福音は地の果てまで 2008年6月29日(日曜 朝の礼拝)

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福音は地の果てまで

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
使徒言行録 28章30節~31節

聖句のアイコン聖書の言葉

28:30 パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、
28:31 全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。使徒言行録 28章30節~31節

原稿のアイコンメッセージ

はじめに.

 2006年の7月30日から使徒言行録を読み続けてきましたけども、今朝はその最後となります。私たちは、およそ二年間に渡って、使徒言行録を読み続けてきたのでありますけども、読み終えるというのはやはり感慨深いものであります。また、これまで御言葉の奉仕を支え導いてくださった神さまに改めて感謝するものであります。

1.不戦勝となったパウロ

 今朝の御言葉、第28章30節、31節は、使徒言行録の結びの言葉と言えます。「パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。」

 この結びの言葉を読んで、どこか唐突な終わり方だと感じるかも知れません。パウロの裁判の行方はどうなったのか。パウロは皇帝の前に立つことができたのだろうか。そのような疑問に答えることなく、使徒言行録は終わってしまったように思えるからです。しかし、パウロの裁判の行方については、今朝の御言葉でパウロがユダヤ人から告発されることなく不戦勝となったことが暗示されています。ローマの法律では、告訴人が十八か月以内に出頭しなければ被告を釈放すると定められておりました。ですから、パウロがローマに到着してから自費で借りた家に丸二年間住んでいたという記述から、私たちはエルサレムのユダヤ人たちがパウロを告訴せず、パウロの件は棄却されたことが分かるのです。そのことは、21節に記されていたように、ローマのユダヤ人が、パウロについてユダヤから何の書面も受け取っていなかったことからも分かります。もし、エルサレムのユダヤ人たちがパウロをローマにおいても訴えようとしたならば、当然、ローマのユダヤ人たちに何らかの書面を送っていたはずです。また、もしパウロがローマでユダヤ人から告訴され裁判を受けたとしても、おそらくパウロは勝利していたことでありましょう。そのことは、パウロの裁判に立ち会ったローマの高官の言葉から推測することができます。エルサレムにおいてユダヤ人の手からパウロを救った千人隊長クラウディウス・リシアは、総督フェリクスへの手紙にこう書き記しておりました。「そして、告発されている理由を知ろうとして、最高法院に連行しました。ところが、彼(パウロ)が告発されているのは、ユダヤ人の律法に関する問題であって、死刑や投獄に相当するものではないことが分かりました。」

 また、総督フェリクスの後任であった総督フェストゥスは、アグリッパ王の前で、こう言っております。「告発者たちは立ち上がりましたが、彼(パウロ)について、わたしが予想していた罪状は何一つ指摘できませんでした。パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです。」

 さらに、パウロの弁明を聞いたアグリッパ王や総督フェストゥスや町のおもだった者たちは退場してから、「あの男は、死刑や投獄に当たるようなことは何もしていない」と話し合い、アグリッパ王は総督フェストゥスに、「あの男は皇帝に上訴さえしていなければ、釈放してもらえただろうに」とさえ言っていたのです。

 このように、ローマの高官は、一貫してパウロに好意的であったわけです。このことは、パウロを訴えていたユダヤ人たちもうすうす気づいていたと思います。ですから、彼らがわざわざローマに来て、皇帝の前にパウロを訴えることをしなかったのは、賢い判断であったと言えるのです。ユダヤ人が影響力を持つ地方総督による裁判でさえ、パウロを有罪にできなかったとすれば、なおさらローマにおいてパウロを有罪にするのは困難であると彼らは考えたのです。

 パウロは、ローマの自費で借りた家に丸二年間住んだ後どうしたのだろうか、と私たちは考えるのですけども、おそらく、パウロが願っていたように、ローマから更に西のイスパニア、今日のスペインに向かったのではないかと思います(ローマ15:28)。パウロは、丸二年間の後、皇帝の前で裁判を受け、処刑されてしまったのではなくて、ローマで宣教した後、さらに西へと向かったのであります。当時の世界は、地中海世界でありまして、イスパニアは、エルサレムからすれば、まさに地の果てでありました。パウロは、その地の果てまで福音を伝えようとしていたのです。

