エフェソでの騒動 2007年12月09日(日曜 朝の礼拝)
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エフェソでの騒動
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- 村田寿和 牧師
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使徒言行録 19章21節~40節
聖書の言葉
19:21 このようなことがあった後、パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、「わたしはそこへ行った後、ローマも見なくてはならない」と言った。
19:22 そして、自分に仕えている者の中から、テモテとエラストの二人をマケドニア州に送り出し、彼自身はしばらくアジア州にとどまっていた。
19:23 そのころ、この道のことでただならぬ騒動が起こった。
19:24 そのいきさつは次のとおりである。デメトリオという銀細工師が、アルテミスの神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていた。
19:25 彼は、この職人たちや同じような仕事をしている者たちを集めて言った。「諸君、御承知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、
19:26 諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。
19:27 これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。」
19:28 これを聞いた人々はひどく腹を立て、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫びだした。
19:29 そして、町中が混乱してしまった。彼らは、パウロの同行者であるマケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって野外劇場になだれ込んだ。
19:30 パウロは群衆の中へ入っていこうとしたが、弟子たちはそうさせなかった。
19:31 他方、パウロの友人でアジア州の祭儀をつかさどる高官たちも、パウロに使いをやって、劇場に入らないようにと頼んだ。
19:32 さて、群衆はあれやこれやとわめき立てた。集会は混乱するだけで、大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった。
19:33 そのとき、ユダヤ人が前へ押し出したアレクサンドロという男に、群衆の中のある者たちが話すように促したので、彼は手で制し、群衆に向かって弁明しようとした。
19:34 しかし、彼がユダヤ人であると知った群衆は一斉に、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と二時間ほども叫び続けた。
19:35 そこで、町の書記官が群衆をなだめて言った。「エフェソの諸君、エフェソの町が、偉大なアルテミスの神殿と天から降って来た御神体との守り役であることを、知らない者はないのだ。
19:36 これを否定することはできないのだから、静かにしなさい。決して無謀なことをしてはならない。
19:37 諸君がここへ連れて来た者たちは、神殿を荒らしたのでも、我々の女神を冒涜したのでもない。
19:38 デメトリオと仲間の職人が、だれかを訴え出たいのなら、決められた日に法廷は開かれるし、地方総督もいることだから、相手を訴え出なさい。
19:39 それ以外のことで更に要求があるなら、正式な会議で解決してもらうべきである。
19:40 本日のこの事態に関して、我々は暴動の罪に問われるおそれがある。この無秩序な集会のことで、何一つ弁解する理由はないからだ。」こう言って、書記官は集会を解散させた。使徒言行録 19章21節~40節
メッセージ
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今日の御言葉の最初、21節には、パウロの決意が記されております。パウロは、エフェソ伝道の成功を見届けたのち後、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、「わたしはそこへ言ったあと後、ローマも見なくてはならない」と言ったのです。ここで「決心し」と訳されている言葉を、口語訳聖書では「御霊に感じて」と訳しておりました。新改訳聖書もやはり「御霊の示しにより」と訳しています。もとの言葉ですと、「霊」という言葉が使われているのですけども、その霊をパウロの霊ととるか、神の霊ととるかでこのような異なった翻訳がなされているのです。また、新共同訳聖書のように「決心し」と訳しても、このパウロの決心が、聖霊の導きによるものであったことは、「ローマを見なくてはならない」という言葉からも明かであります。ここで、「何々せねばならない」と訳されている言葉は、神さまのご計画の必然を表す言葉が用いられているのです。イエスさまは、「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」と言われましたが、そこでも、この神さまの必然を表す「何々せねばならない」が使われておりました。パウロは、ただ自分で決心したのではなくて、ローマに行くことが神さまの自分に対する定めであると言っているのです。パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに上り、そこからローマに行くことを自分に対する神さまの御心としてしっかりと受けとめたのです。
