主の裁きと希望 2025年1月19日(日曜 朝の礼拝)
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主の裁きと希望
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ミカ書 3章12節~4章4節
聖書の言葉
3:12 それゆえ、あなたがたのゆえに/シオンは畑となって耕され/エルサレムは瓦礫の山となり/神殿の山は木の生い茂る高台となる。
4:1 終わりの日に/主の家の山は、山々の頭として堅く立ち/どの峰よりも高くそびえる。/そして、もろもろの民が川の流れのように/そこに向かい
4:2 多くの国民が来て言う。/「さあ、主の山、ヤコブの神の家に登ろう。/主はその道を私たちに示してくださる。/私たちはその道を歩もう」と。/教えはシオンから/主の言葉はエルサレムから出るからだ。
4:3 主は多くの民の間を裁き/遠く離れた強い国々のためにも判決を下される。/彼らはその剣を鋤に/その槍を鎌に打ち直す。/国は国に向かって剣を上げず/もはや戦いを学ぶことはない。
4:4 人はそれぞれ自らのぶどうの木/いちじくの木の下に座し/脅かす者は誰もいないと/万軍の主の口が語られる。
7:8 わが敵よ、私のことで喜ぶな。/私は倒れても、また起き上がる。/たとえ、闇の中に座っていても/主は私の光である。
7:9 私は罪を犯したので/主の怒りを負わなければならない。/主が私の訴えを取り上げ/私を裁かれるときまで。/主は私を光に導き/私は主の正義を見るだろう。ミカ書 3章12節~4章4節
メッセージ
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ミカ書3章12節-4章4節、7章8-9節 神の裁きと希望
はじめに
1章1節に、ミカがモレシェト人であると名乗っています。神の裁きを警告している1章10-16節に、町の名があげられていますが、モレシェト人というのは、14節にあげられているモレシェト・ガトのことを言っています。その町はユダ王国のエルサレムから見れば西側に位置して、ペリシテの平原を見下ろす丘陵地にありました。ミカは、2章2節で、悪をたくらむ者が不正に農民の生活の拠り所である畑を収奪することを言っていますが、ミカの身近に見られたことか、ミカ自身の畑にも及んだことだったのかもしれません。地方で暮らしていたミカは、中央エルサレムの不正が地方の末端に生きる人たちのところにまで及んでいることを目の当たりにしていたのかもしれません。また、町から、あるいは近く見通しのきくところからはペリシテの平原を眼下に見ることができたと思われます。ペリシテの平原は、メソポタミアとエジプトをつなぐ重要な道が通っていましたので、ペリシテだけでなく、少し北のシリアや南のエジプト、そしてこのころいちばん脅威を増していたアッシリアの勢力が接するところであり、国と国の間の勢力争いを身近に見聞きするところでもあったはずです。戦争を経験するか、間近に見た者は平和への思いを強くするものだと思いますが、ミカがそうした地方で暮らしていたゆえに平和への思いを強く持っていたのかもしれません。
ミカ書は、イスラエルの民の罪と主なる神の裁き、そして裁きの後の神の約束、希望で構成されています。それが何度か繰り返えされています。ミカ書をそのような構成単位で見ると、1章2節から2章最後までが一つ、3章から5章が二つ目、6、7章を三つ目としてミカ書全体を把握することができます。
6章8節の「人よ、何が善であるのか。そして、主は何をあなたに求めておられるのか。それは公平を行い、慈しみを愛し へりくだって、あなたの神と共に歩むことである。」は、民の不正と神への不義に対するミカの姿勢を表す言葉として、ミカ書の基調の一つだと思います。
1.支配者たちの罪と主なる神の裁き
3:12 それゆえ、あなたがたのゆえに シオンは畑となって耕され エルサレムは瓦礫の山となり 神殿の山は木の生い茂る高台となる。
ミカ書3章は、「聞け、ヤコブの頭たち、イスラエルの支配者たちよ。」(1節)と呼びかけて、支配者たちの罪を指摘しているところです。「頭」また「支配者」というのは部族の長であり、民を指導し治め、また裁く者たちのことです。その頭たちを2-3節で「善を憎み、悪を愛し 人々の皮を剥ぎ その肉を骨からそぐ者たち。」と言っています。力を持たない立場の人たちからでさえも何らかの収益を上げようとする、彼らの不正とどん欲さを言い表しています。ユダ社会の罪はさらに、報酬を得て仕事をする預言者や祭司たちにも及んでいることをミカはあげています。ユダ社会の支配者層に不正が広がっていることをあげて、この12節で、神の裁きを告げているのです。