2.誰にでも開かれた礼拝

 「パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで」とありますから、ローマにおいてもテント造りをしていたようです。当時、裁判を待っている未決囚は、自分自身の取引で働くことが許されておりました。パウロは、番兵を一人つけられ、鎖でつながれておりましたけども、自分の手で働くことができたのです。またパウロは、ユダヤの会堂やローマの教会に出向いて、そこで御言葉を宣べ伝えることはできませんでしたけども、訪問する者に、御言葉を語ることはゆるされておりました。23節以下には、パウロの宿舎にやって来た大勢のユダヤ人に、パウロが朝から晩まで神の国について力強く証しし、モーセの律法や預言者の書を引用して、イエスについて説得しようとしたことが記されておりました。このように、自分でどこかに出向いて宣教することはできなくとも、訪ねて来た人に、福音を宣べ伝えることはできたのです。そして、事実、パウロは訪問する者をだれかれとなく歓迎し、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けたのです。

 ある説教者は、このところから、牧師はいつでも教会に訪ねてくる人を歓迎しなくてはいけないと語っています。そう言われると、わたしなどは反省させられるわけですが、同時に、わたしはこのところを、あまり個人的にとらえない方がよいと思います。むしろここで教えられているのは、キリストの教会のあるべき姿であると言えるのです。パウロは、自費で借りた家を集会の場、教会として提供していたと思われます。当時の教会は、家の教会でありましたから、「家」とはつまり教会のことを指しているのです。パウロは、自費で借りた家を、主の日には開放して、多くの人々と共に礼拝をささげていたのです。そして、その主の日の礼拝において、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けたのです。

 私たちの日本キリスト改革派教会では、憲法の一つである礼拝指針の改正を現在進めております。その改正案の第六条は、「公的礼拝に招かれるもの」として次のように記しています。「公的礼拝にあずかることを願う者は、民族・人種・階級・出身・性別・障害・職業・年齢などいかなる理由によっても排除されることはない。」

 このことは、よくよく考えてみますとすごいことだと思います。キリスト教会の公的礼拝において、この世におけるあらゆる区別が取り除かれ、あらゆる差別が乗り越えられるのです。そして、このような教会の姿勢の原点がどこにあるのかと言えば、それが今日の御言葉にあるのであります。パウロが、訪問する者はだれかれとなく歓迎したということ、それは何よりパウロが借りていた家の教会において言えることなのです。私たちは、このところから、主の日の礼拝に出席したいと願う者は、誰でも歓迎されるべきであることを教えられるのです。私たちはその心を表すために、礼拝当番の方に受け付けをしていただいております。私たちの教会では、受付が礼拝堂の中にありまして、受付としての機能を果たしているかどうか改めて考えなければならないかも知れませんけども、ともかく、受付の奉仕は、礼拝に訪れる者をだれかれとなく歓迎する心をもってすべきであることを確認したいと思います。また、受付だけでなく、礼拝後に互いに声をかけ合うことも、この歓迎の心を表すものであります。はじめて教会に来て、誰からも声をかけられなかったとしたら、どうしてその人は、自分が歓迎されていると感じることができるでしょうか。また、礼拝後にお茶を出したりすることも、この歓迎の心を表す一つの工夫と言えましょう。

 しかし、そもそもなぜキリストの教会は、その礼拝に訪れる者をだれかれとなく歓迎しなければならないのか。それは、あらゆる区別や差別をキリストが取り除いてくださったからであります。パウロは、エフェソの信徒への手紙第2章14節から16節でこう述べています。新約聖書354ページです。「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」

 また、コロサイの信徒への手紙第3章11節で、パウロは次のように述べています。新約聖書の371ページです。「そこには、もはやギリシア人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けていない者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由な身分の者の区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。」

 キリストにあって、あらゆる区別、あらゆる差別がなくなり、一致が与えられる。そして、その交わりの内にキリストにある平和が実現しているのです。ここに、イエス・キリストを頭とする私たち教会のあるべき姿があります。イエス・キリストが、十字架によって、私たちのあらゆる敵意をその身に受け、御自分の死によって葬ってくださったゆえに、私たちはだれかれとなく歓迎することができるのです。いや、何より私たち自身が、歓迎されて、主の民の一員としていただいたのです。

