再びカイサリアへ 2008年4月06日(日曜 朝の礼拝)

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再びカイサリアへ

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
使徒言行録 23章11節~35節

聖句のアイコン聖書の言葉

23:11 その夜、主はパウロのそばに立って言われた。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」
23:12 夜が明けると、ユダヤ人たちは陰謀をたくらみ、パウロを殺すまでは飲み食いしないという誓いを立てた。
23:13 このたくらみに加わった者は、四十人以上もいた。
23:14 彼らは、祭司長たちや長老たちのところへ行って、こう言った。「わたしたちは、パウロを殺すまでは何も食べないと、固く誓いました。
23:15 ですから今、パウロについてもっと詳しく調べるという口実を設けて、彼をあなたがたのところへ連れて来るように、最高法院と組んで千人隊長に願い出てください。わたしたちは、彼がここへ来る前に殺してしまう手はずを整えています。」
23:16 しかし、この陰謀をパウロの姉妹の子が聞き込み、兵営の中に入って来て、パウロに知らせた。
23:17 それで、パウロは百人隊長の一人を呼んで言った。「この若者を千人隊長のところへ連れて行ってください。何か知らせることがあるそうです。」
23:18 そこで百人隊長は、若者を千人隊長のもとに連れて行き、こう言った。「囚人パウロがわたしを呼んで、この若者をこちらに連れて来るようにと頼みました。何か話したいことがあるそうです。」
23:19 千人隊長は、若者の手を取って人のいない所へ行き、「知らせたいこととは何か」と尋ねた。
23:20 若者は言った。「ユダヤ人たちは、パウロのことをもっと詳しく調べるという口実で、明日パウロを最高法院に連れて来るようにと、あなたに願い出ることに決めています。
23:21 どうか、彼らの言いなりにならないでください。彼らのうち四十人以上が、パウロを殺すまでは飲み食いしないと誓い、陰謀をたくらんでいるのです。そして、今その手はずを整えて、御承諾を待っているのです。」
23:22 そこで千人隊長は、「このことをわたしに知らせたとは、だれにも言うな」と命じて、若者を帰した。
23:23 千人隊長は百人隊長二人を呼び、「今夜九時カイサリアへ出発できるように、歩兵二百名、騎兵七十名、補助兵二百名を準備せよ」と言った。
23:24 また、馬を用意し、パウロを乗せて、総督フェリクスのもとへ無事に護送するように命じ、
23:25 次のような内容の手紙を書いた。
23:26 「クラウディウス・リシアが総督フェリクス閣下に御挨拶申し上げます。
23:27 この者がユダヤ人に捕らえられ、殺されようとしていたのを、わたしは兵士たちを率いて救い出しました。ローマ帝国の市民権を持つ者であることが分かったからです。
23:28 そして、告発されている理由を知ろうとして、最高法院に連行しました。
23:29 ところが、彼が告発されているのは、ユダヤ人の律法に関する問題であって、死刑や投獄に相当する理由はないことが分かりました。
23:30 しかし、この者に対する陰謀があるという報告を受けましたので、直ちに閣下のもとに護送いたします。告発人たちには、この者に関する件を閣下に訴え出るようにと、命じておきました。」
23:31 さて、歩兵たちは、命令どおりにパウロを引き取って、夜のうちにアンティパトリスまで連れて行き、
23:32 翌日、騎兵たちに護送を任せて兵営へ戻った。
23:33 騎兵たちはカイサリアに到着すると、手紙を総督に届け、パウロを引き渡した。
23:34 総督は手紙を読んでから、パウロがどの州の出身であるかを尋ね、キリキア州の出身だと分かると、
23:35 「お前を告発する者たちが到着してから、尋問することにする」と言った。そして、ヘロデの官邸にパウロを留置しておくように命じた。使徒言行録 23章11節~35節

原稿のアイコンメッセージ

 12節に、「夜が明けると、ユダヤ人たちは陰謀をたくらみ、パウロを殺すまで飲み食いしないという誓いを立てた。」とあります。この「夜」とは、11節にありますように、主イエスがパウロに、「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」と言われた夜であります。その夜、主イエスは、パウロがローマで御自分のことを証しすることができると約束されたのです。パウロがローマへ行きたいと願っていたことは、19章21節に記されておりました。「このようなことがあった後、パウロは、マケドニア州とアカイア州を通り、エルサレムに行こうと決心し、『わたしはそこへ行った後、ローマも見なくてはならない。』」