それにしても、なぜ、パウロは、直接ローマに行かなかったのでしょうか。あるいは、なぜ、パウロは、直接エルサレムに行かなかったのでしょうか。わざわざマケドニア州とアカイア州を通るのはなぜか。まず考えられますことは、マケドニア州とアカイア州の教会を訪ねる必要があったということです。マケドニア州には、フィリピの教会、テサロニケの教会がありました。また、アカイア州にはコリントの教会がありました。その教会をパウロはぜひ訪ねたいと願っていたのです。パウロは、エフェソで3年間とどまって福音を宣べ伝えたましたが、その3年間に、ガラテヤの信徒への手紙、コリントの信徒への手紙一、コリントの信徒への手紙二を記したと言われています。そのコリントへの信徒への手紙を読むと、コリント教会との関係が難しくなっていたが、ついには回復したことが分かります。エフェソで、パウロがコリント教会のことを思って、どれほど心を痛めていたかが、その手紙を通して分かるのです。また使徒言行録は、エフェソでの苦難についてほとんど記しておりませんけども、コリントの信徒への手紙を読むと、パウロがエフェソで大きな苦しみにあっていたことが分かるのです。例えば、コリントの信徒への手紙一15章32節には、「エフェソで野獣と戦った」という言葉が記されています。また16章7節から9節には、このように記されています。「わたしは、今、旅のついでにあなたがたに会うようなことはしたくない。主がゆるしてくだされば、しばらくあなたがたのところに滞在したいと思っています。しかし、五旬祭まではエフェソに滞在します。わたしの働きのために大きな門が開かれているだけではなく、反対者もたくさんいるからです。」
この言葉から、パウロは、コリントの信徒への手紙一を書いてしばらして、コリントへ旅立つ予定であったことが分かります。しかし、それが何らかの理由で不可能となった。そのためパウロは、コリントの信徒への手紙二を執筆したと考えられるのです。第二コリント書の1章3節から11節までを、少し長いですがお読みします。
わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。神はあらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にいる人々を慰めることができます。キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。あなたがたについてわたしたちが抱いている希望は揺るぎません。なぜなら、あなたがたが苦しみを共にしてくれているように、慰めをも共にしていると、わたしたちは知っているからです。
兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださるでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。あなたがたも祈りで援助してください。そうすれば、多くの人のお陰でわたしたちに与えられた恵みについて、多くの人々がわたしたちのために感謝をささげてくれるようになるのです。
長く読みましたが、特に注目すべきは、8節であります。「兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。」このパウロの言葉から、エフェソにおいて、パウロが大きな苦難を体験したことが分かります。そして、この苦難によって、パウロは、コリントに行くことができず、エフェソにとどまっていたことが分かるのです。使徒言行録を記したルカは、エフェソでのパウロの苦難について語ってはいませんけども、私たちは、パウロ自身の書簡から、パウロが大きな苦難の中で、福音を宣べ伝えていたことを知ることができるのです。
また、パウロが、マケドニア州とアカイア州を通って、エルサレムへ行く計画を立てたのは、マケドニア州とアカイア州の教会からエルサレム教会へ募金を届けるためでありました。使徒言行録の24章に、エルサレムで捕らえられたパウロが、総督フェリクスの前で弁明する場面が記されています。そこでパウロは、自分がエルサレムに「同胞に救援金を渡すため、また、供え物を献げるために、何年ぶりかで戻って来ました。」と言っています。このことは、パウロ書簡を見ると、もっと強調されています。例えば、コリントの信徒への手紙一16章1節から4節にこう記されています。
聖なる者たちの募金については、わたしがガラテヤの諸教会に指示していたように、あなたがたも実行しなさい。わたしがそちらに着いてから初めて募金が行われることのないように、週のはじめの日にはいつも、各自収入に応じて、幾らかずつでも手もとにとって置きなさい。そちらに着いたら、承認された人たちに手紙を持たせて、贈り物を届けにエルサレムに行かせましょう。わたしも行く方がよければ、その人たちはわたしと一緒に行くことになるでしょう。
このように、パウロは、コリント教会からの献金をエルサレムの教会に届ける計画を立てていました。しかも、コリント教会の代表者に手紙を持たせて、エルサレムの教会へ行かせようと考えていたのです。そして、それはコリントだけではなくて、すでにガラテヤの諸教会にも指示していたことであると言うのであります。パウロは、第三回宣教旅行のはじめに、内陸地方を通ってエフェソに向かいましたけども、その際、彼はガラテヤ地方の教会を訪ね励ますだけではなく、エルサレム教会への献金をも指示していたのです。