 わたしは今、中会の委員会として、まじわり誌委員会と伝道委員会に所属しております。まじわり誌委員の一つの働きに、執筆者への依頼があります。まじわり誌には信徒の証しが掲載されておりまして、その執筆を依頼するのです。先日、高島平キリスト教K.K長老に、「私の信仰生活」というテーマで文書を執筆していただきましたが、その一部をここでご紹介したいと思います。「教会は子供からお年寄りまで集まる場です。公共の場でも世代が違う者の集まりはなかなかありません。世代の違いや性差、障害の壁もなく、また過去から未来へとつながりを持つ教会。キリストによって国や言語の壁を越えてつながっていることを思うとき、神さまの大きな力を感じます。」

 わたしは、この文書を読んで本当にそうだなぁとうれしく思いました。キリストの公的礼拝が、訪れる者をだれかれとなく歓迎するのは、キリストにおいてあらわされた神の恵みの大きさによるのだと思わされたのです。イエス・キリストにおいて到来した神の国、神の恵みの御支配は、あらゆる区別や差別を取り除き、覆ってしまうほどに大きいものなのです。イエス・キリストにおいて、民族・人種・階級・出身・性別・障害・職業・年齢などいかなる違いによっても排除されない神の恵みの御支配が到来したのです。イエス・キリストは、喜んで御自分を求めるすべての者の主となってくださるのです。

3.獄中書簡から見えるパウロの姿

 先程わたしは、エフェソの信徒への手紙とコロサイの信徒への手紙から引用しましたけども、この二つは、いわゆる獄中書簡と呼ばれるものです。新約聖書には、パウロが獄中で記したとされる四つの獄中書簡があります。聖書の順番で言うと、エフェソの信徒への手紙、フィリピの信徒への手紙、コロサイの信徒への手紙、フィレモンへの手紙の四つであります。そして、この四つは、パウロがローマでの監禁中に執筆したと考えられているのです。さらに、この四つの手紙のうち、エフェソの信徒への手紙、コロサイの信徒への手紙、フィレモンへの手紙は、互いに深い関係があり、同時期に書かれたと考えられています。そしてしばらくして、フィリピの信徒への手紙が記されたと考えられているのです。

 エフェソとコロサイとフィレモンが同じ場所で同じ時期に書かれたとされる第一の理由として、エフェソの信徒への手紙とコロサイの信徒への手紙の内容がよく似ていることをあげることができます。また第二の理由として、エフェソの信徒への手紙とコロサイの信徒への手紙が同じ人物、ティキコによって届けられたことをあげることができます。エフェソの信徒への手紙第6章21節、22節にこう記されています。新約聖書360ページです。「わたしがどういう様子でいるか、また、何をしているか、あなたがたにも知ってもらうために、ティキコがすべて話すでしょう。彼は主に結ばれた、愛する兄弟であり、忠実に仕える者です。彼をそちらに送るのは、あなたがたがわたしたちの様子を知り、彼から心に励ましを得るためなのです。」

 また、コロサイの信徒への手紙第4章7節から9節にこう記されています。新約聖書372ページです。「わたしの様子については、ティキコがすべてを話すことでしょう。彼は主に結ばれた、愛する兄弟、忠実に仕える者、仲間の僕です。彼をそちらに送るのは、あなたがたがわたしたちの様子を知り、彼によって励まされるためなのです。また、あなたがたの一人、忠実な愛する兄弟オネシモを一緒に行かせます。彼らは、こちらの事情をすべて知らせるでしょう。」

 このように、エフェソの信徒への手紙も、コロサイの信徒への手紙も、ティキコなる人物によって届けられたのです。また、コロサイの信徒への手紙ではオネシモなる人物にも言及されておりますが、フィレモンへの手紙は、このオネシモによって持参されたものでありました。逃亡奴隷であったオネシモが、パウロのもとで主を信じる者となった。そのオネシモをどうか愛する兄弟として受け入れてほしいと、パウロはフィレモンに手紙を書いたのでありました。フィレモンへの手紙の8節から16節までをお読みします。新約聖書399ページです。「それで、わたしは、なすべきことを、キリストの名によって遠慮なく命じてもよいのですが、むしろ愛に訴えてお願いします。年老いて、今はまた、キリスト・イエスの囚人となっている、このパウロが。監禁中にもうけたわたしの子オネシモのことで、頼みがあるのです。彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっています。わたしの心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します。本当は、わたしのもとに引き止めて、福音のゆえに監禁されている間、あなたの代わりに仕えてもらってもよいと思ったのですが、あなたの承諾なしに何もしたくありません。それは、あなたのせっかくの善い行いが、強いられたかたちでなく、自発的になされるようにと思うからです。恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません。その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてです。オネシモは特にわたしにとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです。」