ミカが告げている裁きは、神の都エルサレムとその神殿に下るというものです。しかし、エルサレムの神殿は主なる神が臨在するところであります。エルサレムはダビデが契約の箱を運び上げたところであり、ダビデの子のソロモンが神殿建てて、主から「そこに私の名をとこしえに置く、王座をとこしえに確かなものとする」と告げられたところです(列王記上9:3、5)。ですから、支配者たちのおおかたの見方は、主なる神が臨在する神殿に神の裁きが臨むはずはない、エルサレムには臨まないというものでした。ミカが神の裁きを告げましても、神殿が踏みつけられることはない、「たわごと言うな」(2:6)と言って、まともに受けとめなかったのでしょう。
3章12節、「あなたがたのゆえに シオンは畑となって耕される」とあります。畑を耕して暮らす者にとっては生活の拠り所である畑を収奪されてしまうことは、日常の糧を得る道が閉ざされてしまうことです。地方にまで及ぶユダ社会の不正はエルサレムから広がっていますので、あなたがた支配者たちの拠り所とするエルサレムが畑となり、また瓦礫となると告げているのです。異教の祭儀や慣習が取り入れられ、木の生い茂る下で行う祭儀はそのひとつです。預言者や祭司の稼ぎとなっていた神殿は、木が生い茂るただの荒れ地となると告げているのです。
これは一つの考えに過ぎませんが、ユダ社会になぜこのような不正が広まったのかを考えてみます。ユダがアハズ王の時に、アハズは異教の慣習や祭儀を神殿にまで取り入れていました。次のヒゼキヤ王は、そうした異教の慣習や祭儀を一掃しています。そのころになると、アッシリアがその勢いを増し、エルサレムにアッシリアの軍勢が迫ることがありました。ヒゼキヤはアッシリアの王から銀や金を要求され、主の神殿や王宮の宝物庫から銀300キカル、金30キカルを供出しています(列王記下18:14-16、1キカルは34.2kg-聖書巻末の度量衡の表)。これは国の財政としては大きな負担になったのではないかと思います。王や国の負担はエルサレムの民の負担へと及んだでしょう。過度な負担は不正を呼び込み、他の者に転嫁されるようになります。地方の町や村、貧しい農民にまで及んで、負債を他の人に転嫁しようのない人たちは畑を収奪され、家を取り上げられてしまう事態に至ったのではないかと思います。そのもとは、異教の祭儀を神の都であるエルサレムに取り入れていた神への不義と、民の間での不正はつながっていたことなのかもしれません。
支配者たちは、主がソロモンに告げていたさらなる言葉を忘れていたか無視していたようです。「あなたがもし、父ダビデが歩んだように、誠実な心で正しく私の前を歩み、命じられたことをすべて行い、掟と法を守るなら、私はあなたの王座をとこしえに確かなものとする。」(同9:4) この言葉を忘れた支配者たちのゆえに、エルサレムは瓦礫となり、神殿は木の生い茂るところとなって、もはや神の言葉を民が聞くことができなくなるところになります。
預言者は、民の罪を挙げて神の裁きを告げます。しかし、預言者が語るのは神の裁きを告げて終わりではありません。神殿が破壊されることをもって終わりの日ではないのです。
2. 裁きの後の希望
4:1 終わりの日に 主の家の山は、山々の頭として堅く立ち どの峰よりも高くそびえる。 そして、 もろもろの民が川のようにそこに向かい 4:2 多くの国民が来て言う。 「さあ、主の山、ヤコブの神の家に登ろう。 主はその道を私たちに示してくださる。 私たちはその道を歩もう」と。 教えはシオンから 主の言葉はエルサレムから出るからだ。
