主が知恵を授ける 2025年3月26日(水曜 聖書と祈りの会)
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主が知恵を授ける
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- 村田寿和 牧師
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箴言 2章1節~22節
聖書の言葉
2:1 子よ、もし私の言葉を受け入れ/私の戒めをあなたの内に納め
2:2 知恵に耳を傾け/英知に心を向けるなら
2:3 さらに分別に呼びかけ/英知に向かって声を上げ
2:4 銀を求めるようにそれを尋ね/隠された宝を求めるようにそれを探すなら
2:5 その時、あなたは主を畏れることを見極め/神の知識を見いだすだろう。
2:6 まさしく、主が知恵を授け/主の口から知識と英知が出る。
2:7 主は正しい人には良い考えを/完全な道を歩む人には盾を備える。
2:8 裁きの道筋に従い/忠実な人の道を守るために。
2:9 その時、あなたは見極められるようになる/正義と公正と公平が/幸いに至る唯一の道のりであることを。
2:10 まさしく、知恵があなたの心に来て/知識が魂の喜びとなる。
2:11 慎みがあなたを守り/英知があなたを見守る。
2:12 あなたを悪の道から/偽りを語る者から救い出すために。
2:13 彼らはまっすぐな道筋を捨て/闇の道を歩み
2:14 悪をなすことを喜びとし/悪意ある偽りに小躍りする。
2:15 その道筋は曲がり/道のりはゆがんでいる。
2:16 また、よその女、滑らかに話す異国の女からも/あなたは救い出される。
2:17 若い日の友を捨て/自分の神との契約を忘れた女から。
2:18 彼女の家は死へと/その道のりは死者の霊の国へと崩れ行く。
2:19 彼女のもとに行く者は誰も帰って来ない。/命の道に至ることができない。
2:20 こうして、あなたは善良な人の道を歩み/正しき人の道筋を守ることができる。
2:21 正しい人は地に暮らし/全き人はそこにとどまる。
2:22 悪しき者は地から絶たれ/裏切り者はそこから抜き去られる。箴言 2章1節~22節
メッセージ
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「聖書と祈りの会」では、「イスラエルの王、ダビデの子ソロモンの箴言」を読み進めています。今朝は、第2章1節から22節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。
1節から5節までをお読みします。
子よ、もし私の言葉を受け入れ/私の戒めをあなたの内に納め/知恵に耳を傾け/英知に心を向けるなら/さらに分別に呼びかけ/英知に向かって声を上げ/銀を求めるようにそれを尋ね/隠された宝を求めるようにそれを探すなら/その時、あなたは主を恐れることを見極め/神の知識を見いだすだろう。
ソロモンは、私たちに「子よ」と呼びかけます。ソロモンは教師である自分を父親の立場に置いて、生徒である私たちを「子」と呼ぶのです。ここでソロモンが言っていることは、「求めなさい。そうすれば、与えられる」ということです(マタイ7:7)。私たちが知恵の教師であるソロモンの言葉を受け入れ、その戒めを心の内に納めるならば、知恵に耳を傾け、英知(優れた知恵)に心を向けるならば、分別に呼びかけ、英知に向かって声を上げ、銀を求めるようにそれを尋ね、隠された宝を求めるように探すなら、その時、私たちは主を畏れることを見極め、神の知識を見いだすことができるのです。主を畏れることを見極め、神の知識を見いだすためには、私たちにも努力することが求められるのです。しかし、そのことは、私たちが努力すれば、必ず知恵を得ることができるということではありません。なぜなら、知恵を授けるのは主であるからです。
6節から9節までをお読みします。
まさしく、主が知恵を授け/主の口から知識と英知が出る。主は正しい人に良い考えを/完全な道を歩む人には盾を備える。裁きの道筋に従い/忠実な人の道を守るために。その時、あなたは見極められるようになる/正義と公正と公平が/幸いに至る唯一の道のりであることを。
主を畏れることを見極め、神の知識を見いだすためには、努力が必要です。しかし、私たちの努力次第で、知恵を得ることができるのではありません。知恵は主が授けてくださる賜物であるのです。このことは、神の知恵であるイエス・キリストを信じることを考えると分かりやすいと思います(一コリント1:30参照)。イエス・キリストを信じるには、礼拝に出席したり、聖書を読むなどの努力が必要です。しかし、努力していれば、イエス・キリストを信じることができるかと言えば、できないわけです。イエス・キリストへの信仰は、救いの恵みの賜物であるからです(ウェストミンスター小教理問86参照)。イエス・キリストを信じるためには、熱心に礼拝に出席するなどの努力が必要です。しかし、最終的にイエス・キリストへの信仰を与えてくださるのは、神様なのです。