パウロとペトロの衝突 2023年4月16日(日曜 朝の礼拝)

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聖句のアイコン聖書の言葉

2:11 さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。
2:12 なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。
2:13 そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。
2:14 しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。」ガラテヤの信徒への手紙 2章11節~14節

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 今朝の御言葉の舞台は、シリア州のアンティオキアにある教会です。アンティオキアにキリストの教会が誕生した経緯については、『使徒言行録』の第11章19節以下に記されています。そのところを実際に開いて、読んでみたいと思います。新約の235ページです。第11章19節から26節までをお読みします。

 ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。

 アンティオキアの教会は、ステファノの事件をきっかけに起こった迫害で散らされた人々の福音宣教によって生まれました。この人々は、ギリシア語を話すユダヤ人キリスト者たちです。ステファノを始めとするギリシア語を話すユダヤ人キリスト者たちは、イエス・キリストによって、神殿祭儀はその役割を終えたと考えていました。ですから、ステファノは、最高法院の議員たちの前で、神殿を人の手で作ったものと言い放ち、その神殿に依り頼むあなたたちは偶像崇拝者であると言ったのです。さらには、最高法院の議員たちが約束のメシアを裏切り、殺してしまったのは、彼らが心と耳に割礼を受けていないからだと言ったのです。それを聞いた最高法院の議員たちは激しく怒り、ステファノを石打の刑に処して、ギリシア語を話すユダヤ人キリスト者を迫害したのです。ここで注意していただきたいのは、神殿を重んじていたヘブライ語を話すユダヤ人キリスト者は迫害されることなく、エルサレムに留まることができたということです(使徒8:1b「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った」参照)。神殿で祈りのときを持っていた使徒たちは、迫害を受けることなく、エルサレムに留まることができたのです。私たちがここから教えられることは、ユダヤ人の教会においても、ヘブライ語を話すユダヤ人キリスト者(ヘブライオイ)とギリシア語を話すユダヤ人キリスト者(ヘレニスタイ)との間では、律法について異なった考え方を持っていたということです。ギリシア語を話すユダヤ人キリスト者たちは、アンティオキアで、ユダヤ人以外の異邦人に福音を宣べ伝えました。彼らは、異邦人にも、イエス・キリストの御名による罪の赦しを得させるための悔い改めを宣べ伝えたのです。主イエスがこの人々を助けられたので、多くの人が信じて主に立ち帰りました。このようにして、アンティオキアに、ユダヤ人と異邦人からなるキリストの教会が生まれたのです。そこで、バルナバとパウロは丸一年間一緒にいて、多くの人を教えました。その結果、弟子たちは、周りの人々から「キリスト者」と呼ばれるようになったのです。

 今朝の御言葉に戻ります。新約の344ページです。

 ギリシア語を話すユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者からなるアンティオキアの教会に、ケファが来ました。ケファとはアラム語で、「岩」という意味で、ペトロのことです。ペトロは、エルサレム教会の指導者の地位を、主の兄弟ヤコブに譲り、広い地域で福音を宣べ伝えていたようです(使徒12:17、一コリント1:12、9:5参照)。そのペトロがアンティオキアに来たとき、パウロは、非難すべきところがあったので、面と向かって反対したと言うのです。その非難すべきところが、12節にこう記されています。

 なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。

 アンティオキア教会では、ギリシア語を話すユダヤ人キリスト者たちと異邦人キリスト者たちが一緒になって食卓を囲み、食事をしていました。ペトロもその食卓の席について、食事を共にしていたのです。この食事は、イエス・キリストにあって、ユダヤ人も異邦人もないことを象徴する交わりでありました。その食卓の交わりにペトロも喜んで加わっていた。しかし、ヤコブのもとからある人々がくると、その食卓から身を引いてしまったと言うのです。どうして、ペトロは、ヤコブのもとからある人々が来ると、異邦人キリスト者と一緒に食事をすることを止めてしまったのでしょうか。ヤコブのもとから来たある人々とは、エルサレム教会から来たヘブライ語を話すユダヤ人キリスト者たちです。モーセの律法を重んじるユダヤ人キリスト者たちです。ヘブライ語を話すユダヤ人キリスト者たちの多くは、ユダヤ人であるならば、イエス・キリストを信じてからもモーセの律法を守るべきであると考えていました(使徒21:20「これを聞いて、人々は皆神を賛美し、パウロに言った。『兄弟よ、ご存じのように、幾万人ものユダヤ人が信者になって、皆熱心に律法を守っています。』」参照)。そのモーセの律法には、食べてよい物と食べてはいけない物を区別する食物規定があります(レビ11章参照)。その食物規定を守るために、ユダヤ人は異邦人と一緒に食事をしませんでした。エルサレム教会は、ユダヤ人キリスト者だけからなる教会です。ですから、そのような問題が起こることはありませんでした。しかし、アンティオキア教会では、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者が一緒になって食事をしていたのです。エルサレム教会から来た人(ヘブライ語を話すユダヤ人キリスト者)たちは、おそらく初めてその光景を見て、ショックを受けたと思います。その彼らをつまずかせることがないように、ペトロは、異邦人キリスト者との食卓から身を引き出したのです。