主の家の山が山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえると言っています。山というのは、主が民に臨まれて主の言葉が告げられるところ、主の教えが示されるところです。主がモーセに言葉を授けたのは、モーセが登った山において主が呼びかけられ、主の言葉を聞かせたのです(出エジプト19:3)。裁きの後に再び主の家の山が堅く立ち、人々に高く示されて、主の言葉が民に聞かれます。「教えはシオンから 主の言葉はエルサレムから出るからだ」とあります。シオン、それはダビデの町であってエルサレムのことです。ダビデはここに神の箱、契約の箱を運び上げてダビデの町としました(サムエル記下6:12)。この神の箱には律法と戒めを書き記した石の板が納められています(出エジプト25:16)。つまり、エルサレムで神が民に教えを語られるということです。多くの民、国民がそこに向かうと告げています。終わりの日に、ひとりイスラエルの民を超えて多くの国民、もろもろの民が主の言葉を聞こうと主の家の山に向かうと告げています。
4:3 主は多くの民の間を裁き 遠く離れた強い国のためにも判決を下される。 彼らはその剣を鋤に その槍を鎌に打ち直す、国は国に向って剣を上げず もはや戦いを学ばない。
「多くの民の間を裁く」というのは、ユダの国内の不正を働く者と彼らに苦しめられた者との間を裁いてくださるということを見ながら、民と民の間、国と国の間を主は裁かれると言っているのだと思います。ソロモンは神殿を建て上げた際に、ある人が祭壇の前に来てあなたに訴えるなら「悪しき者は悪しき者として」裁き、「正しき者を正しい者として」裁いてくださいと主に願っています(列王記上8:32)。この祭壇における神の裁きをミカも思い描いているのでしょう。
「彼らはその剣を鋤に その槍を鎌に打ち直す。」 これと反対のことを言っているのが、ヨエル書にあります。ヨエル書4:9に「戦いの備えをせよ」と前置きして「鋤を剣に、鎌を槍に打ち直し 弱い者にも、『私は勇士だ』と言わせよ。」(4:10)という言葉があります。これと対照的な言葉をミカ書は告げています。戦いをもはやしなくてすむようになり、平和の備えをするという意味でミカは語っています。エルサレムから出る主の言葉によって主の裁きがなされ、民の間、国と国の間に平和がもたらされます。4節に「人はそれぞれの自らのぶどうの木 いちじくの木の下に座し 脅かす者は誰もいないと 万軍の主の口が語られる。」とあります。もはや弱い者が勇士だと虚勢を張る必要がなくなり、畑を収奪する者もいません。ミカがかつてぶどうの木の下、いちじくの木の下に座して平穏に過ごした暮らしを思い描いて、言っているような言葉です。
ミカは、主なる神の裁きがその後の民に何をもたらすかを語っていますが、今一度神の裁きについて考えてみたいところがミカ書にあります。それが7:8-9の言葉です。
3 神の裁きを受けとめる
7:8-9 わが敵よ、私のことで喜ぶな。私は倒れても、また起き上がる。たとえ、闇の中に座っていても 主は私の光である。私は罪を犯したので 主の怒りを負わなければならない。主が私の訴えを取り上げ 私を裁かれるときまで。主は私を光に導き 私は主の正義を見るだろう。
この箇所では、イスラエルが擬人化されて「私」となっています。わが敵によって「私」は屈辱に置かれている、そこから主の御業を見上げています。「わが敵」というのはアッシリアのことか、ほかの国かはわかりません。しかし、「私」が倒され、暗闇に座っているのは、主なる神の怒り、裁きによっているのであって、イスラエルを打ち破ろうとする敵に対しては、勝ち誇って喜ぶな、ほくそ笑むなと言っています。「闇の中」というのは、牢獄のような閉じ込められた闇の中です。敵によってそのような闇の中に座していても「主は私の光」であると言います。主がそのような闇から解き放って光のもとに導き出してくださることを見ています。
倒され、闇の中に座しているのは、イスラエルが罪を犯し、主の怒りを負っているからでありますので、主が民の訴えを取り上げ、私を裁いてくださるなら、その先に、神とイスラエルの関わりが回復される、そういう希望を言い表しています。
イスラエルが共同体として主の前に罪ある者であり、主の怒りを負うものであるという受け止め方については、主の前にある共同体としての今日の教会も同じ見方で受けとめることができるでしょう。日本キリスト改革派教会の創立宣言もそうなのですが、創立三十周年記念宣言でそのことを明白に述べています。この宣言は教会と国家に関する宣言で、その序文で次のような表明があります。「私たちは、宗教団体法下の教会合同に連なったものとして、同時代の教会が犯した罪とあやまちについて共同の責任を負うものであることも告白いたします。」 創立に関わった方々が個人的には避けたことであったでしょうが、「教会が犯した罪と過ちについて共同の責任を負うもの」であると表明しています。国は1939年(昭和14年)宗教団体法を成立させ、大部分の教団、教会は日本基督教団に統合されます。国は天皇を神とする国家神道の儀礼を教会にまで押し付けましたが、宣言の序文は、教会として拒み切れなかったと言っています。また、国が聖戦と称して隣人諸国とそこの兄弟たちまた教会へ不当な侵害を力に物を言わせて行いましました。教会が警告する役割を果たさず、かえって戦争に協力する罪を犯したと表明しています。
