私の足の灯、私の道の光 2024年1月07日(日曜 朝の礼拝)

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私の足の灯、私の道の光

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
詩編 119章105節~112節

聖句のアイコン聖書の言葉

119:105 あなたの言葉は私の足の灯/私の道の光。
119:106 私は誓いを立て、それを果たしました。/あなたの正しい裁きを守るためです。
119:107 私はひどく苦しんできました。/主よ、あなたの言葉どおりに私を生かしてください。
119:108 主よ、私の口が進んで献げる賛美を/どうか受け入れ/あなたの裁きを教えてください。
119:109 私は常に危険にさらされています。/しかし、あなたの律法を忘れませんでした。
119:110 悪しき者どもが私に罠を仕掛けました。/しかし、あなたの諭しから迷い出ませんでした。
119:111 とこしえにあなたの定めを受け継ぎます。/それは私の心の喜びです。
119:112 私はあなたの掟を行うことに心を傾けます/とこしえに、終わりまで。詩編 119章105節~112節

原稿のアイコンメッセージ

序.2024年の年間テーマと年間聖句

 今朝は、2024年最初の礼拝です。新年最初の礼拝では、年間テーマと年間聖句に基づいてお話しいたします。今年の年間テーマは「新しい気持ちで新しい翻訳聖書を読もう!」です。また、年間聖句は「あなたの言葉は私の足の灯、私の道の光。」(詩編119編105節)です。この年間テーマと年間聖句にしたのは、今年から礼拝において、新しい翻訳聖書『聖書協会共同訳』を用いることにしたからです(2023年11月小会決議)。

1、『聖書 聖書協会共同訳』の序文

今朝は最初に、『聖書協会共同訳』の序文を読んで、『聖書協会共同訳』がどのような聖書であるのかを御一緒に確認したいと思います。(Ⅰ)ページをお開きください。

「序文

 日本聖書協会は設立以来、4種類の旧・新約聖書を翻訳刊行しました。まず文語訳聖書として1887(明治20)年の明治元(もと)訳、次に明治元訳の新約聖書だけを改訂した1917(大正6)年の大正改訳、戦後は1955(昭和30)年の口語訳聖書、そして1987年(昭和62)年の日本のプロテスタント教会とカトリック教会が初めて共同で発行した新共同訳聖書です。4番目の新共同訳聖書は、従来の旧・新約聖書66巻のほか、カトリック教会の第二正典、聖公会がアポクリファとして認める文書、計13を収めた「続編付き」聖書も発行しました。

 幸いに新共同訳はその後30年余にわたり、多くのプロテスタントとカトリックの教会で愛用され、教会一致(エキュメニズム)の生きたしるしとなりました。

 新共同訳刊行から20年近くが経過した頃、日本語としての完成度をより高め、その後の学問上の進展を取り入れた、日本語の変化に対応する、次世代の新たな翻訳聖書の必要性を感じました。そこで日本聖書協会は2005年11月に翻訳部を新設し、聖書の新翻訳事業に関する検討と準備を開始しました。2008年6月の理事会では共同訳事業推進計画のための諮問会議の設置を決議しました。国内32教団・1団体に同諮問会議への派遣議員をお願いしたところ、17教団・1団体がこの諮問会議に議員を推薦してくださり、21名の議員から成る諮問会議を2008年10月から4回にわたり開催しました。最終回の2009年10月6日には、答申としてスコポス理論を採用した「翻訳方針前文」を採択し、同年12月の日本聖書協会の理事・評議会ではこの答申を承認し、新翻訳事業が開始されたのです。

 以下にこの「翻訳方針前文」の本文(一部省略)を掲げます。

「近代日本における福音宣教の開始後、聖書はいち早く日本語に翻訳された。それは教会の正典として用いられただけでなく、言語、文学、思想など、日本文化全体の発展にも貢献した。過去の聖書協会による邦訳聖書刊行だけを見ても、(中略)およそ30年おきに改訂あるいは新訳がなされている。翻訳作業に10年かかるとすれば、『新共同訳』が刊行されて20年が過ぎた現在、聖書の新しい訳が検討されるべき時期が来ていると言えよう。実際、過去数十年間に生じた聖書学、翻訳学などの進展、底本の改訂、日本語や日本文化の変化、また『新共同訳』見直しへの要請が、新しい翻訳を求めている。