 私たちはここに、パウロが監禁中に結んだ一つの実りを見ることができます。またここに、主にあって奴隷や自由な身分の区別はないことをパウロがどのように語っていたのかを私たちは見ることができるのです。

 このように獄中書簡を重ねながら、今日の御言葉を読みますと、本当にいろいろなことを想い巡らすことができるのであります。例えば、コロサイの信徒への手紙第4章10節から18節までを読みますと、ローマで監禁中のパウロがどのような様子であったのかがよく分かります。新約聖書373ページです。「わたしと一緒に捕らわれの身となっているアリスタルコが、そしてバルナバのいとこマルコが、あなたがたによろしくと言っています。このマルコについては、もしそちらに行ったら迎えるようにとの指示を、あなたがたは受けているはずです。ユストと呼ばれるイエスも、よろしくと言っています。割礼を受けた者では、この三人だけが神の国のために共に働く者であり、わたしにとって慰めとなった人々です。あなたがたの一人、キリスト・イエスの僕エパフラスが、あなたがたによろしくと言っています。彼は、あなたがたが完全な者となり、神の御心をすべて確信しているようにと、いつもあなたがたのために熱心に祈っています。わたしは証言しますが、彼はあなたがたのため、またラオディキアとヒエラポリスの人々のために、非常に労苦しています。愛する医者ルカとデマスも、あなたがたによろしくと言っています。ラオディキアの兄弟たち、および、ニンファと彼女の家にある教会の人々によろしく伝えてください。この手紙があなたがたのところで読まれたら、ラオディキアの教会でも読まれるように、取り計らってください。また、ラオディキアから回ってくる手紙を、あなたがたも読んでください。アルキポに、『主に結ばれた者としてゆだねられた務めに意を用い、それをよく果たすように』と伝えてください。

 わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します。わたしが捕らわれの身であることを、心に留めてください。恵みがあなたがたと共にあるように。」

 このパウロの手紙によりますと、ローマの船旅に同行したアリスタルコも捕らわれの身となっていたことが分かります。これはおそらく、アリスタルコが、パウロの僕として、捕らわれていたパウロの身の回りの世話をしていたということでしょう。また第一回宣教旅行の際、途中でエルサレムに帰ってしまったバルナバのいとこマルコが、パウロのもとにいたことが記されています。さらには、パウロが、ローマから手紙を通して、他の教会を指導していた様子がよく分かります。パウロは、ローマだけではなく、手紙を通してエフェソやコロサイやラオディキアの教会にも福音を宣べ伝えていたのです。ローマにあるパウロの家の教会は、福音宣教のセンターのような役割をも果たしていたのです。

 また、フィリピの信徒への手紙を読みますと、パウロが監禁状態にありながら、どのように福音宣教が前進していったかが記されています。フィリピの信徒への手紙第1章12節から14節です。新約聖書361ページです。「兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。つまり、わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです。」

 ローマでの監禁状態において、パウロは番兵を一人つけられておりました。この番兵は、おそらく交代制でパウロを見張っていたのでありましょう。そして、この番兵は、信仰者パウロの姿を目の当たりにし、望まなくてもパウロの語る福音を聞くことになったわけです。そのような番兵を通して、キリストの福音が兵営全体に広まっていく。また、命を惜しまずキリストを宣べ伝えているパウロの姿を通して、ローマのキリスト者全体が大きな励ましを得て、ますます勇敢に御言葉を宣べ伝えるようになったのです。

