあなたを高める。/知恵を抱けば、それはあなたを重んじる。
4:9 それはあなたの頭に麗しい花冠を与え/誉れある冠を贈る。」
4:10 子よ、聞け、私の言葉を受け入れよ。/それはあなたの命の歳月を増す。
4:11 私はあなたに知恵の道を教え/まっすぐな道のりを示した。
4:12 進み行くとき、あなたの歩みを妨げるものはなく/走っても、よろめくことはない。
4:13 諭しを捕らえて放さず、それに従え。/それはあなたの命だ。
4:14 悪しき者の道筋を進むな。/邪悪な者の道を歩むな。
4:15 それには目もくれず、そこを通るな。/そこからそれて、通り過ぎよ。
4:16 彼らは悪事を働かずには床に就かず/誰かをよろめかさずには眠らない。
4:17 悪しき者のパンを食べ/暴虐の酒を飲む。
4:18 正しき者の行く末は輝き出る光のようだ。/進むほどに光を増し、真昼の輝きとなる。
4:19 悪しき者の道は闇のようだ。/何につまずくのか、知ることさえできない。
4:20 子よ、私の言葉に思いを向けよ。/私の語りかけに耳を傾けよ。
4:21 目から離すことなく/心の内に守れ。
4:22 探し出す者にとって、それは命。/心身を健やかにする。
4:23 守るべきものすべてにも増して/あなたの心を保て。/命はそこから来る。
4:24 ねじ曲がった言葉をあなたの口から退け/ゆがんだ言葉を唇から遠ざけよ。
4:25 目は正面を見据え/まなざしを前にまっすぐ向けよ。
4:26 あなたの道のりに気を配れ/あなたの歩みは確かなものとなる。
4:27 右にも左にも偏ることなく/足を悪から遠ざけよ。
箴言 4章1節~27節
メッセージ
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聖書と祈りの会では、「イスラエルの王、ダビデの子ソロモンの箴言」を学んでいます(1:1)。今朝は、第4章1節から27節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。
1節から9節までをお読みします。
子らよ、父の諭しを聞け。分別をわきまえるために思いを向けよ。あなたがたに良い教訓を授ける。私の教えを捨ててはならない。私も父の子であり/母にとっては、いとしい独り子であった。父は私に教えて言った。「私の言葉を心に留め/私の戒めを守って、生きよ。知恵を得よ、分別を得よ。私の口が語ることを忘れることなく/そこからそれるな。知恵を捨てるな、それはあなたを守る。分別を愛せ、それはあなたを見守る。知恵の初めとして知恵を得よ。あなたが得たすべてを尽くして分別を得よ。知恵を尊べ、それはあなたを高める。知恵を抱けば、それはあなたを重んじる。それはあなたの頭に麗しい花冠を与え/誉れある冠を贈る。」
知恵の教師であるソロモンは、自分を父親の立場に置いて、「子らよ」と私たちに呼びかけます。ソロモンが「子らよ、父の諭しを聞け」と言うとき、その「父」とはソロモンに留まらない「父なる神」のことです。ですから、私たちは、ソロモンの子供たちというよりも、イエス・キリストに結ばれた神の子供たちとして聞くべきであるのです。ソロモンは、「あなたがたに良い教訓を授ける。私の教えを捨ててはならない」と言います。その良い教訓、教えは、ソロモンが父ダビデと母バトシェバによって教えられた権威ある知恵であるのです。このように知恵とは、古い世代から新しい世代へと受け継がれていくものであるのです。4節から9節には、ソロモンが父ダビデから受けた教えが記されています。ダビデは子であるソロモンに、「私の言葉を心に留め/私の戒めを守って、生きよ。知恵を得よ。分別を得よ。私の口が語ることを忘れることなく/そこからそれるな」と語ります。『列王記上』の第3章3節には、「ソロモンは主を愛し、父ダビデの掟に従って歩んだ」と記されています。ソロモンの知恵は、主なる神の賜物でありますが、ソロモンは父ダビデの教えに従って歩んでいたのです。父ダビデによる宗教教育と主なる神の賜物としての知恵は、一体的な関係にあるということです。
またダビデは、「知恵を捨てるな、それはあなたを守る。分別を愛せ、それはあなたを見守る」と言います。ここでの「知恵」は、主を畏れることを源とする知恵のことです。また、「分別」とは「道理を弁えて物事を正しく判断すること」です。『ヨブ記』の第28章28節には、「主を畏れること、これが知恵である。悪を離れること、これが分別である」と記されています。知恵を得て、分別を愛して歩むこと。それは、主を畏れ、悪から離れて歩むことであるのです。そのとき、私たちは、悪しき者から、罪の誘惑から守られるのです。それゆえダビデは、「知恵の初めとして知恵を得よ。あなたが得たすべてを尽くして分別を得よ」と言うのです。
さらにダビデは、「知恵を尊べ、それはあなたを高める。知恵を抱けば、それはあなたを重んじる。それはあなたの頭に麗しい花冠を与え/誉れある冠を贈る」と言います。知恵は、私たちを神の恵みの支配の内に守ってくれるだけではなく、私たちを高め、私たちを大いなる者としてくれるのです。花嫁が花婿の頭に花冠を与えるように、知恵は私たちに誉れある冠を贈るのです。知恵は私たちに富と誉れをもたらしてくれるのです(3:16参照)。
10節から19節までをお読みします。