また、第二コリント書の8章から9章は、献金についてのまとまった記述でありますが、そこでは、マケドニア州の教会を引き合いに出して、アカイア州の教会を献金へと奮い立たせようとしています。第二コリント書の8章1節から7節にはこう記されています。
兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。彼らは苦しみによる激しい試煉を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。わたしは証ししますが、彼らは力に応じて、また力以上に、自分から進んで、聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりに願い出たのでした。また、わたしたちの期待以上に、彼らはまず主に、次いで私たちにも自分自身を献げたので、わたしたちはテトスに、この慈善の業をあなたがたの間で始めたからには、やり遂げるようにと勧めました。あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい。
このパウロの言葉から、パウロは、マケドニア州の教会にも、エルサレムの聖徒たちへの献金を呼びかけていたことが分かります。パウロは、ガラテヤ州、マケドニア州、アカイア州に立てた教会から、エルサレム教会への献金を集め、それを届けるという一大プロジェクトを計画し、実行していたのです。それにしても、なぜパウロは、このような事業を計画し、実行したのでしょうか。その目的については、同じく第二コリント書の9章11節以下にこう記されています。
あなたがたはすべてのことに富む者とされて惜しまず施すようになり、その施しは、わたしたちを通じて神に対する感謝の念を引き出します。なぜなら、この奉仕の働きは、聖なる者たちの不足しているものを補うばかりでなく、神に対する多くの感謝を通してますます盛んになるからです。この奉仕の業が実際に行われた結果として、彼らは、あなたがたがキリストの福音を従順に公言していること、また、自分たちや他のすべての人々に惜しまず施しを分けてくれることで、神をほめたたえます。更に、彼らはあなたがたに与えられた神のこの上なくすばらしい恵みを見て、あなたがたを慕い、あなたがたのために祈るのです。言葉では言い尽くせない贈り物について感謝します。
ここで、特に注目すべきは、13節です。「この奉仕の業が実際に行われた結果として、彼らは、あながたがキリストの福音を従順に公言していること、また、自分たちや他のすべての人々に惜しまず施しを分けてくれることで、神をほめたたえます。」この言葉から、エルサレム教会が、パウロが建てた異邦人教会を、受け入れることに難色を示していたことが分かります。このとき、エルサレム教会は、同胞のユダヤ人から大変厳しい目で見られていたと考えられるのです。ご存じのように、紀元66年から、ローマ帝国への反乱、ユダヤ戦争が起こります。パウロのエフェソ滞在は54年から57年と考えられておりますから、ユダヤ戦争のほぼ10年前と言えます。当時、エルサレムは、支配者であるローマ人への憎しみが増大し、いよいよ民族主義的色彩を濃くしておりました。事実、54年頃から、熱心党による破壊活動、テロが活発に行われるようになっていたのです。そのような中で、パウロが、異邦人の宣教報告をもって帰って来ても、エルサレム教会の人々は、その報告を必ずしも、喜んで受け入れなかった。むしろ、異邦人教会との関係をどうすればよいかに戸惑いを覚えていたのであります。第二回宣教旅行を終えて、エルサレムに上った際、何があったかを使徒言行録は記しておりませんけども、そこには、そのような背景があったと考えられるのです。このことは、やはりパウロがエフェソで記したとされるガラテヤの信徒への手紙からも推測することができます。ガラテヤの信徒への手紙2章11節以下に、パウロがペトロを非難するというお話しが記されています。ガラテヤ書の2章11節から14節までをお読みいたします。
さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引き出そうとしたからです。そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生きたかをしないで異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。」
これに続いて、パウロは、すべての人は信仰によって義とされるという信仰義認について教えるのでありますけども、当時のエルサレム教会が、同胞のユダヤ人から大変厳しい目で見られていた、という時代的背景を考えるとき、ことはそれほど単純ではないということが分かります。13節に、「ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。」とあります。異邦人の食卓から離れること、それはケファ、ペトロにとっても心にもないことであったのです。しかし、その心にもないことをしなければならないないほどに、エルサレムにおける教会の立場は厳しいものとなっていたのであります。そのことは、戦時中の日本の教会が犯した罪について考えればよく分かります。戦時中の教会は、天皇を現人神として拝む偶像崇拝の罪を犯した。神さまを礼拝するに先立って、宮城遙拝をしたのです。それは、信教の自由が与えられている現在の私たちからすれば、大きな罪を犯したと言える。けれども、そのようにしなければ、存在することが許されなかった時代的背景を思い起こすときに、ことはそれほど単純ではないということが分かるのです。ペトロも同じであったと思います。いや、ガラテヤの教会を惑わせていた者たちも同じ弱さを持っていたのです。ガラテヤ書の6章12節に、パウロは彼らについてこう記しています。