4.牧会書簡について

 今日の御言葉とは直接関係はないのでありますけども、いわゆる牧会書簡についても述べておきたいと思います。テモテへの手紙一、テモテへの手紙二、テトスへの手紙の三つを、牧会書簡と言います。この牧会書簡はいつ書かれたのかと言いますと、パウロがローマでの丸二年間の監禁生活から解放されてからと考えることができます。四世紀に『教会史』を著したエウセビオスは、パウロがローマ皇帝ネロのもとで殉教の死を遂げたと伝えておりまして、これは現在の定説となっています。皇帝ネロの治世が、紀元54年から68年ですから、遅くともパウロは、68年までに殉教の死を遂げたことになります。わたしとしては67年と考えておりますが、パウロがローマに軟禁されていた丸二年を61年から63年とすれば、四年間で三つの牧会書簡が記されたと考えられるのです。特に、パウロの最後の手紙であるテモテへの手紙二は、獄中で記された牧会書簡でありまして、それによれば、パウロが再び捕らえられ、ローマで獄中生活を送っていたことが分かります。そして、このことは、エウセビオスが『教会史』の中で述べていることでもあるのです。「伝承によると、使徒パウロは、自分の立場を弁明した後で、再び宣教の務めに遣わされて行った。そして、同じ都市(ローマ)に二度目に来て、ネロのもとに殉教の死を遂げた、と言われている。」

 現在の聖書学は、フィリピの信徒への手紙を除く獄中書簡や牧会書簡をパウロの弟子たちが記した、いわゆる第二パウロ書簡として扱うことが多いのでありますけども、わたしとしては、聖書の本文に執筆者としてパウロの名前が記されている以上、パウロの手紙の一つとして読むべきであると思います。 

むすび.私たちを通して働き続ける聖霊

 いろいろな所を開いてきましたけども、最後に今日の御言葉に戻ってお話しをしたいと思います。新約聖書271ページです。31節に「全く自由に」とありますけども、これは「すべての点で大胆に」とも訳すことのできる言葉です。大胆とは、遠慮なく自由に語ることでもあるわけですから、もちろん「自由に」と訳すことができるのですけども、「大胆に」と訳した方が、良いのではないかと思います。なぜなら、このときパウロは捕らわれの身であり、そのような意味では全く自由ではなかったからです。むしろ、パウロは不自由であった。しかし、パウロは大胆であったのです。この「自由に」とか「大胆に」と訳される言葉は、第4章29節にも記されておりました。そこで、生まれたばかりのエルサレムの教会は心を一つにしてこう祈ったのでした。「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。」そして、この祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだしたのです。パウロが、「すべての点で大胆に福音を宣べ伝えた」というとき、この聖霊のお働きを忘れてはなりません。パウロは、主イエスの霊、聖霊に満たされて、大胆に、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けたのです。

 この説教の始めに、この結びの言葉を読んで、どこか唐突な印象を受けるかもしれないと申しました。しかし、この使徒言行録の本当の主人公が、パウロでもペトロでもなく、主イエスの霊、聖霊であることを覚えるならば、この結びの言葉が、使徒言行録の結びとしてまことにふさわしいことが分かるのではないでしょうか。復活された主イエスは天に昇られる前、弟子たちにこう告げておりました。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

 この主イエスのお言葉どおり、主イエスを証しする教会は、エルサレムから、ユダヤとサマリアの全土へ、さらには当時の世界の中心であるローマへと進展してゆきました。この主イエスのお言葉が、歴史の中で実現していくさまを使徒言行録は記録してきたわけです。そして、この聖霊のお働きは、パウロを通して、地の果てであるイスパニアへと広がっていくのです。使徒言行録は、パウロのイスパニア伝道のことを記しておりません。その意味で、未完の書物とも言えます。しかし、それではイスパニア伝道を記せば、完結したことになるのかと言えば、そうではないのです。この地の果ては、地中海世界という枠組みを越えて、さらに広がっていきます。大航海時代において新大陸が発見されるなどして、ついには全世界が宣教の対象となるのです。そして、極東と言われる、まさに地の果てにあるこの日本にも、福音は告げ知らされたのです。そのような聖霊のお働きから考えるならば、この使徒言行録の結びの言葉は、現在進行形であると言えます。主イエス・キリストが再び来られる日まで、聖霊は、教会を通して、大胆に、何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けるのです。「何の妨げもない」と記されておりますけども、それはパウロがテモテへの手紙二で記しているように、「神の言葉はつながれていない」ということであります(二テモテ2:9)。この世は、私たちキリスト者を捕らえて獄に入れることができるでありましょう。しかし、神の言葉はつながれていない。神の御言葉を閉じ込め、その進展を妨げることは誰にもできないのです。

 使徒言行録を読み終えるにあたって、つくづく思うことは、ここに、私たち教会の姿が記されているということです。この使徒言行録の延長戦上に、私たちの教会も建てられているということであります。私たちも主イエスの霊に満たされて、大胆に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けているのです。

  

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