 新しい翻訳は、

(1)共同訳事業の延長とし、日本の教会の標準訳聖書となること、また、すべてのキリスト教会での使用を目指す。

(2)礼拝で用いることを主要な目的とする。そのため、礼拝での朗読にふさわしい、格調高く美しい日本語訳を目指す。

(3)義務教育を終了した日本語能力を持つ人を対象とする。

(4)言語と文化の変化に対応し、将来にわたって日本語、日本文化の形成に貢献できることを目指す。

(5)この数十年における聖書学、翻訳学などの成果に基づき、原典に忠実な翻訳を目指す。底本として、旧約(BHQ)・新約(UBS第5版)・旧約続編(ゲッティンゲン版)など、最新の校訂本をできる限り使用する。

(6)文学類型の違いを訳出して原典の持つ力強さを伝達する努力はするが、聖書が神の言葉であることをわきまえ、統一性を保つ視点を失わないこととする。固有名詞や重要な神学用語については『新共同訳』のみならず、過去の諸翻訳も参考にして、最も適切な訳語を得るようにつとめる。

(7)その出版に際して、異読、ならび地理や文化背景などを説明する注、引照聖句、重要語句を解説する巻末解説、小見出し、章節、地図や年表、などの本文以外の部分は、できる限り様々な組み合わせを考え、読者のニーズに応える努力をする。」

 『聖書 新共同訳』が共同訳聖書実行委員会の責任の下に翻訳されたのに対して、同じ共同訳とはいえ、今回の新翻訳事業は日本聖書協会理事会の決議の下に開始されました。そのため、翻訳と発行に関する責任者という意味で書名を『聖書 聖書協会共同訳』と致しました。各書の書名や、「続編付き」の扱い、固有名詞(一部の変更を除いて)の表記については、新共同訳を踏襲しています。その意味で、聖書協会共同訳は新たな翻訳ではありますが、新共同訳のプロテスタントとカトリックの教会との共同作業を基盤にしたものです。

 『聖書 聖書協会共同訳』の最も重要な特徴は、スコポス理論を採用した「翻訳方針前文」にあるとおり、翻訳の主要な対象・目的を教会での礼拝における使用とし、礼拝での朗読にふさわしい、格調高く美しい日本語を目指した点です。この方針を実現すべく、原語担当者と日本語担当者が最初から共同で翻訳を行い、訳稿を作成するという翻訳方法を採用するとともに、朗読チェックや外部モニターの評価、さらには編集を終えた全書の「パイロット版」への一般読者からのご意見を翻訳に反映させるように努めました。

 聖書協会共同訳のもう一つの大きな特徴は、刊行当初から、本文のほかに引照と注を付した形で発行される点です。特に重要な異読や別訳を示す「注」を旧・新約聖書全体に付けたのは、過去に大正改訳の際に新約聖書について行われた以外は、日本聖書協会発行の聖書としては初めてのことです。

 新翻訳事業の翻訳作業には、翻訳者62名、編集委員43名、外部モニター20名、検討委員23名の延べ148名がご協力くださいました。2010年の翻訳開始から2017年の翻訳終了までの7年間、7回の検討委員会、2回の全体会議(2011年、12年)、9回の翻訳者委員会合宿(2013~17年)を含む約150回の翻訳者委員会、五書・歴史書、詩編・預言書、続編、新約の四委員会を分けての計25回の編集委員会が開催されました。さまざまな本務を持ちながらこの翻訳事業のために貴重な時間と労力を惜しみなく献げてくださった方々に心より感謝申し上げます。何よりも新翻訳事業に賛同し、ご協力くださった教団と団体、また、祈りと献金によって事業をお支えくださった多くの方々に対して深く感謝を表したいと思います。

2018年11月

一般財団法人日本聖書協会」

 長く読みましたが、私たちは、このような聖書を今年から礼拝において用いていくのです。

 今朝の御言葉に戻ります。旧約の947ページです。

2、「年間テーマ」について

 年間テーマを「新しい気持ちで新しい翻訳聖書を読もう!」としました。このテーマには、『聖書協会共同訳』を礼拝で用いることによって、新しい気持ちで聖書を読んでいただき、それぞれの信仰生活、教会の営みを活発にしたいとの願いが込められています。これを機会に、気持ちを新たにしてもう一度聖書を通読していただきたいとも願っています。毎日、旧約3章と新約1章を読めば、一年で聖書を通読することができます。この機会に聖書の通読に取り組んでいただければと思います。