肉において人からよく思われたがっている者たちが、ただキリストの十字架のゆえに迫害されたくないばかりに、あなたがたに無理に割礼を受けさせようとしています。
ガラテヤの教会を惑わせた者たちも、おそらくエルサレム教会の周辺にいた者たちでありましょう。彼らは、割礼なしに救われるというパウロの教えがエルサレムで問題になっており、自分たちにも危害が加わることを恐れて、ガラテヤの信徒たちにも割礼を受けさせようとしたのです。
エルサレムが、民族主義的傾向を強め、ユダヤ戦争へと突入していく中で、エルサレムの教会が、異邦人教会との関係に消極的になったということはよく分かることであります。そして、パウロは、それを何とかして打開するために、エルサレム教会に、自分が建てた異邦人教会を受け入れてもらうために、異邦人教会からエルサレム教会へ献金をささげることを計画し、実行したのです。そして、それは、パウロが勝手に考えついたことではなくて、ガラテヤ書の2章に記されている、エルサレム教会との取り決めに基づくものであったのです。ガラテヤ書の2章1節から10節までを、少し長いですがお読みいたします。
その後14年たってから、わたしはバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました。その際、テトスも連れて行きました。エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした。わたしは、自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々にとりわけ、おもだった人たちに個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました。しかし、わたしと同行したテトスでさえ、ギリシア人であったのに、割礼を受けることを強制されませんでした。潜り込んできた偽の兄弟たちがいたのに、強制されなかったのです。彼らは、奴隷にしようとして、わたしたちがキリスト・イエスによって得ている自由をつけねらい、こっそりと入り込んで来たのでした。福音の真理が、あなたがたのもとにいつもとどまっているように、わたしたちは、片ときもそのような者たちに屈服して譲歩するようなことはしませんでした。おもだった人たちからも強制されませんでした。-この人たちがそもそもどんな人たちであったにせよ、それは、わたしにはどうでもよいことです。神は人を分け隔てなさいません。-実際、そのおもだった人たちは、わたしにどんな義務も負わせませんでした。それどころか、彼らは、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました。割礼を受けた人々に対する使徒としての任務のためにペトロに働きかけた方は、異邦人に対する使徒としての任務のためにわたしにも働きかけられたのです。また、彼らはわたしに与えられた恵みを認め、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。それで、わたしたちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々のところへ行くことになったのです。ただ、わたしたちが貧しい人たちのことを忘れないようにとのことでしたが、これは、ちょうどわたしも心がけてきた点です。
この記述は、使徒言行録15章に記されていたエルサレム会議と同じものであると考えられています。そこで確認されたことは、異邦人は割礼を受けることなく救われる。エルサレム教会は、割礼なしで異邦人教会を受け入れるということでありました。ただそこで、10節にありますように、「貧しい人たちのことを忘れないように」との注文が出されたのであります。この「貧しい人たち」とは、敬虔な者を指す言葉で、エルサレムの聖徒たちを意味しています。つまりここで、エルサレム教会への募金が取り決められていたということです。パウロはそれを、この第三回宣教旅行によって果たそうとしているのです。そのようにしてエルサレム教会に、かつて確認した、異邦人教会を割礼なしで受け入れるとの言葉を実行させようとしているのです。パウロは、異邦人教会の代表者たちをエルサレム教会に遣わし、募金を手渡すことによって、ユダヤ人と異邦人を越えた主イエスにある一致を具体的に表そうとしたのです。そのことは、エフェソを去った直後に、パウロが記したとされるローマの信徒への手紙15章22節から29節の記述によっても、うかがい知ることができます。ここも長いですが、お読みいたします。ローマ書の15章22節から29節。
こういうわけで、あなたがたのところに何度も行こうと思いながら、妨げられてきました。しかし今は、もうこの地方に働く場所がなく、その上、何年も前からあなたがたのところに行きたいと切望していたので、イスパニアに行くとき、訪ねたいと思います。途中であなたがたに会い、まず、しばらくの間でも、あなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアへ送り出してもらいたいのです。しかし今は、聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます。マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです。彼らは喜んで同意しましたが、実はそうする義務もあるのです。異邦人はその霊的なものにあずかったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります。それで、わたしはこのことを済ませてから、つまり、募金の成果を確実に手渡した後、あなたがたのところを経てイスパニアに行きます。そのときには、キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところに行くことになると思っています。