 パウロは、ペトロが異邦人キリスト者との食卓から離れた理由を次のように記します。「彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです」。ここでの「彼ら」とは「ヤコブのもとから来たヘブライ語を話すユダヤ人キリスト者たち」のことです。では、ペトロが恐れた「割礼を受けている者たち」とは、誰のことでしょうか。それはおそらく、エルサレムに住む、イエス・キリストを信じていないユダヤ人のことです。もっと言えば、エルサレム教会に対して疑いの目を向けているユダヤ人たちのことです。エルサレム教会は、同胞のユダヤ人たちから、彼らもモーセの律法を軽んじているのではないかと疑いの目で見られていました。実際、エルサレム教会は、ユダヤ人たちから苦しめられていたのです(一テサロニケ2:14「兄弟たち、あなたがたは、ユダヤの、キリスト・イエスに結ばれている神の諸教会に倣う者となりました。彼らがユダヤ人たちから苦しめられたように、あなたがたもまた同胞から苦しめられたからです」参照)。そのような状況にあって、エルサレム教会の柱と目されていたペトロが、異邦人と一緒に食事をしているという噂が広まれば、どうなるか。ますます、エルサレム教会は厳しい立場に立たされることになる。そのようなエルサレム教会の現状をペトロは考えて、エルサレム教会をユダヤ人の迫害から守ろうとして、異邦人の食卓から身を引こうとしたと考えられるのです(6:12によれば、ある人々が割礼を宣べ伝えていたのは、「ただキリストの十字架のゆえに迫害されたくない」ためであった)。そのような事情があったからこそ、ほかのユダヤ人キリスト者も、また、パウロの同労者であるバルナバさえも、異邦人の食卓から身を引こうとしたのです(バルナバはエルサレム教会の出身であった)。

 今朝のパウロとペトロの衝突は、「ただペトロが人間を恐れて、心にもないことをしてしまった」と言った単純なものではないと思います。ここには、パウロの言い分しか記されていませんが、ペトロにはペトロの言い分があったことでしょう。ペトロにはペトロの立場があり、背負っている責任があります。そして、パウロにはパウロの立場があり、パウロにも背負っている責任がありました。パウロは異邦人の使徒として、このペトロの行為を黙認してしまえば、異邦人キリスト者にもユダヤ人のように生活することが強要されてしまうとパウロは考えたのです。アンティオキア教会では、イエス・キリストにあって、ユダヤ人もギリシア人もない、神の子としての交わりが実現していました(3:28「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」参照)。イエス・キリストにある一致のゆえに、ユダヤ人と異邦人という区別は相対化されていたのです。しかし、ペトロは、異邦人キリスト者との食卓から身を引くことによって、イエス・キリストに結ばれて神の子とされていることではなく、ユダヤ人と異邦人という民族の違いを絶対的なものとしたのです。このことを、パウロは黙って見過ごすことはできませんでした。パウロは、ペトロたちの振る舞いを見て、「福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていない」と判断して、皆の前で、ペトロに向かってこう言ったのです。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか」。ここでパウロが指摘していることは、ペトロの振る舞いに一貫性がないということです。パウロが見たところ、ペトロはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしていませんでした。つまり、ペトロは律法に縛られないで異邦人のように生活していたのです。それはペトロが、パウロと同じように、「人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって救われる」と信じていたからです(2:16参照)。しかし、そのペトロが、ヤコブのもとからある人々が来たとき、ユダヤ人たちを恐れて、異邦人キリスト者との食卓から身を引こうとしだしたのです。それは、まさに心にもないこと、見せかけの行いでありました。パウロは、そのことが心にもない、見せかけであると分かりました。しかし、アンティオキア教会の異邦人キリスト者たちは、そうではないわけです。「ユダヤ人キリスト者たちと交わりを持ちたいなら、自分たちもユダヤ人のように生活しなければならないのか」と思うわけです。そのようなペトロの心にもない振る舞いによって、異邦人キリスト者たちに、ユダヤ人のように律法を守って生活することが強要されてしまうのです。

 そもそも、なぜ、パウロは、アンティオキアでのペトロとの衝突のことを記したのでしょうか。それは、アンティオキアでのペトロの振る舞いを根拠にして、ある人々がガラテヤの信徒たちに、律法を守るように教えていたからだと思います。アンティオキア教会でかつて起こったことは、今、ガラテヤ地方の諸教会で起こっていることと同じであると、パウロは考えたからです。ですから、パウロは、アンティオキア教会でのペトロとの衝突のことを記したのです。次回学ぶ、15節以下には、パウロがペトロを非難したときの言葉が記されています。そして、その言葉はいつの間にか、ある人々に惑わされて割礼を受けようとしているガラテヤの信徒たちへの言葉となるのです。いつの間にか、お話の舞台はアンティオキアの教会からガラテヤ地方の諸教会へと移っているのです。この後、ペトロはどうしたのでしょうか。パウロの言葉を聞いて、恥ずかしくなり、異邦人キリスト者と一緒に食事をしたのでしょうか。それとも、ユダヤ人キリスト者をつまずかせないために、エルサレム教会がユダヤ人から迫害されないために、そのまま異邦人キリスト者たちとの食卓から離れたのでしょうか。ガラテヤ地方の諸教会を惑わせていたある人々が、ペトロの振る舞いを根拠に、律法を守るように教えていたのであれば、おそらく、ペトロは、そのまま、異邦人キリスト者との食卓から身を引いてしまったのでしょう。しかし、パウロはそのことに到底納得できませんでした。それは福音の真理を曲げてしまう振る舞いであるとパウロは考えたのです。しかし、アンティオキア教会の皆の前で、パウロは自分の考えを長々と語ることはできなかったと思います。その自分の考えを、パウロはこの手紙に書き記すのです。次回は、そのパウロの言葉を御一緒に学びたいと願います。  

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