十字架の王 2022年8月07日(日曜 朝の礼拝)

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十字架の王

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
マルコによる福音書 15章21節~32節

聖句のアイコン聖書の言葉

15:21 そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。
15:22 そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――に連れて行った。
15:23 没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。
15:24 それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、/その服を分け合った、/だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。
15:25 イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。
15:26 罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。
15:27 また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。
15:28 (†底本に節が欠落 異本訳)こうして、「その人は犯罪人の一人に数えられた」という聖書の言葉が実現した。
15:29 そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、
15:30 十字架から降りて自分を救ってみろ。」
15:31 同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。
15:32 メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。マルコによる福音書 15章21節~32節

原稿のアイコンメッセージ

 前回、私たちは、イエス様がローマの総督ポンテオ・ピラトによって尋問をお受けになったことを御一緒に学びました。祭司長たちによって扇動された群衆は、バラバを釈放し、イエス様を十字架につけるように言いました。そして、ピラトは、その群衆を満足させるために、バラバを釈放し、イエス様を鞭打ってから、十字架につけるために引き渡しました。兵士たちは、総督官邸にイエス様を引いて行き、部隊の全員を呼び集めました。そして、イエス様に紫の服を着せ、茨の冠をかぶらせ、「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼しました。また何度も葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりしました。これは侮辱に満ちた戯れであります。兵士たちは誰一人、イエス様がユダヤ人の王であるとは思っていません。しかし、皮肉にも、このような形で、ユダヤ人の王であるイエス様の戴冠式が行われたのです。今朝の御言葉はこの続きであります。

 兵士たちは、イエス様を十字架につけるために外へ引き出しました。そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエス様の十字架を無理に担がせました。十字架刑に処せられた者は、その十字架の横木を担いで、処刑される場所まで歩いて行くことになっていました。しかし、イエス様には、そのような体力がもはや残っていなかったようです。イエス様は、昨夜から何も食べておらず、一睡もしていませんでした。また、イエス様は、ローマ兵によって鞭打たれていました。15節の後半に、「そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した」とあります。この鞭には、金属片がついており、肉を裂き、骨を砕いたと言われます。十字架につけられる前に、この鞭打ちによって死んでしまう者もいたそうです。そのような鞭打ちを受けた後で、イエス様は兵士たちから侮辱を受けられたのです。体も心も疲れ果て、壊れてしまいそうな、極限の状態にイエス様はあったのです。それゆえ、イエス様は、自分で十字架の横木を担ぐことができなかったのです。それで、ローマ兵は、そこを通りかかった、シモンというキレネ人を徴用して、イエス様の十字架を無理に担がせたのです。「キレネ人」とありますが、シモンは、北アフリカのキレネという町に住んでいたユダヤ人であります。シモンも、過越の祭りを祝うために、エルサレムに来ていたのでしょう。また、シモンは、「アレクサンドロとルフォスとの父」と記されています。アレクサンドロとルフォスの二人は、『マルコによる福音書』の最初の読者たちがよく知っていた人物であったようです。シモンは、既に天に召されていたのかも知れませんが、その二人の息子は、イエス・キリストを信じて、教会の一員となっていたのです(ローマ16:13参照)。そして、おそらく、後に、シモンも、イエス・キリストを信じて、教会の一員となったのでしょう。「イエス様の十字架を担いだのは、わたしだ」と、息子たちに自慢したことがあったかも知れません。しかし、この時は、いい迷惑であったと思います。シモンは、兵士たちによって、無理矢理、イエス様の十字架を負わされたのです。