これは、教会の過去のことではありますが、主の共同体である教会として、ミカ書の「主の怒りを負わねばならない」という言葉を今現在の自己理解として忘れてはならないのだと思います。このような教会の歴史を踏まえた自己理解は、教会が罪あるこの地に建てられていることに、あらためて気づかせてくれます。
内村鑑三門下の人で、戦前から戦後にかけて聖書の言葉を語り続けた矢内原忠雄という人がいます。矢内原の出した論文が国策に会わないとされて、東大の教授職を追われています。職を追われても、『嘉信』という月刊誌を自ら出して、聖書が教えるところを述べ続けています。そんな中、1941年(昭和16年)に山中湖畔で聖書講習会を開きミカ書を講義しています。ミカ書4章1節の箇所から講義で、「世の中の状態、日本の国の現在の状態も、こういうようになりましたことは非常に悲しむべきことでありますが、これは神の審き(さばき)として我々は畏れをもって受け取らなければならないことであります。」と語っています。この講義が行われたのは1941年の8月下旬です。この時というのは、日本軍がすでに中国大陸や東南アジアに進出し、アメリカなどと開戦する直前になります。このときすでに矢内原は神の裁きが行われる「終わりの日」と見ていたわけです。またこうも語っています。「エホバ(今日では「主」あるいは「ヤハウェ」と表現)の神は人類を救うために審きを何度もなしたまい、我々に教えまた悔い改めの機会を与えておられるのであろうと思う」と。日本社会に神の裁きを見、そしてその先の主が我々に教え、悔い改めに導く救いを希望として見ています。
さて、「新しい約束」という小見出しがつけられたミカ書7章8,9節の言葉は、7章の1-6節で悲しむべき民の腐敗を語り、7節で「しかし、私は主を仰ぎ見 わが救いの神を待つ。わが神は私に耳を傾けてくださる。」という言葉で民の腐敗を神が告発する箇所が締めくくられています。8-9節の言葉を7節の言葉とのつながりとして読むことができるなら、預言者が主の前に罪ある者(新改訳)で、主の怒りを負わねばならない者であるという自己理解を持っていると読めるのではないかと思います。その自己理解のもとにイスラエルの民について語っていると。つまり、ミカはその時代の民の責任を自らも負いつつ語っているではないかと読めるのです。
村田先生が年の初めの主日礼拝で神に信頼して生きることをペトロの手紙一5章6,7節から説教をしてくださいましたが、その個所のすこし後でペトロは次のように言っています。「しかし、あらゆる恵みの源である神、キリストを通してあなたがたを永遠の栄光へ招いてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみの後で癒し、強め、力づけ、揺らぐことのないようにしてくださいます。」(ペトロ一5:10) 「あなたがたをしばらくの苦しみの後で」とペトロは言っていますが、ミカが、闇の中に座しているけれども、それが「主が私の訴えを取り上げ、私を裁かれるときまで」と言っていることとつながるように思います。ミカが今はたとえ闇の中に座していてもと言ったと同じように、ペトロのこの言葉も、今は苦しみがあるけれどもということになります。主を信じて救いに与かっていますが、癒されなければならない者として今あるかもしれません。今は弱い者であり、力づけられなければならないところに置かれるかもしれません。堅固ではなく揺らぐ者でもあります。しかし、あらゆる恵みの源である神、キリストを通して永遠の栄光へと招いてくださった神が、その苦しみの後で、癒し、強め、力づけ、揺らぐことのないようにしてくださいます、と神の約束を述べています。
神に信頼して生きるということは、今の時代に生きる私たちと私たちの教会が、主の裁きとその先の希望をどう受けとめるかということとも関わっているように思います。