パウロは、27節で、「異邦人はその人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります。」と言っています。ここでの「その人たち」とは、エルサレムの聖なる者たち、エルサレム教会のことであります。霊的なものとは、言うまでもなくイエス・キリストにある救いです。ここで、パウロは一体何を言おうとしているのか。それは、異邦人は、エルサレム教会のために募金をすることによって、彼らと同じ、イスラエルの神の救いにあずかっていることを証しするということであります。なぜ、パウロは、宣教旅行ごとに、エルサレムを訪れ、報告をし、関係を絶やさなかったのか。それは、パウロが建てた異邦人教会とエルサレム教会との関係が途絶えてしまえば、すべての労苦は無駄になるとパウロが考えていたからです。なぜなら、エルサレム教会は、キリストの十字架と復活に歴史的に結びついて成立した、いわば福音の原点であったからです。旧約聖書において示された神の約束は、何よりエルサレム教会において実現したからであります。それゆえ、パウロは、募金を通して、異邦人教会もエルサレム教会と同じ霊的なもの、イエス・キリストの救いにあずかっていることを、明確にしたいと願ったのです。
けれども、パウロには一つ心配事がありました。それは、異邦人教会からの献金を、エルサレム教会がこころよく受け入れてくれるかどうか、という心配であります。それゆえ、ローマ書の15章30節以下にはこう記されているのです。
兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストによって、また、霊が与えて下さる愛によってお願いします。どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください。わたしがユダヤにいる不信の者たちから守られ、エルサレムに対するわたしの奉仕が聖なる者たちに歓迎されるように、こうして、神の御心によって喜びのうちにそちらへ行き、あなたがたのもとで憩うことができるように。平和の源である神があなたがた一同と共におられるように、アーメン。
ユダヤ人の中に、パウロへの憎しみが渦巻いていたことは、これまで学んできた使徒言行録の記述からもよく分かります。実際、これからパウロは、エルサレムに入るのですが、そこで、パウロは捕らえられ、殺されそうになるのです。大勢のユダヤ人から、「こんな男は地上から除いてしまえ。生かしてはおけない。」と呪いの言葉をあびせられるのです。パウロは、そのようなユダヤ人の敵意というものを、エルサレムに行く前から、よく知っていたのであります。使徒言行録の20章には、「エフェソの長老たちに別れる告げる」というお話しが記されています。その22節から24節で、パウロはこう言っているのです。
そして今、わたしは、霊に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命する決して惜しいとは思いません。
今日の御言葉で語られている、パウロの決心は、これほどの覚悟を伴う決心なのであります。パウロは、「自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力づよくか証しするという任務を果たすことができれば、この命すら決して惜しいとは思いません。」と語るのです。それは他でもない、パウロがこの地上の命を越えた、イエス・キリストの命、永遠の命に生かされていたからであります。
さて、今日の説教題を「エフェソでの騒動」としました。おそらく、いつエフェソでの騒動のお話しがはじまるのだろうと思いながら、私の話を聞いておられた方も多いかと思います。けれども、わたしは神さまとの生き生きとした交わりに生きる、パウロの姿をしっかりと語れば、このエフェソでの騒動のお話しはもう済んだと考えているのです。この使徒言行録の記述は、読んでいただければよく分かると思います。デメトリオという銀細工師が、自分の仕事の利益のために、「エペソ人のアルテミスは偉い方」と叫んだ。そして、その叫びに人々も声を合わせて、町中が大騒ぎになったのです。ここで、デメトリオも、エフェソの市民も、「エペソ人のアルテミスは偉い方」と叫びながら、誰も本心でアルテミスという豊穣の女神の像を、神として拝んでいないのはルカの記述から明かであります。彼らには、もっと大切なもの、偉大なものがあるのです。それは、デメトリオにとっては、仕事の評判であり、利益です。また、エフェソの市民にとっては、古代世界の七不思議とも言われたアルテミスの神殿の守り役であるエフェソの地位と利権であります。このエフェソでの騒動は、まったくの空しい、空騒ぎでしかない。そこでは、自分たちの利益のために、神でないものが神として持ち上がられているだけです。アルテミスという偽りの神が、人間の私利私欲のために利用されているだけであります。彼らは、書記官の「我々は暴動の罪に問われる恐れがある」という言葉を聞いて、自分たちが不利益を被りかねないと分かれば、すぐ黙って解散してしまう烏合の衆であります。しかし、それは先程のパウロの姿とどれほど異なっていることでありましょうか。「この命すら決して惜しいとは思いません」と語ったパウロと、自分の仕事の評判が悪くなることを恐れて、「アルテミスは偉い方」と叫び出すデメトリオ、その両者の姿は、生きた神に仕える者がどちらであるかを浮き彫りにしているのであります。