逃げなかったイエス 2022年7月10日(日曜 朝の礼拝)
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逃げなかったイエス
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- 村田寿和 牧師
- 聖書
マルコによる福音書 14章43節~52節
聖書の言葉
14:43 さて、イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダが進み寄って来た。祭司長、律法学者、長老たちの遣わした群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。
14:44 イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。捕まえて、逃がさないように連れて行け」と、前もって合図を決めていた。
14:45 ユダはやって来るとすぐに、イエスに近寄り、「先生」と言って接吻した。
14:46 人々は、イエスに手をかけて捕らえた。
14:47 居合わせた人々のうちのある者が、剣を抜いて大祭司の手下に打ってかかり、片方の耳を切り落とした。
14:48 そこで、イエスは彼らに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。
14:49 わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいて教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。しかし、これは聖書の言葉が実現するためである。」
14:50 弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。
14:51 一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、
14:52 亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった。マルコによる福音書 14章43節~52節
メッセージ
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先週、私たちは、ゲツセマネでのイエス様の祈りについて学びました。イエス様は、地面にひれ伏し、この時が過ぎ去るようにと祈り、こう言われました。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」。「この杯」とは、イエス様がこれから死のうとしておられる十字架の死のことです。イエス様は罪のない御方でありながら、多くの人の罪を担って、神の裁きとしての呪いの死を死のうとしておりました。イエス様は、そのことが聖書に記されている神様の御計画であると、何度も弟子たちに語ってこられました。そのイエス様が、父なる神様に、「この杯をわたしから取りのけてください」と祈られたのです。イエス様は、だれにも言えなかった心の内を父なる神様に打ち明けられたのです。けれども、イエス様は、御自分の願いを、父なる神様に押しつけることはされませんでした。「しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」。イエス様は、自分の意志よりも、父なる神様の御意志が行われることを祈られたのです。そのような祈りの中で、イエス様は、御自分の意志を父なる神の御意志に従わせられたのです。イエス様は、父なる神様の御心が行われることを、御自分のただ一つの願いとされたのです。
さて、イエス様が祈っている間、弟子たちはどうしていたでしょうか。イエス様から言われたとおり、誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていたのでしょうか。そうではありません。弟子たちは眠っていたのです。その弟子たちに、イエス様は、こう言われます。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た」。「時が来た」とありますが、この「時」は、イエス様が、「できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るように」と祈られた「時」のことです(原文では「その時」と記されている。「苦しみの」は新共同訳の補足)。苦しみの時が過ぎ去るように祈られたイエス様が、ここでは、その時を受けいれておられます。イエス様は、「人の子は罪人たちの手に引き渡される」ことを、父なる神様の御意志として受け入れられるのです。イエス様は、「立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た」と言われて、御自分を引き渡す者を、迎えられるのです。ここまでは、先週の振り返りであります。今朝の御言葉は、その続きとなります。
イエス様がまだ話しておられると、十二人の一人であるユダが進み寄って来ました。ユダについては、第14章10節と11節にこう記されていました。「十二人の一人イスカリオテのユダは、イエスを引き渡そうとして、祭司長たちのところへ出かけて行った。彼らはそれを聞いて喜び、金を与える約束をした。そこでユダは、どうすれば折よくイエスを引き渡せるかとねらっていた」。イスカリオテのユダが、イエス様を祭司長たちの手に引き渡す良い機会として選んだのが、過越の食事を終えた、夜の祈りの時でありました。以前にも申しましたように、過越の食事は、神様がその名を置かれた場所、エルサレムで食べることになっていました。また、その日は、朝までエルサレムで過ごすことになっていました。オリーブ山のふもとにあるゲツセマネの園もエルサレムの一部と見なされていました。いつもならば、イエス様は、夜にはベタニアへ出て行かれました。しかし、過越の食事の日は、エルサレムにいるわけです。イエス様を祭司長たちに引き渡す良い機会であったのです。ところで、ユダは、いつイエス様のもとを離れて行ったのでしょうか。イエス様は、過越の食事で、御自分を裏切ろうとしている者がいると言われました。ですから、このとき、ユダがいたことは確かなことです。ユダがいつ祭司長たちのもとへ行ったのかは記されていませんので、はっきりとは分かりません。私は、ゲツセマネに着いて、イエス様が、三人の弟子だけを伴われたときではないかと思います。9人の弟子たちは、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われていました。この後で、ユダは、祭司長たちの所へ行ったのではないかと思います。そのユダが、祭司長、長老、律法学者たちの遣わした群衆を引き連れて、イエス様のもとに近寄って来たのです。祭司長、長老、律法学者たちは、ユダヤの最高法院(サンへドリン)を構成する者たちです。その彼らが遣わした群衆ですから、この群衆はならず者たちではなく、神殿警備隊であったと思います。彼らは、剣や棒をもって、イエス様を力ずくで捕らえに来たのです。
