第三回宣教旅行 2007年11月25日(日曜 朝の礼拝)

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第三回宣教旅行

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
使徒言行録 18章18節~19章7節

聖句のアイコン聖書の言葉

18:18 パウロは、なおしばらくの間ここに滞在したが、やがて兄弟たちに別れを告げて、船でシリア州へ旅立った。プリスキラとアキラも同行した。パウロは誓願を立てていたので、ケンクレアイで髪を切った。
18:19 一行がエフェソに到着したとき、パウロは二人をそこに残して自分だけ会堂に入り、ユダヤ人と論じ合った。
18:20 人々はもうしばらく滞在するように願ったが、パウロはそれを断り、
18:21 「神の御心ならば、また戻って来ます」と言って別れを告げ、エフェソから船出した。
18:22 カイサリアに到着して、教会に挨拶をするためにエルサレムへ上り、アンティオキアに下った。
18:23 パウロはしばらくここで過ごした後、また旅に出て、ガラテヤやフリギアの地方を次々に巡回し、すべての弟子たちを力づけた。
18:24 さて、アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家が、エフェソに来た。
18:25 彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。
18:26 このアポロが会堂で大胆に教え始めた。これを聞いたプリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した。
18:27 それから、アポロがアカイア州に渡ることを望んでいたので、兄弟たちはアポロを励まし、かの地の弟子たちに彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。アポロはそこへ着くと、既に恵みによって信じていた人々を大いに助けた。
18:28 彼が聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せたからである。
19:1 アポロがコリントにいたときのことである。パウロは、内陸の地方を通ってエフェソに下って来て、何人かの弟子に出会い、
19:2 彼らに、「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と言うと、彼らは、「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と言った。
19:3 パウロが、「それなら、どんな洗礼を受けたのですか」と言うと、「ヨハネの洗礼です」と言った。
19:4 そこで、パウロは言った。「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです。」
19:5 人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた。
19:6 パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降り、その人たちは異言を話したり、預言をしたりした。
19:7 この人たちは、皆で十二人ほどであった。使徒言行録 18章18節~19章7節

原稿のアイコンメッセージ

 今日の説教題を「第三回宣教旅行」としましたけども、今日の御言葉には、第二回宣教旅行の終わりと、第三回宣教旅行の始まりについて記されています。その区切りとなるのが22節と23節です。22節「カイサリアに到着して、教会に挨拶をするためにエルサレムへ上り、アンティオキアに下った。」ここで、第二回宣教旅行が終わります。そして、23節「パウロはしばらくここで過ごしたあと後、また旅に出て、ガラテヤやフリギアの地方を巡回し、すべての弟子たちを力づけた。」ここから第三回宣教旅行がはじまるのです。気をつけないと、見落としてしまいそうな区切りでありますけども、この23節からパウロの第三回宣教旅行が始めるのであります。

 今日は初めに、第二回宣教旅行の終わりについて学びたいと思います。

 18節に「パウロは、なおしばらくの間ここに滞在したが」とありますが、これは、12節以下の地方総督ガリオンに訴えられるという一件から、なおしらばくということでありましょう。コリントに1年6か月滞在したパウロは、教会の基礎が固まったのを見届けて、船でシリア州へと旅立ちます。兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発したシリア州のアンティオキアへと旅立ったのです。「プリスキラとアキラも同行した。」とあります。パウロに宿を提供し、共にテント作りをしたプリスキラとアキラも、熱心なキリスト者となっていたのです。プリスキラとアキラ、この二人は、もともと伝道者ではなかったと思われます。コリントに来ていたのも、伝道のためではなく、クラウディウス帝の勅令によって退去させられたからでありました。パウロと出会う以前から、キリスト者であったと思いますけども、伝道者ではなかった。しかし、パウロと出会い、パウロの信仰に触れ、パウロの語る福音を誰よりも側で聞き続けながら、プリスキラとアキラも主に熱心な者へと変えられていったのです。特に、ここでは「プリスキラとアキラ」とあるように、妻であるプリスキラの名前が、夫であるアキラよりも先に記されています。ですから、多くの人が、妻のプリスキラの方が熱心であったのではないかと考えるのです。先日、ラジオ番組「あさのことば」の担当者懇談会に行ってきましたけども、その席に、海外宣教に長くたずさわった先生が出席されておりました。たしかフィリピンであったと思いますけども。ある方がその先生に、「海外宣教を決意されたとき、奥様は何と言われましたか。驚かれたのではないですか。」と質問しました。すると、その先生は、「実は、私よりも妻の方が熱心だった」と答えられたのです。夫よりも、妻の方が熱心であった。アキラ・プリスキラ夫妻もそうであったのではないかと思うのです。