知恵についても同じことが言えるわけです。主なる神こそ、知恵を授けてくださる御方であり、主の口から知識と英知が出るのです。主は正しい人には良い考えを、完全な道を歩む人には盾を備えてくださいます。私たちはイエス・キリストにあって、正しい人、完全な道を歩む人とされています。その私たちに、主なる神は良い考えを与え、盾を備えてくださるのです。それは、私たちが裁きの道筋に従い、忠実な人の道を守るためであります。私たちに与えられているイエス・キリストへの信仰という知恵は、私たちを神の裁きに従う、神に忠実な歩みへと導き、守ってくれるのです。その時、私たちは正義と公正と公平が幸いに至る唯一の道のりであることを見極められるようになるのです。「正義と公正と公平」とは、主なる神が定められた人間社会の秩序であります。神は人間社会を正義と公正と公平という秩序ある世界としてお造りになりました。また、神は人間社会を正義と公正と公平という秩序によって保ち、治めておられるのです。その神の秩序である正義と公正と公平の道を歩むとき、私たちは幸いに至ることができるのです。「正義と公正と公平が、幸いに至る唯一の道のりである」。これこそ、今朝私たちに授けられた知恵の言葉であるのです。なぜ、私たちは正義と公正と公平を追い求めるべきなのか。それは、正義と公正と公平こそ、私たちが幸いに至る唯一の道のりであるからです。
10節から15節までをお読みします。
まさしく、知恵があなたの心に来て/知識が魂の喜びとなる。慎みがあなたを守り/英知があなたを見守る。あなたを悪の道から/偽りを語る者から救い出すために。彼らはまっすぐな道筋を捨て/闇の道を歩み/悪をなすことを喜びとし/悪意ある偽りに小躍りする。その道筋は曲がり/道のりは歪んでいる。
主から知恵を授けられ、主を畏れる知識が魂の喜びとなるとき、私たちは悪しき者の道から守られます。第1章11節から14節に、罪人の誘いの言葉が記されていました。「一緒に来い。待ち伏せして血を流してやろう。無実の人を故なく狙おう。陰府のように、生きたまま一呑みに/墓穴に落ちた者と全く同じようにしてやろう。値打ちのあるものは残らず探し出し/戦利品で家を満たそう。我々の仲間になって/財布も一つにしよう」。これこそ、悪しき者の道であります。主から与えられた知恵によって、主を畏れる知識が魂の喜びとなるとき、私たちは悪しき者の道から守られるのです。主から与えられた優れた知恵が、私たちを悪の道から偽りを語る者から救い出してくれるのです。悪しき者は、主を畏れることではなく、悪を行うことを喜びとします。彼らは、悪意ある偽りに小躍りし、その道筋は曲がり、道のりは歪んでいるのです。しかし、主から知恵を与えられて、神を畏れる知識を喜びとする私たちの道はまっすぐであります。このように、知恵は私たちを悪しき道に入り込むことがないように守ってくれるのです。
16節から19節までをお読みします。
また、よその女、滑らかに話す異国の女からも/あなたは救い出される。若い日の友を捨て/自分の神との契約を忘れた女から。彼女の家は死へと/その道のりは死者の霊の国へと崩れ行く。彼女のもとに行く者は誰も帰って来ない。命の道に至ることができない。
また、知恵は、私たちをよその女、伴侶のある異性からも守ってくれます。ここでは、伴侶のある異性と関係を持つ姦淫の罪のことが言われています。知恵は私たちを姦淫の罪から守ってくれるのです。私たちは、知恵によって、滑らかに語りかける姦淫の誘惑からも守られるのです。伴侶のある異性と関係を持とうとする人は、若い日の自分の伴侶を捨て、神との契約を忘れた者であるのです。ここでの「神との契約」は、神が結び合わせてくださった結婚の契約のことです(マラキ2:14「あなたがたは、『なぜなのか』と言う。それは、主があなたとあなたの若い時の妻との間の証人となられたのに、あなたが妻を裏切ったからだ。彼女こそ、あなたの伴侶、あなたと契約をした妻である」参照)。姦淫は、自分の伴侶に対する罪だけではなく、神に対する罪であるのです。姦淫の罪は、自分の家庭と自分自身に破滅をもたらす罪であるのです。そのような姦淫の罪から、知恵は私たちを守ってくれるのです。
20節から22節までをお読みします。
こうして、あなたは善良な人の道を歩み/正しき人の道筋を守ることができる。正しい人は地に暮らし/全き人はそこにとどまる。悪しき者は地から絶たれ/裏切り者はそこから抜き去られる。
主から授けられた知恵によって、私たちは悪しき者の道と姦淫の罪から守られます。主から授けられた知恵によって、私たちは善良な人の道を歩み、正しき人の道筋を守ることができるのです。21節と22節は、正しい人は良い報いを受け、悪しき者は悪い報いを受けるという応報思想です。「正しい人は地に暮らし/全き人はそこにとどまる。悪しき者は地から絶たれ/裏切り者はそこから抜き去られる」。この応報思想も、神が人間社会に定められた秩序であり、神の知恵であります。そのような神の知恵を授けられているからこそ、私たちは正義と公正と公平が幸いに至る唯一の道のりであると断言することができるのです。