子よ、聞け、私の言葉を受け入れよ。それはあなたの命の歳月を増す。私はあなたに知恵の道を教え/まっすぐな道のりを示した。進み行くとき、あなたの歩みを妨げるものはなく/走っても、よろめくことはない。諭しを捕らえて放さず、それに従え。それはあなたの命だ。悪しき者の道筋を進むな。邪悪な者の道を歩むな。それには目もくれず、そこを通るな。そこからそれて、通り過ぎよ。彼らは悪事を働かずには床に就かず/誰かをよろめかさずには眠らない。悪しき者のパンを食べ/暴虐の酒を飲む。正しき者の行く末は輝き出る光のようだ。進むほどに光を増し、真昼の輝きとなる。悪しき者の道は闇のようだ。何につまずくのか、知ることさえできない。
ここでソロモンは、「わたしはあなたに知恵の道を教え/まっすぐな道のりを示した」と言います。知恵の道は神の御心に適ったまっすぐな道であり、さらには、私たちによろめかずに走る力をも与えてくれます。ソロモンは「諭しを捕らえて放さず、それに従え。それはあなたの命だ」と言います。ここでの「諭し」を、新改訳2017は、「訓戒」と翻訳しています。ソロモンから受けた諭し、訓戒に従うとき、私たちは神様によって造られ、生かされている人間として生きることができるのです。また、ソロモンは悪しき者の道についても語ります。「悪しき者の道筋を進むな。邪悪な者の道を歩むな」と言って、関わりを持たないように命じるのです。16節と17節には、悪しき者がどのような者であるかが記されています。「一日一善」(「一日に一つだけでもよい行いをすること」の意味)という言葉がありますが、悪しき者の場合は、「一日一悪」であるのです。悪しき者は悪事を働かずには床につかず、誰かをよろめかさずには眠らないのです。悪しき者は、不義を働いて得たパンを食べ、人を苦しめて手に入れた酒を飲むのです(「暴虐」とは「ひどく乱暴な行いをして人を苦しめること」の意味)。正しき者の道は光であり、進むほどに光りは増し、真昼の輝きとなります。しかし、悪しき者の道は闇であり、何につまずくのか知ることさえできないのです。光と闇の対比(コントラスト)は、私たちに、イエス・キリストの御言葉を思い起こさせます。イエス様は、『ヨハネによる福音書』の第12章でこう言われます。「光は、今しばらく、あなたがたの間にある。闇に捕らえられることがないように、光のあるうちに歩きなさい。闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい」。このイエス様の御言葉の背景には、「知恵の道は光であり、悪しき者の道は闇である」という知恵の言葉があるのです。神の知恵であるイエス・キリストこそ、闇の中で輝いている光であります(ヨハネ1:5参照)。それゆえ、知恵の道はイエス・キリストを信じる道であるのです。
20節から27節までをお読みします。
子よ、私の言葉に思いを向けよ。私の語りかけに耳を傾けよ。目から離すことなく/心の内に守れ。探し出す者にとって、それは命。心身を健やかにする。守るべきものすべてにも増して/あなたの心を保て。命はそこから来る。ねじ曲がった言葉をあなたの口から退け/ゆがんだ言葉を唇から遠ざけよ。目は正面を見据え/まなざしを前にまっすぐ向けよ。あなたの道のりに気を配れ/あなたの歩みは確かなものとなる。右にも左にも偏ることなく/足を悪から遠ざけよ。
ソロモンは、「私の言葉に思いを向けよ。・・・探し出す者にとって、それは命」と言います。それは、ソロモンの言葉が、先祖から受け継いできた知恵の言葉であり、神の言葉であるからです。ソロモンの言葉は神の言葉でもあるので、耳を傾け、心の内に守る者の心身を健やかにするのです。
ソロモンは23節で、「守るべきものすべてにも増して/あなたの心を保て。命はそこから来る」と言います。「心」とは、「人間の精神作用のもとになるもの」であり、「知識と感情と意志の総体」のことです(広辞苑)。ソロモンは、「何にも増して、あなたの心を保て。命はそこから来る」と言います。新共同訳では、「何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある」と翻訳していました。この御言葉は、心を病みやすい現代社会において、私たちが心の板に刻むべき御言葉であると思います。私たちは、体の健康だけではなく、心の健康にも気を配るべきであるのです。そして、心の健康は、魂の健康(スピリチュアルヘルス)と深く関わっているのです。ソロモンは、「命はそこから来る」と言いますが、この命が神と共に生きる永遠の命であるならば、その心は聖霊によって新しくされた心であると言えます。「心を守る」とは、「イエス・キリストへの信仰を守る」ことと深く結びついているのです。ちなみに、「命はそこから来る」を、新改訳2017は「いのちの泉はこれから湧く」と翻訳しています。イエス様は、『ヨハネによる福音書』の第7章で、「私を信じる者は、聖書が語ったとおり、その人の内から生ける水が川となって流れ出るようになる」と言われました。イエス・キリストを信じて、聖霊を与えられている私たちの心からは命の水が湧き出ているのです。そのような心を私たちは保つ必要があるのです。言い換えれば、イエス・キリストを信じ続ける必要があるのです。
23節の心を皮切りに、24節では口、25節では目、26節では足のことが言われます。「ねじ曲がった言葉をあなたの口から退け/ゆがんだ言葉を唇から遠ざけよ。目は正面を見据え/まなざしを前にまっすぐ向けよ。あなたの道のりに気を配れ/あなたの歩みは確かなものとなる。右にも左にも偏ることなく/足を悪から遠ざけよ」。このような口や目や足の働きの源は「心」にあります。それゆえ、ソロモンは、「守るべきものすべてに増して/あなたの心を保て」と言うのです。そして、その心は、イエス・キリストの聖霊によって、清められた心であるのです。