 さて、「パウロは誓願を立てていたので、ケンクレアイで髪を切った」とあります。ケンクレアイは、コリントの東に位置する港町です。そこで、パウロは誓願を立てていたので髪を切りました。この誓願は、おそらく民数記6章に記されているナジル人の誓願に準じたものと考えられます。ある一定の期間、髪を切らないという誓いを立てて、神様に願いごとをする。その願いが叶えられたことの感謝として、パウロはケンクレアイで髪を切ったと考えられるのです。ここに、私たちはパウロのコリント伝道にかける意気込みを見ることができます。おそらく、パウロはコリント伝道の成功を祈願して、髪を切らないという誓約を立てていたのでしょう。そして、主はそのパウロの願いを聞き届けてくださった。ユダヤ人から総督ガリオンに訴えられたときも、パウロは何の危害も受けませんでした。そのような神様の守りと導きに感謝して、パウロはケンクレアイで髪を切ったのです。

 19節に「一行がエフェソに到着したとき」とあります。これは、帰りの道中、エフェソに寄港したということでありましょう。荷物の積み卸しなどのため、エフェソにしばらく滞在する期間が与えられた。そして、パウロは、その時を用いて、会堂に入り、ユダヤ人にキリストの福音を告げ知らせたのです。エフェソ、この町は、アジア州の首都であり、当時、もっとも栄えた都市の一つであります。かつてパウロは、アジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられましたけども、今、そのアジア州の首都エフェソで福音を語ることができたのです。けれども、パウロは、しばらく滞在してほしいとの人々の願いを断り、「神の御心ならば、また戻ってきます」と言って、エフェソをあとにしました。この「神の御心ならば」という言葉は、体の良い断り文句ではありません。この言葉は、パウロがいつも自分の意志よりも、神様の御意志を重んじていたことを教えています。エルサレムへ上り、アンティオキアに帰ることを、このときパウロは神様の御意志として受け取っていたのです。主イエスもかつて、ゲツセマネの園において、「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」と祈られました。主イエスも自分の思いよりも、父なる神の思いを重んじた。そして、父なる神の心を、祈りにおいて、自分の心として受けとめなおされたのでありました。その主イエスに倣って、パウロも神様の御心を祈り求めつつ、いつも歩んでいたのです。よく、「祈りは呼吸のようなものだ」ということを聞きますが、これは絶えず祈り続けていることを表しているとも言えます。いわば、生活が祈りに包まれてしまっている。そのような信仰者の姿を私たちはここに見ることができるのです。

 なぜ、パウロが、エルサレムへ上り、アンティオキアに帰ることを急いだのかについては、聖書は、その理由を記しておりませんので、詳しいことは分かりませんけども、何か急ぎの用があったのでしょう。パウロは、プリスキラとアキラの二人を残し、エフェソから船出し、アンティオキアに到着し、エルサレムに上り、カイサリアへと帰って行ったのでした。ここで、第二回宣教旅行は終わりを迎えるのですが、しらばくしてパウロは、また旅に出ます。パウロは、ガラテヤやフリギア地方の教会を巡回しつつ、今度は、神の御心としてエフェソを目指すのです。ここから、19章1節の後半に、話しとしては続いていきますが、その間の18章24節から19章1節前半には、アポロについて記されています。パウロについての記述に割り込むかのようにして、アポロについて記されているのです。そのため、内容としては少し混乱した感じがいたします。しかし、このアポロについての記述は、パウロがエフェソに着くまでの、エフェソの様子を記しているとも言えるのです。また、このようないささか混乱した記述は、福音宣教が、パウロ以外の多くの伝道者によって担われていたことの表れであると言えるのです。

