霊を識別する基準 2022年12月18日(日曜 朝の礼拝)
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霊を識別する基準
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- 村田寿和 牧師
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ヨハネの手紙一 4章1節~6節
聖書の言葉
4:1 愛する者たち、どの霊も信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい。偽預言者が大勢世に出て来ているからです。
4:2 イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです。このことによって、あなたがたは神の霊が分かります。
4:3 イエスのことを公に言い表さない霊はすべて、神から出ていません。これは、反キリストの霊です。かねてあなたがたは、その霊がやって来ると聞いていましたが、今や既に世に来ています。
4:4 子たちよ、あなたがたは神に属しており、偽預言者たちに打ち勝ちました。なぜなら、あなたがたの内におられる方は、世にいる者よりも強いからです。
4:5 偽預言者たちは世に属しており、そのため、世のことを話し、世は彼らに耳を傾けます。
4:6 わたしたちは神に属する者です。神を知る人は、わたしたちに耳を傾けますが、神に属していない者は、わたしたちに耳を傾けません。これによって、真理の霊と人を惑わす霊とを見分けることができます。ヨハネの手紙一 4章1節~6節
メッセージ
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今朝は、『ヨハネの手紙一』第4章1節から6節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。
前回学んだことですが、ヨハネは、第3章24節で、こう記しました。「神の掟を守る人は、神の内にいつもとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。神がわたしたちの内にとどまってくださることは、神が与えてくださった霊によって分かります」。「神が与えてくださった霊」とは、神の霊である聖霊のことです。これまでヨハネは、聖霊のことを「聖なる方から注がれた油」とか、「神の種」と呼んできました。第2章20節で、ヨハネはこう記していました。「しかし、あなたがたは聖なる方から油を注がれているので、皆、真理を知っています」(2:27も参照)。また、第3章9節で、ヨハネはこう記していました。「神から生まれた人は皆、罪を犯しません。神の種がこの人の内にいつもあるからです。この人は神から生まれたので、罪を犯すことができません」。このように、ヨハネはこれまでも、私たちの内におられ、私たちを真理へと導き、神の御心に適うことを行わせる聖霊について記してきたのです。そのヨハネが、今朝の御言葉で、「どの霊も信じてはいけない」と記すのです。
第4章1節から3節までをお読みします。
愛する者たち、どの霊も信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい。偽預言者が大勢世に出て来ているからです。イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです。このことによって、あなたがたは神の霊が分かります。イエスのことを公に言い表さない霊はすべて、神から出ていません。これは、反キリストの霊です。かねてあなたがたは、その霊がやって来ると聞いていましたが、今や、既に世に来ています。
ヨハネは、「愛する者たち、どの霊も信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい」と記します。それは、「偽預言者が大勢世に出て来ているからです」。教会を惑わせていた偽預言者たちも、「自分たちには神の霊が与えられている」と主張していたのでしょう。それで、ヨハネは、「愛する者たち、どの霊も信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい」と記すのです。ここで、ヨハネが前提としていることは、この世界にはもろもろの霊がおり、人間はそのもろもろの霊の支配下に置かれているということです(エフェソ2:1〜3参照)。ここにもヨハネの思考の特徴である二元論が表れています。二元論とは、「二つの異なった原理であらゆるものを説明しようとする考え方」を言います。ヨハネによれば、人間は、神の霊の支配下にあるか、神に敵対するこの世の霊の支配下にあるかのどちらかであるのです(中立地帯はない)。