 その夜、主イエスはこのパウロの決心が、実現することを約束されたのであります。ここで「勇気を出せ」と訳されている言葉は、「元気を出せ」「安心せよ」とも訳すことができます。また、ここで「何々しなければならない」と訳されている言葉は、神さまの必然、神さまのご計画を表すことであるのです。主イエスはパウロに、「安心しなさい。あなたはローマでもわたしのことを力強く証しすることになっている。」と保証されたのです。しかし、その夜が明けると、この主イエスのお言葉と真っ向から対立するような事柄が起こります。40人以上ものユダヤ人たちが陰謀をたくらみ、パウロを殺すまでは飲み食いしないという誓いを立てたと言うのです。彼らが「パウロを殺すまでは飲み食いしない」と誓ったことは、自分たちの命に代えてもパウロを殺すという強い意志の表れであります。また、単なる自分たちの思いというよりも、彼らはそのことを神さまの御意志として祈り求めているのです。彼らはいわば物断ちをしていたわけであります。パウロを殺すことが、神さまの御意志であると考えていたことは、「誓いを立てた」という言葉からも分かります。これは、元の言葉を直訳すると「自分を呪いの下におく」という言葉でありまして、パウロを殺す前に飲み食いするならば、神さまから呪われてもよいという大変強い言葉なのです。パウロは、ガラテヤの信徒への手紙で、「しかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。」と語りましたけども、40人以上のユダヤ人たちは、「もしパウロを殺す前に飲み食いするならば、私たちは呪われるがよい」と誓ったわけです。かつてイエスさまは、弟子たちに、「人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。」と仰せになりましたが、まさに40人以上のユダヤ人たちは、パウロを殺すことが、神の御心に適うこと、神に奉仕することと考えていたのです。彼らは、祭司長たちや長老たちのところへ行き、自分たちの陰謀を打ち明けます。ここで、「祭司長たちや長老たち」とありますけども、これは言い換えればサドカイ派の人々ということであります。前回学びましたように、パウロの機転によって、サドカイ派とファリサイ派の間に論争が生じ、最高法院は分裂したのでありました。復活も天使も霊も認めるファリサイ派の数人の律法学者たちは、「この人には何の悪い点も見いだせない。霊か天使かが彼に話しかけたのだろうか」と言ってパウロを弁護さえしたのです。そもそも、陰謀をたくらんだ40人以上のユダヤ人たちは、最高法院において、パウロが死刑判決を受けることを期待していた者たちでありました。けれども、最高法院が、パウロを合法的に殺すことができなかったので、彼らは、非合法的な手段でパウロを殺そうとたくらんだのです。つまり、パウロの暗殺であります。「ですから今、パウロについてもっと詳しく調べるという口実を設けて、彼をあなたがたのところへ連れて来るように、最高法院と組んで千人隊長に願い出てください。わたしたちは、彼がここへ来る前に殺してしまう手はずを整えています。」

 けれども、この陰謀はパウロの姉妹の子の耳に入り、事前にパウロの知るところとなります。ユダヤ人たちの陰謀が、事前にパウロに洩れてしまうことは、これまでにも何度か記されておりました。例えば、9章23節から25節にはこう記されています。「かなりの日数がたって、ユダヤ人はサウロを殺そうとたくらんだが、この陰謀はサウロの知るところとなった。しかし、ユダヤ人は彼を殺そうと、昼も夜も町の門で見張っていた。そこでサウロの弟子たちは、夜の間に彼を連れ出し、籠に乗せて町の城壁づたいにつり降ろした。」このようにダマスコを脱出したパウロは、エルサレムへと上るのでありますけども、そこでも命を狙われます。9章29節から30節。「また、ギリシア語を話すユダヤ人と語り、議論もしたが、彼らはサウロを殺そうとねらっていた。それを知った兄弟たちは、サウロを連れてカイサリアに下り、そこからタルソスへと出発させた。」さらには、エフェソからシリア州に向かって船出しようとした際にも、ユダヤ人の陰謀がありました。20章3節。「パウロは、シリア州に向かって船出しようとしていたとき、彼に対するユダヤ人の陰謀があったので、マケドニア州を通って帰ることにした。」このように、パウロに対するユダヤ人の陰謀は、これまでにも何度かありました。パウロは、これまでユダヤ人の陰謀から弟子たちによって救い出されて来ました。しかし、今回のユダヤ人の陰謀はこれまでのものとは比べものにならない大がかりなものであったと思います。しかし、その大がかりな陰謀を未然に防いだのは、一人の若者の勇気ある行動であり、さらには世界最強を誇っていたローマの軍隊であったのです。パウロの甥にあたる若者から、ユダヤ人たちの陰謀を聞かされた千人隊長は百人隊長二人を呼び、こう命じました。「今夜九時カイサリアへ出発できるように、歩兵二百名、騎兵七十名、補助兵二百名を準備せよ。」カイサリアには、ローマ総督府が置かれており、そこには、時のユダヤ総督フェリクスがいたのです。また、千人隊長は馬を用意し、パウロを乗せて、総督フェリクスのもとへ無事に護送するようにと命じ、次のような内容の手紙を書きました。「クラウディウス・リシアが総督フェリクス閣下にご挨拶申し上げます。この者がユダヤ人に捕らえられ、殺されようとしていたのを、わたしは兵士たちを率いて救い出しました。ローマ帝国の市民権を持つ者であることが分かったからです。そして、告発されている理由を知ろうとして、最高法院に連行しました。ところが、彼が告発されているのは、ユダヤ人の律法に関する問題であって、死刑や投獄に相当する理由はないことが分かりました。しかし、この者に対する陰謀があるという報告を受けましたので、直ちに閣下のもとに護送いたします。告発人たちには、この者に関する件を閣下に訴えでるようにと、命じておきました。」