 私たちの教会の代理牧師であった矢内昭二先生の遺稿集『本は僕の命』の中に、「聖書をどう読むか」という講演が収められています。その講演において、矢内先生は「聖書の三つの読み方」について述べておられます。聖書の三つの読み方の第一は、聖書を最初から最後まで、何章も何章もとにかく読んでしまう読み方です。第二は、聖書を細かく、丁寧に研究的に読む読み方です。第三は、現在の自分の信仰的な必要に合わせて読む読み方です。そして、第一の読み方が、第二と第三の読み方の基となると言っておられます。自分で聖書を最初から最後まで読んだことがある人と読んだことがない人では、聖書をこまかく丁寧に読む説教を聴いても、理解の度合いが異なるのは当然のことです。また、自分の信仰的な必要、たとえば、悲しんでいて慰められたいと思っているとき、どこを読めばよいのかを知るには、聖書を通読して、どこに何が書いてあるかを覚えておく必要があるのです。それゆえ、聖書の通読、最初から最後まで、とにかく読んでしまうという読み方は、とても大切なことであるのです。そして、このことは、皆さんがそれぞれにしていただく読み方であるのです。

3、「年間聖句」について

 今朝は、『詩編』の第119編105節から112節までを読みました。105節は、今年の年間聖句です。「あなたの言葉は私の足の灯、私の道の光」。この御言葉は詩人の告白であり、信仰者にとっての真理です。ここで前提にされていることは、詩人が暗い闇の中にいるということです。暗い闇の中を歩くことはとても怖いことであり、危険なことです。しかし、私たちには、私の足もとを照らす灯として、神の言葉である聖書が与えられています。私の歩む道を照らす光として、神の言葉である聖書が与えられているのです。聖書がどのような書物であるかについては、『ウェストミンスター信仰告白』の第1章「聖書について」で告白されています。その2節を見ると、旧新約66巻の書名が記されており、「これらはすべて、信仰と生活の規範となるように、神の霊感によって与えられているものである」と告白されています(村川満、袴田康裕訳)。聖書は、神の霊感によって与えられた、信仰と生活の規範であるのです。私たちがいかに信じ、いかに生きればよいのか。そのことを聖書は私たちに教えてくれているのです。私たちが礼拝に出席して、聖書の朗読とその解き明かしである説教から教えられることも同じことです。私たちは、神の霊感によって与えられた聖書から、いかに信じ、いかに生きればよいのかを教えられるのです。

 107節を見ると、詩人はひどい苦しみの中で、「主よ、あなたの言葉どおりに私を生かしてください」と祈っています。また、109節を見ると、詩人は危険の中で、「あなたの律法を忘れませんでした」と言っています。詩人は苦しみと危険の中で、主の御言葉、主の律法(教え)に依り頼むのです。逆を言えば、主の御言葉、主の律法(教え)が、苦しみと危険の中にある詩人を支えたのです。

 105節に「あなたの言葉」とあり、106節に「あなたの正しい裁き」とあり、107節に「あなたの言葉」とあり、108節に「あなたの正しい裁き」とあり、109節に「あなたの律法」とあり、110節に「あなたの諭し」とあり、111節に「あなたの定め」とあり、112節に「あなたの掟」とあります。言葉、裁き、律法、諭し、定め、これらは同じ内容を指しています。第119編は、すべての節に律法を意味する言葉を含む、技巧を凝らした詩編であるのです(122節は除く)。ここで注意したいことは、いずれも「あなたの」と記されていることです。詩人が受け継ぎ、心の喜びとしているのは、「あなたの言葉」なのです。同じ言葉であっても、誰から言われたかによって、その言葉の持つ意味は大きく違ってきます。それと同じように、私たちは、聖書を神の言葉として読むことが大切です。神と切り離して聖書の言葉を読むのではなくて、神の言葉として読むのです。それは、父と子と聖霊なる三位一体の神の言葉として読むということです。また、独り子をお与えになったほどに、私たちを愛してくださっている神様の言葉として読むということです。「聖書は生ける神の言葉である」という信仰をもって、祈りつつ読むことが大切であるのです。

結、私の足の灯であり、私の道の光であるイエス・キリスト

 また、聖書をイエス・キリストを証しする書物として読むことも大切であります。これはイエス様が教えてくださった聖書の読み方です(ヨハネ5:39「聖書は私について証しをするものだ」、ルカ24:27、44参照)。聖書はイエス・キリストを証しする書物である。そのような読み方によれば、私の足の灯、私の道の光は、究極的には、人となられた神の言(ことば)であるイエス・キリストであるのです。イエス・キリストは、「私は世の光である。私に従う者は闇の中を歩まず、命の光を持つ」と言われました(ヨハネ8:12)。世の光であるイエス・キリストに従う私たちは命の光を持つ者であるのです。私たちの内に、イエス・キリストが聖霊と御言葉によって宿ってくださり、私たちの暗い心を明るく照らしてくださるのです。

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