イエス様を引き渡そうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。捕まえて、逃がさないように連れて行け」と、前もって合図を決めていました。時は夜であり、オリーブの木が生えている園ですから、群衆には、だれがイエス様であるのか分からなかったのでしょう。間違えて、他の人を捕まえてしまうことがないように、ユダは前もって、合図を決めていたのです(サムエル上20章参照)。それにしても、この合図は、下劣ですね。口づけは、親愛の情をあらわす挨拶です。ユダは、その口づけをもって、イエス様を裏切るのです。ユダはやって来るとすぐに、イエス様に近寄り、「先生」と言って接吻しました。ここで「先生」と訳されている元の言葉は「ラビ」です。「ラビ」とは「わたしの偉大な方」という意味です。ユダは、自分の心をイエス様に明かすようなことはしません。ユダは、最後まで、イエス様の弟子として、振る舞うのです。ユダは、イエス様の弟子として、「ラビ、わたしの偉大な方」と呼びかけ、親愛のしるしである接吻をするのです。しかし、その接吻こそが、イエス様を引き渡すための合図であったのです。
人々は、ユダが接吻した男がイエスであることを知り、イエス様に手をかけて捕らえました。他の福音書ですと、イエス様がユダに言葉をかけています(マタイでは「友よ、しようとしていることをするがよい」、ルカでは「ユダ、あなたは接吻で人の子を裏切るのか」)。しかし、『マルコによる福音書』では、イエス様は、ユダに言葉をかけません。また、ユダについても、これを最後に記されていません。イエス様は、ユダに何も言われなかったようです。かつて、イエス様は、「人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」と言われました。御自分を引き渡す者には、厳しい神の裁きが待っていると警告されたのです。しかし、その警告に耳を傾けず、御自分を引き渡すユダに対して、イエス様はもはや何も言われないのです。
居合わせた人々のうちのある者が、剣を抜いて大祭司の手下に打ってかかり、片方の耳を切り落としました。このことについても、『マルコによる福音書』のイエス様は、何も言われません(マタイでは「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。しかし、それでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう」、ルカでは「やめなさい。もうそれでよい」と言われて、耳に触れていやされた)。マルコは、剣をもつ群衆に、ある者が剣をもって立ち向かったという事実だけを記すのです。
そこで、イエス様は彼らにこう言われました。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいて教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。しかし、これは聖書の言葉が実現するためである」。このイエス様の御言葉は、群衆に対する言葉というよりも、群衆を遣わした祭司長、長老、律法学者たちに対する言葉であると言えます。祭司長たちは、神殿を「強盗の巣」と呼んだイエス様を殺すことを決めていました。彼らはイエス様を言葉の罠にかけて捕らえようとしたのですが、イエス様の知恵に歯が立ちませんでした。彼らは、神殿で、イエス様を毎日見ていても、捕らえることができなかったのです。それは、イエス様に捕らえるべき罪がなかったからです。もし、罪のないイエス様を捕らえるならば、イエス様の教えに喜んで耳を傾けていた群衆に何をされるか分かったものではなかったからです。それで、彼らは、夜に、まるで強盗にでも向かうように、剣や棒をもって、イエス様を捕らえに来たのです。彼らは、イエス様と弟子たちが抵抗するかも知れないと思ったでしょう。そして、実際、ある者は剣をもって、抵抗したのです。しかし、イエス様には、そのようなお考えはまったくありませんでした。罪のないイエス様が、強盗であるかのように、剣や棒をもった群衆に捕らえられる。それはおかしなことです。しかし、そのおかしなことが起こるのは、「聖書の言葉が実現するためである」のです。イエス様だけが、今起こっていることを、聖書の言葉との関係で理解しておられます。今、自分に起こっていること。十二人の一人であるユダから裏切られること。祭司長たちが遣わした群衆によって捕らえられること。それらは聖書の言葉の実現であり、父なる神様の御心に適うことであるのです。そして、そのことの中に、弟子たちが皆、イエス様を見捨てて逃げてしまうことも含まれているのです。イエス様は、エルサレムの二階の広間からオリーブ山へ向かう途中で、弟子たちにこう言われました。「あなたがたは皆、わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散ってしまう』と書いてあるからだ」。しかし、ペトロを始めとする弟子たちは、「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と言ったのです。その弟子たちが皆、イエス様を見捨てて逃げてしまったのです。そのようにして、聖書の言葉が、弟子たちのうえにも実現したのです。
なぜ、弟子たちは、イエス様を見捨てて逃げてしまったのでしょうか。それは、弟子たちが剣や棒に象徴される暴力を恐れたからです。51節と52節に、一人の若者が捕らえられそうになって、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまったことが記されています。この記述から分かることは、群衆は、イエス様だけではなく、その弟子たちをも捕らえようとしたということです。イエス様を捕らえた群衆は、その弟子たちをも捕らえようとした。それで、弟子たちは皆、イエス様を見捨てて逃げてしまったのです。このことは、聖書の言葉の実現でありますが、弟子たちがゲツセマネの園で、祈らずに眠っていたことの当然の結果であると言えます。彼らは、イエス様から、「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている」と聞いていました(8:31)。しかし、弟子たちは、イエス様が群衆に捕らえられたことを、神様の御計画と結びつけて考えることはできませんでした。弟子たちは、自分の身を守るのに精一杯で、イエス様を見捨てて逃げてしまったのです。弟子たちは、群衆の手から逃れることができて、「助かった」と喜んだことでしょう。亜麻布をまとっていた若者は、裸で、「あぶなかった」と喜んだことでしょう。そして、それが、私たちの姿ではないかと思います。誰もが自分の命を守るだけで精一杯です。しかし、イエス様はそうではありません。イエス様は、逃げなかったのです。ユダに裏切られ、群衆に捕らえられ、祭司長たちの手に引き渡されて殺されると知っておりながら、それが聖書に記されている、神様の御意志であるゆえに、イエス様は逃げなかったのです。今朝の説教題を「逃げなかったイエス」とつけました。イエス様は、なぜ、逃げなかったのか。それは、イエス様が約束のメシア、王であったからです。『ネヘミヤ記』の第6章11節に、「わたしの立場にある者は逃げることはできない」と記されています。イエス様は、メシア、王であるゆえに、逃げなかったのです。また、イエス様が逃げなかったのは、「父なる神様の御心が行われますように」と願う御方であったからです(14:36、マタイ6:10「御心が行われますように、天におけるように地の上にも」参照)。イエス様は、メシア、王であるゆえに逃げませんでした。イエス様は、「御心が行われますように」と祈りつつ、群衆の手に、自らを委ねられたのです。