 27節を見ますと、実際の事柄とだいぶ違うなぁと思いますけども、これは千人隊長クラウディウス・リシアが自分にとって都合のいいように書いているからですね。ローマの市民権を持つ者を裁判もかけずに鞭打つところであったなどと、自分にとって不利益になる報告をする必要はないわけで、ローマ帝国の市民をユダヤ人たちの手から救い出した手柄として報告されているのです。そして、結果からすれば、ここで千人隊長が言っているように、パウロはユダヤ人の手からローマの兵士たちによって救い出されたのでありました。千人隊長はヘブライ語が分からなかったと思いますが、おそらく通訳を通して最高法院の成り行きを見守っていたのでしょう。千人隊長が理解したところによれば、パウロが告発されているのは、ユダヤ人の律法に関する問題であって、死刑や投獄に相当する理由はないということでありました。つまり、ローマの法律に照らし合わせて、パウロは危険人物ではないということであります。ですから、パウロを兵営に留めておかず、解放してもよかったのでありますけども、しかし、このパウロに対する陰謀があるという報告を受けたので、直ちに閣下のもとに護送したと言うのです。そして、告発人であるユダヤ人たちには、パウロに関する件を閣下に訴えるようにと命じておいたと言うのであります。

 ルカがここでしていることは、ローマの官憲に捕らえられたパウロについての擁護でありますね。ルカが使徒言行録を記したのは、紀元80年代と言われています。パウロは、63年頃、ローマにおいて殉教の死を遂げたと言われますから、もうパウロは死んでいたわけです。しかし、パウロがローマの官憲によって捕らえられ、ローマの法廷で裁かれる者であったことは伝えられていたと思います。ルカの時代、ローマ帝国は健在でありまして、パウロがローマの官憲によって捕らえられ、裁かれる者であったということは、ルカの時代のキリスト教会にとっても誤解を招くものでありました。そもそも、ルカたちの救い主と信じるイエス・キリストが、ローマ帝国の謀反者に課せられる十字架につけられたこと自体が、ローマ帝国の時代に生きるルカの教会にとって、誤解を招き、迫害、弾圧の対象とされかねないことであったのです。ルカによる福音書において、総督ポンテオ・ピラトは、「この男は死刑に当たるようなことは何もしていない」と三度イエスさまの無罪を宣言するのでありますけども、それはイエス・キリストが、ローマの法律によれば無罪であり、危険人物ではなかったことを弁証しているわけです。ユダヤの総督ポンテオ・ピラトばかりではなく、イエスさまを十字架につけた百人隊長さえも、「本当に、この人は正しい人だった」と証言しているのです。それと同じように、ルカはここで、パウロがカイサリアに護送され、ローマの法廷に引き出されるのは、ユダヤ人の陰謀のためであった。千人隊長がユダヤ人の手から、ローマ市民であるパウロの身柄を守ろうとしたためであったと弁証しているのです。