 24節に「さて、アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家が、エフェソに来た。」とあります。アレクサンドリアは、エジプトの都市で、学問の都でありました。大きな図書館があったことで有名であり、ヘブライ語旧約聖書のギリシア語訳、70人訳聖書が作成された所でもあります。人口は、100万人を越え、多くのユダヤ人が住んでいたと言われます。そのアレクサンドリアから、聖書に詳しいアポロという雄弁家がエフェソに来た。「彼は、主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった」とあります。アポロは、主イエスの名による洗礼を受けてはいなかったのです。19章に記されている、パウロと弟子たちの問答を重ねて考えるなら、このとき、アポロはまだ聖霊を受けていなかったと考えられます。そのためでしょうか。アポロが、会堂で大胆に教えているのを聞いて、プリスキラとアキラは、それが正確であるが、何か足りないということに気がついたのです。そして、家に招いて話しを聞くと、彼がヨハネの洗礼しか知らないことが分かったのです。アポロは、イエス・キリストの十字架の死と復活、昇天について聞いていたかも知れませんけども、ペンテコステの出来事を知らなかった。主イエスの約束に従って、聖霊がすでに与えられていることを知らなかったのです。そのことを知らないアポロが語る説教は、熱心であり、正確であるけども、何かが欠けていた。パウロの説教を、いつもそばで聞いていたアキラとプリスキラには、それがすぐ分かったのであります。さて、それではアポロには何が欠けていたのでしょうか。一言で言えば、それは救われたことの喜びと確信であります。このことは、洗礼者ヨハネの語った言葉を思い起こすならば、お分かりただいけると思います。ヨハネは、何と言って人々に呼びかけたか。ルカによる福音書の3章16節から18節にはこう記されています。

 そこで、ヨハネは、皆に向かって行った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。

 福音書記者ルカは、このヨハネの言葉を福音、良き知らせと呼びました。確かに、メシア、救い主が、ヨハネの後から来られるというこの知らせは、福音と言えます。けれども、もし礼拝の中で、このような裁きばかりを語る説教者がいたら、皆さんはどう思われるのでしょうか。それこそ、「失礼ですけど、あなたは聖霊をお受けになりましたか」と聞きたくなってしまうのではないでしょうか。イエス・キリストの名によって洗礼を受け、聖霊を与えられていること。それはすでに罪赦され、救われている保証を与えられているということです。聖霊という救いの保証を与えられているがゆえに、私たちは心安らかに、喜びをもって、イエス・キリストを証ししていくことができるのです。けれども、プリスキラとアキラは、アポロの語る言葉を聞いて、その声の奥底に、救われた者の喜びを聞き取ることができませんでした。その点で、この二人は、すぐれた説教の聞き手であったと言えるのです。そして、彼らはパウロから学んだことを、このアポロにも伝えたのです。彼を招いてもっと正確に神の道を説明したのであります。ここでは、信徒が伝道者を逆に教えています。そして、そのような信徒がいたからこそ、アポロは、いよいよ伝道者として良き働きをすることができるのようになったのです。アポロだけではない、私を含めて教師が信徒から教えられるということは沢山あります。そして、それは何も恥じることではない。それが教会の初めからの姿なのであります。兄弟姉妹同士でも同じことが言えましょう。聖書のある個所について話していても、そのような解釈をするのかと目を開かれることが多くあると思います。プリスキラとアキラ、この二人は、そのような熱心な信徒の代表選手であるとも言えるのです。 

 27節に「それから、アポロがアカイア州に渡ることを望んでいたので、兄弟たちはアポロを励まし、かの地の弟子たちに彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。」とあります。この記述から、アジア州とアカイア州の教会の間に、交流があったことが分かります。当時の教会間には、私たちが考える以上に、キリスト者のネットワークがあったのです。このアカイア州とは、具体的に言えばコリントであります。アポロは、パウロを送り出したコリントの教会を大いに助けたのです。ここでも、アポロの雄弁ぶりは健在であります。アポロは、聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せたのです。何よりアポロは、救われた喜びと確信に溢れて、福音を告げ知らせたのです。パウロが、コリントの信徒への手紙一で「わたしは種を蒔き、アポロは水を注いだ」と言っているように、主なる神は、パウロに続いて、アポロを働き手として遣わしてくださったのです。

