へりくだって知恵を求めよ 2025年4月23日(水曜 聖書と祈りの会)
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へりくだって知恵を求めよ
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- 村田寿和 牧師
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箴言 3章21節~35節
聖書の言葉
3:21 子よ、よき考えと慎みを保ち/見失うことのないようにせよ。
3:22 それらはあなたの魂の命となり/首を飾る恵みとなる。
3:23 そうして、あなたは安らかに道を歩み/足がつまずくこともない。
3:24 身を横たえるときも、おびえることなく/横たわれば、その眠りは快い。
3:25 突然の恐怖にも、悪しき者の騒乱が生じても/おののくことはない。
3:26 主があなたの傍らにおられ/罠から足を守ってくださる。
3:27 あなたの手に善を行う力があるなら/なすべき相手にそれを拒むな。
3:28 あなたにその力があるなら/友に「出直してくれ、明日あげるから」と言うな。
3:29 友に対して悪意を耕すな/彼はあなたのそばで安らかに住んでいるのだから。
3:30 訳もなく他人と争うな/あなたに悪事を働いていないなら。
3:31 暴虐をなす者を羨むな/その道のいずれも選んではならない。
3:32 主は曲がった者をいとい/まっすぐな人と親しくされる。
3:33 悪しき者の家には主の呪い/正しき者の住まいには祝福がある。
3:34 主は嘲る者を嘲り/へりくだる人に恵みを与える。
3:35 知恵ある人は誉れを受け継ぎ/愚かな者は恥を増す。箴言 3章21節~35節
メッセージ
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聖書と祈りの会では、「イスラエルの王、ダビデの子ソロモンの箴言」を学んでいます。今朝は、第3章21節から35節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。
21節から26節までをお読みします。
子よ、よき考えと慎みを保ち/見失うことのないようにせよ。それらはあなたの魂の命となり/首を飾る恵みとなる。そうして、安らかに道を歩み/足がつまずくこともない。身を横たえるときも、おびえることもなく/横たわれば、その眠りは快い。突然の恐怖にも、悪しき者の騒乱が生じても/おののくことはない。主があなたの傍らにおられ/罠から足を守ってくださる。
知恵の教師であるソロモンは、私たちに、「子よ、よき考えと慎みを保ち/見失うことのないようにせよ」と言います。ここでの「よき考えと慎み」は、神の知恵を源とする「よき考えと慎み」のことです。神の知恵を源とする「よき考えと慎み」は、私たちの魂の命となり、首を飾る恵みとなります。そうして、私たちは、安らかに道を歩み、足がつまずくこともないのです。神の知恵を源とするよい考えと慎みを保って歩むならば、身を横たえるときもおびえることなく、その眠りは快いのです。突然の恐怖にも、悪しき者の騒乱が生じてもおののくことはないのです。なぜなら、主が私たちの傍らにいてくださり、罠から足を守ってくださるからです。主はご自分の知恵を源とするよき考えと慎みを保つ私たちの傍らにいて、罪の誘惑から守ってくださるのです(主は聖霊と御言葉において共にいてくださるように、知恵と知恵の言葉を保つ私たちと共にいてくださる)。
27節と28節をお読みします。
あなたの手に善を行う力があるなら/なすべき相手にそれを拒むな。あなたにその力があるなら、友に「出直してくれ、明日あげるから」と言うな。
ここでは、施しのことが言われているようです。「なすべき相手」とは「施すべき相手」であり、具体的に言えば、親族や友となります。ちなみに、「友」と訳されている言葉(レアハー)は「隣人(となりびと)」とも訳すことができます(新改訳2017参照)。ここでソロモンは、私たちが隣人に対してどのように振る舞うべきかを教えているのです。「あなたの手に善を行う力があるなら、なすべき相手にそれを拒むな。あなたにその力があるなら、友に『出直してくれ、明日あげるから』と言うな」。このソロモンの言葉は、私たちに主の僕ヤコブの言葉を思い起こさせます。『ヤコブの手紙』の第4章17節には、こう記されています。「なすべき善を知りながら行わないなら、それはその人の罪です」。このヤコブの言葉の背景には、「あなたの手に善を行う力があるなら、なすべき相手にそれを拒むな」という箴言の御言葉があるのです。
29節と30節をお読みします。
友に対して悪意を耕すな/彼はあなたのそばで安らかに住んでいるのだから。訳もなく他人と争うな/あなたに悪事を働いていないなら。