 わたしが思うに、もしユダヤ人たちがパウロに対して陰謀をたくらまなければ、幾日かしてパウロはローマの兵営から解放されたのではないかと思います。この手紙によれば、千人隊長は、パウロが告発されているのは、ユダヤ人の律法に関する問題であって、死刑や投獄に相当する理由がないことが分かったのでありますから、もし陰謀のことが伝わって来なければ、パウロを解放したと思うのですね。パウロは、ローマ帝国にとって、危険人物ではないことが分かったのですから、これ以上、兵営に留めておく理由はなかったはずです。こう考えますと、パウロが、カイサリアに護送され、ローマの法廷で裁きを受けるようになった要因は、ユダヤ人たちの陰謀にあったことが分かるのです。私たちは、ここに悪を善に変える主の御手を見ることができます。創世記の37章以降に、いわゆるヨセフ物語が記されておりますけども、その終わりの50章20節で、ヨセフは自分を奴隷として売った兄たちにこう言っています。「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日にようにしてくださったのです。」ここにあるのは、悪を善に変えることのできる神さまへの信仰であります。そして、主イエスも、ユダヤ人の陰謀という悪を用いて、パウロがローマで御自分について力強く証しするという善へと変えられたのです。主イエスは、パウロのそばに立ち、「安心せよ。あなたは、ローマでもわたしのことを力強く証しすることになる」と仰せになりましたけども、そのローマへの道筋は、パウロが、ローマの法廷で裁かれるという仕方で実現していくのです。ローマの官憲である千人隊長が、パウロに親切であったことは、パウロがローマ市民であったということもありますけども、そこには主の導きがあったと考えられます。主が千人隊長の心に働きかけてくださり、パウロに好意を得させ、迅速、かつ無事にカイサリアへと護送させたのです。この「歩兵二百名、騎兵七十名、補助兵二百名」の総勢470人は、エルサレムに駐在していたローマの軍隊のおよそ半分ですから、ローマ市民一人の護送には多すぎるように思えます。けれども、私たちは何よりここに、主の守りの御手を見なければなりません。主イエスは、パウロを守るために、500人近いローマ兵を用いられるのです。

 31節、32節に、「さて、歩兵たちは、命令どおりにパウロを引き取って、夜のうちにアンティパトリスまで連れて行き、翌日、騎兵たちに護送を任せて兵営に戻った。」とあります。アンティパトリスは、エルサレムの北西60キロの地点にある町であります。エルサレムからカイサリアまで、およそ100キロ離れていましたから、夜の間に半分以上の道のりを来たことになります。翌日歩兵たちは騎兵たちに護送を任せて兵営に帰るわけでありますけども、これはユダヤ人の居住地から異邦人の居住地に移ったので、パウロに危害が及ぶことはもうないと判断したからでありましょう。また、ここから騎兵だけとなりますので、カイサリアまでの移動は速やかなものとなりました。騎兵たちはカイサリアに到着すると、千人隊長の手紙を総督に届け、パウロを引き渡しました。このように、パウロは再びカイサリアへと戻ってきたのであります。このカイサリアは、エルサレムに上る前に、パウロ一行が立ち寄ったところでもありました。そこで、アガボという預言者が、パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛ってこう預言したのです。「聖霊がこうお告げになっている。『エルサレムでユダヤ人は、この帯の持ち主をこのように縛って異邦人の手に引き渡す。』」これを聞いた弟子たちは、パウロに涙を流しながらエルサレムへは上らないようにと頼みました。また、パウロ自身も、このアガボの預言を聞いて「主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。」と決意を述べました。これは、弟子たちも、またパウロも、アガボの預言を、エルサレムで被る苦難の予告として聞いたことを教えています。けれども、今日の御言葉から遡って考えますと、どうもそれだけではなかったと思うのです。むしろ、聖霊はアガボを通して、ユダヤ人の悪意によって、パウロが異邦人の手に引き渡され、ローマで主イエスを証しするようになるという、パウロがこれから進むべき道筋を予告していたのです。

 私たちには、歴史を見通すことなどできませんから、後になって、こうしておけばよかったとか、こうしなければよかったと後悔するわけでありますけども、私たちの主は、歴史の主催者でありますから、そのようなことはありません。神さまのご計画どおり、この歴史は導かれ、やがてイエス・キリストの再臨によってこの歴史は完成されるのです。神さまの御意志にあらがう様々な罪の力がありますけども、しかし、神さまは人間の罪を許容され、それを用いて御心を成してくださいます。3章に、ペトロの神殿での説教が記されていますが、そこでペトロはこう告げています。「ところで、兄弟たち、あなたがたがあんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったと、わたしには分かっています。しかし、神はすべての預言者の口を通して予告しておられたメシアの苦しみを、このように実現なさったのです。」

 神の御子を十字架につけるという罪を用いて、神さまは約束されたメシアによる救いを実現してくださいました。そして、今日の御言葉では、ユダヤ人の陰謀を通して、パウロがローマにおいて、主イエスについて力強く証しする道が開かれるのです。そのような神を信じるからこそ、パウロは、ローマの信徒への手紙の8章で、「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」と語ることができたのです。私たちが、今、困難の中にありましても、神さまはそれを用いて益としてくださいます。たとえ、人間的に見れば、八方ふさがりのように見えても、神さまは、悪を善に変えることのできるお方、万事を益とすることのできるお方なのです。その神さまの御手に私たちが守られていることを、今日は心に留めたいと願います。

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