 19章には、パウロのエフェソでの働きが記されています。パウロは、エフェソに2年間とどまって福音を告げ知らせるのでありますが、その最初のことが1節から7節に記されています。パウロは、何人かの弟子たちに出会いますが、7節に「この人たちは、皆で12人ほどであった。」とありますから、一つの集団をなしていたようです。その集団は、ここで弟子と言われていますから、主の道を受け入れていたのでありましょう。けれども、パウロが出会った弟子たちは、どこか違和感を覚える集団であったようです。アポロの説教を聞いて、どこか違和感を感じたアキラ・プリスキラ夫妻と同じように、パウロは、この集団にどこか違和感を感じた。私が思いますに、この集団は、どこか禁欲的な雰囲気を持っていたのではなかったかと思います。ルカによる福音書の5章33節以下には、「断食についての問答」が記されていますが、そこで人々はイエス様をこう言って非難しました。「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。」

 ここに、ヨハネの弟子たちとイエスの弟子たちの違いが示されています。そして、この禁欲的な傾向を、エフェソにいた弟子たちは依然として持っていたのではないかと思うのです。それゆえ、パウロは、彼らに「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と尋ねたのであります。すると案の定、彼らは「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません。」と答えました。この「聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」という言葉は、「聖霊の存在自体があるかどうか聞いたこともない」ということではなくて、今、聖霊が降っている、その恵みの時代が到来していることを知らないということであります。洗礼者ヨハネの言葉を用いれば、来るべき方が、聖霊によって洗礼を授けるときが来ていることを知らない、聞いたこともないということです。この答えを受けて、パウロは驚きまして「それなら、どんな洗礼を受けたのですか」と尋ねるのです。すると、彼らは、「ヨハネの洗礼です」と答えました。この「ヨハネの洗礼です」という言葉は、直訳すると、「ヨハネの中に洗礼を受ける」となります。たとえるならば、ヨハネという川がありまして、その水に沈み込む。そのようにして、ヨハネと一体的となるという意味が込められているのです。しかし、パウロが語りますように、ヨハネは、自分の後から来られる方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げ、悔い改めの洗礼を授けたのでありました。ヨハネの洗礼は、ヨハネと結びつくという意味を持つものではなくて、むしろ、悔い改めを表すものであったのです。ルカによる福音書が記しているように、ヨハネが宣べ伝えていたのは、「罪の赦しを得させるための悔い改めの洗礼」であったのです。いわば、ヨハネの洗礼は、罪の赦しを得させるための備えであったと言えるのです。

 人々はこのパウロの言葉を聞いて、主イエスの名によって洗礼を受けました。ここもやはり直訳すると「主イエスの名の中に洗礼を受ける」となります。今度は、文字通り、そのように理解してよいのです。イエスの御名によって洗礼を受けることにより、その人は主イエスと霊的に結び合わされ、主の霊、聖霊をいただくのであります。主イエスの名によって洗礼を受けることにより、彼らは罪のゆるしそのものを受けたのです。ここまで来て、はじめてヨハネの洗礼はその目的を達するのであります。ヨハネが言っていたように、彼らは今、来るべきお方、主イエスから聖霊の洗礼を受けたのです。そのしるしとして、彼らは異言や預言を語ったのであります。

 今日の御言葉は、洗礼者ヨハネの教えによって、主イエスを信じる者たちが多くいたことを教えています。そして、その者たちが、アキラ・プリスキラ夫妻やパウロによって、より正確な、確かな救いへと導かれるのです。私たちは、ここにも洗礼者ヨハネを通して語られた主の言葉の力強い働きを見ることができます。荒れ野において、ヨハネに降った神の言葉は、今もなお多くの人々の心にこだましていたのです。そして、私たちは、ここにも聖霊の導きがあったことを思わずにはおれないのであります。

 私たちは、主イエスの名によって洗礼を受け、聖霊を与えられた者として、異言や預言を話すわけではありませんけども、救われた喜びと確信をもって、イエス・キリストを伝えることができます。アポロのように、聖書に詳しくも、雄弁でもないかも知れませんけども、主イエスの名によって洗礼を受け、聖霊をいただいている者として、真実に、主イエスの救いを証ししていくことができるのです。私は、このようにして主イエスに出会い、救っていただいた。私が今あるのは、主イエスの恵みによると、真実に証しすることができる。そして、その証しをも用いて、主は福音宣教の御業を進めてくださるのです。

 

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