ここで「友」と訳されている言葉(レアハー)も「隣人(となりびと)」と訳すことができます(新改訳2017参照)。「私たちは、自分のそばで安らかに住んでいる友や親族に対して、悪意を耕してはならないのです。「悪意を耕す」とは、悪意をつのらせることを意味します。私たちの方から隣人に対して、悪意をつのらせてはならないのです。また、ソロモンは「訳もなく他人と争うな/あなたに悪事を働いていないなら」と言います。このソロモンの言葉は、私たちに使徒パウロの言葉を思い起こさせます。『ローマの信徒への手紙』の第12章18節に、こう記されています。「できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に過ごしなさい」。このパウロの言葉を、消極的に言うと、「訳もなく他人と争うな/あなたに悪事を働いていないなら」となるのです。
31節と32節をお読みします。
暴虐をなす者を羨むな/その道のいずれも選んではならない。主は曲がった者をいとい/まっすぐな人と親しくされる。
ソロモンが「暴虐をなす者を羨むな」と言うのは、「暴虐をなす者が罰を受けることなく栄えているのを見て、羨むな」という意味です。「暴虐をなす者が財産を築いているのを見て羨んで、彼らの道を歩んではならない」と言うのです。なぜなら、「主は曲がった者をいとい/まっすぐな人と親しくされる」からです。私たちが曲がった道を歩むか、それともまっすぐな道を歩むかの判断基準は、私たちの神である主がどのように思われるかであるのです。主は曲がった者をいとい、まっすぐな人と親しくされます。それゆえ、私たちは、主の御心に適ったまっすぐな道を選ぶべきであるのです(ここで知恵は法と一体的な関係にある)。
33節をお読みします。
悪しき者の家には主の呪い/正しき者の住まいには祝福がある。
ここでは、『申命記』の第28章に記されているイスラエルの民に対する祝福と呪いが、一軒一軒の家に適用されています。聖書を開いて確認しましょう。旧約の308ページです。
第28章1節と2節をお読みします。
もしあなたがあなたの神、主の声に必ず聞き従い、今日私が命じるすべての戒めを守り行うならば、あなたの神、主はあなたを、地上のすべての国民の上に高く上げてくださる。あなたがあなたの神、主の声に聞き従うとき、これらすべての祝福はあなたに臨み、あなたに及ぶ。
ここでの「あなた」は、これから約束の地カナンに入ろうとしているイスラエルの民のことです。イスラエルの民は集合名詞なので「あなた」と二人称単数形で言われています。モーセはイスラエルの民に、「もしあなたがあなたの神、主の声に聞き従うならば祝福される」と言うのです。
飛んで、15節をお読みします。
しかし、もしあなたがあなたの神、主の声に聞き従わず、私があなたに今日命じる戒めと掟のすべてを守り行わないならば、これらのすべての呪いがあなたに臨み、あなたに及ぶ。
ここでの「あなた」も、イスラエルの民のことです。イスラエルの民は集合名詞なので「あなた」と二人称単数形で言われています。モーセはイスラエルの民に、「もしあなたの神、主の声に聞き従わないならば呪われる」と言うのです。
このようなイスラエルの民に対して語られた祝福と呪いが、『箴言』では、イスラエルの民の一軒一軒の家(一つ一つの家庭)に適用されているのです。
今朝の御言葉に戻ります。旧約の977ページです。
34節と35節をお読みします。
主は嘲る者を嘲り/へりくだる人に恵みを与える。知恵ある人は誉れを受け継ぎ/愚かな者は恥を増す。
「主は嘲る者を嘲り/へりくだる人に恵みを与える」。このギリシア語訳が、『ヤコブの手紙』の第4章と『ペトロの手紙一』の第5章に引用されています。ここでは『ペトロの手紙一』の第5章を開いてみたいと思います。新約の424ページです。第5章5節と6節をお読みします。
同じように、若い人たち、長老たちに従いなさい。皆互いに謙遜を身につけなさい。「神は高ぶる者を退け/へりくだる者に恵みをお与えになる」からです。ですから、神の力強い御手の下でへりくだりなさい。そうすれば、しかるべき時に神はあなたがたを高くしてくださいます。
ここでペトロは、『箴言』の第3章34節のギリシア語訳、「神は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお与えになる」を引用して、「神の力強い御手の下でへりくだりなさい」と語ります。そうすれば、「しかるべき時に神はあなたがたを高くしてくださる」と言うのです。このようにペトロが語るのは、そのことが『箴言』に記されている神の知恵であるからです。また、ペトロがこのように語ることができたのは、神様がへりくだったイエス・キリストを高めてくださったことを知っていたからです。神様は、十字架の死に至るまでへりくだったイエス・キリストを復活させ、天に上げられあらゆる名にまさる名をお与えになりました(フィリピ2:6~11参照)。それゆえ、ペトロは確信を持って、「神の力強い御手の下でへりくだりなさい。そうすれば、しかるべき時に神はあなたがたを高くしてくださいます」と語ることができたのです。
今朝の御言葉に戻ります。旧約の977ページです。
ソロモンが、「主は嘲る者を嘲り/へりくだる人に恵みを与える」と言うとき、その「恵み」とは神の知恵であります。へりくだって、主はを求める人に、主は知恵を与えてくださるのです。そして、「知恵を与えられた人は誉れを受け継ぎ/主を嘲る愚かな者は恥を増す」のです。私たちは、主の御前にへりくだって、神の知恵を祈り求めたいと願います(ヤコブ1:5参照)。