 兵士たちは、イエス様をゴルゴタという所に連れて行きました。ゴルゴタとは、「されこうべの場所」という意味ですが、ここが処刑場であったのです。兵士たちは、イエス様に没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしました。「没薬をまぜたぶどう酒」とは、麻酔のような物です。兵士たちは、イエス様を十字架につける前に、痛みを和らげる、没薬をまぜたぶどう酒を飲ませようとしたのです。しかし、イエス様はお受けになりませんでした。イエス様は、父なる神様の裁きとしての十字架の死の苦しみを、麻酔で和らげることなく、お受けになるのです。また、イエス様が没薬を混ぜたぶどう酒を飲まれなかったのは、弟子たちとの約束があったからだと思います。イエス様は、最後の晩餐の席で、こう言われました。「はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい」(マルコ14:25)。この御言葉のとおり、イエス様は、没薬を混ぜたぶどう酒を飲まれなかったのです。

 それから、兵士たちはイエス様を十字架につけました。イエス様は裸にされて、その前腕(肘から手まで)を、十字架の横木に、大きな釘で打ちつけられたのです。十字架刑は見せしめの刑ですから、高い所に磔にされました(15:36参照)。十字架に磔にされたイエス様の下で、兵士たちは、イエス様の服を分け合うために、くじを引いていたのです。処刑される人の所持品をもらうことは、処刑を行う兵士たちの役得であったのです。「その服を分け合った、だれが何を取るかをくじ引きで決めてから」。このことは、『詩編』の第22編に記されています。実際に開いて確認したいと思います。旧約の853ページです。第22編はダビデの詩編ですが、苦難の義人(苦しみを受ける正しい人)についての歌です。その17節から19節までをお読みします。

 犬どもがわたしを取り囲み/さいなむ者が群がってわたしを囲み/獅子のようにわたしの手足を砕く。骨が数えられる程になったわたしのからだを/彼らはさらしものにして眺め/わたしの着物を分け/衣を取ろうとしてくじを引く。

 この御言葉どおりのことが、イエス様のうえに実現しているのです。このことは、第22編が、イエス様がお受けになる苦しみを預言するメシア詩編であることを教えています。そして、何より、イエス様の身に起こっていることが、聖書に記されている神様の御計画の実現であることを教えているのです。

今朝の御言葉に戻ります。新約の95ページです。

 25節に、「イエスを十字架につけたのは、午前九時であった」と記されています。イエス様は、午前九時に十字架につけられたのです。イエス様の罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてありました。イエス様は、ローマ皇帝に逆らうユダヤ人の王として、十字架につけられたのです。また、兵士たちは、イエス様と一緒に二人の強盗を一人は右に、もう一人は左につけました。このことは、ゼベダイの子ヤコブとヨハネの願いを思い起こさせます(マルコ10:35~40参照)。かつて、ヤコブとヨハネは、イエス様にこう願いました。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください」。それに対して、イエス様はこう言われました。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか」。二人は、「できます」と答えるのですが、イエス様が栄光をお受けになるとき、その右と左の座に着いたのは、ヤコブとヨハネではなく、二人の強盗であったのです。十字架こそ、イエス様が栄光を受ける座であります。なぜなら、十字架においてこそ、イエス様が「ユダヤ人の王」であることが公に示されたからです。

 ゴルゴタには、イエス様の十字架を真ん中にして、三本の十字架が立っていました。このことは、イエス様が罪人の一人に数えられたことを示しています。28節は、有力な写本に記されておらず、後から写字生によって書き加えられたと考えられています。それで、28節は『マルコによる福音書』の最後に、「底本に節が欠けている箇所の異本による訳文」として記されています。「こうして、『その人は犯罪人の一人に数えられた』という聖書の言葉が実現した」。イエス様が、強盗たちと一緒に十字架につけられたことに、ある人は、『イザヤ書』の第53章に記されている苦難の僕の預言の成就を見たのです。この所も開いて、読んでみたいと思います。旧約の1150ページです。『イザヤ書』の第53章11節と12節をお読みします。

 彼は自らの苦しみの実りを見/それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために/彼らの罪を自ら負った。それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし/彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで/罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い/背いた者のために執り成しをしたのは/この人であった。