そのような霊の世界を前提にしながら、ヨハネは、「どの霊も信じてはいけない。神から出た霊かどうかを確かめなさい」と言うのです。そして、ヨハネは、偽預言者たちのことを念頭におきながら、神から出た霊かどうかを識別する基準を、2節でこう記します。「イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです。このことによって、あなたがたは神の霊が分かります」。『ヨハネによる福音書』の第1章を読みますと、初めから神と共にあった言(ことば)が、肉となって、私たちの間に宿られたことが記されています。初めから神と共にあった言(ことば)は、聖霊において処女(おとめ)マリアの胎に宿り、人としてお生まれになりました。そして、この御方こそ、私たちの主イエス・キリストであるのです。イエス・キリストは、まことの神であり、まことの人であられます。そのイエス・キリストを公に言い表す霊は、すべて神から出たものであると、ヨハネは言うのです。それは言い換えれば、まことの神であり、まことの人であるイエス・キリストを信じる人は、神の霊の支配下にあるということです。
ヨハネは、神から出た霊かどうかを識別する基準が、イエス・キリストをどのような御方として告白するかにあると記しました。それは、神様が独り子イエス・キリストを通して御自分を示されたからです(ヨハネ1:18参照)。ですから、イエス・キリストを使徒たちの証ししている通りに、正しく知らなければ、神様を正しく知ることはできないのです。ヨハネがもろもろの霊を識別する基準として、信仰告白をあげたことの背景には、旧約聖書の『申命記』第13章の御言葉があります。実際に開いて確認しましょう。旧約の302ページです。第13章2節から5節までをお読みします。
預言者や夢占いをする者があなたたちの中に現れ、しるしや奇跡を示して、そのしるしや奇跡が言ったとおり実現したとき、「あなたの知らなかった他の神々に従い、これに仕えようではないか」と誘われても、その預言者や夢占いをする者の言葉に耳を貸してはならない。あなたたちの神、主はあなたたちを試し、心を尽くし、魂を尽くして、あなたたちの神、主を愛するかどうかを知ろうとされるからである。あなたたちは、あなたたちの神、主に従い、これを畏れ、その戒めを守り、御声を聞き、これに仕え、これにつき従わねばならない。
ヨハネは、この『申命記』の御言葉に基づいて、イエス・キリストが人となって来られたことを否定する者たちを、偽預言者と呼んだのです。ヨハネによれば、イエス・キリストが人となって来られたことを否定する者たちは、「あなたの知らなかった他の神々に従い、これに仕えようではないか」と誘惑する偽預言者であるのです。
今朝の御言葉に戻ります。新約の445ページです。
「イエス・キリストが肉なって来られたということを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです。このことによって、あなたがたは神の霊が分かります」(2節)。このように記すことによって、ヨハネは、まことの神であり、まことの人であるイエス・キリストを信じる自分たちの内に、神の霊がおられることを言い表しました。また、ヨハネは、このように記すことにより、イエス・キリストが人となって来られたことを否定する者たちは神の霊を持っていない偽預言者であると言うのです。偽預言者たちは、イエス・キリストの神の性質を重んじるあまり、イエス・キリストの人間の性質を否定していたのです。しかし、それは神の霊によることではなく、反キリストの霊によることであるのです。「反キリスト」「アンチキリスト」という言葉は、第2章22節にも記されていました。「偽り者とは、イエスがメシアであることを否定する者ではなくて、だれでありましょう。御父と御子を認めない者、これこそ反キリストです」。偽預言者たちは、人間に見えただけの神の子であるイエスがメシアであると主張していました。しかし、それではだめなのです。人間に見えただけの神の子であるイエスがメシアであると告白しても、それはイエスがメシア(キリスト)であることを否定することになるのです。それでは御父と御子を認めることにはならないのです。それゆえ、ヨハネは、そのような偽預言者たちを、キリストに背く者、反キリストであると記したのです。けれども、今朝の御言葉、第4章3節をよく読みますと、偽預言者だけのことが言われているのではないことが分かります。「イエスのことを公に言い表さない霊はすべて、神から出ていません。これは、反キリストの霊です」。ここで、ヨハネは、イエス・キリストが肉となって来られたことを否定する偽預言者だけではなくて、「イエスは主である」と公に言い表さない人も、神の霊ではなく、反キリストの霊の支配下にあると記します。人間は、神の霊の支配下にあるか、反キリストの霊の支配下にあるかのどちらかであるのです。「イエスは主である」と告白する人は神の霊の支配下にあり、「イエスは主である」と告白しない人は反キリストの霊の支配下にあるのです。なぜ、そのように言えるのかと言えば、「イエスは主である」という信仰告白こそ、聖霊のお働きによるものであるからです(マタイ16:17、ヨハネ6:29参照)。このことは、使徒パウロが教えていることでもあります。『コリントの信徒への手紙一』の第12章1節から3節までをお読みします。新約の315ページです。
