子よ、父の諭しを聞け 2025年3月12日(水曜 聖書と祈りの会)

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子よ、父の諭しを聞け

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
箴言 1章8節~19節

聖句のアイコン聖書の言葉

1:8 子よ、父の諭しを聞け。/母の教えをおろそかにするな。
1:9 それはあなたの頭の麗しい花冠/あなたの首の飾り。
1:10 子よ、罪人が誘いをかけてきても/応じてはならない。
1:11 彼らはこう言うだろう/「一緒に来い。/待ち伏せして血を流してやろう。/無実の人を故なく狙おう。
1:12 陰府のように、生きたまま一呑みに/墓穴に落ちた者と全く同じようにしてやろう。
1:13 値打ちのあるものは残らず探し出し/戦利品で家を満たそう。
1:14 我々の仲間になって/財布も一つにしよう。」
1:15 子よ、彼らと共に道を歩んではならない。/彼らの行く道に踏み込まないよう慎め。
1:16 彼らの足は悪に走り/流血へと急いでいる。
1:17 翼あるものの目の前で網を広げるなど/意味のないことだ。
1:18 彼らは自らの血を流すために待ち伏せ/自らの命を狙うことになる。
1:19 これが不正な利益を求める者の末路/それを得た者の命は奪い去られる。箴言 1章8節~19節

原稿のアイコンメッセージ

 先週から「イスラエルの王、ダビデの子ソロモンの箴言」を学び始めました(箴1:1)。今朝は第1章8節から19節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。

 8節と9節をお読みします。

 子よ、父の諭しを聞け。母の教えをおろそかにするな。それはあなたの頭の麗しい花冠/あなたの首の飾り。

 ソロモンは、私たちを「子」と呼び、自分のことを「父」、また「母」と呼びます。古代オリエントの知恵文学において、教師を「父」と呼び、生徒を「子」と呼ぶことがあったようです。教師を「父」、また「母」と呼び、生徒を「子」と呼ぶのは、最初の教育の場が家庭であったからです(申命6:7「あなたの子どもたちにも繰り返し告げなさい。家に座っているときも、道を歩いているときも、寝ているときも、起きているときも唱えなさい」参照)。私たちの最初の教師は父であり、母であるのです。父と母は、子どもを愛して、益となることを諭し、教えます。その父と母のような、私の諭しに聞き従い、私の教えをおろそかにするなとソロモンは言うのです。ソロモンは、「それはあなたの頭の麗しい花冠/あなたの首飾り」と言います。「麗しい花冠」と「首飾り」は権威と栄誉を象徴しています。父の諭しと母の教えは、私たちに権威と栄誉を与えてくれるのです。

 10節から19節までをお読みします。

 子よ、罪人が誘いをかけてきても/応じてはならない。彼らはこう言うだろう「一緒に来い。待ち伏せして血を流してやろう。無実の人を故なく狙おう。陰府のように、生きたまま一呑みに/墓穴に落ちた者と全く同じようにしてやろう。値打ちのあるものは残らず探し出し/戦利品で家を満たそう。我々の仲間になって/財布も一つにしよう。」子よ、彼らと共に道を歩んではならない。彼らの行く道に踏み込まないように慎め。彼らの足は悪に走り/流血へと急いでいる。翼あるものの目の前で網を広げるなど/意味のないことだ。彼らは自らの血を流すために待ち伏せ/自らの命を狙うことになる。これが不正な利益を求める者の末路/それを得た者の命は奪い去られる。

 ソロモンは、私たちに、「子よ、罪人が誘いかけてきても/応じてはならない」と言います。そして、11節から14節に渡って、罪人たちの誘いの言葉を記すのです。罪人たちは、私たちに、無実の人を殺して、その財産を奪い、山分けしようと誘います。しかし、ソロモンは、こう言うのです。「子よ、彼らと共に道を歩んではならない。彼らの行く道に踏み込まないように慎め」。なぜ、ソロモンは、このように言うのでしょうか。それは、罪人が最終的には自分の血を流すことになるからです。罪人たちの足は無実の人の血を流そうと急ぐのですが、彼らは自分の血を流すことになるのです。だから、「子よ、彼らと共に歩んではならない」と言うのです。このようにソロモンは、私たちを知恵によって諭すのです。ここで注意したいことは、ソロモンは律法によって説得しようとはしていないということです。ソロモンは、「あなたは殺してはならない」と掟に書いてある。また、「あなたは盗んではならない」と掟に書いてある。だから、「子よ、彼らと共に道を歩んではならない」。そのように律法に訴えて説得しようとはしないのです。ソロモンは知恵の王ですから、知恵によって諭すのです。前回のお話でも申しましたように、「知恵とは神が造られた宇宙や人間社会や人生に織り込まれている秩序」のことです。神はすべてのものを、秩序をもってお造りになりました。また、神はすべてのものを、秩序をもって保ち、治めています。その秩序こそ正義であり、公正であり、公平であるのです。神は人間社会を正義と公正と公平という秩序をもって保ち、治めておられるのです。第1章3節に、「見識ある諭しと正義と公正と公平を受け入れるため」とありました。正義(ツェデク)と公正(ミシュパット)と公平(メシャリーム)こそ、神が定めている人間社会の秩序であるのです。それは神ご自身が正義と公正と公平な御方であるからです。無実の人の血を流す者は、自分の血を流すことになる。それは神が人間社会を正義と公正と公平という秩序をもって保ち、治めているからです。それゆえ、ソロモンは、「これが不正な利益を求める者の末路/それを得た者の命は奪い去られる」と断言するのです。

 不正な利益を求める者の末路は、命を奪い去られる。この実例を、私たちはイエス様を銀貨30枚で引き渡したイスカリオテのユダに見ることができます。『使徒言行録』の第2章で、ペトロは、イスカリオテのユダについて次のように語っています。「この男は不正を働いて得た報酬で土地を手に入れたのですが、そこに真っ逆様におちて、体が真っ二つに裂け、腸がみな出てしまいました」(使徒1:18)。不正な利益を手にしたユダの命が奪い去られたことは、神の知恵に適ったことであったのです。

 私たちは、主が人間社会を正義と公正と公平という秩序をもって保ち、治めているという知恵によって、神の子としての正しい道を歩んでいきたいと願います。

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