 12節の真ん中に、「罪人のひとりに数えられたからだ」とあります。この預言が、イエス様が二人の強盗と一緒に十字架につけられたときに、実現したのです。イエス様は、苦難の義人であると同時に、主の望まれることを成し遂げる苦難の僕でもあるのです。

 今朝の御言葉に戻ります。新約の96ページです。

 そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエス様をののしって(冒涜して)、こう言いました。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ」。人々は、イエス様のことを「神殿を打ち倒し、三日で建てる者」と呼びました。この言葉は、最高法院でのイエス様に対する不利な偽証を思い起こさせます。第14章57節から59節に、こう記されていました。

 すると、数人の者が立ち上がって、イエスに不利な偽証をした。「この男が、『わたしは人間の手で造ったこの神殿を打ち倒し、三日あれば、手で造らない別の神殿を建ててみせる』と言うのを、わたしたちは聞きました。」しかし、この場合も、彼らの証言は食い違った。

 この証言は食い違った、偽りの証言なのですが、祭司長たちは、この証言を真実な証言として、人々に言いふらしていたようです。第15章11節に、祭司長たちが群衆を扇動したことが記されていました。そのとき、祭司長たちは群衆に、イエス様が神殿に敵対する言葉を語ったと言い広めたのだと思います。それで人々は、イエス様をののしって、「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ」と言ったのです。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者であるならば、十字架から降りて自分を救えるはずだ」と人々は言うのです。この言葉は、イエス様をののしる言葉であり、信仰の言葉ではありません。人々は、イエス様が「神殿を打ち倒し、三日で建てることができる」とは信じていませんし、「十字架から降りて自分を救うことができる」とも信じていません。しかし、その罵りの言葉の中に、真実が語られているのです。すなわち、イエス様は十字架から降りて自分を救わないことによって、神殿祭儀を終わりにし、死から三日目の復活によって、新しい神の民であるキリスト教会を建てられるのです。38節に、イエス様が息を引き取られた後で、「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた」と記されています。イエス様は、十字架から降りて自分を救わないことにより、神殿祭儀に終わりをもたらすのです(ヘブライ7:18参照)。そして、三日目に復活することによって、新しい神殿とも言える、キリストの教会を建てられるのです。

 また、同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエス様を侮辱してこう言いました。「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう」。祭司長たちは、イエス様が他人を救ったことを認めています。彼らも、イエス様が多くの人をお癒しになったことを認めているわけです。しかし、彼らが問題とするのは、そのイエス様が自分を救えないということなのです。「自分を救うことができず、十字架につけられて死んでしまう者が、メシア、イスラエルの王であるはずはない。もし、おまえが、メシアであり、イスラエルの王であるならば、私たちが信じることができるように、今すぐ十字架から降りてこい」。そう言って、祭司長たちはイエス様を侮辱したのです。これは侮辱の言葉であって、信仰の言葉ではありません。彼らは、イエス様を「メシア、イスラエルの王」とは信じていないし、十字架から降りることができるとも思っていないのです。しかし、この侮辱の言葉の中にも、真実が語られています。すなわち、イエス様は、自分を救わないメシア、イスラエルの王であるのです。イエス様は、自分を救わないで、十字架から降りないことによって、他人を救うのです。かつて、イエス様は、弟子たちにこう言われました。「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(マルコ10:44、45)。イエス様は、十字架のうえで、多くの人の身代金、贖いの代価としての死を死のうとしておられるのです。イエス様の命は、多くの人を罪の奴隷状態から贖う価値と力を持っているのです。そのイエス様の十字架の死によって、多くの人が神様の御前に正しい者とされるのです(イザヤ53:11参照)。

 一緒に十字架につけられた者たちも、イエス様をののしりました。イエス様、すべての人からののしられたのです。それは、誰一人、イエス様のことを理解することができなかったからです。「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか」としか言えない出来事が、ゴルゴタで起こっていたのです(イザヤ53:1)。

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