兄弟たち、霊的な賜物については、次のことはぜひ知っておいてほしい。あなたがたがまだ異教徒だったころ、誘われるままに、ものの言えない偶像のもとに連れて行かれたことを覚えているでしょう。ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。
「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えない」。それは、裏を返せば、「イエスは主である」と告白する人の内には、聖霊がおられるということです。では、「イエスは主である」と告白しない人々、偶像を拝む異教徒の人々はどうかと言えば、彼らは悪霊の支配下にあるのです(一コリント10:20「いや、わたしが言おうとしているのは、偶像に献げる供え物は、神ではなく悪霊に献げている、という点なのです」参照)。ヨハネは、そのことを反キリストの霊の支配下にあると言い表したのです。
今朝の御言葉に戻ります。新約の445ページです。
4節から6節までをお読みします。
子たちよ、あなたがたは神に属しており、偽預言者たちに打ち勝ちました。なぜなら、あなたがたの内におられる方は、世にいる者よりも強いからです。偽預言者たちは世に属しており、そのため、世のことを話し、世は彼らに耳を傾けます。わたしたちは神に属する者です。神を知る人は、わたしたちに耳を傾けますが、神に属していない者は、わたしたちに耳を傾けません。これによって、真理の霊と人を惑わす霊とを見分けることができます。
「あなたがたの内におられる方」とは、聖霊において共におられるイエス・キリストと父なる神のことです。また、「世にいる者」とは、この世の支配者である悪魔のことです。まことの神であり、まことの人であるイエス・キリストを告白する私たちは神に属しています。他方、人間に見えただけの純粋な霊であるイエス・キリストを告白する偽預言者たちは、世に属しているのです。偽預言者たちの教えは、どうやら多くの人に受け入れられていたようです。「イエス・キリストは人のように見えただけの純粋な霊であった」という教えは、世の人々に受け入れられやすかったのです。偽預言者の教えは、霊を善、肉を悪と見なすギリシャ哲学と一致していたからですね。偽預言者たちは、多くの人が信者となったことで、「これこそ、神の祝福であり、神の霊が自分たちの内にとどまっている証拠である」と言っていたかも知れません。しかし、ヨハネは、こう記します。「偽預言者たちは世に属しており、そのため、世のことを話し、世は彼らに耳を傾けます」。世に属している偽預言者たちの言葉に、世に属している人々が耳を傾けることは、当然のことであるのです。偽預言者たちの言葉に耳を傾ける人は、そのことによって自分が世に属していることを示しているのです。イエス・キリストではない、他の何かを神とする人は、そのことによって自分が反キリストの霊の支配下にあることを示しているのです。他方、神に属するヨハネたちの教えに耳を傾ける人は、そのことによって自分が神に属する者であることを示しているのです。このことは、イエス様が教えていることでもあります。『ヨハネによる福音書』で、イエス様は御自分を殺そうとするユダヤ人たちに、こう言われました。「わたしは真理を語っているのに、なぜわたしを信じないのか。神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである」(ヨハネ8:46、47)。また、イエス様は、このようにも言われました。「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている。しかし、あなたがたは信じない。わたしの羊ではないからである。わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない」(ヨハネ10:25〜28)。このように、神に属する人は神の言葉に耳を傾けるのです。また、イエス・キリストの羊は、羊飼いであるイエス・キリストの言葉を聞き分けるのです。それゆえ、ヨハネは、自分たちが宣べ伝えるイエス・キリストの福音に耳を傾ける人こそ、神に属する者であると言うのです。たとえ人数は少なくても、イエス・キリストの御言葉に耳を傾けている私たちの内に、真理の霊はとどまっておられるのです。